22段目 メルポメネーの歌声

「これがメルポメネー基地か……」


 草原の上を拭く乾いた風に紛れ、ロウ自身の声がどこかひび割れて聞こえた。

 一面の緑の中央に、人の手が入らなくなって久しいその建築物は白く浮き上がるように建っている。


 妖精セイレーンの群れから無事に逃げ切ったロウ達は、昼前には目的地に到着した。

 宇宙船から見下ろす基地は、特徴的な形をしている。羽を広げた鳥のような配置で並ぶ三つの長方形の建物と、その横に斜めに伸びた巨大な円柱――あれが惑星外射出装置マスドライバーの射出用トンネルだろう。建物が白い鳥ならば、そこに突き刺さる射出装置は、獲物を仕留める槍の一撃にも見える。


 今、ロウは惑星外射出装置に最も近い右翼の建物の傍に降り立ち、イェルノやアマルテアと並んで建物を見上げている。

 距離を保った解放空間であれば、アマルテアの鱗粉はさして効力を発揮しない。今のロウは酸素マスクを外している。久々の新鮮な空気を肺にいっぱい吸い込んで、身体の中が浄化されたようにも感じられた。


 ロウだけではない。アマルテアもまた、嬉しそうに翅を震わせながら手足を伸ばしている。風になびく紅い髪をイェルノが梳いてやると、甘えるように腕に抱き着いた。


 二人を見ていると、自分よりもよほどイェルノの方が保護者としてふさわしく見える。そもそも、自分に子どもを育てるなんて出来る訳がないだろう、と。

 そんな自嘲の目で眺めていたら、こちらを向いたイェルノと眼が合った。碧の瞳が静かに動いて、基地の影――射出装置との接点を指す。


「多分、あそこから惑星外射出装置の中にアルキュミアを運び込めるんじゃないか。ほら、物品搬入のための扉が見える」

「……あ? 良く分からん。見えねーよ」

「俺の方が視力は良いみたいだね」


 言われてよくよく目を凝らしたが、やはり入り口とやらは見えなかった。じっとそちらを眺め続けるロウの肩を、イェルノが叩く。


「行こう。そんなに時間に余裕がある訳じゃない。発射させる前に全体のチェックをしておきたいし。いくらあなたでも、五年も使われてない施設、ノーメンテで命賭けて宇宙に飛び出そうとする程は馬鹿じゃないよね?」

「……あんた、セクサロイドの振りして今まで猫かぶってたのかも知れねぇけど、本当は結構口悪いよな」


 なんでも良いから言い返してやりたかっただけだ。イェルノは返事もせず、アマルテアの腰を抱いて鼻先で笑い返した。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 結局、惑星外射出装置マスドライバーの点検に、ロウは何の役にも立たないことが判明した。

 あえて挙げるなら、射出装置の操作パネルがどこにあるのか建物内を探した時の人手と、イェルノが手順の一部についてアルキュミアに尋ねようとした時に少し口添えしたくらいだ。

 そもそも、イェルノの言っていることが、ロウにはさっぱり分からない。


「いい? この射出装置は周囲のトンネル部分にコイルが埋め込まれてるんだ。電磁石の要領で段階的に加速するように作られてる。つまりコイルガンやガウス砲の原理だね。アルキュミアを磁性体で出来たケースに包んで、このトンネルの中を走らせる。で、問題は長期間放置されてたこのコイルがうまく働くのか、この基地の電源は必要な電流をきっちり用意出来るのかってことだけど――」

「コイルガン……って何だっけ?」

「――え、まさかそこから説明しなきゃいけないの……?」


 イェルノは呆れた顔で口を閉じ、それ以上説明しようとはしなかった。

 今は、基地内の各種ロボットをアマルテアが操り、点検整備を進めている。ついでに不足しがちなアルキュミアへのエネルギ供給もアマルテアとロボット達がやってくれているので、ロウが出る幕は本当にない。


