第三十八話 潜入



 砦の裏手に回ると、焼けた肉のような匂いがする。小窓から中を覗くと、そこには男性が二人、女性が二人捕まっていた。



「(……砦の料理番が捕まってる。コボルド2体が部屋の中にいるな)」


「(っ……すぐに助けなければ……!)」



 プラチナの言う通りだ。このまま中の様子を窺っているという余裕はない――中の事態が悪い方向に動いている。



「や、やめろ……やるなら、先に俺をやれ……っ」


「グルル……」


「ガルルッ」



 コボルドの言語は単純で、唸るような声には敵意が込められている。負傷している四人の血の匂いも、コボルドを興奮させているようだった。



「(プラチナ、奴らの気を引いてくれ)」


「――こちらを見ろ、野犬どもっ!」



 プラチナは小窓に向けて声を張る。同時に、俺は手の中に鍵を作り出していた――中に入るための扉を開ける鍵だ。



「「グォッ……!?」」



 コボルド達の注意がプラチナに引きつけられる。ロイヤルオーダーの技『身代わり』は敵の注意を引き付ける技だが、プラチナの姿が見えないためにコボルドに大きな隙を作ることができた。



 ドアを開けて中に滑り込む。コボルドがこちらに向き直る前に、コインを二発同時に飛ばす。



「ギャンッ!」


「ヒギャッ!」



 二体ともがその場に昏倒する――テーブルに突っ込みそうになった一体は、倒れ込む前に足で受け止めた。大きな音を立てるわけにはいかない。



「(よし、皆も入ってくれ)」



 仲間たちが入ってきて、縛られていた料理番たちを解放する。



「大丈夫ですか、このポーションを飲んでください」


「い、いえ……助けていただいて、そんなことまで……」


「料理長が、私たちの代わりに……彼が、一番重い傷を……」


「砦を解放するまでもう少しかかります。全員治療はしておいた方がいいでしょう」


「きっと助けますから、安全なところに隠れていてくださいね」



 リスティがそう声をかけると、四人の緊張が少し和らぐ。窮地を脱したと自覚できたからか、涙を流す人もいた。



 四人につけられていた足枷を外し、逆にコボルドにつけてやる。眷属は主である魔族を倒せば召喚を解除されて元いた場所に戻るので、ひとまず無力化しておけばいい。



「このコボルドが、守備兵の皆を……っ」


「ここでとどめを刺すと、魔族に気づかれます。捕まっている人を無事に解放するためには、隠密行動に徹する必要がある」


「……分かりました。ですが、私たちもそれなりの訓練は受けています。このコボルドが暴れたら、その時は……」


「それは頼もしい。四人とも、どうかご無事で……」


「待った、プラチナ。皆さん、この砦の見取り図とかはありますか?」



 格好をつけて立ち去りかけたプラチナは、引き止められて赤面している。少し申し訳ないが、現地の協力者から情報を得るのは敵地潜入のセオリーだ。



「砦の見取り図は……ここにはありませんが、向こうの通路に出て進んだ先……番兵詰め所にあるはずです」


「ありがとう、とても助かります」


「い、いえ……すみません、先程から気になっていたのですが、とてもお若いのですね」


「目にも留まらぬ早業でしたが、コボルドは魔法で倒したんですか?」


「ええと……まあそんなものです。俺は賢者ですから」



 できるなら攻撃魔法も習得したいが、今のところ『盗賊』の延長上にある魔法しか覚えられていない気がする。



「さて、俺はまず見取り図を取ってくる。敵に発見されずに戻ってくるだけだから、少し待っててくれ」


「それが物凄く難しいと思うんですが、マイトさんならやっちゃいそうですね」


「ふふっ……そうね、やっちゃいそうね」



 俺は教えてもらった出入り口から通路に出ると、忍び足で進んでいく――番兵詰め所にも施錠がされていたが、魔法による鍵開けはもはやお手の物だった。



