第38話 砕けて砂になった勇気と涙
11月22日 火曜日 20時10分
祐久市民病院 救急センター
#Voice :
緋羽の容体は落ち着いていた。手当に当たった医師の話によると、発見が早かったこと。心肺蘇生を発見直後から続けて、救急隊、そして救命センターへ適切に引き継いだことが、功を奏したとのことだ。
おそらく後遺症も残らないだろうと言われて、俺たちはほっと胸をなでおろした。
緋羽のご両親からは、何度も感謝の言葉を頂いた。
俺は、あの呪いのアプリのことは何も言えなかった。信じてもらえないだろうし、何よりもいまは余計なことは言うべきではないと感じた。
緋羽のご両親が病室を外したわずかな時間を縫って、鹿乗と星崎先輩が話しかけてきた。俺は、星崎先輩にまず感謝を伝えた。
緋羽の寝顔は安らかだった。
静かに寝息を立てている。
あのとき見せられた白昼夢とは違う。
「緋羽が助かったのは、この鈴のおかげだと思います。ありがとうございます」
「うん。間に合ってよかったね。例の呪い。悪いモノの気配を感じたの。それで全力で走って来たのよ」
俺が鹿乗にLINEで伝えたメッセージを見て、ふたりは学校から全力で走ってきたというのだ。運動音痴の鹿乗が、学校から病院まで3キロ以上も良く走れたものだ。
「俺からも、お詫びをいわせてくれ。緋羽を見失っていなければ、こんなことには…… 俺の不手際だ」
鹿乗が頭を下げた。
緋羽は、名倉の仇を討つため、籠川へ呪術を応用した攻撃をしたのだという。
2射目を鹿乗に防がれた直後に、自暴自棄になって、ため池に駆けて行ったらしい。鹿乗は、緋羽を取り逃がしたことを詫びた。
「弓で2キロ先の祐久駅にいた籠川さんを射ったの。たぶん、返し矢を使ったのだと思うけど、緋羽さんが、返し矢を知っていたとは、ちょっと驚きだわ」
星崎先輩が小首をかしげていう。
返し矢とは、古事記に記載のある古い呪法らしい。鈴守神社の神職の娘である星崎先輩は知っていた。星崎先輩からこの場で概要を説明された。
しかし、緋羽が知識として、返し矢を知っていたとは考えにくい。
俺は握ったままの鈴を見た。
鈴守神社の社務所で売っているごく普通のお守り鈴だ。
しかし、この鈴を手渡されたとき、運命の分岐点みたいに感じたのだ。
「星崎先輩、本当にありがとうございます。この鈴がなかったら、緋羽は助からなかったのかも知れない」
俺は感謝の言葉を繰り返した。そして、戸惑いながらも、気味の悪い白昼夢を見たことを伝えた。
「手術室の前で待っていたとき、緋羽が死んだ白昼夢みたいなものを見たんです。これが運命だと見せつけるみたいな感じで……」
鹿乗と星崎先輩が、それぞれにため息をついた。
「影を使う呪いの他に、返し矢、白昼夢かぁ。複数の呪法が混在しているなんて」
「どういうことなんですか?」
鹿乗が尋ねる。おそらく、鹿乗も呪いなんてものは理解していない。こいつの頭の中は、数式でできている。
「複数の生徒が、キュービットさんの呪いに感染した結果だと思う。例えば、返し矢は、弓を扱えるスキルが必要だから……」
星崎先輩は戸惑いのあと、周囲を見回して、声を潜めた。
「緋羽ちゃんが生み出した呪いだと思う。それほどまでに、名倉くんを失ったことがショックだったんでしょうね」
そのときだった。
「スマホに…… SMSが届いたの。返し矢を使えって」
緋羽だった。か細い声がいう。
「緋羽、目が覚めたのか」
小さく緋羽がうなづいた。
「野入くん、ありがとう。あたしのこと、助けてくれて。野入くんが必死にあたしのこと呼んでくれたの、聞こえたよ」
「すまない」
緋羽の声にも、俺は詫びた。もう俺の勇気は燃えかすになっている。
「緋羽ちゃん、そのメッセージ、見せてもらっても、いい?」
緋羽のスマホは、ため池に飛び込んだ緋羽とともに水没していた。多少の防水機能があったらしく、タオルで拭きとったら、幸いにも動作した。
星崎先輩が緋羽のところへ持って行き、緋羽が指で画面に解除パターンを描いた。
「これね。そうなんだ」
星崎先輩はメッセージアプリを立ちあげて、問題のSMSをすぐに探し出した。
「やっぱりね。籠川さんのところに届いたSMSと同じ発信者だわ」
「その番号を調べれば、こんな悪質な呪いを仕掛けたヤツがわかるのか!?」
俺は思わず身を乗り出した。しかし、鹿乗が首を振った。
「それはもう試した。海外のSMS発信サービスを使っている。誰が送ったのかは、確認できなかった」
海外のサービス運営会社に英文で問い合わせメールも送ったが、情報は得られなかったらしい。
けほけほと緋羽が咳き込んだ。
「あ、あの…… 意識を失くしている間に、夢を…… ううん、思い出したの」
「緋羽、まだ無理をするな」
「ううん、思い出したことを忘れちゃう前にしゃべりたい」
緋羽は、咳き込みながらも、話し始めた。
「思い出したの。キュービットさんっいうアプリは、願い事を聞いてくるの。それで、葦之は…… 新しい誰かと出会いたい。新しい世界に行きたいって願ったの。あたしとの未来じゃなかった」
しゅんとなった声が続けた。
「あたしは、葦之とずっと一緒にいたいと願ったのだけど、『かなわない』って、否定された。別の願い事を言うように促されたけど、葦之と一緒に生きていきたいって繰り返した。そうしたら…… 画面に『願い事は保留。後ほど伺います』って表示されて……」
緋羽の声が、震えて、瞳が潤んでゆく。
「あたし、あのあと、タブレットを抱いたまま、『もう知らない。死んじゃえっ!』って、しゃべってしまった。アプリのこと、すっかり記憶から消えていたのに、あのアプリはあたしのあの言葉を願い事として受け取っちゃった」
緋羽は、ぼろぼろと泣き始めた。
「あたしがいけないの。あたしが葦之のこと、死なせてしまったの。だから、葦之に逢いたくて、謝りたくて……」
あとはもう声にならなかった。
緋羽は声をあげて泣き続けた。
俺は、緋羽のそばに立ち続けるしかなかった。
俺の中で、すでに勇気は死に果てていた。
だが、緋羽がここまで打ち明けた以上、黙っていることはできない。
「俺も謝らなければいけない。あのアプリに、俺は―― 緋羽の傍に立ちたいと願ってしまったんだ。アプリは、その願いをかなえると回答した。だから、この事態を引き起こしたのは、俺のせいだ。本当に申し訳ない」
「あはは……」
緋羽の声が、か細く笑った。
「あたしたち、みんなで葦之を死なせちゃったんだ。こんなのって、ないよ」
「本当に申し訳ない。何でもする。謝罪のためなら……」
緋羽の細い声が、俺の謝罪を遮った。
「もう、いいよ。野入くんは、あたしを必死に助けようとしてくれた。野入くんが一生懸命になってくれたから、あたしは生き返ったんだもの」
俺を見あげた緋羽の濡れた瞳が、ぼろぼろと涙を流しながら、それでも笑った。
「だから、もう、いいの」
「……ありがとう」
俺は、砕け散って砂になった勇気の欠片を、掻き集めて声にした。
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