20段目 襲撃

慌てて隠し部屋を出て、梯子を上る。


「……くそっ!」


 イェルノとアマルテアが追ってきたのを確認してから、シートを乱暴にスライドさせた。

 がきん、と耳障りな金属音が響き、イェルノが咎めるような視線を向けてくる。


 これくらい許してくれ、とロウは口に出さずに胸の内で考えた。いくら自分がダメなヤツで、これから変わらねばならない自覚を持てたと言っても、感情を完璧にコントロールできる訳ではない。

 以前ならば、扉どころかアルキュミアにでも当たり散らしていただろうから、立派に成長している方だと思う。


 パイロットシートに背を預けると、隣に立ったイェルノがロウの代わりにアルキュミアに指示を出した。


「アルキュミア、外部カメラの画像を投影して」

『メインコンピュータ:アルキュミアの外部カメラ三基は、先刻の着陸時に衝撃で破損し現在修復中、撮影不可能です』


 言った瞬間、再び大きな揺れが起こった。イェルノは左腕をパイロットシートに絡めて掴み、なんとか堪える。


 アマルテアは部屋の隅を浮遊し、イェルノの指示でアルキュミアのアームの一つをぎゅっと握っていた。

 揺れがおさまった途端にイェルノが、つい先程のアルキュミアの報告を訂正するように、前方のホログラムを睨みつける。


「アルキュミア。あなたの外部カメラは四基あるだろう。そのことを、俺は事前の調査で知っているんだけどな」


 たった一人、揺れの影響を受けないホログラムのアルキュミアは、涼しい顔でイェルノを見返した。小さく首を傾げてから右腕を振る。

 合図に従って、ロウの目前に、破損を免れた残り一基のカメラの映像が映し出される。


 最後のカメラは船体の右後方を監視するものだったらしい。

 カメラが最初に捉えたのは、拡大された紅い翅だった。一瞬、画面いっぱいに広がる紅を、ロウは朝焼けとさえ見間違えかけた。

 ひらひらと漂う翅がカメラを外れ、その向こうに見えるのは、うねる緑の蔓の群れだ。船体に絡みつく蔓の向こうから、昆虫に似た紅色の硬い手足や、透ける翅が重なり合っているのが見える。普通の昆虫と違うのは、蔓と見えた緑の細長い紐状の部位が、どうやら甲殻の下から生えてきているらしきことだ。つまり、この蔓は昆虫らしきイキモノの一部であるようだ。


