21段目 恐るべき子供

 ようやく落ち着いた。

 一息つこうと、内ポケットから水蒸気タバコを抜き出して口元へ運び――そこで、酸素マスクを付けたままであることに気付いた。

 バカバカしくなって、すぐさまポケットに戻す。


 膝に座ったままのアマルテアは、狭いシートで窮屈そうにロウの腕を避ける。

 シートに背中合わせで立っているイェルノが、くすりと笑ったのが聞こえた。一連の意味のない動きを空気で感じたらしい。

 咳ばらいでそれを誤魔化し、膝の上のアマルテアに視線を落とした。


「……で、お前はなんでそこをどけない」

「ロウと子どもを作りたい」

「げほっ――」


 思わず咳き込んだロウに、今度こそイェルノが声を立てて失笑する。

 無表情のまま立っていられるアルキュミアとは対照的だ。


 アマルテアにはイェルノの笑っている理由が分からないのだろう、不思議そうな顔をしている。

 破れたジーンズに汗まみれの両手をこすりつけて、ロウは天井を見上げた。天井以外に目を向けようがない。


 この距離では、横を向こうが下を向こうが、酸素マスクの向こうに広がる無防備なワンピースの隙間から胸元なり腹なり太腿なりが見えてしまう。幼い姿であった頃ならまだしも、今の大人びた女の姿はロウには目の毒だ。


「オレは妖怪との子どもなんか作らんぞ」


 自分に言い聞かせるダメ押しのつもりで呟いた。

 アマルテアは目を丸くして見上げてくる。


「ようかい? アマルテアは妖精セイレーンだってアルミーが言ってたよ。だから、大丈夫」

『ロウの言葉は唐突すぎます。妖怪とは、民間伝承の中で言われる非現実的存在の総称で――』

「――黙れアルキュミア。おい、アマルテア。あんた、あのびっしり付きまとってきた奴等セイレーンの仲間だろうが。なんであっちじゃなくて、こっちについてきたんだ」


 皮肉な声になっているが、ロウも既に自覚はある。自分が不機嫌になるのはいつも、不安の裏返しだ。

 ロウ達には、宇宙船アルキュミアを操られない為にアマルテアを仲間につけておきたいという事情がある。

 しかしそれはこちらの事情であって、究極のところアマルテアにとっては妖精達こそが同族だ。どうやら母親も向こうにいるらしい。

 なのに何故大人しく――むしろ妖精の襲撃に怯えるような様子さえ見せて、ロウ達と一緒にいるのか。


 アマルテアは紅の瞳を輝かせ、ロウの眼を覗き込もうとますます身体を擦り付けてきた。柔らかな胸がロウのジャケットの上で潰れて形を変えている。


「……おい、止めろ」

「アマルテアはね、助けて欲しいの。困ってるのよ」


 どこかマーマに似た言葉遣いで迫られて、ロウはますます目を逸らした。アルキュミアが言語教育を行ったと言っていたが、それに関係しているのだろうか。


「……アルキュミア。こいつの言語教育の元になるデータはどこから引っ張ってきた?」

『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアの語彙データは、やや不自然であるとの評を搭乗員より受けましたので、サブコンピュータの語彙から抽出しました』

「マジでマーマの口調そのまま持ってきたのかよ……」


 迫ってくるアマルテアを避ける為に首をひねりすぎて、そろそろ骨の可動域が限界に達しそうだ。


「あのね、アマルテアは生まれた時から他の姉妹きょうだい達とは違ったの。だからわたしのお母さんは、わたしを捨てちゃったの」

「捨てた!?」


 驚いた声をあげたのはロウだけだった。

 背後のイェルノもアルキュミアも何も言わないということは、既に知っていたということか。思い出せば、そもそもアマルテアはイェルノの捜査対象の一つだ。初期の段階からある程度状況を把握してあったのだろう。


「妖精は皆、歌を歌うの。でもアマルテアは歌わないわ。アマルテアは他の人の歌を使うのよ」

「他の人の歌を使う、だと……?」

『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアが分析済みです。マーチ――アマルテアの歌は、彼女自体から発せられるものではないと想定されます』

「どういうことだ?」

「どうもアマルテアは、変異種のようなんだ。他の妖精にはない能力を使う」


 イェルノが椅子の背をまわり、ロウの横に立った。


「一つが例の鱗粉による酩酊状態の喚起。もう一つは、人工知能を揺るがす能力の強さ――正直な話、アマルテアのそれは他の妖精よりもずっと強い。どうやら、対象になる人工知能だけではなく、その周辺にいる人間の記憶も探って、相互に深く共鳴する歌を。……あなたとアルキュミアに共通する歌、なにか覚えがあるんじゃない?」


