23段目 アンドロメダ

「ダメだ。あんたを置いていくなんてダメに決まってるだろう!」


 宇宙船アルキュミアに戻り、詳しい説明を受けたところで、ロウの答えは変わらない。

 怒りに怯えてか、近づきつつあるという同族に反応しているのか、アマルテアはしきりに羽ばたき、鱗粉を無駄に舞い上がらせている。

 隣に立つアルキュミアのホログラムは、聞いているのかいないのか、黙って両手を組んで立っているだけだ。


 立ち上がってうろうろと歩き、「ダメだ」「許可しない」を繰り返すロウを、イェルノは呆れたように見つめる。


「……あのさ、あなた、俺の話を聞いて理解する気はあるの? 射出装置を動かすには、どうしても誰か一人最後までそこにいて操作しなきゃいけないんだ。話を聞く気がないなら俺はもう説明も止めるよ、時間がないんだし。もう妖精セイレーン達はそこまで迫ってるぜ?」

「聞いてるさ! 複雑な操作だからプログラミングする時間はないってのも聞いた。だけど時間がないだけなら、一回ここから逃げて妖精をやり過ごしてからまたチャレンジすれば良いだけだろ」


 ロウが声を荒らげようが、イェルノはそんな姿を馬鹿にしたように鼻で笑うだけだ。腹立たしい表情を、ロウはもう一度睨み付けて見せる。酸素マスクをつけているせいか怒りのせいか、余波のように息苦しさが湧いてくる。


「どうして今にこだわるんだ!?」

「だから、時間がないんだって。遅いんだよ、それじゃ。ベリャーエフINC.が自社製品の改造を終えて戻ってくる前に、俺達は告発しなきゃいけないって言ってるだろ」

「そんな先のこと、いつになるかわかんねぇって!」

「いつになるかわからないけど、あなたが考えてるよりよっぽど近いかも知れないだろ。だから急いでるんだってのに! ……もうやだ。馬鹿と話すとループする」

「あんたな、人のこと馬鹿呼ばわりしたいなら――自分が不幸にならない方法を提示しろ!」


 ばん、と音を立ててパイロットシートを叩くと、さすがにイェルノも言葉を失って一瞬黙った。

 肩を落として、渋々ロウの方へと身を寄せてくる。


「……つまりあなたは、俺をこの惑星に一人置いていくようなことは出来ない、と言うんだね」

「そうだ」

「たとえ、妖精の目的は俺じゃなくても? あなたが役目をはたしてからもう一度俺を迎えに来るまで、ちょっとの我慢だとしても?」

「目的がオレだったとしても、オレがいないからってあんたが妖精達から見逃してもらえる保証はあるか? 迎えに戻ってくるにしたって、それこそいつ戻ってこれるかも分からんのに。しかもなんの準備もなく戻ってきても、今回と同じことになるだけじゃねぇか」


 少しだけイェルノの表情が怯んだのを、ロウは見逃さなかった。

 絶対の自信があるように見せているが、イェルノだってこの状況は想定外のはずだ。追い打ちをかけようと、息を吸った。


 が、イェルノの立て直しの方が早い。躊躇は一瞬でしかなく、すぐに元の冷笑を浮かべロウに食ってかかってくる。


「同じにはならないよ。戻ったあなたが、ベリャーエフINC.をきちんと告発すれば良い。圧力がなければ、あなたは自由にここに降りられる」

「いや、それは――それだって妖精の危険性は変わらねぇだろ」

「それくらいの時間、一人ならなんとでもなる。こう見えても俺はれっきとした捜査官なんだぞ。汎銀河刑事警察機構パングポールが、ベリャーエフから開発途中の宇宙船を接収して助けに来る方が案外早いかも――」

「接収して妖精に操られないだけの改良を完成させるのにどんだけかかると思う。いいか、ここにいる間、あんただってアルキュミアの世話になってただろうが。そいつがいなくなって、水も食料もどうするつもりだ」


