第7話 あなたにとって、美しいものとは何?
『質問をどうぞ。来陽さくらさん。あ、ちょっと待って、聞こえないから近くに行きます』
男がこちらに歩いてくる。
唖然として停止していた寺山さんが叫ぶ。
「ちょっと! さくらちゃん!」
「大丈夫です」
「何が大丈夫なの!」
寺山さんが怒るのも無理はない。でも、もう決めたのだ。
『さあ、質問をどうぞ』
いつの間にか、男が私の玉座の下にまで来ている。思ったより若い。
「私達を、普通の女の子にしてくれるって、言ったけれど、どういう意味?」
『言葉のままの意味さ。こんな夜が必要ないようにしてあげる』
「できるの? あなた達に」
アイドルの改造技術は、未だこの世にはない技術だ。あることが認められないという意味で。
現代の人類にとって、人体改造は法的にも宗教的にも感覚的にも、まだまだ聖域だ。医学の延長としての改造が認められたとしても、大多数にとって不必要な改造は認められはしない。だから、アイドルの改造技術は、アイドル協会が擁する、必要不要に関わらず技術だけを求める科学者やエンジニア達しか持ってはいない。
『できる』
男は即答した。
「根拠は?」
『この場所に僕達が居て、こんな大規模な作戦を行えていることが、答えにならないか? 僕達の同志はどこにでもいる。もっと言えば、君達を改造した技術は解析済みだ』
男の声からは自信が満ち溢れていた。
嘘は言ってない……ような気がする。現に、厳重にチェックしているハズのスタッフに、彼らが紛れ込んでいたのだから。
でも……。
「わかった。信じるわ。あなた達は、力を持ってる。もし今持っていなくても、私達の身体についている医学的には私達自身であるチューブを切り離し、大腸を移植して、肛門を止めている穴詰石を永遠に外すことができるようになるのかもしれない」
「さくらちゃん!」
寺山さんが銃を持ち、私の前に出る。それは私を護るというよりも、システム全体を護ろうとする行動のように見えた。
私は気にせずに続ける。
「でも、私はどうかしら?」
私は、心臓の高鳴りを抑えながら言う。
「私は一年前に、二回目の改造を受けた。第一期改造アイドルから第二期改造アイドルへ移行するためのプロトタイプ、外部保存方式と内部循環方式のハイブリッド型アイドル。私の身体は、うんこやおしっこの一部を体内にて分解、組成を作り変えて、体液として循環させ、タンクに溜める量を減らすようになっている。私の体を流れる血液、リンパ液、筋肉、脂肪、内蔵……そして涙、汗、唾液……その他もろもろは、全てうんこやおしっこでできている。こんな……こんな私を、救えるというの? あなた達に、できるの? 糞人形である私を救えるの?」
知らず語気が荒くなっていた。自分の言葉にショックを受けて目頭が熱くなる。頭の中の冷静な部分が、自分がそれほど傷ついていたのだとうなずく。
二回目の改造手術の詳細は後から知らされた。私の身体には、うんこやおしっこが流れている、それを知ってから、私は怪我を異常に恐れるようになった。もともとアイドル故に自分の身体を傷つけることは禁止事項とされ、徹底して管理するように定められている。それに皮膚の硬質化の為の投薬も行われており、アイドルはめったなことでは傷つかない。それでも私は怖かった。擦りむいた傷口から流れ出る血が、赤色でなかったら……そう思うと体の中が空洞になったような寒さを感じる。
「私だけじゃない。これからアイドルになる子達は、みんな内部循環型になっていく。私一人にかかる費用は国家予算並よ。それを戻す技術があったとして、それにかかる費用は莫大になる」
男が目を細める。多分、男も知らないだろう。これは最上級機密だ。
私はしっかりとリーダーを見つめて言う。
「もう一度、聞くわ。あなた達にできる?」
私の視線をまっすぐ、男は受け止めた。そして、言った。
「できる」
拡声器を通さない、その男自身の声だった。少しかすれた高い声。しかし、雑音の多いこの本堂に不思議と響いた。
