第39話 保健室の天使

11月23日 水曜日 12時40分

私立祐久高等学校 保健室


#Voice :鹿乗かのり 玲司れいじ


 祝日で授業はないが、自主学習のため、図書室や一部の教室は生徒に解放されていた。学校内は閑散としているが、一部の運動部は練習をしていたし、補習授業を設けた熱心な先生もいる。


 俺はというと、星崎先輩の付き添いだ。

 自転車通学の俺は、勤労感謝の日だというのに、待ち合わせ時間よりも早く登校した。学校正門に併設されたバス停で、星崎先輩を待った。


 小高い丘の上に建つ祐久高校と、最寄りの祐久駅の間は、市営のコミュニティバスが運行されている。ほぼ定刻どおり、丸っこい小型バスが緩い坂道をあがってきた。


「おはようございます、星崎先輩」

「あ、バス停まで迎えに来てくれたの。ありがとうね」

 俺は、先日来のキュービットさん事件に巻き込まれた結果、すっかり星崎先輩の付き添いみたいなポジションになっている。

 神秘的な美少女と一緒に歩けるなんて最高だと―― 素直に喜べたら、良かったんだけどな。


 祐久高校は施設が充実していることで知られる。保健室も例外ではない。

 鉄筋コンクリート造りの新校舎の中で、茶道教室と保健室は、内装が木造に似せた板張りだった。しかも、純和風の茶道教室と異なり、保健室は落ち着きのある洋風だった。


 ベッドは6床。薬品棚に簡単な診察台と、町医者並みの設備が揃っていた。

 さらに、多感な時期の高校生にとって、保健室はメンタル面でのサポートでも重要な場所だ。


 俺と星崎先輩は、保健室へ、「天使」に会いに来ていた。

 

「ごめんね、コンビニが混んでたの。待った?」

 サンドウィッチを手に現れたのは、「天使」こと、保健委員長で3年生の菅生ともえ先輩だ。


「いえ、こちらこそ、祝日にまで、お呼び立てしてしまいすみません」

 星崎先輩が、席を立ち、呼び出したことを詫びた。俺も先輩に倣った。


 俺たちは、生徒会で3年生の菅生先輩に、先日からの「キュービットさん」に関わる事件について、報告と相談に来たのだ。


「ううん。気にしない。生徒なら誰でも、気兼ねなく相談に来れる場所が、保健室なんだから、ね」

 菅生先輩が笑う。自然な笑い声で、癒される。

 菅生先輩が、学園中の生徒から男女を問わず「天使」と敬われる理由が、きっと、この笑顔だ。


 もちろん、保健担当の教諭もいる。

 しかし、だ。

 菅生先輩は、授業時間を除いて、学生生活のほぼすべての時間をこの保健室で過ごしている。3年生だが、塾通いもしていない。ずっと、保健室にいるのだ。

 まれに留守にしているときは、校内でけが人が出たとき、あるいは運動部が試合をしているときなどだ。

 他校との交流戦では、お願いすれば、早朝でも、土日でも、この保健室の天使は救急箱を持参で応援に駆け付ける。

 運動部にしたら、美少女の保健委員長が、救急箱を携えて応援に来てくれるなんて、ある意味、真昼間に見る夢のようだ。



 ◇  ◇



 星崎先輩は、この数週間のできごとを整理して、菅生先輩に説明した。

 菅生先輩は、ときどきうなずき返しながら、熱心に話を聞いてくれる。

 そして……


「あずさちゃん、よく頑張ったね。でも、もっと早く3年生を頼ってもいいんだよ」

「すみません。こんな時期なのに、迷惑をおかけしてしまって」

「ううん。そこは大丈夫。私はずっとここにいるから」

 

 平然と答える菅生先輩へ、俺は、疑問をつい投げてしまった。

「あの、菅生先輩は…… 受験大丈夫なんですか?」

 3年生にとって11月末とは、受験に向けて最後の追い込みのタイミングだ。合否を左右する重大な時期といっても良い。それなのに、この余裕は、なぜだ?


「あ、それは問題ないよ。私、卒業しないから」

「「えっ!?」」

 俺と星崎先輩、ふたりぶんの驚きがハモった。


「留年しちゃうんだな。出席日数足りないから」

「えええっ?」

 俺は、驚きの声をあげていた。慌てて失礼を詫びた。


「だって、私はいつもここにいるから。あ、授業は半分くらいは出席しているけど、保健室でのんびりしすぎちゃった」

 また、笑い声。悪びれることもなく自然に屈託なく笑う。


「ともえ先輩…… それ、わらうところじゃないですよ」

 星崎先輩の呆れ声も、笑っていた。まあ、笑うしかない状況ではあるけどな。


 天衣無縫というべきだろうか。菅生先輩と話していると、受験も凄惨な事件さえも、不思議と大丈夫な気がして来るのだ。ああ、何が大丈夫なのかは聞かないでくれ。きっと、そういう幸せな錯覚が起きているんだ。