 言われたロウの頭に浮かんだ曲は一つ――マーマが歌ってくれた子守歌だった。


「たぶん、惑星開発にきてたベリャーエフINC.の誰かの遺伝子によってもたらされた変異じゃないかと思う。あなたが途中で放棄したあのテキストには、既に被害者がいたようなことが書かれてたし……。でもほら、アマルテアは姿もそうだけど、人の記憶から歌を引き出して歌うなんて、きっと今までの妖精の在り方とは全然違うんだろう。だから仲間から弾かれた」

「じゃあ、あの大量の妖精セイレーンはなんなんだ!」

「あなたとアマルテアを狙って来たんでしょ」

「人間の遺伝子を取り入れたアマルテアが失敗作なのに、また人間オレを襲いに来てどうする!」

「そんなの俺が知る訳ないじゃない」


 イェルノの正論を聞いて、ぐっと黙った。黙らざるを得なかった。問い詰めようがどうしようが、事実など誰にも分からない。

 ふと、ロウの傍からアマルテアが両手を伸ばしてきた。


「ね、でもそうして捨てられたアマルテアを拾ってくれたのが、ロウとイェルノよ。アマルテアはロウもイェルノも、それにアルミーも愛してるわ……愛してるの」


 伸びあがってきたアマルテアが、ロウの視界に割り込んでくる。


「……うぷっ」


 頭に覆いかぶさって胸を押し当てられた。感触は人間と一緒か、と心の中だけで愚痴ってみる。どうせなら、中身も人間の成人と同じならありがたいのだが。

 確かに、イェルノが育て始めた当初よりは言葉が通じる分、成長した気がしなくもない。それでも、十五歳の自分と比べてさえ、アマルテアの中身の方が幼い。見た目では逆だというのに。


「アマルテア――」

「ね、だからロウもわたしを愛してね? それで、アマルテアをお母さんにして。だってアマルテアはもう、ロウの為に大きくなってしまったから、ロウにしかアマルテアとつがうことは出来ないの……」

「お、おい!? イェルノ、なに言ってんだこいつ、これどうすりゃ良いんだ……っぷ!?」


 好き勝手に頬を撫でまわされ、ロウは思わず助けを呼んだ。

 酸素マスクを外そうとしているようだが、気密性の高いマスクは外し方を知らなければ偶然に外れるような代物ではない。


 止めようもなく、しばし黙ってされるがままになった。

 唇を歪めたイェルノがアマルテアの肩を抱き、ロウから距離をとらせてくれる。

 きょとんとしているアマルテアの額に軽くキスを落としてから、改めてロウの目を見て言葉を足した。


「あのね、ロウ。これはアルキュミアの検査結果とアマルテアの曖昧な発言の数々と、例の日記の内容をまとめた上での、俺の推測でしかないんだけどさ」

「……お、おう」

「ほら、妖精セイレーンは、つがう相手を特定の歌で呼び寄せるだろう? 元々大量の雄が押し寄せるような場所ではないから資源は……その、お相手は貴重な訳じゃないか?」

「おう……うん?」

「つまり、呼び寄せた相手に合わせて、何と言うか……生殖器官を変形? 変態? しているんじゃないかと思うんだが」

「……お、おう……?」


 ロウが話についていけなくなったところで、それを悟ったイェルノが唇を歪める。


「つまり……こういう下世話なことは言いたくないんだけど、アマルテアは『あなた専用』なんじゃないかって……」

「……専用?」

「相手の生態に合わせて、一度こうして変態してしまったら、もう後戻り出来ないんじゃないかってことで……つまり……」

「はっきり言えよ」


 促すロウに向けて、イェルノははっきりとため息をついた。


「――あなた、本当にモテないだろ」

「はあ? 今の文脈で、なんでいきなり喧嘩売ってくるんだよ」

『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、マイマスタに同意します。『モテる』という評価は非常に主観的で、マイマスタの保持するこれまでのデータではサンプルが少なすぎて判定できません。例えばこの場に仮に三名の異性がいると仮定して――』

「――ああ、今のは俺が悪かった、もういい。とにかく、アマルテアは少なくともこの星を出るまではあなたを諦めないだろうってことだよ。加えて、もしかすると他に大量の雄がいる状況でも尚あなたを選ぶかもしれないから、その後のことも考えておけって話」

「その後……いや、待て! この星を出るって――」


 ロウの顔を流し見ながら、イェルノが唇を引き上げる。


「俺の仕事は終わった。企業不正の証拠は入手したし、後は無事に宇宙に戻るだけさ。あなたがまだここに留まりたいって言うならまあ、多少は付き合うけど」

「証拠?」

「アマルテアと例の日記データだ。アマルテア、よく探してくれた。でもあの段階でロウに見せるなら、先に内容を教えて欲しかったね。アルキュミアも」

『メインコンピュータ:アルキュミアは、あの時点での情報開示は誤りではなかったと判断しています。むしろ、マイマスタの精神的苦痛を思えば、遅すぎたのではないかと』


 アルキュミアに渋面を向けてから、イェルノはすぐにアマルテアへと向き直り紅い髪に指を通して梳いた。

 優しい指先の動きに、アマルテアが気持ち良さそうに目を細める。その姿を見下ろして――ようやく、ロウにも状況が理解できた。


「あんた、こいつを連れて、惑星外射出装置マスドライバーで出るつもりか?」

「そうだよ。本体がいるんだ。異星人発見に関する申告漏れがあったっていう何より明確な証拠だろ?」

「大ニュースになるぞ……!」

「するんだよ、馬鹿だなぁ。そうでもしなきゃ、誰かがうっかりこの惑星テルクシピアの傍を通るじゃないか。人工知能積んだ宇宙船もろとも、セイレーンの声に惑わされ、地表に引かれて沈む被害者を増やすだけだ」