 中に入って静かに扉を閉める――すると、どこからか小さな声が聞こえてくる。



「お許しくださいお許しください……私はただの庶務係で……っ」



 番兵詰め所には休憩に使うものか、ベッドが置かれている。その下を覗き込んでみると――。



「(うわっ……!)」



 頭から突っ込んで隠れていたということか、眼前にスカートが見える――直視するわけにいかず、いったん引いて間合いを取る。



「……急に入ってきてすみません、落ち着いて聞いてください」


「ひゃ、ひゃぃっ……あ、あれ? 敵じゃない……?」


「俺は敵ではありません、歓楽都市のギルドで依頼を受けて来ました。今、砦を占領した魔族を倒そうと動いています」


「ちょ、ちょっと待っていただけますか。ずっとこの姿勢でいたので……」


「分かりました、俺は他のところを見てるので」



 詰め所の机の上には日誌があるが、今日の分は書かれていない。棚を調べてみると、紐で巻かれた紙が見つかる――砦の見取り図だ。



「あ、あの……出られましたが……」


「ああ、無事で良かった。鍵は外側から掛けられていたようですが……」



 ベッドの下に隠れていた女性は、声の印象よりは大人びた容姿をしていた。見るからに憔悴しているが、話が聞けないほどではない。



「砦に襲撃があったと守備兵の皆さんが言っていて……それで、私にはここに隠れているようにと」


「ここに敵が来なかったのは幸いでした。もう少しで砦を解放できるので、引き続き隠れていてください」


「わ、分かりました。私に何かご協力できることはありますでしょうか……?」


「できれば教えてほしいんですが、この砦に、隠し通路はあったりしますか?」


「っ……そ、そうですね、非常事態ですから。ええと、二階に上がる経路は正面階段以外にもこちらにあります。ここの仕掛けを動かすと梯子が降りてくるんです」



 敵に認識されていない経路であれば、利用しない手はない。あとは魔族がどこにいるかだが――すでにだいたいの位置は把握できている。



 俺たちがいる場所の頭上。魔力を感じられるようになった今、魔族が力を誇示するタイプなら難なく察知できる。



「俺が外に出たら再び隠れていてください……と言いたいですが、ベッドの下ではすぐに見つかるでしょう。鍵を閉めていれば問題ありません」


「っ……そ、そうですよね。すみません、お恥ずかしいところを」


「い、いえ、俺こそすみません」


「いえいえ、こちらこそ……」



 延々と謝り合いになりそうなので、何とか切り上げて詰め所を出る。



 彼女も半日以上あの詰め所の中にいると問題が色々生じてくるだろうし、そういった意味でも急がなくてはならない。



   ◆◇◆



 三人に隠し経路の件を伝え、移動を開始する。コボルドは死角からコインを飛ばして倒していく――跳ね返ってきたコインをキャッチするたび、仲間たちが感心している。



「ここに仕掛けがあるらしいが……ああ、あったな」



 石壁に触れてみるとわかるわずかな起伏、これを押し込むと――頭上から梯子が降りてきた。



「この仕掛け……フォーチュンの家にも似たようなものがあったな」


「このあたりの建物を作るとき、好まれている仕掛けなんでしょうか?」


「マイトは確実にそういったものを見つけてしまうな。やはりパーティには不可欠の人材だ」


「プラチナ、梯子を登るときは防具を外した方がいいんじゃない?」


「私はそのままでも登れるが……」


「いや、少し気になることがあるから一旦外した方がいいな。俺が持って先に登ろう」


「う、うむ。マイトがそう言うのなら……」



 プラチナが上半身の装甲を外し、俺はそれを持って梯子を登っていく。危惧したとおり、二階に出る出口が少し狭くなっていた。鎧だけなら通るが、着けたままとなると話は変わってくる。



