☆12

 箱型の建物。細い道を挟んで、立ち並んでいる。オレンジ、エメラルドグリーン、パープル、ベージュ……カラフルな漆喰の壁。どれも民家のようだ。壁から伸びるロープに、洗濯物が干してある。

 あれは蝶? ……いや、花だ。頭の上や地上付近を、花が飛んでいる。パンジーやニチニチソウに似た花。葉っぱと花弁を魚のヒレのように揺らし、ふわふわ漂っている。

 道が上り坂になる。坂の両側に、箱型の家並み。開いた窓から賑やかな話し声が聞こえてくる。子供の笑い声、婦人の怒鳴り声も。

 家と家のあいだに路地。通ってみると、別の細道に出た。進むたび新たな道が現れる。アリスは気ままに進んだ。

 幼い頃アリスは迷子の常習犯だった。生来道に迷いやすい性格だった。別世界にやって来ても、その性格は変わっていなかった。

 どこを歩いているのか、さっぱり分からない。当てずっぽうに進む。

「あれ? おかしいな」

 袋小路になっていたので引き返したら、風景が変わっていた。確かに角の家の壁は赤かったはずだ。少なくともこんな黄色ではなかった。

 アリスは試しに適当に進んで、戻ってみた。やはり来たときと違う。

 進んだり、戻ったり。通るたびに風景が移ろいゆく。

「どうなってるの……?」

 アリスが混乱して立ちつくしていると、

「ハーイ、お嬢ちゃん」

 背後に立つイカ男。頭部はイカで、顎髭のように十本の長い腕を垂らしている。身体はよれよれのTシャツを着た青年だ。

「見ない顔だね。フシギノクニは初めて?」

「そうなんです。道に迷っちゃって……」

「だったらフシギノクニの地図をあげるよ」

「本当ですか? ご親切にありがとうございます」

「ついてきて」

 案内された場所はイカ男の自宅だった。薄暗く、じっとりした室内。空気は悪く、胸がむかつくほど生臭かった。

「地図をもってくるから、ベッドに腰かけて待ってて」

 疑いもせずベッドに座るアリス。目玉をぎょろりとさせ、ねちゃねちゃねちゃ……イカ男が小走りで迫ってくる。

 アリスはベッドに押し倒された。両手を押さえつけられ、逃げられない。

 イカ男は覆いかぶさり、目玉をぐるぐる回して、顔を近寄せる。顎の十本のゲソが不気味にうねっている。アリスの顔をイカの荒々しい吐息が包んだ。

「イカ臭い!」

 ゲソが顔の上をぬるぬる這い回る。十匹のミミズを顔に乗せられた心地だ。

 固く閉じた唇をこじ開けて、触腕が侵入。やめて! と心のうちで叫び、アリスは歯を突き立てた。イカそうめんの風味が口に広がっていく。

「痛たたた」

 イカ男が飛びすさる。すかさずテディベアのぬいぐるみポシェットから催涙スプレーを取り出し、噴射。イカに効くのか未知数だったが、けっこう辛そうだ。

 その隙にイカ男の家を飛び出した。

「待て」

 イカ男が追いかけてくる。ねちゃねちゃと音をたてて。

「助けて!」

 SOS救助要請に現れたのは、オウムガイ女だった。オウムガイの頭部。引き締まった女性の身体。黒のキャミソール。デニムのショートパンツ。

「助けてください! 追われているんです」

 オウムガイ女は大股でイカ男に向かう。及び腰のイカ男。その股間を痛烈に蹴り上げた。追加でイカ面へ、ソバットを叩き込む。

 鮮やかな二連打で、イカ男はあえなく伸されてしまった。

「ありがとうございました」

 オウムガイ女はアリスをじっと見つめ、

「あんた、ウサギと同類だろ」

「ウサギ?」

「現実世界から来ただろ」

 アリスは目を見開いた。

「はい……」

「ここに住みたいのか? フシギノクニに」

 こくこくこく。立て続けに三度うなずく。それからすがるように、

「でも、こちらの世界にやって来たばかりで、何もわからないんです。どうすればフシギノクニで暮らしていけるのか、教えてください……ええと……」

「あたしはチチカカ」

「わたしはアリスです。教えてください、チチカカさん」

「いいよ。アリス」

 破顔。アリスは幼女のように小躍りした。

「よろしくお願いします!」

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