第三十七話 二つの経路


   ◆◇◆


 シュヴァイク家には六人の正式に認められた嫡子がいる。


 大陸西部の広大な版図のうち、シュヴァイク家は歓楽都市フォーチュンの周辺を領地として与えられている。


 王都にいる貴族たちは王都の外にも領地を持っている。シュヴァイク家はその中には入り込めておらず、伯爵家の中でも蔑ろにされている。


 シュヴァイク領はレベル帯が低いとされているが、この西大陸でのレベル上限は共通である。


 外敵の脅威が少ないこの土地の住民は、レベルを上げる機会を得られないために弱くなる。魔物との戦い、あるいは訓練に明け暮れてようやくレベル5になる程度だ。


 先に生まれた兄たちは、僕――ブランド=シュヴァイクよりレベルが低い。


 彼らは剣を振ることもなく、今の状況に甘んじていることに疑問を持たない。議院に席を持たない僕らの家を、王都の連中は蔑んでいるのに。


 歓楽都市の盗賊ギルドは、シュヴァイク家の目としての役割を果たす代わりに、組織として活動することを許されている。彼らを王都に送り込んだのは、最近王都の貴族たちが浮き足立っているという知らせが入ったからだ。


 魔族の襲来。それを知った父、そして兄たちの判断は、今までと変わらなかった。王都の対応を待つだけの様子見だ。


 ――これは、好機だ。


 僕は兄たちより強くなるために、父に頼み込んで冒険者として活動してきた。条件は従者と必ず共に行動することだ。


 従者たちはかつて海の向こうに渡った経験があり、フォーチュンのギルドで彼らに並ぶ猛者はいない。


 王都を脅かす魔族を倒すことができれば、僕の求めているものが手に入る。田舎貴族と僕らを蔑んでいた人々を見返すことができる。


 この戦いは過程に過ぎない。メルヴィンとドロテアの二人ならば、下級魔族には勝てるだ。


 歓楽都市を救った英雄として名声を得たあと、王都をも救う。末弟である僕を侮っていた兄たちも、僕を認めざるを得なくなるだろう。


 今までの人生で最も昂揚している。初めて魔物と戦った時もこうだった、これから全てが上手く行くのだと思った。


「爺、魔族の砦まではどれくらいかかる?」

「おそらく、昼の鐘が鳴るほどまでには」


 メルヴィンが御者をする馬車で、僕たちは魔族のいる砦に向かっている。途中で襲われることを警戒してか、幌の中からドロテアは外を睨んでいる。


「このまま進めば、魔族の魔法で狙われるかもしれません。ある程度砦に近づいたら、馬車を隠して進むべきでしょう」

「そんなことをする必要があるのか? 狙われてもむしろ、敵の位置が分かりやすくなるだろう。爺、止まらずに進めよ」

「……私とドロテアは護衛にございます、若」


 メルヴィンは多くを言わないが、そう諌言を受けて聞かないわけにもいかない。しかし、胸には焦げるような苛立ちがある。


「二人とも、主に逆らった罰は受けてもらうぞ」

「……畏まりました」


 ドロテアの返事は歯切れの良いものではないが、彼女はいつもこんなものだ。


 この二人がシュヴァイク家に尽くしているのは先代の恩だと言うが、利用できるものは利用する。僕にとってはただそれだけのことだ。


「――若、前方に魔物が出現しました」


 メルヴィンが低く、しかしはっきりと通る声で報告してくる。僕が何かを指示する前に、ドロテアは速度を緩めた馬車から出ていった。


「グルルッ……!」

「――おぉぉっ!」


 敵は狼――ただの野生動物が、人通りの消えた街道にまで出てきたのか。メルヴィンは馬を守るために、飛びかかってきた狼を剛腕で吹き飛ばしている。


「チッ……爺、ドロテア、僕も出るぞ!」


 砦はまだ見えてもいない。こんなところで足止めを食うわけには――そんな焦りを嘲笑うように、森の奥からは後続の獣が姿を現していた。


   ◆◇◆


 歓楽都市の西門には封鎖がかけられるところだったが、ギルドの依頼で魔族討伐に向かうと言って通してもらった。


「君たちのように若い冒険者に、危険を冒させるのは……」

「大丈夫です、自分の責任は自分で取りますから」