 菅生先輩はサンドウィッチを齧りながら、星崎先輩は手作りらしいお弁当箱から卵焼きを摘みながら、そして俺はカロリーメイトを缶コーヒーで流し込みながら、それぞれに話した。


「籠川さんを警察に保護名目で引き渡したのは、思い切ったね。でも、正解だったと思うよ」

 菅生先輩がほめた。


「ありがとうございます。でも、緋羽ちゃんは危ういところでした。野入くんが頑張ってくれたから助かったんです。もしも、間に合わなかったら、緋羽ちゃんは――」

 星崎先輩は、声を潜めた。

「野入くんを走らせたの、ともえ先輩ですよね。本当にありがとうございます」

 

「ううん。彼が望んだの。私は言葉にして背中を押しただけ。でも、あずさちゃんが正解に近い判断をしているから、辻褄が合って、緋羽ちゃんも籠川さんも助かったんだと思うよ。だから、自信をもって」

「はい」

 星崎先輩が小さく応えた。


「でも、油断はできないよね。「キュービットさん」か」

 菅生先輩は、サンドウィッチの最後の1枚を齧っていう。


「木瀬さんは希望を奪われて、ぐちゃぐちゃになることを望んだ。

 籠川さんも、罪悪感や恐怖で潰れる寸前までいってた。

 緋羽ちゃんは、自殺を図ったし、

 野入君も、もしも緋羽ちゃんを救えなかったとしたら…… 彼も自責の念で壊れていたでしょうね」

 菅生先輩の言葉に、俺ははっとなった。

 星崎先輩は、小さくうなずいている。

 俺としたことが、やっと、このとき、気づいたのだ。

 

「籠川さんは警察に事情を話しました。常識では説明のつかない異常な事態も、殺人事件と絡んでいるから、警察は調書を取ってくれます。

 籠川さんを呪いから救うには、恐怖の原因を全部、話して吐き出してしまえばいいと思いました。それで、ちょっと、強引ですけど、警察を利用しました」

 星崎先輩が静かにいう。

 俺は、気づいていなかった。

 籠川は、困っていた萩谷を嘲笑い、無関係な名倉を巻き込んだ。警察に突き出すことに、俺の怒りは、疑問を感じていなかったのだ。


「良い判断と思うよ。警察とか公の法執行機関は、死の穢れに対しても耐性があるから。呪いなんて厄介ごとを押し付けるのは、正解と思うよ。それに―― 調書という公文書に言葉を写し取れば、呪いの一部を調書の中に封じることもできるもの」

「そうなんですか?」

 俺には、こんな話はついて行けない。しかし、理解する必要があると思い始めていた。あの勇気と筋肉の塊みたいな野入ですら、呪いには抗えなかった。

 さらに、俺も呪いを掛けられる側の人間にカウントされているらしいのだ。

 あの不気味な呪いの影を見せられたら、考えたくないことも、考えるしか道がなくなる。


「野入くんの話では、例のタブレットパソコンは、青木くんか広田くんの手に渡った可能性が大きいと思います」

 星崎先輩がため息混じりにいう。

 俺が、野入から聞き出して、報告した内容だ。


「ありゃあ、これは気が重くなる顔ぶれだね」

 青木と広田は、1年生の中でも問題児と知られていた。

 超攻撃的な青木は、俺たち生徒会を目の敵にしている。いや、成績優秀者すべてがアイツにとっては、憎むべき敵だ。

 広田は、控えめにいっても気味が悪い。ネガティブで卑屈で嫌な目をしていた。


「あの、それに、萩谷さんのお話だと、タブレットパソコンは、いまも、この祐久高校のどこかで稼働中みたいなんです。でも、旧校舎理科室を探しましたが、どうしても見つからなくて…… もとえ先輩はどう思われますか?」

 星崎先輩が戸惑い気味にいう。


 月曜日の夕方に、萩谷から、タブレットパソコンが、祐久高校の敷地内でいまも稼働中らしいと情報を得た。

 翌日の火曜日、俺が、飯野緋羽や野入を相手に奔走していたとき―― 星崎先輩は旧校舎の理科準備室でタブレットパソコンを探していた。しかし、どうしても見つけられなかった。


「うーん、GPSないんだよね。そのタブレットパソコンは。バッテリーも10時間くらいも持つんでしょ。学校中の建物を、毎日、ひとつずつ順番に停電させていったら、どの建物内にあるのか? 絞り込めるかも知れないけど、さすがにそんなこと無理だよね」

「はい」

「できないことを考えても、しかたない。青木くんと広田くんに聴くのが、やはり早道だと思うよ」

 そういうと、菅生先輩は、俺に向かい両手を合わせた。星崎先輩も俺を拝んでいた。まただ。青木も広田も俺のクラスだ。俺は、宙を仰ぎたい気分だった。


 ちょうど、昼休み時間も終わりに近づいていた。

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