第0話 さくら/ケツメイシ

「"アイドルはウンコをしない"という信仰があります。戦後日本の復興神話の一節ですが、皆さんご承知のとおり、これは真実ではありません。正確に言うならこうでしょう。"アイドルはウンコをする。しかし、1年に1回しかしない。"

 毎年、紅白歌合戦が終わった頃、正規のアイドル達はテレビ局からヘリコプターにて、それぞれの事務所毎に山中の寺院に移送されます。寺院の本堂には、酒樽のような大きな樽が人数分運び込まれています。酒樽の上には和式または洋式便座が据え付けられ、静かにその上にアイドル達が座するのを待っています。やがて、到着したアイドル達は催眠状態で、僧の資格を持つ事務所社員により便座にあげられます。そして除夜の鐘と共に1年分の排便を行うのです。

 それは年が明けるまで行われ、新しい年の始まるときには、アイドル達は完全に前の年の自分を捨て去るのです。なので、年末年始にまたがるテレビ番組に現れるアイドルは、全てCGであるか、非正規のアイドルであることになります。


 この儀式は、関係者から、"一括排便"と呼ばれています。日本独自の儀式であり、戦後の第一次アイドルブームにより発祥し、それからの絶え間ない改良によって、現在ではほぼ完成の域に達しました。もちろん通常人体はそのような構造になっていませんから、一括排便は一般人には不可能なことです。これを可能にしているのが、正規のアイドルがデビュー時に施される人体改造です。

 人体改造による一括排便機能の実現は、大きく二つに方法に分かれます。それらは外部保存方式と内部循環方式と呼称され、前者は初期型アイドルに実装された旧式、後者は現代で主流となっている方式です。

 まず前者の外部保存方式について説明していきましょう。外部保存というと、アイドルの体外へ糞便を排出するように聞こえますが、実際はそうではありません。それは"教義"に反するからです。定期的に体外に糞便を排出するならば、それはただの排泄と変わらず、大晦日の一括排便だけが、アイドルが人ならざるものであることを保証しているのです。

 では何故外部という名前を冠しているかというと、アイドルの腰部または背中から細いチューブを数本伸ばし、その先に糞便保存用のタンクを取り付けるからです。このチューブおよびタンクは、アイドルの皮膚と内臓の細胞を培養してつくられ、アイドルと完全に連続している為、医学的には人体の一部とみなされるのです。タンクは伸縮性が高くなるよう遺伝子改造が施されており、年末には直径が十数メートルにまで達することになります。

 これらのチューブ及びタンクは、一般人に気付かれないよう、光学迷彩および物理的な保護によって隠されます。旧アイドルの極端な秘密主義は、この方式が主な理由です。

 タンクには排便と共に浮揚ガスが注入されています。普段は、アイドルが自由に動けるように空中に浮いており、アイドルの最低限の動作を妨げないようになっています。

 これらの外部保存方式はお察しのとおり、多くの問題があります。著しい行動の制限や、秘匿の難しさ、そしてそれらがアイドルに与える多大なる精神的ストレス……当時、アイドルの行動が厳しく制限されていたのは、物理的な制限を、芸能界のルールとして覆い隠していた為です。自由恋愛など、適わぬ夢。アイドルはアイドルになると同時に自分自身を人質として差し出すことになるのです。

 しかし科学技術の発展と共に、内部循環方式のアイドルが登場することになります。

 内部循環方式とは、その名のとおり、糞便を体内にて分解、組成を作り変えて、人体の一部として循環させます。究極のエコである、と最初にこのアーキテクチャを考案した男は言ったそうです。

 内部循環方式アイドルの体を流れる血液、リンパ液、筋肉、脂肪、内蔵およびアイドルが流す涙、汗、唾液……その他もろもろは、全て糞便となります。もちろん糞便を作り変えてそれらの成分を全て作れるわけはなく、それらの代用となる人工体液や肉を糞便から作り出すと言ったほうが正確でしょう。外部保存型は一部内蔵が肥大化した人間とカテゴライズすることができるかもしれませんが、内部循環型は、糞便を細胞とする亜人間と言えるでしょう。

