知ったからこそ切り捨てた

 ――感謝の標識って知ってる?


 ニヤニヤと何処か楽しそうに話し始めた香乃を見て、私はまたかとうんざりした表情を浮かべた。

 香乃は大学で知り合った友人の一人だが、同じく友人である真也君のことが好きらしく、色々と陰で動いているらしい。


 本人は隠しているようだが、最近は雄二も巻き込んだみたいで、一度締めないといけないかなあと思っていたらこれだ。

 私がオカルト話があまり好きじゃないのを知っているくせにこんな話を始める。


 話を聞かないとうるさいので、黙って話を聞いてあげると、あの車の事故が多い山には変わった標識があるらしく、その標識に感謝すると何かが起こるらしい。


『真也君と探しに行こうと思うんだけど、下見に付き合ってくれない?』


 それを聞いた私は即断った。

 不満そうにしていたが、そんな所に女二人で行きたくない。

 結局香乃はレンタカーを借りて一人で下見に行ったようだが、帰ってきてからの香乃の様子は何処かおかしかった。


 何か勘のようなものが働いた私は、雄二にそれとなく香乃と会わせないように動いた。その間も香乃の真也君への執着は相変わらずだったようで、頻繁に山に行こうと誘っている姿を見たが、真也君もめんどくさがって逃げているみたいだった。


 それから数週間後に、香乃から奢るからこの間のお詫びに行きたかった場所でみんなで遊ばないかと誘われた。

 その頃には香乃の執着も鳴りを潜めていたし、誠心誠意謝って来たから雰囲気が変わったのは私の勘違いだったかなと思ってしまった。

 今ならその時に香乃の誘いを了承してしまった私をぶん殴っていただろう。


 そしてあの日、四人で楽しく遊んだ帰りに香乃と雄二がやらかしてくれた。

 運転してくれている真也君を騙して噂の山道を通るように仕向けたのだ。

 雄二に対しても思うところはあったけど、それ以上に私自身の迂闊さと、香乃への怒りが強かった。

 私の怒りを感じ取ったのか、雄二が謝ってきたけど反省してろと思って黙っていた。


 暫くボーっと風景を眺めていたら車が急停止。思わず悲鳴を上げたら、そのすぐ後に大型のトラックが横を通り過ぎて行った。

 何が起こったかわからず、前を見ると目の前に『!』の標識が倒れ込んでいた。

 そして真也君が奇妙なことを呟いた直後、標識は突然消えた。


 その後私は様子がおかしくなった真也君を見てしまい、そこから先のことはよく覚えていない。気付いたら友人の家に居て、どうやって帰って来たかもわからなかった。


 それから数日は、家にも帰らずに大学を休んで友人宅を泊まり歩いた。どうしても都合がつかない場合は、満喫で夜を明かした。一人になりたくなかったからだ。

 雄二からは連絡が来ていたけど、もしかしたら香乃や真也君みたいにおかしくなってしまっているのかと思ってしまい、返事をする気になれなかった。友達は喧嘩したのかと気を利かせてくれたみたいで、雄二を抑えてくれていた。


 そこからまた数日経って、ある程度落ち着いてきた私は明るいうちに一度家に帰った。そのままシャワーを浴びて、部屋の掃除諸々を終えてなんだかスッキリした。

 それでいい加減雄二に連絡をしないといけないなと考えていた時に、何を思ったのか、私はあの山について調べてみることにした。



「……香乃は何をしたかったの?」


 山について図書館で調べていた私だったが、一時間もしないうちに頭を抱えてしまっていた。

 まずネットなどで香乃が話していた感謝の標識に関して調べてみたけど、何も出てこなかった。それならばとこの地域に古くから伝わる伝承について調べてみると、気になる話が出てきた。


『死人が多い山では、九死に一生を得たとしてもその場で感謝をしてはいけない。助かったわけではなく、それ以上のものを支払うことになるから』


 幾つかの文献をまとめて要約してみたが、正直頭が痛い。

 香乃があの日語っていた感謝の標識の話は、これを基にした話の可能性が高い。けど、香乃は何でこの標識を真也君と探しに行こうとした?


「……まさか」


 最悪の可能性に思い至ってしまった私の頬を冷や汗が流れた。

 図書館内の空調は適温のはずなのに、寒気がしてきて思わず身震いする。


「――っ!」


 不意に、スマホが大きく震えた。

 思わずビクりと肩を震わせてスマホを手に取る。画面には、あの日以来一切連絡を取っていなかった香乃の名前が表示されていた。

 出るかどうか迷っている間に切れてしまったが、またすぐに着信。それを見て、逃げられないと覚悟を決めた私は大急ぎで図書館を出ると、電話に出た。


「……もしもし」


『あ、麻紀? 大学来てないみたいだけど大丈夫?』


「え、ええ。ちょっとね……」


 咄嗟に合わせた。そうしないとまずい気がしたからだ。

 香乃は何も疑問に思うことなく、何時もの様に話し始めたが、香乃からの話題は一切かみ合わない。それに気持ち悪さを覚えながらも、何とか話を合わせながら人通りの多い場所に移動する。その間も香乃の気持ち悪い話は続いた。


『――それで、ようやく真也君と付き合えたよ。だからずっと一緒にいるために二人で相談して大学辞めることにしたんだ』


 香乃はそう言うとケタケタと笑った。その笑い声は電話越しなのにゾッとしてしまうもので、今すぐ電話を切りたくなった。だけど、これだけは聞かないといけないという思いで、気力を振り絞って尋ねた。


「ねえ、香乃……あなた、今どこにいるの?」


 ピタリと笑い声が止んだ。耳を澄ませると、電話口の向こうでは何かを話しているような音が聞こえてくる。


『どこって……――にいるよ』


 その声は雑音交じりで、香乃の声とはとても思えない。

 私はそのまま香乃の声を模した相手に問いかけた。


「あなたは……誰?」


 ザザザッと砂嵐のような音が流れると共に、ゲラゲラと何重にも重なる笑い声が響いた。


『わ、私は、私だよ。よかったよかったよかったね。ま、まきはいら、いらないって。ゆう、じはいらないって。よかったよかったよかった――真也君は私のだ』


 ブツリと電話は切れた。

 最後に聞こえてきたのは間違いなく香乃の声だ。それに笑い声の中には、真也君の声も混じっていたような気がした。


「……やっぱり、オカルトは嫌いよ」


 香乃がやりたかったことを理解してしまった私は、ほぼ無意識に香乃の連絡先を開いていた。


 そのまま香乃の連絡先を削除して、続けて真也君の連絡先も削除する。二人から届いたメールや写真のデータも消去した。

 そうして全ての作業を終えて妙な解放感を覚えた私は、無性に雄二に会いたくなった。


「……香乃、真也君。さようなら」


 もう二度と会うことはないだろう二人に別れの言葉を口にした後、私は久しぶりに雄二にメールをした。

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感謝の標識 ギンナコ @Ginnako

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