「はぁっ、はぁっ……マイトさん、よくひょいひょいって登れますね……」


「んしょっ……あとはプラチナね」



 ナナセとリスティが登り終え、最後はプラチナ――というところで。



 出口にむぎゅ、とプラチナが挟まってしまう。挟まった当人も、見ている俺たちも言葉を失うほかはない。



「……んっ。んぎぎっ……ち、違う……私は鍛えているからな、筋肉が……」


「そんなこと言ってる場合じゃないです、誰か来ちゃったらまずいですよっ」


「む、むう……仕方がない、マイト、引っ張ってくれ」



 そう言われてもどこを持てばいいのか――迷っている場合ではないので、両脇の下に手を入れる。



「ふぎゅっ……ど、どこに手を入れているのだ!」


「ど、どういう声を出してるんだ……ここ以外にしっかり持ちようがないんだ、我慢してくれ」


「くっ、殺せっ……うぬぅぅっ……!」



 人聞きの悪いことを言われつつも、プラチナの身体を引っ張り出す。彼女が再び鎧を身につける間はなぜかリスティに目隠しをされた。



「男の子一人だけのパーティって、面倒だなって思ってない?」


「そんなことは無い……というか、今のに関しては仕方ないからな」


「サラシを巻いても引っかかるのだから、もっと強く巻かなくてはな」



 あまり無理しない方が――などと言っている場合ではない。



 誰かの苦鳴が聞こえてくる。それが聞こえた瞬間、俺たちは無言で頷きを交わし、動き始める。



 他のコボルドよりも強い個体が守っている部屋の中。見取り図では守備隊の隊長室とされていた部屋から、聞こえていた声が止まる。



(眠りの魔法でも使えれば、神経を使う必要はないんだが……泣き言は言ってられないな)



 コボルドが一瞬だけ気を逸らした瞬間に一気に距離を詰め、後ろから首に腕を絡めて絞め落とす。そして俺は、扉の陰から室内を見る――そこでは。



「ぐぅ……ぁ……ぁぁ……っ」



 ――やはり、人狼。



 椅子に縛り付けられた男の首に牙を突き立てている――それは魔力を吸う行為なのだと、今の俺ならば理解できた。



「この砦にいる人間は弱すぎる。フォーチュンとやらも難しくはないな」


「ゾラス様、残りの捕虜はいかがなさいますか?」



 人狼の魔族に眷属のコボルドが尋ねる。コボルドにも言葉を解するものが居るということだ。



「低レベルの人間とはいえ、お前たちにとっては良い餌になる。地下牢で飼っておけ」


「はっ。ただちに下級兵たちに命じます」


「お前も好きに捕虜を選んで糧としておけ。ラクシャが戻った時のためにレベルの高い個体は残しておけよ」



 魔族――ゾラスは砦の捕虜たちを魔力の供給源にするつもりだ。



「……あ、あの狼みたいな魔物……あんな強いのが、どうしてこんな所に……?」



 ゾラスのレベルを見ただけで判別はできないが、ナナセが動揺している――リスティとプラチナも言葉を失っている。



 ブルーカードの冒険者が戦うような相手じゃない。だが、こんな事態は折々にして起こる――人間が縛られるレベル帯を無視して、強力な魔物が現れることは。



 特に魔族はそうだ。魔竜討伐に向かう途中で魔族に支配された国では、レベル帯が30に対して侵略した魔族は50を超えていた。



 アースゴーレムと同等か、それ以上の威圧感を持っているゾラスのレベルは恐らく――20前後。フォーチュンにゾラスと眷属が攻め入れば、一日も経たずに占領される。



 ――この世界は、決して均衡が取れていない。



 ――私たちに対して、何者かが試練を与えているような……錯覚かしらね。



 ファリナとシェスカさんの言葉を思い出す。もし俺がここにいなければ、ゾラスを倒せる誰かがいなければ。



 だが、俺がここにいる。魔族退治を依頼された冒険者として。



「あの人狼の魔族はかなり強い。俺が注意を引くから、三人は部屋の中にいる捕虜の救出に回ってくれ」


「っ……大丈夫なのか、マイト。あの魔族は今まで戦った敵とはまるで違う」


「ああ、心配ない。ただ、コインでは魔族を倒すことはできない……魔族は魔力を込めた攻撃でないと倒せないからな」


「……それでも、勝ち目はあるっていうこと?」



 一つ考えられるのは、アースゴーレムの弱点を刺し貫いたリスティの剣――魔力で動いているアースゴーレムに通じた武器だ、魔族にも通用するかもしれない。



 だが、他にも何かがある。本能が訴えかけている、今の俺にはゾラスを倒す方法があると。



「分かったわ。私たちは自分たちの役割を果たすから」


「捕まっている人を救出するのは私に任せてくれ」


「わ、私は……ここで役に立つことって、何かあります……?」


「何を言ってるんだ、あれがあるだろ。俺はあれ、すごく使えると思うぞ」


「え……あ、あれって、もしかして……」



 全員に果たせる役割がある、それがパーティだ。



 突入までの時間を、俺は指を折って数えていく。この戦いが砦奪還のための正念場だ。

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