第2話 不運の新人、その決意。


「一応確認しておくけど、志摩さんは特事課が何を扱う課か知っているんだよね?」


 小宮山に押しつけられたブレスケア用タブレットを口の中に放りながら、龍生は運転席の伊織に尋ねた。

 庁舎前まで車を回したのは龍生だが、飲酒運転になりかねないとやいやい言う小宮山に圧されて運転を変わったのだ。

 まっすぐに前を見つめたまま、伊織が端的に答える。


「【嘘花】の事例を扱う課です」


 初めて耳にした伊織の声は思いの外小さく、細かった。

 これは頼りない。

 神経の細そうな新人の末路が容易に想像できるようで、龍生は内心苦笑した。

 特事課は万年予算不足の人材不足だ。

 かかる手間に対して目に見える成果を生み出せない課であると思われているのが原因だろうが、課長の言う「人が続かない」のも窮状の一因であった。

 配属された者の多くは職務内容に耐えきれず、異動や休職、退職を願い出る。

 教育係を拝命した以上、龍生としては早めにその可能性を探っておきたかったのだが……。

 難しそうだな、と考えながらタブレットをばりばり噛み砕いていると、隣の席ですう、と息を吸い込む気配がした。


「【嘘花】とは、国が定めた特殊寄生植物と、これに寄生された人間のことです。種子をより遠くへ運ぶため個体数が多く行動範囲の広い人間に寄生するよう進化したもので、擬態に優れ、野菜や果物などの植物性食物に紛れて人の口に入ります。多くの場合体内に取り込んでもそのまま排出されるため、寄生率は極めて低く、これといった対策のないまま放置されているのが現状です」


「どうした、どうした」


 Wikipadiaでも諳んじるような淀みのない弁舌に戸惑っていると、伊織が少し固い口調で明言する。


「ちゃんと理解しているつもりです。私の卒論は【嘘花】についてでしたし」


 だから辞めたりしません、と続く言葉に龍生は伊織の意図を理解した。

 どうやらこちらの懸念を察して先回りしたようだ。

 神経は細そうだが、存外頑固。

伊織に対する情報を微妙に修正しながら、龍生は窓枠に肘をついた。


「君の論文は読んだよ」


「え」


 ぱ、と伊織がこちらを見る。

 良くできたキャストドールのような顔に驚きの表情が浮かんでいた。


「前見ろ、前」


 表情が乏しいだけで、感情の起伏はある。

 再び脳内の情報を更新しつつ、龍生は話を続けた。


「一部で噂になったからなぁ。ずいぶん緻密で信頼性の高い【嘘花】の論文が出たって。しかも書いたのは学生で、聞けば親御さんが【嘘花】に寄生されて亡くなったという」


 そうなのだ。伊織はこの忌々しい植物に寄生された被害者の、言わば遺族である。

 履歴書の名前を目にした段階でそのことに気づいた龍生は、二つの意味で彼女の教育を渋っていた。

 一つは、単純に面倒。

 もう一つは、あまりにも無情。


「だからさ、改めて聞くけど君にとってうちの課で働くってどうなの? 特事課の仕事は【嘘花】に寄生された人のもとに通って彼らが死にゆくまでの経過を記録することだ。これから面会する真木だって【嘘花】だよ。真木だけじゃない。特事課にいる以上、【嘘花】との接触は不可避になる。君は親御さんと同じ理由で死んでいく人達に『どこまで侵食されましたか』、『どういう気分ですか』って無慈悲な質問をして回れるの」


 寄生自体の問題に取り組む研究機関や医療とは違う。

 データベースとなる情報を収集していると言えば聞こえはいいが、要は人の死にざまを集めるだけの嫌われ仕事である。

 つい先日も妻が嘘花となった老夫婦の家を訪れたが、一見冷静に見えた主人は話を進めるうちに感情的になり、最後は泣きながら龍生を罵倒した。

 とても遺族にさせる仕事とは思えない。


「人事は知らずに配属したんだろう。不本意なら早めに異動願いを出すといい。事情を説明すれば、きっとすぐに受理されるよ」


 こんなことを言ったと知れたら小宮山あたりにどやされそうだが、こちらとしても爆弾を抱える新人に気を使いながら仕事をする事態は避けたかった。

 潰れるなら早いうちに。できれば潰れる前に。

 それは面倒ごとを極力避けたい本心と、小さな親切心から出た助言だった。

 前方を見つめたまま、伊織が慎重に口を開いた。


「特別事例収集課への配属は、私自身が希望したものです」


「は?」


 意外な言葉に耳を疑う。


「何だって?」


 聞き返すと、今度は間髪入れずに答えが返された。


「ですから、特事課への配属は私が希望しました」


「それはまた……よりにもよって、何故」


 考えうる限り、役所に勤めようとする者がわざわざ特事課を希望する利点はない。

 特事課は、各省庁の押しつけ合いにより所属さえ宙ぶらりんのまま創設された【嘘花】専門の課である。

 ついでに言えばどこにでもいる使えない人材を放り込むごみ箱の機能も兼ねていて、要するにハズレくじ。誰もが避けたいと思う部署であった。

 龍生の疑問に伊織が答える。


「御堂さんもご存知のように、私には研究論文のアドバンテージがありました。採用時にこの点を強くアピールしましたし、【嘘花】を扱う特事課に興味があるとも言いましたので、それを踏まえての人事だったのかと」


「ええと、つまり採用時の武器にしたらそのまま配属されたってこと?」


 回りくどい言い方だがそういうことだろう。


「なるほどね。そうまでして公務員になりたかったってことか」


 近年、世界規模で蔓延した未知のウィルスによって、多くの業種が困窮、絶滅してしまった。


 廃業や雇い止めで職を失った者も多く、ここ数年は新卒生にとっても深刻な就活難が続いている。

 そんな中、人気を集めたのが公務員の職種だ。

 世界経済が混迷した時期にも、とりあえず首が繋がり給料が保証されていた公務員は、不景気で不安定な社会の中で多くの就職希望者の注目を集めていた。


 競争率の高い採用試験を突破するために敢えて嫌われ部署への配属を希望する。

 それが戦略なら、伊織の自爆ともいえる行動にも理屈が通った。


「希望した以上、配属に不満はありません。感傷に浸ってご迷惑をかけるようなこともないと誓います」


 再び強張った伊織の声が、龍生を牽制するように明言した。

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