 忙しく立ち働く彼らを見ながら、ようやく見付けた操作室の隅でぼんやりと水蒸気タバコの煙を吐き出すだけだ。

 手が空けば、頭だけが勝手にぐるぐると回り始める。具体的には、アルキュミアに搭載されているマーマのこととか。


 もちろんアルキュミアは、イェルノの指示を受けて何やら難しい計算の途中だ。こんな時に、マーマに会いたいからサブコンピュータを起動させてくれ、とは言えない。

 それに正直な話をすれば、会いたいのかどうか、自分の気持ちもロウには分からなかった。


 マーマの電脳は母親マーチをコピーしたもの――などと今更言われたところで、おいそれと受け入れられるものではない。

 マーマ自身さえロウの反感を理解していた。当然リュドミーラも理解していたはずだ。だからこそ、二人ともロウに告げなかったに違いない。

 研究を続ける為の自分。ロウを愛する為の自分。自分をもう一人作って、これが愛だ、と訴えられたところで、信じられる訳などない。


 愛しているなら何故、オレの為に研究を捨ててくれなかった――ふと脳裏に浮かんだが、口にすることはできなかった。

 五年前なら面と向かって言ったかもしれない。だが、自分の為に何もかも捨てさせることが、どんなに傲慢なことか、今のロウには理解できる。


 大人になった、ということなのかも知れない。リュドミーラのことも、完全に同意は出来なくとも、多少は理解出来るようになった、と。

 大切なものを二択で迫られて、どうにか両方手に入れられないかとあがく気持ちを。手に入れられそうな道を見付けて、つい飛びついてしまう大人の弱さを。


 だが――幼い頃に覚えた足場のぐらつくような寂しさは、消える訳もない。どんな理由があったとしても、あの重なる孤独な夜にロウは母を求め、そして傷ついてきたのだ。

 ぼんやりと吐き出した水蒸気の向こうから、赤い影が体重を感じさせない軽さで近付いてくる。

 ロウの元まであと数歩のところで、アマルテアはそっと足を止め、小首を傾げた。


「……ロウ、落ち込んでる?」

「あ?」


 酸素マスクは外している。反射的に足を引こうとした後で、アマルテアは落ちた鱗粉が到達しない距離で足を止めたのだと気付いた。


「えっと……すまん」

「いいえ、いいの。アルキュミアもイェルノも教えてくれたもの。ロウにアマルテアの粉は毒だって」


 二人の教育は少しずつではあるが功を奏している。教師が良いのか生徒が良いのか。短時間の積み重ねで、飛躍的にまともな会話が出来るようになっていく。


「イェルノとアルキュミアから、うまく教わってるみたいだな」


 言ってみてから、たまの休日、娘に学校のことを尋ねる父親のようだと思った。つまり、慣れてないということだ。

 アマルテアはそっと頬を緩める。


「そうね。基本的に二人はあんまり仲は良くないみたいだけど」

「仲が良くない?」

「どっちかって言うと悪い……かな?」

「……そうなのか?」


 ロウ自身はそんな風に感じていなかったので、少し驚いた。今だって、ロウは蚊帳の外だ。二人は手を組んで、二人にしか分からない話をしている癖に。


「そう言えば、イェルノの搭乗員権限は、アルキュミアじゃなくマーマが与えたんだったか」

「そう。お互いに同じもの取り合ってるからね、仕方ないの」

「同じもの?」

「ロウのことよ」


 当たり前のように言われて、絶句した。そんな馬鹿な。

 アルキュミアに人を愛するなんて発想がある訳がない。

 そして、イェルノは――彼は、ロウを憎んでいるはずだ。イェルノが失ったもの、その原因はベリャーエフ・インクの企みだが、引き金を引いたのはロウなのだから。

 言い返そうとしたロウの出鼻をくじいて、アマルテアが笑いかけた。


「人工知能にだって愛はあるわ」

「……おま、イェルノみたいなこと言うなよ」

「本当よ。わたしのこと愛してくれたのはわたしのお母さんじゃなくて、アルキュミアとイェルノだったから」


 唇の端に陰をまとわせて笑うアマルテアを、ロウはただ黙って見るしかない。


「わたしね、最初は歌えなかったの。捨てられて寂しくて、見上げた空にアルキュミアが飛んでいて、それで初めて歌を知った。イェルノに教えてもらって、初めて自分の姿を知った。わたし、生まれたときから皆と違い過ぎてたんだね……。ね、ロウも見たでしょ? セイレーンの姿」

「あの、昆虫だか植物だかみたいなヤツか」

「イェルノが言うには『進化のヒツゼンセイ』なんだって。だけど、『人間のイデンシ』を取り込んじゃったから、わたしだけきっとちょっとおかしいんだわ。もしかしたらわたし、知らない内に皆にも影響を与えたのかも。それとも皆がわたしに影響してるのかしら、わたし達、お互いの歌では繋がらないはずなのに……」