 アイドルを作り出した人間たちは、この結果に満足しました。人ならざるもの、神の器、天使、彼らはそれを造り出した。

 造物主にでもなったつもりで」



 そこまで言って、女は言葉をきった。

 日曜の秋葉原、歩行者天国に座らされた人々は、ただ静かに彼女の言葉を聴いている。

 人々の周りは、銃を持った男達が数メートルの間隔で、円形に人々を取り囲み、銃口を彼らに向けていた。

 どこからか運び込まれた講演台の上に立ち、女は再び口を開く。

「彼らは、その信仰心のままに醜悪な怪物を産み続けました。このおぞましい行為は、戦後から現在まで営々と続けられ、その中で信徒の組織は大きくなり、広告業界を牛耳り、いまや政治の中枢にまで入り込んでいます。金と権力を持ったこの凶集団が作り出し、動かしているのが現在の日本です。

 あなた方が日々、感動し、評論し、熱狂し、信仰し、承認するそれらは。圧倒され、魂を抜かれ、命を投げ出して、崇めるそれらは。皆、彼らが作った糞袋に過ぎない。あなたたちが注ぎ込む愛や夢や血や汗や金を糞に変えて、その糞を溜め込んで動く哀れな元・人間。今、そこのテレビに映って踊っているあの子たち、一昔前に踊っていたあの子たち、その妹分のあの子たち、売り出し中のあの子たち、清純派の、セクシー派の、巨乳の、品乳の、ブサイク系の、歌手の、女優の、グラビアの、バラエティの、ありとあらゆる正真正銘正規アイドルと呼ばれる彼女たちの全数が、血も涙もない、ただ糞だけが詰まった袋なのです」


「やめろっ!」

 聴衆の中から一人の青年が立ち上がった。興奮と緊張で顔を紅潮させ、恐怖と怒りで震えながら手に持った銃を壇上の女に向けた。

「いい加減にしろ……いい加減にしろっ! 日曜日のクソ寒い日に僕たちを、こんなところに座らせて、何を話すかと思えば、彼女たちがが、く、糞だと……! 糞はお前らだっ! 誰がお前たちの狂った戯言を信じるか! 証拠はどこにあるんだ! 今この場に見せてみろ! さぁ、早く! 早く!」

 この青年は死ぬ、と周囲の人々は思った。その銃が本物かどうかはわからない。しかし、本物であっても、いまや円状に並んだ男たちの銃が青年ただ一人を狙っている。

 青年も覚悟していたのだろう。どこか開き直ったように叫ぶ。

「証拠を! 証拠を、みせろ!」


「いいでしょう」


 演台の女は変らぬ声色で答えた。

 青年が女の反応を読めずに沈黙する。

「糞人形が糞人形であることの証、お見せするのは簡単です。その銃で、私を撃っていただければよい。さすれば私の身体に空いた穴からは、血ではない糞便が流れ出し、この場に悪臭が立ち込めるでしょう。私もまた、元・アイドルだからです」



 凍りつく青年。女の表情は微動だにしない。

「元と言っても、私の体は改造されたまま……現役の糞人形です。20年程前に芸能界から逃げ出して、今の組織に身を寄せてからずっと、私の体には排泄されない糞便が溜め込まれています。アイドルは一括排便機能実装と同時に通常の排泄機能は取り除かれます。自身での排泄が不可能なようにです。肛門には穴詰石という人工骨が、安全弁として埋め込まれ、完全に塞がれます。これを外すには、ホルモン注射と催眠により脳を騙した上で、外科的な手術が必要になります。その技術については、今のところ、アイドル信仰者達しか持っていません。

 私の体には血の代わりの糞便が流れています。私の体表面はにおいを遮断するコーティングがされていますが、私の体外に出たならば、あなた方にも容易に知覚できることでしょう。それがそのまま、これまでの話の証となるでしょう。

