第四十話 銀と黒

   ◆◇◆


 魔物と遭遇してからどれだけ過ぎたか――絶え間なく森から現れていた狼が、突如として僕たちの眼前から消えた。


「はぁっ、はぁっ……一体、何が……」

「お気をつけください、若」

「私たちが魔狼を倒したのではなく、ように見えました。魔族の魔法かもしれません」


 メルヴィンとドロテアは警戒を解いていない――だが、僕にはそれが杞憂に見える。


「魔物を倒し続けたことで、敵も力を使い切ったんじゃないか? メルヴィンとドロテア、一人あたり十体は倒しているじゃないか」

「眷属をいくら倒しても、魔族の消耗を意味するとは限りません」

「メルヴィン老の言う通りです、まだ私たちは勝っては……」


 二人は何を言っているのだろう? この状況を、僕たちが勝ったと考えないのが不思議でならない。


「僕の意見が聞けないのか? 魔物は消滅したんだ、これで勝ちじゃないか。そうだ、魔物の中に魔族が混じっていたのかもしれない。そうだ、きっとそうだ!」


 高揚を抑えきれない。全て上手く行くのだから、何も心配などする必要はない。


 僕らは勝った。フォーチュンを脅かした魔族を討った僕らは、王都の脅威である塔の魔族など簡単に葬ることができる。


「……若……その、目は……」

「目? 何を言っているんだ爺、まだ不必要な心配をしているのか?」


 ドロテアがこちらを見ている――いつも気が強い彼女だが、ここまで上手くやった僕――俺に対しては態度を改めざるを得ないだろう。


「ハハ……ハハハハハッ……とてもいい気分だ……僕はこの国の王になる……!」

「――いかん、ドロテア!」

「ブランド様、お気を確かに……!」


 メルヴィンもドロテアも何を慌てているのか。ドロテアなど、この僕を睨んでいるように見える。


「……それは、殺気か? この僕を誰だと思っている……僕はブランド・シュヴァイク……シュヴァイク家の当主になり、この国の王になる人間だぞ……!」

「操られている……! やはり魔狼は我らの手でのではない、何らかの理由でのだ!」

「くっ……若様、お許しください!」


 ドロテアの姿が消える。そして次に彼女の気配が現れたのは僕の後方だった。


 僕の目でドロテアの本気の動きを追うことは難しい。だが、従者が主人に逆らうなどあっていいわけがない。


「――はぁっ!」

「ドロテアァァァッ!!」


 後方に振り返りながら剣を振り抜く。しかし僕がそうするまでもなく、ドロテアが繰り出した刃は空中で止まっていた。


 そうだ――『あの御方』が防いでくれたのだ。彼女が僕を助けてくれている。


『ゾラスがやられたから、あんたたちに構ってる時間はもうないかも。手早く終わらせないとね』


 ――『黒妖こくようのラクシャ』が『ダークパルス』を発動――


「――ああぁぁっ……!!」


 ドロテアが黒い魔力の波動に弾き飛ばされる。宙を舞った身体は大樹に叩きつけられ、彼女はそのまま動かなくなる。


「僕に敵意を向けるなど……言語道断……許されることではない……」

「若……お気を確かに! あなたの敵は我々ではない!」

『彼にはもう聞こえてないよ。熱くなっちゃってるところゴメンね』


 どこからか聞こえてくる少女の声。鬼気迫る気迫をぶつけてくるメルヴィンを、風になびくあしのようにいなしている。


 『彼女』は僕にとって崇拝すべき対象だ。メルヴィンが激昂してこちらに向かってくるが、僕はこの御方の盾にならなければならない。


 黒妖のラクシャ。自ら名乗らなくとも分かる、彼女に服従する僕には。


「ぐっ……若、惑わされてはなりませぬ! 我らの使命は魔族を倒すこと! 互いに争うことなどでは、断じて……っ!」


 メルヴィンの繰り出した鉄甲の拳を、僕は剣で受け止める。


「……爺……僕、は……」

「魔族の声になど耳を貸してはならない! 若、あなたはそれほど弱くは……っ」


 この拳を僕が受け止めることができている。そのことに、かすかな違和感がある。


『お爺ちゃん、なかなか強いね。ザコしかいないこの辺りにしてはだけど』

「ぐ……うっ……」


 眼前のメルヴィンの口に、赤いものが伝った。


 僕の後ろにラクシャ様がいる。


 彼女は闇がそのまま形を変えたような槍で、メルヴィンの胸を刺し貫いていた。


「――うぉぉっ……!」


 メルヴィンが槍を引き抜き、後ろに飛ぶ。


 僕は彼がそれほどに焦燥している姿を初めて見た。


 飛び退り、こちらを見ているメルヴィンの姿が、とても遠く感じられる。


 ラクシャ様は僕の横を通り過ぎ、メルヴィンを見ている。


 僕よりも小柄なくらいの、少女のように見える姿。銀色の長い髪、人間には存在しない、頭部の角――そして、黒く滑らかな尾が生えている。


「レベル10。これで私とゾラスを倒すつもりだったんだ……人間って面白いよね」

「……若、お逃げください……この魔族は私がここで……」


 メルヴィンに手をかざした彼女が何かをした。音が聞こえる――思えば、この音はこうして気づく前からずっと聞こえていた。


「貴様は……その術で、若を……っ!」

「お爺ちゃん、耐性あるんだ。でも、いつまでも耐えられないでしょ?」

「うっ……ぐ……おぉぉぉぉっ……!!」


 ――『黒妖のラクシャ』が『ヒュプノトーン』を発動――


 この音を聞けば、メルヴィンとドロテアも正しいことを理解できる。