 睨み合う二人の間に、アルキュミアの感情の薄い声が割入る。


『お言葉ですが、この惑星は地球化開発が一定以上に進んでいます。探せば食物も生活できそうな環境も――』

「ほら、アルキュミアもああ言ってる――」

「――うるせぇ、こんな時だけ共同戦線張るな!」


 仲が悪い、とは、アマルテアからつい先程聞いたばかりだ。それが本当なら、ロウをやり込める為だけに協力するなんて滅茶苦茶な話だ。

 どう聞いてもイェルノの主張は自殺行為としか思えない。自分の生命を賭けてまで、今すぐロウを脱出させることに、どれほどの意味があるというのか。

 イェルノがまた一歩、ロウへと距離を詰めた。ロウの喉元に、触れそうで触れない距離のイェルノの唇が近づく。


「……そりゃあね。こうなったら、宿敵とだって共同戦線を張るさ」


 その指先が、ロウの手に触れた。腕に沿って這い上がってくる細い指先が、首元で一度止まる。


「だって、アルキュミアも俺も今は目的が合致してる。なによりあなたの無事が最優先だ」


 酸素マスクの死角に隠れて、真下にあるイェルノの表情が見えなかった。なのに声だけで、唇が笑みを浮かべているだろうと容易に分かった。

 自分を心配してくれる気持ちは有り難い。嬉しいと感じるのも本当だ。だからこそ、ここでは頷けない。


「いいか、イェルノ。オレだってあんたの――」


 口にした途端に、イェルノの身体がロウに接触した。


「それに俺、ベリャーエフの期待通りに動くのは、もうたくさんでね!」


 体温を感じるよりも素早く、喉元に触れていた手が死角を動いて、ロウの酸素マスクの着脱スイッチにかかる。

 アマルテアには引き剥がすことのできなかったマスクだが、仕組みを知るイェルノの手にかかればひとたまりもない。


「――なっ……!?」

「ごめんね、時間がない」


 ひっぺがした酸素マスクを握りしめ、イェルノが身を引いた。

 驚きで吸い込んだ空気が、熱さと甘さを伴って肺に流れ込む。

 妖精アマルテアの鱗粉だ――と頭で理解する前に、ぐにゃぐにゃと視界が揺れた。


「……イェルノ、あんた……!」

「――アルキュミア、後のことは打ち合わせどおりに」

『はい。メインコンピュータ:アルキュミアは、マイマスタの指揮不能を認識しました。マイマスタの指揮復帰活動を最優先、次善として一搭乗員の指示を受容し、惑星外射出装置の射出に合わせ機体を移動させます』

「うん、ついでに少しばかりロウを足止めしてくれるとありがたいね」


 キュルッ、とアルキュミアのアラートが答えた。

 二人の会話を聞きながら、歪んだ視界がずり下がっていく――いや、ロウの身体がずるずると床に崩れる。アマルテアの駆け寄る小さな足音が聞こえたが、寄ってこられたことで余計に鱗粉の濃度が高くなるだけだ。