 さらにもう一つ、私は証拠を提示できます。

 これまで、私の身体が内部循環方式であるように語ってきましたが、正確には私は外部保存方式と内部循環方式のハイブリッド……不完全な圧縮・変換技術のために、外部保存方式のタンクも接続された内部循環方式のプロトタイプです。

 さて、見えるでしょうか? よく目をこらしてください。空間の微妙な違いに集中すれば……ほら」女はそっと人差し指を上に向けた。

 その先に、人々は見た。

 蜃気楼のようなゆらぎが次第に形をとっていく。夕日をバックにして立つ女の背中から、何本もの透明のチューブが空に向かって伸びていた。それらのチューブは空中で無数に枝分かれし、ときに隣のチューブと接続しながら、複雑な葉脈のような面を形成して、広がっていく。

 そして人々はさらに上の空を見上げる。

 雲と同化していたそれが、突然人々に認識される。

 巨大なくらげのような物体が、確かに空に浮んでいた。

「ああ……」

 それは感嘆の声か、単なるうめき声かわからない。ただその場にいた人々の声の総和として、それは発せられた。

 女が講演台にダンと拳を叩きつけ、祈りだしそうな人々の心を引き戻した。

「さあ、撃ってください。元々、腕の一本くらい引きちぎって、お見せしようと思っていたのですから。気にすることはありません。さあ、さあ! さあさあさあさあ! 早く撃ちなさい! 撃て!」

 青年は空を見上げたまま動けない。銃を構えたまま、放心するように空をながめている。

 女はそれを見て取り、最後の通告をする。

「彼が撃てなければ、誰か別の人でも変りません。撃ってください。それをもって、あなた達は解放されます」

 人々に沈黙が降りる。



「ひとつ、確認したいことがある」

 立ち上がったのは、一人の老人だった。

 その声は穏やかで、年を経た静かな迫力があった。

「どうぞ」

 女が承認する。老人は語り始めた。

「確認したいことというのは、君のアイドル時代の名前だ」

「私がアイドルであったことの証拠というわけですね。いいでしょう。知っている方は少ないでしょうが、検索すれば出てきます。私の名前は」

「来陽(くるひ)サクラちゃんだろう? 紅ショウガ大好きアイドルとして、バラエティを中心に活躍した。歌も出していた。シングル曲"GariGariだってShowが好き!"、カップリング曲が"紅生姜DON2好きになる"。紅ショウガだけで1年間生活してギネス記録にもなった」

「よく……ご存知ですね」

「ファンだったからさ。握手会で1番になったことは一度や二度じゃない。あの頃のわしは全てを燃焼して、サクラちゃん、いや君を見ていた」

 女の表情が初めて少し変る。そこには困惑が浮んでいる。

「だから、あなたが失踪したとき、気が狂いそうになったよ。自分も死のうかと思った。しばらくして、事務所から体調を崩して芸能界引退という報告があってからは、放心状態だった。だが、この世が闇に沈んだかのような、そんなわしの心境なんかよりずっと、ずっと君は辛かったのだね。わしらは何も気付いてやれなかった。本当にすまなかった」

「あなたに……謝ってもらう類のものではありません」

「そうだな、そうだ。だが、あのとき、わしの心には君が住んでいた。わしの周りにいた誰よりも近くに、君がいた。人の心というのは、本当に小さいものだと思うよ。すぐにあふれちまう。でも、そんな心でも、身体に比べりゃずっと大きいんだ。あの頃のわしは、その心のままに駆けずり回っていたよ。君の姿を見て、君の声を聞くために、なんだって捧げるつもりだった。それは苦痛でもなんでもなかった。

 だから、なんとなくわかる。そこの青年も、ここにいる人々もまた、誰かのことで心にあふれさせているんだろうとわしは思う。そして、そういう心があふれる事を、君も知ってるんじゃないかい? わしが君を好きになったのは、深夜のインターネットの紅ショウガ耐久ライブ放送で君が泣いたときからだ。一人の名もない書込みに、君が泣いて喜んだからだ。愛してくれてありがとう。確か、君はそう言って泣いた」