 答えに詰まった。確かに、ここに現に異能の異星人がいて、その能力が未知であるからこそ脅威であるのだとしたら――調査が進めば、あるいは、彼らと安全に交流することだって出来るのかも知れない。


「おい、イェルノ……ことは重大だし、もう少しゆっくり考えた方が……」

「無理だよ。もうことは俺だけの話じゃない。汎銀河刑事警察機構パングポールが状況を認識してるから俺がここにいるんだ。それに、リュドミーラ亡き今、アルキュミアと同じシステムを組み込んだ宇宙船は、今もベリャーエフ・インクで研究開発の対象になっている。そっちがうまくいけば、ベリャーエフ・インクが先に惑星ごと証拠隠滅を図るかも。……そうだよね、アルキュミア?」

『正確な情報は企業秘密となっており、また全宇宙間通信回線スペース・ワイド・ウェブから切り離されたこの惑星からではアクセスできません……が、直前まで時折流れてきた情報から判断するに、そのプロジェクトが進んでいる可能性は非常に高いと推定します』

「アルキュミアと同じように、この惑星に降りられるようになるって……?」

「当たり前の発想だ。アルキュミアじゃなきゃ、ここには辿り着けない。そしてそのアルキュミアはあなたが抱え込んで離さない。そうなれば、次の手段は自社の宇宙船を何とか改良してプロトタイプのアルキュミアに似せてくことだ。もともとリュドミーラと共同研究していたベリャーエフ・インクなら、多かれ少なかれ情報は持っているだろ。あなた達がここにいるのはあくまで実験みたいなもの。うまく戻って来ようが来まいが、この惑星にいる大量の妖精達を殲滅するなり捕獲して研究するなりしようとするなら、もっともっと弾数が必要なんだ」


 うかうかしていれば、ベリャーエフINC.が開発した宇宙船で乗り込んできて自社の利益の為だけに情報を独占することになる。もちろん、ベリャーエフは、人類全体の向上と発展、妖精達との協働の為に動くのかも知れない。だが、マーチから受け継いだ少なくない額の財産をベリャーエフの企みによって掠め取られたロウには、そんなことはまるで信じられなかった。

 それはイェルノも同じだろう。彼らの為に取り返しのつかないものを奪われているのだから。


「……いいだろう、協力する。その代わり一つ約束してくれ」

「何を?」

「アマルテアが人類の敵にならないように、しっかりと見張ってやれ」


 それは、アマルテア自身を見張る意味と、人類の暴挙からアマルテアを守れという意味の両方を兼ねた約束のつもりだった。

 が、イェルノは目元を動かさないまま、唇だけで笑って見せる。


「……重ねて馬鹿だね、あなた」

「何だよ」

「アマルテアはあなた専用だと言っただろう。見張るのはあなたの仕事だ」


 イェルノの手がアマルテアの肩から外れて、柔らかくその背中の中央を押した。再びアマルテアの胸元がロウの酸素マスクの正面から押し付けられる。


「――ロウ!」

「……っぷ!?」

「人生かけてその子を見張れよ。責任もって」


 嬉しそうに響くアマルテアの笑い声が、柔らかい身体を通して伝わってくる。

 無垢と言うには打算的過ぎる生き物に視界を塞がれて、ロウは手をばたつかせた。その隙に、イェルノがコントロールルームを出て行く扉の音だけが耳に入ってくる。

 追いかける暇もない。押し付けられたマスクに窒息しかけ、パイロットシートの肘掛を叩く。その動きにようやく反応して、アルキュミアがロボットアームでアマルテアの身体を後ろに引っ張り剥がしてくれた。


「……助かった」


 ぼやくロウの言葉を知らぬ気に、アマルテアは満面の笑顔を浮かべている。


「ロウ……ロウ! わたしたち、ずっと一緒にいられる? ロウはわたしをお母さんにしてくれる?」

「お母さんか……その前にお前をまともな大人にするのが先っぽいけどなぁ……」

『マイマスタの精神的健全性に配慮して、メインコンピュータ:あなたのアルキュミアが、マーチの教育を引き続き行います』

「ああ、頼む……」


 ロウの言葉を聞いて分からないなりに表情を学んだアマルテアと、ロウの役に立つことを喜びとしてプログラムされているアルキュミアが、同時に似通った微笑みを浮かべた。

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