 そのはずだ、それなのに。


「誰か見てる気配がするなあ」


 ラクシャ様が呟いた直後、地面が揺れ、盛り上がる――彼女とメルヴィンの間を、一瞬でせり上がった土塊つちくれが隔てる。


『ボクにできることはこれくらいだよ』

「地精霊魔法……それも結構な使い手だけど。媒介がないとできるのはこれくらいだよね」

「――うぉぉぉぉぉっ!」


 ――『メルヴィン』が『バーストナックル』を発動――


 ラクシャ様の音が壁によって遮断されたのか――それでも、壁の陰から出てくることは愚かな行為でしかないのに。


「な……んと……っ!」


 繰り出されたメルヴィンの拳を、彼女はただ華奢な左手をそっとかざしただけで受け止める。


 拳が届いていない。魔力による防御は、彼女の周囲を常に守っている。


「――ぬぅぅぅぅっ!」

「私も起きてからそんなに経ってないからね。に使ってあげる」


 絶対的な力の差を、目の当たりにしている。土塊を操って干渉してきた誰かの気配はもう感じない。


 成果のない攻撃を続けるメルヴィンを見ながら、僕は剣の柄を握り直し、静かに息を吐いた。


   ◆◇◆


 砦の厩舎で馬を二頭借り、俺たちは二人ずつ分乗して駆けていた。


『この先だよ、主様。彼らが魔族と戦っている』


 頭の中に直接響くような、ウルスラの声、それが聞こえてすぐに、俺たちはブランドたちのパーティを見つけた。


 倒れているドロテア、そして剣を持って立ち尽くすブランド。メルヴィンと銀髪の少女が激しい戦いを続けている。


(あの子がラクシャ……いや、あれでもれっきとした魔族だ。メルヴィンを魔法で圧倒している……それにブランドも幻惑されている……!)


 ――ブランドが、メルヴィンに剣を向けた。ラクシャの攻撃を避けながら懸命に攻める機会を探すメルヴィンは、ブランドの動きに気づいていない。


「メルヴィンさんっ!」


 精密に狙える射程ギリギリだったが、馬上からブランドの剣を狙って弾き飛ばす。同時に呼びかけたことで、メルヴィンが死角にいたブランドに気づいた。


「――若、失礼いたします!」

「ぐっ……!」


 メルヴィンはブランドの首に手刀を入れ、昏倒させる――それしか方法がないのだろう。


 リスティに手綱を握ってもらっていた俺は、馬から飛び降りて駆け出す――地面を踏みしめた途端に加速し、メルヴィンが相対している魔族に肉薄する。


「――速い。ゾラスを倒したのは……」

「俺たちだ……っ!」


 リスティから借りた剣を振り抜く――だが、魔族の身体には届かない。少し前の空間を滑るようにして剣が流れる。


 女性の魔族と戦うのは初めてではない。見た目だけならばあどけなささえある少女だ――だが、彼女は一人でこのパーティをここまで追い込んだ。


「そんなにいきり立っても仕方ないよ? どうせ死ぬんだから」

「っ……!!」


 白い髪の魔族の身体を、黒い魔力が覆う――次の瞬間、まるで生き物のように動き、俺とメルヴィンを襲った。


「ぐぅっ……ぁ……!」


 メルヴィンは攻撃を受け止めようとするが、そのまま押し切られて吹き飛ばされる。俺は回避しながらラクシャを狙う――だが。


 まるで糸で吊られた人形のように、ブランドが俺の前に立つ。その四肢にはラクシャの黒い魔力が絡みついている。


「誰でもこうするとうまく動けなくなる。人間って面白いよね、このブランドはあなたのことを凄く嫌ってるみたいなのに」

「そうだろうな……」


 このままブランドを盾にされた場合、どう戦うか――倒れているドロテアもラクシャの術にはおそらく抵抗できないだろう。


 しかしラクシャはふっと笑うと、ブランドを操っていた魔力を消す。そして、メルヴィンに向けて無造作に吹き飛ばした。


「うぁぁぁっ……!!」


 ブランドは辛うじてメルヴィンに受け止められる。何のつもりなのか。魔族は個々で思想が異なるというのは知っているが、考えていることが読めない。


「そっちは後ろの三人も使っていいよ。人間はパーティで戦うんでしょ?」

「……いいのか? と言いたいが、三人は参戦できない。お前の攻撃を一度でも受けたら致命的だからな」

「ふうん、ゾラスを倒したのはあなたが中心でやったの? ちょっと見せてもらうね」


 ラクシャの目に魔法陣のようなものが浮かび上がる――そして。


 ずっと微笑んでいたラクシャの顔から、感情が消えた。


「……レベル2? そのレベルで……いったいゾラスをどうやって嵌めたの?」

「やれることをやっただけだ。今回もそうさせてもらう」

「……くすっ。いい玩具が見つかったみたい。あなたは私の従僕しもべにする」


 答えの代わりに構える。剣の性能を最大限に引き出すことはできないが、リスティから借りた剣を使えば丸腰よりは遥かに戦える。


「人間は魔族の玩具じゃない。それを教えてやる」

「お説教は大嫌いだけど、一度だけは許してあげる」


 ラクシャの身体を魔力が覆う――それは硬質化し、身体の各部を覆う装甲に変わる。そして、その背中に黒い翼が現れた。


 ゾラスよりも明確に格上。その遊んでいるような態度は余裕の現れだろう。


 自分より強い者はこの地に存在しない。彼女のその認識を正す――俺の魔法で。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る