 老人の声に熱がこもる。

「今のアイドルの在り方には問題があるのはわかる。NGT480なんて正気の沙汰じゃあない。君がそれに反対し、具体的に行動するのは正しいことだと思う。だが、君はそんな悲しい顔をすべきじゃない。そんな顔で、アイドルだったことを語って欲しくない。あの頃も今も、君は輝いている。それは糞便なんかじゃ汚れはしない。アイドルは、人間は、糞便なんかじゃ汚れはしない。君は糞便の操り人形なんかじゃないんだ」

 女の視線は老人を越え、遠くを見ている。

 老人が語りを終え、沈黙が辺りを支配したとき、女が何かをしゃべろうとした。しかし、それは銃声と硝煙でさえぎられた。

 辺りで銃撃と格闘の音が聞こえたが、視界を奪われた人々はとにかくその場にしゃがみこんだ。

「特殊警察アイドルだッ」

 誰かが叫んだ。しかし、それも銃撃ですぐにかき消えた。


 人々が、徐々にその視界を回復し始めたとき、最初に見たのは、あの女の姿だった。

 女……元・来陽サクラは空にいた。

 女から出たチューブが身体を吊り上げ、女を宙に浮かせ、さらに上昇していく。上空に浮かんでいた女のタンクは雲に隠れ見えなくなっていた。

 その姿は、まるで、

「天使……」

 誰かが呟いた。女を吊り上げるチューブは、女を中心に放射状に広がり、まるで翼のようだった。それは翼を持った天使が空に帰っていく神話の光景、あるいは天上からの糸によって操られるマリオネットの磔刑のようにも見えた。

 人々は状況も忘れ、それを眺めた。

 人々は確かに見た。女は微笑んでいた。

 銃声が止んだ。人々の周りには、銃を構えていた男たちの代わりに、黒い服に身を包んだ特殊警察アイドル達が立っている。カメラを向けた何人かの人々は、直ぐにカメラを奪われて破壊された。

 そして、周囲を制圧した特ドル達は、号令の元、一斉に空に浮ぶ女に向けて発砲を開始した。

 銃撃音と硝煙が辺りを包んだ。女がどうなったのか、人々に知る術はなく、再び頭を抱え道路に伏せた。そして、



「愛してくれて、ありがとう」



 激しい銃撃音の中、それは人々にはっきりと聞こえた。

「おお……おおおお!」

 次に、咆哮が、これはほとんどが銃撃音にかき消されたが、あの最後に立った老人の声が周囲の人々の耳に届いた。

 それを聞いた人々が再び咆哮する。それが周囲に伝播していく。

 多種多様なアイドルオタクたちの咆哮が、日曜日の秋葉原に響いた。

 特ドル達が、暴れだした人々を制圧したとき、女の姿は空の点となっていた。辺りには千切れたチューブの残骸と同時に、おびただしい"血"が流れ、凄惨な有様だった。

 この「事件」は、反政府組織によるテロとして日本史に刻まれることになる。しかし、来陽サクラだった女や、女の語ったアイドルに関する事柄が報道されることはなかった。



「事件」より数日後、日本列島全域に、赤い雪が降った。

 政府が予め「1000年に一度の珍しい現象」として説明し、民放各局がそれに追従し、印象操作を行ったため、大きなパニックはなかった。政府の発表では、「赤い雪」は人体に直接的な害はないものの、悪臭などの可能性が示唆され、人々は外に出ないように警告がなされた。

 しかし、赤い雪が降ったとき、外に出て、積極的に雪を浴びた人々もいた。彼らは、赤というよりも薄紅色の雪が舞い散る様をじっくりと眺め、雪に埋まるまで、その雪を浴びた。実際、その雪は無臭で、多くの子供達は外に出て遊んでいた。



 赤い雪より数年の後、アイドル政権は倒れ、第七次アイドルブームもまた終焉を迎える。

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浄夜 朝飯抜太郎 @sabimura

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