 それで捨てられたの、と囁く唇に、前髪の影が落ちる。説明に慣れないアマルテアの言葉は、ところどころロウには分かりづらい。

 だが、感情については――寂しさだけはよく分かった。

 ロウには珍しく、なにか言ってやりたいと感じた。


 だが、なにを言えばいいというのか。

 例のテキストが事実なら人間の遺伝子を取り込んだのはアマルテアの母親だけじゃないはずだ。アマルテア以外にもきっといつか同型の子どもが生まれてくるはずだ、とか。

 姿が少し違うだけで放り捨てるような母親なんか、こっちから願い下げだ、とか。なんなら――オレだって親に捨てられた愛されなかった子どもだ、と告白してやっても良かったかもしれない。


 だが、そんな慰めのどれも、今のアマルテアの傷を癒やすことが出来るとは思えなかった。そんな事実のどれをしても、自分が愛されなかったことが消える訳はない。そのことをロウはよく知っていた。

 だから、ロウは浮かんだ言葉をすべて沈黙に押し殺して、ただ耳を傾けることにした。


「お母さんは愛してくれなかったけれど、そんなアマルテアでも大事にしてくれる人がいるわ。人? 人工物? 二人ともその境界にいるみたいで、どっちか分からないけど……だから、人工物だって愛はあるの。ロウだって本当は知っているはず」

「……そうかもな」


 ロウの答えを聞いて、アマルテアはうっとりと笑った。その微笑みがあまりにも甘いから、笑顔の裏で、懐かしい歌が流れているような気さえしてきた。


「そうよ、ロウ。人工物の愛はね、ロウの愛から生まれるの。あなたが愛してる限り、愛が返ってくるのよ」


 アマルテアの言葉を、ロウは意味より頭で理解するより、もっと直接的に受け取った。

 データの塊。零と一の集合体。そこに愛があるのだとしたら、それは――。

 ロウの思考がそこに辿り着いた瞬間、二人の背後から聞き慣れた声が名を呼んだ。


「ロウ、アマルテア」

「――イェルノ!」


 振り返ったアマルテアが、嬉しそうに立ち上がりそちらへ駆けていく。飛び込んできた身体をよろけながら抱きとめたイェルノは、ロウに向けて顎を上げた。


「幸い、こっちは大体片付いた。そこで、あなたに伝えたいニュースがいくつかある」


 皮肉っぽい言い方だが――その碧眼がいつになく真剣味を帯びていることに気付いて、ロウは少しばかり身構える。


「ニュースだって?」

「うん。いいニュースと悪いニュースと悪いニュース、どれから聞きたい?」

「三つもニュースがあるの?」


 イェルノに抱きついたアマルテアが、目を丸くしている。

 そちらに向かって微笑みかけてから、イェルノは視線でロウに答えを促す。考えてみたが……ロウは、好物を最初に食べる派だ。


「今言った順番そのままで」

「じゃあ、まずはいいニュースから。惑星外射出装置マスドライバーは問題なく立ち上がった。脱出に使えそうだ」

「なるほど、それはいいニュースだ」


 それが本当なら、悪いニュースと言っても、そう酷いことにはならなそうだ、とロウは胸を撫で下ろした。


「二つ目のニュース。どうやら妖精セイレーン達に居場所を嗅ぎ付けられてる。多分、射出装置自体が見張られてたんじゃないだろうか。外部センサーを持つこの基地の警備システムが反応した。大量の妖精があなたを狙ってやって来つつある」

「それは……ぞっとしないな」


 彼女らの狙いが、あくまでロウなら、追いかけられるのも、追いつかれて捕まって喰われるのもロウだけだ。

 ため息をついたロウに向けて、イェルノはそっと笑って見せた。

 ――少なくとも、唇を歪めたその表情は、ロウには笑ったように見えた。


「さて、最後のニュースだ。射出装置からアルキュミアを発射する際だが、どうも最後まで基地に残って操作する者が必要になりそうなんだ」

「……あ?」

「つまり、俺はあなた達とは一緒に行けないってことだね」


 言葉を失ったロウに向けて、イェルノは今度こそ明確に、いたずらっぽく笑って見せた。

 もしかしてこれってあなたにとってはいいニュースなのかな、なんて、つまらない冗談を言いながら。

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