 たった一呼吸でここまで毒が濃いことも、さっきの二人のやり取りも、アルキュミアが共犯であることを示している。

 腹が立った――はずだが、頭の中が沸騰しているようで何やら考えがまとまらない。

 一瞬の間を置いて、アルキュミアのホログラムがイェルノに向け、無表情のまま囁くのが見えた。


良い旅をボン・ヴォヤージュ、イェルノ』

「あなたもね、アルキュミア。無事を祈る」


 アルキュミアが名を呼ぶのを、はじめて聞いた気がする。

 片手を上げて応えたイェルノが、一瞬だけ躊躇してから、倒れたロウの傍に膝を突いた。


 覗き込んでくる碧の瞳が微笑んでいるのを見て――ぐらぐらしていた頭の芯が凍り付くような気がした。

 怖いくらいに澄んだ笑顔を浮かべている。

 まるで、何もかも自分の手から振り解いた後のような。


 笑顔が綺麗すぎて、直感的に分かってしまった。

 こいつ、ここで死ぬ気だ。

 透き通るような視線のまま、イェルノはむき出しになったロウの頬に左手を当てた。


「おぼえてないらしいけど……あなたのマーマが自爆するとき、俺はあなたの傍にいたんだ」


 その話はもう聞いた。二度は聞きたくない。

 言おうとしたけれど、既に唇がうまく動かない。

 これは、別れの挨拶だ。

 絶対に止めなければと思うのに、手足は言うことを聞かない。


「俺の恋人があなたを庇おうとしたとき、『そんなやつ捨てて逃げろ』って言ったのは……俺だった」

「そ、れは……」


 爆発の直前、そんな叫び声が聞こえただろうか。いや、分からない。あの時、自分がどうやって助かったのかさえも。

 思い出せるのは後から病院で聞いた話ばかりだ。記憶はあまりにもぐちゃぐちゃで、誰がいつ何を言って何をしたか、まったくおぼえていない。


 それにもちろん、そんな理由でイェルノを責める気になどなれなかった。

 もしもロウが同じ立場でも同じことを言うだろう。恋人と見知らぬ子ども、どちらか一方しか助からないなら、恋人を助けたいと。

 そう答えてやりたいのに、唇は震えるだけで、息を吸う度にぐらぐらする。


「……あいつはあなたを諦めなかった。だから、あなたは生き残った」


 イェルノの瞳が近付いてくる。

 近く、もっと近く。今にも手に入りそうな距離で覗いてみて、ようやく分かった。

 目の前の碧に浮かぶのは、憎しみなどではないことが。

 恋人に手を伸ばせなかった後悔と、無力な子どもを見捨てた自分への嘲り――その、入り混じった決意の色だ。


「これは贖罪じゃない。あなたは俺を許さなくて良い。俺はただ、あいつが命に代えて守った子どもが、目の前で死ぬのが見過ごせないだけだ。あいつの死はぜんぜん無駄なんかじゃなかったって思いたいんだ。あなたに生きてて欲しい」


 薄紅色の唇が近付いて、柔らかい感触が一瞬だけ唇に押し当てられる。すぐに離れたその身体を引き止めたいのに、腕が上がらない。


「……イェ……ル、ノ」

「これ、汎銀河刑事警察機構の――俺の上司の個人的な連絡先だ。ここから脱出したら連絡して。この人なら絶対にベリャーエフ・インクに与したりしない。大事な証人だもの、必ずあなたを守ってくれるから」


 微笑みの残滓を残しながら立ち上がったイェルノが、アマルテアを抱いた。


「イェルノ、本当に一人で行くつもり?」

「アマルテア――あなたは絶対にロウの傍を離れないで。ロウとアルキュミアの言うことを聞いて。良いね?」

「わたし、イェルノとアルキュミアとなら、一緒にいられると思うのに……イェルノは、本当の気持ちを伝えないまま行くつもりなの?」


 イェルノの足がしばらく止まったような気がしたけれど、床から立ち上がれないロウにはもう、その表情は見えなかった。

 酸素マスクをアマルテアに押し付けたイェルノが、身体を引き剥がす。そのまま宇宙船を出て行く足音だけを、ロウは聞いた。

 必死に開いた瞼は、瞬きの度に重くなっていく。


「あんたが……い、なきゃ……」


 いなきゃ、どうなると言いたいのか。自分でも分からないまま口にして、結局は最後まで言い切ることが出来なかった。


 覗き込んでくるアルキュミアのホログラムが、金色の瞳が、じっとロウを見下ろしている。

 動きが鈍いのは裏で演算をしているのだと、それくらいは分かったが……分かったところで何がある訳でもない。


 伸びたアマルテアの翅から、ひらひらと落ちてくる光の粒を頬に感じ――そのまま、闇の中に引き込まれるように目を閉じた。

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