「……すまない。どうか無事に戻ってくれ」


 門を出てしばらく進む。林の中の街道――いつもなら商人や旅人が通っているのだろうが、西の砦が占拠されたことで人の行き来は絶えている。


「マイト、どうするの?」

「このまま進むと、先に行ったブランドたちに会うのではないか?」

「フォーチュンの西にある砦なら、行ったことがある」

「そうなんですか? 王都に行く時に通ったとか、そういうことですか」

「そうだな。街道に沿って進むと遠回りになるが、実は森の中に抜け道があるんだ。まあ、虫刺されとかが気になるなら街道を進むが……ん?」


 ナナセが何か、腕を組んで『ふんすっ』としている。そして彼女は、腰につけているベルトのポケットから何か取り出した。


「虫刺され防止の塗り薬です。手首足首に塗ると、虫が寄ってこなくなります」

「おお……ナナセ、そんなものを持っていたのか?」

「はい、きのうムーランの実を見たらレシピを思いつきました。食べられない種の部分を使ってるんですよ」

「っ……そ、そんな用途があるのか?」

「ほとんど香りがしなくて、これなら使いやすいわね」


 もはやその果実の名前を聞いただけで身構えてしまうが、ナナセに勧められて俺も手首に付けてみる。


「これで準備万端です。マイトさん、道案内をお願いしますね」

「ああ。俺が手を上げたら止まって物陰に隠れてくれ、魔物との戦闘は避けるからな」


 三人が頷く。俺たちは早々に街道を外れ、森に入っていく――前に通ったのは随分と昔だが、獣が通るために使われている道を辿ることができた。


   ◆◇◆


 歓楽都市の西門を出て反刻ほど。森が途切れ、高台に出た。


「ひぇっ……こ、この崖を進むんですか? 足を踏み外したらおしまいですよ?」

「命綱をつけておく……ってのは冗談で、この下までは俺が一人ずつ運ぶ」

「い、いいのか? ナナセとリスティはまだしも、重装備の私は……」

「時間をかけると鳥の魔物に気づかれる可能性もある……じゃあ、誰から行く?」

「……私から行くわ。お願いね、マイト。でも、私も頑張れば自分で……きゃっ……!」


 全部言い終える前にリスティを担ぎ上げ、崖の足場になる部分を飛び移りながら下に降りていく――一気に降りてもいいが、怖い思いをさせすぎてはいけない。


「よっと……足場を間違えると大変なことになるからな」

「……あなた、山の角鹿の生まれ変わりか何かなの?」

「それは言えてるかもしれないな」

「そうやって涼しい顔で……う、ううん、ごめんなさい、急がないとね」


 崖の上に戻った俺を見てプラチナもナナセも引きつっていたが、怖ければ目を閉じていてもらうことにして一人ずつ運び終える。


「ふぁぁっ……ちょ、ちょっと危ないですよ、別の意味で……」

「う、うむ……胸がひゅんっとするというか、生きた心地のしない感覚だな……」


 盗賊は道なき道を見つけることも仕事の一つだが、技能が使えなくても経験だけでいけるものだと確認する。


「でも、おかげでもうすぐそこね……西の砦は」

「それも裏手に回ることができているな。マイト、そこまで考えていたのか?」

「いや、俺も何でも分かってるわけじゃないけどな」

「裏道を通ってきたらこうなったっていうことですね。ここからどうすれば……」

「そうだな……」


 砦の周辺に何匹か狼がいるが、あれは野生の狼ではなく、魔族の眷属だ。


 人狼ウェアウルフ――下位の魔族は獣の要素を持っている者がいて、眷属として獣を従えている。事前に情報が入っていないことからすると、眷属を使うまでもなく砦を占領したことになる。


(アースゴーレムと同等の強さか、それ以上ってこともあるか……さて)


 砦の裏側にある扉。さすがの俺も石壁を破壊するのは骨が折れるので、出入り口を使わせてもらいたい――だが、おそらく施錠されているだろう。


「ちょっと待っててくれ、開くかどうか調べてくる。向こうにいる狼には、ここで待ってれば気づかれないだろう」

「あっ、マイト……」


(いけるか……?)


