第53話 あの子を殺してくださいな

 ◆  ◆


11月30日 水曜日 19時10分

祐久市内家電量販店 パソコンコーナー


#Voice :菅生すごう ともえ


 あれから、高梁先生に平謝りしたあと、生徒指導室を後にした。


 そのまま保健室には立ち寄せず、久しぶりにバスに乗って、駅前大通りに買い出しに行った。向かった先は、家電量販店のパソコンコーナーだった。

 

 店員さんに尋ねて案内してもらい、あのタブレットパソコンに合うのぞき見防止フィルムを買った。

 先月末、勤労感謝の日に、あずさが1年生の男の子を引き連れて、保健室に来てくれた。そのときに、重要な情報をもらっていたのを思い出した。

 きっと、「キュービットさん」の催眠は、大事なことも思い出せなくなるらしい。


 あずさは、フレームレートが違うと催眠にかからないって、言ってた。

 それなら、のぞき見防止フィルムでも、大丈夫じゃないかと思った。

 

 フレームレートが違うと……

 「キュービットさん」が画面をミリ秒単位で描き替えて、催眠用の呪い画像を挟んでいるのだけど、催眠用のコマが録画から抜け落ちてしまう。結果、ほとんどの催眠用のコマは録画されていない。わずかに残った数コマでは、ヒトを操るまでには至らない。


 のぞき見防止フィルムも同じ。

 真正面以外は、はっきり見えない。画面が見辛くなるから、ほんのミリ秒しかない洗脳用の画像はぼやけて見えなくなるんだよ。



 ◇  ◇



11月30日 水曜日 21時20分

私立祐久高等学校 保健室


#Voice :菅生すごう ともえ


 まず、保護シートを剥がし、粘着面を上にして、のぞき見防止フィルムを机の上に置いた。それから、タブレットパソコンを画面を下に伏せたまま持って、画面を見ないように、のぞき見防止フィルムの上に重ねた。


 べちゃっという下手くそなフィルム貼りの音がした。

 この際、多少は下手くそでも構わない。


 そうして、あえて照明を落とした夜の保健室で、私は「キュービットさん」を始めた。



 Curses Circus Qubit ! (カーサス サーカス キュービット)


 この1カ月間、催眠に操られていた間、何度も飽きるほど見た画面が立ちあがる。

 「キュービットさん」は、終了させて、画面から消えても、実際にはタスクトレイの中で、まだ実行中のまま残っているんだよ。迷惑だよね。


 だから、内蔵カメラで誰かの気配を察知すると、すぐに復帰するの。


『あなたの心の奥底にある言葉を教えてください』


 画面に見慣れたメッセージが現れた。

 じっと、のぞき見防止フィルム越しの霞んだ文字を見詰めた。


「うん。頭痛しない。大丈夫みたいね。あとで、あずさに謝らなきゃいけないね」

 にんまりと笑った。


「キュービットさん。あの子を殺してくださいな」

 私は笑っていう。

 内臓マイクで私の声を拾って、反応した。


「あ」 「の」 「こ」 「の」 「な」 「ま」 「え」 「は」 「?」


 十円玉を模した円形のカーソルが、50音表の上を滑るように走った。

 感情なんてないはずの「キュービットさん」が、なぜか、喜んでいるような気がした。


 私が、1カ月近くも「キュービットさん」をしていた理由ね。

 私がずっと「キュービットさん」に囚われていた理由は、単純だった。


 『あなたの心の奥底にある言葉を教えてください』

 と、求められても

 「みんなの健康と幸せ」

 としか答えていない。


 私は、誰の不幸も望まない。

 何度、「キュービットさん」に問われても、私の答えは、「みんなの健康と幸せ」だった。それしかいわなかった。

 だから、無限ループのように、まったく同じ問いと答えが繰り返されていたんだよ。


 誰かを呪わなきゃいけないの。

 誰を殺したいのかをいわないと「キュービットさん」は、私を放してくれない。

 何か、「キュービットさん」が曲解でもこじつけでもいいから、ネガティブな願いとして受け取れる言葉を言わなきゃいけない。


 思い返してみると、毎日毎日、ひとりで「キュービットさん」をしてたなんて、異常だよね。そして、その異常をずっと意識できないまま1か月も過ぎてたなんて、さすがに引くわ。


 だから、少しくらいやり返しても良いよね?