 アマルテアと同じ種族とは思えない巨大な節足動物に似た姿は、見慣れぬ足先の棘の一本一本までが、純粋にロウの嫌悪感を煽った。


「……おい、何が妖精セイレーンだ。全然っぽくねぇぞ。それに、アマルテアとも似てねぇ」

「逆だ。むしろアマルテアが妖精セイレーン達に似てないんだ。だから俺はアマルテアを選んだの」


 イェルノの声を聞いているのかいないのか、壁際のアマルテアは耳を両手で押さえ震えている。

 口からは悲鳴とともに、時折「お母さん」と呼びかける声が聞こえていた。


 カメラの向こうの妖精達は、まったく昆虫めいた複眼の無表情で各々アルキュミアに取り付いている。その足をかける動きが船体を揺らしているのだ。

 宇宙船の壁が軋む音が聞こえてきて、ロウは慌てて指示を出した。


「と、とりあえず飛ばせ、アルキュミア」

『かしこまりました、マイマスタ』


 パイロットシートにしがみつくイェルノが声を上げる。


「待って、飛ぶなら――目的地をメルポメネー基地に設定して」


 メルポメネー基地――惑星外射出装置マスドライバーがある基地の名前だ。

 アルキュミアは顔色一つ変えず、イェルノの言葉を却下する。


『目的地設定は、搭乗員権限では実行出来ません』

「ちょ……もうっ、ロウ!」

「あー……アルキュミア、目的地をメルポメネー基地に設定」

『かしこまりました、マイマスタ』


 ロウの指示には素直に従い、即座にエンジンに火が入った。

 二人の様子を見ていると、微妙に主導権を取り合っているような気さえする。

 なんの主導権かは分からない。気のせいだろうとロウは首を振って片付けた。


 唸り始めたエンジン音とびりびりと身体を震わす振動の向こうには、相変わらず船体を大きく揺らす妖精の攻撃が混じる。


「あぁ……!」


 壁際から甲高い悲鳴が上がる。アームにしがみついたアマルテアは、ついに身体とはねを震わせ辺りに鱗粉を撒き散らし始めていた。

 先だってその鱗粉にやられたことを思い出し、思わずロウは顔を引きつらせる。


「おい」

「あのね、あれは恐怖とか欲情とか……その手の興奮に付随する反射的な反応なんだよ」

「もうあいつ下ろしてもいいんじゃねぇか? この……襲ってきてる奴らは」

妖精セイレーン

「セイレーンは、アマルテアを取り戻そうとしてんじゃねぇの?」

「一つはそうだね。もう一つは、たぶんここにあなたがいるからだけど」

「オレ?」

「人類と性交して子を作りたいという本能はアマルテアだけでなく、妖精セイレーン全体に共通するものだから。この惑星にいる人類は――今のとこ、あなただけだ」

「おいおいおい……」


 イェルノが宥めるようにロウの肩を叩いた。

 パイロットシートの正面に向け、アルキュミアの空いたロボットアームが酸素マスクを差し出してくる。


「……自衛しろってか?」

『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、現在マーチ――アマルテアに支配されていることでそれ以外の不正な外部ハッキングから守られています。マーチの存在なくしては有効な判断を下せなくなる可能性がありますので、ここで彼女を下ろすことはマイマスタにとって有益ではないと提言します』


 大人しく酸素マスクをつけながら考える。

 アマルテアがアルキュミアを先に操っていることで、アルキュミアは外の妖精達に操られずに済んでいる、のだろうか。だが、それでは先程のイェルノやマーマの話と食い違ってくる。


「おい、この宇宙船はマーマ――サブコンピュータがあるから、操られないんじゃなかったのか?」

『確かに、サブコンピュータ起動中はアマルテアの防御と関わらず、外部ハッキングを自衛可能です。ですが、メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、サブコンピュータと同じ構成システムになっていません。私の起動中は、サブコンピュータのように自衛出来ません』


 どうやら、メインコンピュータであるアルキュミアとサブコンピュータであるマーマは、同時に起動出来ないシステムらしい。それで先程、話途中でアルキュミアが起動した際は、マーマが姿を隠してしまったのだろう。

 イェルノがロウの耳元でそっと言を添えた。


妖精セイレーンに操られない為には、ずっとサブコンピュータを起動しておけばいいんだが、元々その為に作られたシステムじゃないサブコンピュータにはこの宇宙船の能力を完璧に引き出すことは不可能なんだ。本当はそれでもパイロットの腕さえ良ければ……あの、あなた、宇宙船の手動操作ってどのくらい出来る?」

「これっぽっちも出来ん」

「……だと思ったよ。じゃあ悪いけど、サブコンピュータ起動させた状態で、この宇宙船動かすのは諦めて」


 呆れたイェルノのため息が、ロウの喉元に向かって吐き出された。

 揺れの大きな宇宙船の中、パイロットシートに片手でしがみついているその身体が、船体が揺れる度に近付いたり離れたりしている。柔らかい唇が首筋を掠めたような気がして、ロウはごくりと息を呑んだ。


「……おい、片手じゃ不安定だろ。場所替わってやろうか?」

「そんなこと、アルキュミアが許すわけないじゃない」


 鼻で笑って、イェルノは再びアルキュミアに視線を戻す。

 離陸までまだ時間がかかるのだろうか。妖精セイレーン達の攻撃はなお激しさを増しているというのに。

『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、本船アルキュミア尾部外装に小規模の破損が発生したことをお知らせします』

『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、本船アルキュミア左舷レーザの脱落をお知らせします』

「――ああぁぁぁっ! またこのパターンかよ!」

「落ち着いて、ロウ」

「左舷レーザ脱落――あ、そうか! アルキュミア、残ってるレーザの発射準備しろ! 攻撃して離脱するぞ!」

「――ダメぇっ!」


 ロウの指令の直後、叫んだアマルテアの声と同時に、キュルッ、と聞いたことのないパターンの通知音がした。

 アルキュミアを受け継いだ時にちらりとだけ読んだ手書きのマニュアルの知識が、まだロウの頭の片隅に残っている。その断片的な知識の中に、この「キュルッ」は――と、無理やり記憶を引きずり出して思い出した。

 ――指示却下エラー音だ。


『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、上位指令として、アマルテアの指示を優先しました』

「――こんの……!」


 これが操られるということか。いざと言う時に役に立たない。苛立つロウの横で、イェルノがため息をついた。

「落ち着け、ロウ。妖精セイレーンがアルキュミアの外装をひっぺがしてここに到達するより先に、離陸出来るよ。いざ、エンジンがフル稼働すれば、アマルテアがやったようにあなたの位置を把握してでもいない限り、妖精が追いついてくることはないから」

「アマルテア――おま、そんなことしてたのか!」

「あなたはアマルテアの伴侶候補としてマーキングされてるんだ。幸か不幸か、さっきはそれで一人うろついてるあなたを見つけられた」


 そんな会話を交わす間に、エンジンの振動は徐々に大きくなっていく。イェルノの言う通り、アルキュミアの外郭は宇宙を飛ぶためにかなり強固に作られているから、たしかにこのままなら――うまく逃げ切れる。