 狼の索敵範囲は人間よりはるかに広い。匂いに気づかれない距離からコインを飛ばす――これでは吹き飛ばしてしまうから、別の方法を使う。


「「――キャンッ」」


 索敵範囲のギリギリ外から瞬時に接近し、手刀で気絶させる。二匹までなら難しいことではない。


 そのまま砦の裏口に張り付く。どうやら仕掛け扉のようだが、見ただけで『開けられる』と分かった。


 ――『ロックアイI』によって『魔力の扉』のロックを発見――


(魔力で開く扉なら、開けられるのか……こいつは助かる……!)


 魔力で鍵を生成し、扉に当てる――それだけで、仕掛け扉がゆっくりと開いた。


 内側に誰もいないことを確認し、リスティたちを呼び寄せ、扉の中に入る。身を低くして移動してきた三人は息を切らしていたので、落ち着くまで待った。


「(――待った。敵がこっちに来るな)」


「(っ……!)」


 指を立て、リスティたちに音を出さないよう指示したあと、俺は物陰から様子を伺う。


 姿が見えたのはコボルド。持っている短刀は赤黒い血で汚れている――守備兵との戦闘によるものか。


「――ギャフッ!」


 銅貨を弾いてコボルドの鼻先に当て、昏倒させる。おそらく砦の中に残った兵を探して回っているのだろう、すぐ近くに倒れている兵士がいた。ナナセから回復のポーションを受け取り、兵士に飲ませる。


「傷は深くないな。話せるか」

「……ああ。あんた、一体……」


 若い兵士は目を開ける。どうやらさっきのコボルドに斬撃を受けたようだが、幸いにも出血は多くなかった。


「俺たちは冒険者ギルドで依頼を受けてきた。これから魔族を掃討する」

「……無理、だ……あんな化け物……敵うわけが……」

「結果で証明する。魔族は何体か分かるか?」

「二体……奴らは……城壁を乗り越えて、来た……俺たちの仲間を捕らえている……」

「そうか。少し隠れていてくれ、すぐに済ませる」


 逃げろと言いたかったのか、兵士は苦しげに言葉を飲み込む。


「……表には回るな……魔族の一方が正門に向かうのを見た……」


 兵士に肩を貸して隠れさせたあとで、俺は三人に状況を伝える。


「砦の中にいる魔族を倒す……外にいる魔族に気づかれず、各個で撃破すべきだな」

「人質を取られてるのね……砦の人たちは、それで抵抗できなくて……」


 ――もし私たちが負けるとしても、誰かを見捨てたりはしない。


 ――世界を救おうっていうのに、目の前の人を助けられないのは寂しいものね。


 ――合理的な判断ではありません。それでも私は否定できません。


 実力に大きな差がなければ、人質を救出し、なおさら勝つというのは難しい。


 だがそれを可能にする力があるなら、成し遂げなければならない。仲間たちが何を望むかも、短い付き合いではあるが分かっているつもりだ。


「生き残りは救出する。そして、砦の魔族を排除する」

「マイト……」

「俺たちも無事に帰る。それを最優先にしたいところだが、皆にもやってもらいたいことがある」


 俺が一人で全てをやる、それではパーティとは言えない。


 今言った三つに加えて、リスティ、プラチナ、ナナセの三人を、この依頼を通して成長させる。そこまでやってこその『賢者』だ。


「本当に、それ全部を……マイトさん、私たちにできるんですか」

「ああ、全部だ。俺は強欲だから」


 三人の緊張を少しでも和らげられればと思って言うが――上手くいってくれたのかは、なんとも言えない。


 ただ、三人は俺を見ている。疑うような目はしていない。


「それは強欲とは言わない。何と言えばいいのか、言葉を見つけておかなければな」


 プラチナの言葉に頷き、俺たちは動き出す。まず敵に気取られないように人質の安否を確かめ、すみやかに砦内の敵を掃討する――重要になるのは、何よりも速さだ。

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