回想②

 私は整った外見をしていた。生まれたときからそうだった。

 小さい頃は、誰もが愛らしい容姿に相好を崩し、柔らかな頬をつついたり、抱きしめたがった。

 るり子ちゃんは、本当にお人形みたいでかわいいね。そう言われる度に私は、自分が世界中から愛されていると思っていた。

 しかし、成長するにつれ、私は容姿について苦悩を抱えるようになっていった。

 中学の頃は、母の再婚相手に体を触られ、唇を吸われ、夜中に布団に向かって何度も吐いた。

 高校の頃は同性に性格ブスと陰口を叩かれ、援助交際をしていると噂をたてられた。机の中に入りきらないほどのコンドームを入れられたこともあった。

 大学の頃は、顔はきれいなのに想像と違った、と言われて振られ、その男に撮られた性行為の動画を売られたりもした。

 就職先では無意味に仕事からのけ者にされ、上司と寝ているから賞与が多いのだとトイレや更衣室などの密室で責められた。会議の存在を教えてもらえなくて出席できず、周囲から白い眼で見られたり、誰かがミスを私のせいにして事態を収拾することは何度もあった。

 美しいことに、何の価値があるのだろう?

 だんだんと、私はそう思うようになっていた。

 容姿に恵まれただけで、どうでもいい得をする。八百屋でおまけがもらえたり、男性に声をかけられることが多かったり、食事を奢ってもらうことがあったり、その程度だ。

 その代償に、同性からゴミ屑のように嫌われ、憎まれ、嫉妬され、不幸な姿を渇望される。私は生きるために、自分を保つために、男に頼るしかなかった。

 しかし男たちは、美しいからには、こういう内面だというステレオタイプにあてはめたがった。

 彼らが求めたのは美しい顔で、私という人間ではなかった。私の人付き合いの悪さを見ては幻滅し、知識のなさを知っては溜息をつき、動物嫌いを見ては眉をひそめた。やがて、思ったより優しくないとか、賢くなかったとか言って、去って行った。

 いつからか、私は日常的に精神安定剤を服用するようになっていった。


「辻村。私、恋人を殺してしまったの」


 深夜、私の部屋に来た辻村は、あまり動じていないように見えた。少なくとも見かけ上はそう見えた。

 玄関先で見た辻村の顔には、どんな表情も浮かんでいなかった。つるんとした、たまごの殻のような表情だと思った。


「助けて、辻村。あんな男のために、捕まりたくない」


 絞り出すように言うと、辻村は靴を脱いで私の部屋にあがった。そしててきぱきと死体と部屋を片付けはじめた。

 辻村は一晩かけて部屋中の血を拭き取り、バスルームで死体を解体し、複数の布団袋に分けて梱包した。

 のこぎりなどの道具は、辻村の自宅から持参してきたようだった。私が気持ち悪いだろうと、布団袋の上からさらにレジャーシートで包み、中が完全に見えなくなるようにしてくれた。

 作業が一通り済んだあと、辻村は、腐敗が進まないように大きな冷凍庫を買った方が良いと言った。応急処置として、私の家の冷凍庫の中身を全部出して、そこに一番腐りやすいであろう腹部や頭部を優先的に入れた。入らない四肢は浴槽に並べて氷をたっぷりかけた。

 翌朝、怪しまれないようにと、辻村は一睡もしない状態で会社に向かった。

 私は会社を辞めていたので、辻村がいなくなってしまうと、死体とともにひとり家に残された。

 突然、私は奇妙な焦燥感に襲われた。


 何かをしなければ。


 辻村がきれいに掃除してくれたものの、部屋には鉄臭い血のにおいと死体特有の生臭さが充満していた。隣の住人ににおいが漏れないようにと言われていたので、空気清浄器をつけ、部屋中に芳香剤をまいた。

 ベットやシーツ、カーテン、カーペットに至る部屋中の布製品を洗濯しては乾燥機に入れ、乾いてはまた洗濯した。何故か外出をしてはいけないような気がした。少しでも目を離したうちに、誰かが異変を感じて部屋に入って来るのではないかという恐怖があった。

 三回目にカーテンを洗濯しているとき、不意に、めまいと吐き気がした。トイレに嘔吐したが、胃液しか出なかった。

 時刻は午後四時、そういえば昨夜から水も口にしていなかったと気づく。

 キッチンで水を汲み、口に含んだが、生臭くぬめっているような錯覚がして、吐き出してしまった。吐き出した後で、自分の背後にある冷凍冷蔵庫に浅賀が入っているのだとふと気づいた。


「ああ、痛い」


 耳元で、溜息のような浅賀の声がした。

 目を剥いて辺りを見回すが、当然、私の他には誰もいない。

 聞こえるのは冷凍冷蔵庫の稼働音、洗濯機の回る音、外で子供がはしゃぐ声だけだ。

 手足と心臓が急速に冷えていくのを感じた。

 今、確かに浅賀の声がした。生前と同じ、やや擦れた調子の、うんざりしたような声――。

 耐えきれなくなって、私はキッチンとバスルームから一番離れた玄関に向かった。

 扉から出ようとしたところで、外に出てはいけないと誰かに止められたような気がした。私は震える体を抱きしめて、玄関に座り込んだ。

 しばらくして、会社から辻村が帰って来た。私の様子を見に来たのだと言う。

 辻村は私の様子を見るなり合点したのか、私を引きずるように外に連れ出した。私のマンションから徒歩五分ほどの場所にあるファミレスで、いくつか料理を頼み、私に食べさせた。

 その日から、辻村は私の家で寝泊まりし、私の家から通勤するようになった。

 辻村は偽名を使ってネット通販で大型の冷凍庫を買った。横に長い、業務用の冷凍庫だった。

 辻村は会社から帰ると、玄関で座り込む私を連れ出して食事させ、私をベッドに促した後、ひとりで深夜まで死体を冷凍庫に収める作業をした。そして朝方に二時間ほど仮眠をとり、会社に出勤していった。

 そして、浅賀が死んでから六日後の夜、辻村は引っ越しを提案した。浅賀の家族や会社が不審に思い、私に行き着く可能性が高いと考えたようだった。

 確かに、私と浅賀の関係は社内の人間に知られるところになっていたし、浅賀の妻も愛人がいることに薄々感づいていただろう。

 死体が見つからなければ出奔したと判断されるかもしれないが、私の精神衛生を考えても、遠くに引っ越した方がいい、という意見だった。

 そして、辻村はこうも提案した。

 この先、自分と住むのはどうかと。必ず、何があっても守ってあげるから、と。

 私は辻村と生活することを選んだ。


 その夜、辻村が借りた軽トラックに、積めるだけの荷物――もちろん例の冷凍庫も――を詰め込み、私たちは誰にも知られることなく、夜中のうちにそっと都内を出た。

 マンションの契約書と、辻村の会社への退職届は郵送で送ることにした。

 住民票も動かさず、誰にも居場所を伝えることなく、私は辻村と共に知らない街に向かった。首都高のオレンジ色の照明がものすごい速さで視界を横切っていくのを見ながら、私は、世界から切り離されたと実感した。この社会の何からも必要とされず、何にも頼らず。

 辻村だけが、私をこの世界につなぎとめている。そんな気がした。

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