 安堵しかけたロウに向けて、アルキュミアは更に報告を続けた。


『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、本船アルキュミア尾部外装に中規模の破損が発生したことをお知らせします』

『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、本船アルキュミア右前方外部監視用カメラの脱落をお知らせします』

「……おい、全く安心出来ねぇぞ」

「大丈夫だって」


 冷や汗を流すロウを置いて、イェルノは計器に視線を向け、エンジン出力の状況を確認している。

 この場合は、多分イェルノの方が正しいのだろう。

 分かっていても、再びカメラの映像に視線を戻し、何重にも船体を覆う紅と緑を見ると頭を抱えたくなってしまう。


「おい、こんな大量にいるのかよ……」


 足の本数さえ目視できないほど何重にも、昆虫と蔓は絡み合っている。緑と紅に画面の全てを占拠されて、思わずため息をついた。

 このカメラ一基だけで見ても、何十匹に囲まれているのか分からない。これが周囲をぐるりと取り巻いている訳だから……数えるのが馬鹿らしいとしか言いようがなかった。


「……いくら大丈夫ったって、こんな大量にいるとやっぱ――」

『――メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、本船アルキュミア外装が著しい破損により、自己修復が終わるまで宇宙空間への突入が抑制されることをお知らせします』


 追加されたアルキュミアの報告に、ロウは反射的に一瞬、口を閉ざした。


「おい……なんだ、そりゃ。いくら数が多いったって、あんたの外壁は昆虫やら植物やらに殴られたぐらいでそんなめっこめこに傷付くようなやわな――」


 すぐに口を開いたロウの言葉を止めるように、イェルノが顎先でモニタを指す。


「厳密には昆虫じゃないにしても、昆虫の力って結構すごいものがあるから、そういう方面の安心は無意味だと思うけど――ま、今回は違うかな。ほら、あれ見て。カメラの端。あなたのこと大好きな建築用ロボットがここまで追いかけてきたみたいだよ」


 イェルノの言葉に従ってモニタの端へ視線を移せば、以前追ってきていた建築用ロボットが、画面の端で巨大なアームを振り上げる姿が映っている。

 確かに、外宇宙を飛ぶための頑丈な外壁ボディも、岩を掘削し持ち上げる建築用ロボットの力を持って叩かれれば厳しいものがある。


 自分はこんなに慌てているのに、イェルノはえらく落ち着いている。苛立ちまぎれに喚こうとして、エンジンの震えが変わってきていることにようやく気付いた。

 出力が離陸可能な状態まで達したらしい。今までよりも激しくなった船体の震えに、取り囲んでいた昆虫や蔓が慌てて外壁から離れる姿が見えた。


『――アルキュミア、離陸します』

「おい、こっちだ!」

「……えっ!?」


 加速が始まる直前に、慌ててイェルノをパイロットシートに引き込んだ。軽いはずの身体が、加速による圧力で瞬間、胸元に食い込んだような気がする。

 イェルノが慌てたようにもがく。ちょっと言葉が足りなかったか、と思ったが――あのまま立たせていると、一瞬だけ発生する慣性の圧力で後ろに吹っ飛んだ後、疑似重力発生とともに前方にぶん投げられるという、あまり歓迎したくない状況に陥る。出来の良いベリャーエフ・インク製の身体だと言っても、コントロールルームを端から端まで転がれば、破損だってありうるだろう。

 落ち着いた瞬間を見計らって、イェルノがロウの胸元から顔を上げる。

 その表情を見て――言おうかどうしようか迷ってから、結局――ロウは口を開いた。


「あの……あんた、顔赤いぜ」

「圧力で頭に血がのぼったんだよ!」

「そういうことにしといても良いけど……何だよ。いつもはあんたの方がべたべた触ってくる癖に――」

「――こういうのは心の準備が必要なんだ、このバカ!」


 ばん、と胸板を叩かれたけれど、そう痛くも感じないのは何故だろう。ロウの膝から身体を起こしてパイロットシートを離れようとするイェルノの背中に、補助シートから飛び出してきたアマルテアが飛びついた。


「ロウ、わたしも!」


 アマルテアの身体に押されて――というよりもごったになって、ロウの腕の中に再び二人が飛び込んできた。


「――ぐぇ!?」

「ね、アルミーはすごいね、皆追いつけないよ!」

「ちょ……ちょっとアマルテア、いきなり押さないで」

「おい、あんたら狭いんだよ!」


 ごちゃごちゃと絡まっているパイロットシートを見下ろして、離陸を完了したアルキュミアがどことなく誇らしげに金色の瞳を輝かせた。


本船アルキュミアの搭乗員、全員の無事を確認しました』

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