「うん? なあに?」

 わかっていないフリを装って、小首をかしげて見せる。


「あ」 「の」 「こ」 「の」 「な」 「ま」 「え」 「は」 「?」


 円形カーソルが、50音表を繰り返し走る。早くの呪うべき相手の名前を教えてと、うずうずしながら、尋ねてくる。


「うん? どうしようかな?」


「あ」 「の」 「こ」 「の」 「な」 「ま」 「え」 「は」 「?」

「あ」 「の」 「こ」 「の」 「な」 「ま」 「え」 「は」 「?」

「あ」 「の」 「こ」 「の」 「な」 「ま」 「え」 「は」 「?」

「あ」 「の」 「こ」 「の」 「な」 「ま」 「え」 「は」 「?」

「あ」 「の」 「こ」 「の」 「な」 「ま」 「え」 「は」 「?」

「あ」 「の」 「こ」 「の」 「な」 「ま」 「え」 「は」 「?」


 円形のカーソルが走り続ける。

 そっか、キミでもバグっちゃうことはあるんだ。


 私は、ちょっと嬉しくなった。

 「キュービットさん」って、冷徹なコンピュータ仕掛けって思ってたけど、案外と可愛いかも知れない。だから、私が壊したい相手の名前を教えてあげることにした。


 飛び回る円形カーソルを指先で捕まえた。

「おしえてあげるよ」


「き」 「ゅ」 「-」 「び」 「っ」 「と」 「さ」 「ん」


 指でカーソルを走らせて、私が殺したい相手の名前を教えてあげた。

 くすくす笑い。

「私が壊したいのは、「キュービットさん」キミだよ。もちろん、壊れてくれるよね?」


 私はカーソルを指先で捕まえたまま、「はい」の上に引きずった。


 「はい」がピンク色に変わり、確定したことを現す表示になって…… 画面がフリーズした。



 ◆  ◆



11月30日 水曜日 21時50分

私立祐久高等学校 保健室


#Voice :菅生すごう ともえ


 タブレットパソコンの液晶画面を、とんとんとタップしても、何も反応しなくなった。「キュービットさん」は、50音表を全画面表示にしたままフリーズした。

 全画面を占有しているから、閉じるボタンも最小化ボタンもない。


 でも、問題ない。

 USB端子に、ハブを差して、さらにマウスとキーボードを外付け接続した。


 試しにマウスを振ってみると、ちゃんと矢印カーソルが現れて、動いた。


「これで、よしっと。まずは画面を返してもらうね」


 [F11]キーを押した。

 一般的なアプリでは、[F11]キーで全画面表示を解除をできるよ。


 「キュービットさん」も、全画面表示が解除されて、デスクトップ画面が表示された。コマンドプロンプト表示の黒いコンソール画面が、五十音表の後ろに隠れていた。


「キミが、『キュービットさん』の本体かな?」


 キャレットを、黒いウインドウの中に入れた。キーボードを叩いた。


>ruri:あなたをアンインストールしたら、みんなを催眠から解放できますか?

>キュービットさん:催眠状態のユーザーをリセットしてから、アンインストールしてください。


「えっと、順番が逆なのか? メンドクサイな」


>ruri:リセットする手順を説明してください。

>キュービットさん:本機内に保存されている解除パターンを使用します。

 

>ruri:解除パターンを見せてください。

>キュービットさん:本人以外には開示できません。


 うん? 本人ってどう見分けているんだろう? そう思った。萩谷さんのタブレットパソコンだから、私の入力プロンプトには、萩谷さんがこのパソコンのユーザー登録をしたであろう「ruri」と表示されている。


「じゃあ、こうしたら、どうよ」


>ruri:私が萩谷瑠梨です。私の解除パターンの開示をしてください。

>キュービットさん:当該ユーザーはここにいません。


「うん?」

 時計を見た。22時近い。萩谷さんは、もう県外の自宅に帰っているはず。


 そっか。なるほど。

 「キュービットさん」ってば、スマホのSMS登録のついでに、位置情報関係も何かアプリを仕込んでいるんだね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る