「約束しよう。五年以内に実現する。君を、普通の女の子にしてあげるよ」
それは無理な約束。
希望的観測でもない、ただの言葉。
でも、私は、微笑んだ。
「最後にもう一つ、あなたにとって、美しいものとは何?」
男は即答した。
「君達のような女の子だ。そして、それは、僕のすべてだ」
その目を見て、確信する。
彼は狂っているかもしれないが、彼は、彼の道を進むのだろう。これから、ずっと。
私は、拳をまっすぐと突き出す。目の前を覆っていた、透明の防弾プラスチックがはじけ飛ぶ。そして、そのまま空いた穴に向かって、飛んだ。
その下では、リーダーが私の行動に驚きながらも、手を広げていた。その手が私を受け止めようとしている。
落下する一秒ほどの間、私は自分が解放されていくのを感じる。清められていくのを感じる。新しい世界で、もう一度美しいものを探そう。それが私の生きる道なのだ。
私は自由落下に任せ、一秒後、手を広げる男の、その驚いた顔に着地した。素足の足裏に何か硬いものがあたるのを感じながら、踏み抜いた。本堂の床が少し割れ、男の顔が沈む。私は顔を軽く蹴って、その前に立った。唖然とする周囲に、拾った拡声器で宣言する。
『さて、スカベンジャーの変態諸君。私、A級アイドル、来陽さくらは、君達に加わることを宣言する!』
正気を取り戻した何人かが私に銃を向ける。しかし、すぐに銃は下された。
振り向くと、リーダーの男が、顔を抑えて立ち上がっている。
「……痛てて……何て女の子だ……素晴らしいよ」
輝くような笑顔。やっぱり変態か。
私は拡声器を肩に置き、できるだけ凶暴な笑みを浮かべる。もう震えはない。
「何でも思い通りにはならないってこと。それをわかっとけってことよ」
「……了解したよ。さくら」
リーダーは鼻を抑えながら笑う。そして私から拡声器を受け取ると、周囲に向かって叫んだ。
『さて、残念ながら時間だ! 私達についてくる人は、今すぐそこから飛び降りてくれ。すまないが、三十秒で決めてもらう!』
そして、きっちり三十秒待ってから、私達はその場所から逃げ出した。
まだ眠っている人を置いていくことが不安だったが、実は、炎の半分以上が本堂の壁にプロジェクターで映されたものだった。見かけは木造でも、最新の断熱材が使われたこの本堂が簡単に燃えるはずはなかった。音と光、そして少しの炎と煙で、鉄壁の守りを突破したのだ。スカベンジャー、やるじゃないか。そのスカベンジャーの連中に、逃げる途中で女神扱いされる。一応、アイドルなので崇められるのには慣れていたが、何故か気持ち悪く、あとでスカベンジャーのほとんどがスカトロジストであることが判明した。少し後悔が過ぎったが、リーダーの「僕達が望むのは便そのものじゃない。健全な排便少女の解放だよ! 行為まで含めた美なんだ!」という言葉を信じて忘れることにした。
本堂から逃げながら、柚子さんとトーチと目が合った。二人とも、信じられないという目をしていた。そうだろう。でも、同時にあの二人には伝わっていると私は信じる。私の目がどこを向いているか。そして、これまでで一番、生き生きとしていることを。
そうして来陽さくらというアイドルは芸能界から姿を消した。表向きは体調を崩しての引退と説明されたが、記者会見にも全く姿を現さず、事務所からもそれ以上の説明がないといった異常な状況から、失踪したとか、顔を怪我して精神を病んだとか、クスリに手を出して消されたとか色々噂された。しかし、その話題も半年持たなかった。新しいアイドルは増え続け、次の年には初のアイドル国会議員が生まれ、アイドルブームは新しい方向に舵を切る。
来陽さくらという名前は、二十年後の秋葉原で起こるテロ事件を発端する一連の事件、通称『赤い雪事件』まで、忘れ去られることになる。
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