第3話 侵食レベル


 拘置所に着くと待ち受けていたのは所長の五十嵐(いがらし)肇(はじめ)であった。

 五十代半ばという年齢ながら大部分の髪が白く、精悍だが気難しそうなギョロ目が近寄り難さを感じさせる男である。


「遅い」


 開口一番不満を口にした五十嵐がイライラと龍生を睨みつけた。


「集荷前に知らせが欲しいと言ったのは貴様らの方だろう。こっちは一刻も早く処分したいのを待ってやってるんだぞ」


「せっかちだなぁ。これでもすっとんで来たんですよ。ねえ、志摩さん」


 くだらない諍いに巻き込まれるのは嫌なのか、話を振られた伊織はだんまりを決め込んでいる。

 妙な間が空いて、そこでようやく五十嵐は伊織の存在に気づいたような顔をした。


「何だ、見ない顔だな」


「今年うちに配属された可哀想な新人の志摩さんです。志摩さん、こっちは所長の五十嵐さん。口うるさくて面倒くさいけど、約束したことは守ってくれる律儀なおじさん」


「喧嘩なら買うぞ」


「嫌だな、冗談でしょ」


 本来ならこの辺りで新人の自己紹介が入りそうなものなのだが、伊織は依然、俯き加減で黙ったままだ。どうやら空気を読むつもりはないらしい。

 肩を竦めて、龍生はフォローに回った。


「いやぁ、何ていうかシャイな子で」


「特事課に配属されたんだ。暗い気持ちにもなるだろう。【嘘花】の観察なんて新社会人には酷な仕事だからな」


 緊張で喋れなくなったと解釈したらしい五十嵐が伊織の無愛想を受け流す。

 もどしたくなったら早めに言いたまえよ、なんて珍しく優しげな言葉をかけてから、五十嵐が先に立って歩き始めた。


「それにしても、所長直々のお出迎えとは驚きましたね」


 面会室までの道のりを歩きながら軽口を叩くと、五十嵐が嫌そうな視線を龍生に向けた。


「貴様らが帰り次第、即刻処分命令を出すつもりだからな。あんなもの一秒でも残しておきたくはない」


「あんなものって。一応人間ですよ」


 苦笑して諫める龍生に向かって「もとはだろ」と五十嵐はにべもない。


「あのおぞましい生き物を同じ人間だと思うなんて考えただけでも反吐が出る。法が【終末期】のあれに焼却処分を義務付けているのだって、人間ではなくなったと解釈しているからだだろう」


 五十嵐が言及したのは、【嘘花】に寄生された者の侵食レベルについてである。


 嘘をつくたび、体のどこかから芽が出る【初期】段階。

 芽吹きと成長が加速し、根を張った若芽が引き抜けなくなる【中期】段階。

 骨格レベルで体が変形し、細胞が植物と似たものになっていく【後期】段階。

 花が咲き、実をつけ始める【終末期】段階。

 そして、種子の苗床となるため一瞬のうちに体が朽ちる【終末】。


 このうち【終末期】以降の【嘘花】は、種子を作らせない、残さないという特別種子法によって焼却処分が義務付けられていた。


「俺はな、この日をずっと待っていたんだ。槇が収監されてから今日まで、一体何人の刑務官が辞めていったと思う。蕾がついたらあと少し。花が咲いたら即処分。残った者たちはそれだけを心の支えに耐えて来たんだ」


 あの化物め、と吐き捨てた五十嵐の言葉を聞こえないふりで受け流す。

彼の苦境は理解できるが、身内から【嘘花】が出た伊織にとっては耳障りのいいものではないはずだ。


「あー、ええと志摩さん。今回面会する真木康平って奴は二年前に強盗致死を犯した犯罪者でね」


 話題を変えようと、龍生は伊織に観察対象の説明を始めた。


「忍び込んだ邸宅に居合わせた住人の友人一名を殺害。逃走したものの、異変に気づいた通行人からの通報が早かったのと、生き残った住人が人相を証言したことからまもなく逮捕された。事件当夜、真木は被害者宅のキッチンに置いてあった夕食の残りものをつまみ食いしたそうだ。不運にもこれに【嘘花】が紛れていて、後に発芽。特事課の観察対象になったってわけ」


 硬い表情で伊織が頷く。

 やはりいたたまれないのか、もしかしたら本当に緊張しているのかもしれなかった。


「何が『居合わせた住人の友人』だ。貴様の妻の愛人だろう」


 当然のように五十嵐が横から口を挟む。


「ついでに言えば『被害者宅』じゃなくて貴様の新居だ」


 伊織の体が分かりやすく強張った。

 センセーショナルな情報をいきなり剥き身で与えられて、反射で硬直したのだろう。

気まずい空気が流れて、龍生はがしがし頭を掻いた。


「ああそうですよ、そうですよ。俺の家で俺がいない間に妻が連れ込んだ愛人が刺殺されたんですよ。……まったく、歳取るとデリカシーってもんが死滅するのかな」


 龍生の不満に「何言ってるんだ」と五十嵐が呆れ顔で応じる。


「隠したところでどうせ真木の口から出る話だろう。あれは貴様を揺さぶるのが好きで、わざわざ名指しで呼びつけるんだからな」


 無自覚に抉ってくる五十嵐に首を振って、龍生は暗く笑った。

 そんなことは知っている。真木にとって自分は拘置生活における唯一の娯楽だ。


「もとはと言えば俺が押しかけたせいですからね。まあ自業自得です」


 当時違う部署に務めていた龍生は真木が特事課の案件になったと知るや否や移動願いを書いた。辞令も待たずに拘置所に押し入ったのは、若さ故と今では思っている。

 真木と対峙したところで妻の裏切りは変わらないし、日々を取り戻せるわけでもない。それでもその時は、胸の内に渦巻く怒りをぶつける先が欲しかったのだ。

 真木はそんな龍生の心の柔い部分を一目で看破して、これはいいおもちゃがやってきた、と思ったのだろう。

 他の担当者では口をきかないとだんまりを決め込み、特事課は龍生を差し出す他なくなった。

 そうして配属さえ危うかった龍生は特事課の一員となったのだ。


「何だかんだと二年、通うことになった」


 龍生の言葉に五十嵐がふん、と鼻を鳴らす。


「その間に貴様はずいぶんと悪い方、悪い方へとくだけていったがな。最初に見た時は真面目が服着たような男だと思ったものだが」


「はは」


 乾いた笑い声が勝手に口から飛び出した。

 真面目に生きても裏切られるのだ。人は嘘をつく。この世に道理などない。


「馬鹿馬鹿しくなっただけだ」


 呟きは五十嵐の耳に届かなかったようで、隣を歩く伊織だけが息を詰める気配がした。

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