エピローグ

エピローグ

「お前ら、よくやったぞ。お疲れさん」


 日曜の公演も終わり、観客が全員帰った後の大講堂。朝倉先生が労いの言葉をかけてくれる。


 祭りの後の大講堂は、やけに静かに感じられた。部活動のときと変わらないはずなのに寂しく感じてしまう。それほどまでに楽しかったということだ。


「今日のアンケートは昨日よりも多いぞー。大盛況だな。よかったじゃないか」


 朝倉先生がアンケートの紙をパサパサと振る。

 お客さんには上演前にアンケートを渡してある。わざわざ書いてくれた人が、昨日は三十人ほどいた。


 中には俺の演技を褒めてくれている人もいて……思わず踊りだしそうになるくらい感動した。


「そいじゃ、さっさと撤収! と、言いたいところだが、幸村、神崎」


 朝倉先生が、初めて見るような優しい笑みで俺と神崎にウィンクした。


「一昨日、邪魔したお詫びだ。しばらくの間、貸し切りにしといてやるよ。それじゃあ二人以外は部室に引き上げろ」


 いや、そんな優しげにされても。むしろ茶化すくらいの方がありがたかったのだけど。


「頑張れよー」、と川嶋先輩がニヤニヤしながら肩を叩いていった。

 そうそうこれくらいで……と思ったら、部員全員から声を掛けられた。御厨さんなんか、神崎をバシバシ叩いていた。神崎が羞恥心で真っ赤になっている。やりづらいったらありゃしない。


 みんなが出て行ったあと、


「……二人きり、だね」

「そうだな」


 気持ちを整えるつもりで、舞台面のへりに腰かけた。すると、神崎もすぐ隣に腰を下ろす。


 俺が空の観客席を見つめると、神崎も倣うように観客席を見つめた。

 講堂内にはまだ余韻が残っていて、熱気が立ち込めているような錯覚すら感じてしまう。自主公演ですら百人は集まった。文化祭はこれ以上。恐ろしくもあり、楽しみでもある。

 思いをはせていると、気持ちがだんだんと落ち着いてきた。


 隣の神崎に手を伸ばそうとすると、同じことを考えていたのか、神崎の手も伸びてきた。ぶつかり合って、それがおかしくって、二人して笑ってしまう。

 ひとしきり笑ったあと、神崎が目を細めて口を開いた。


「私、この三か月で凄く変われたと思う。幸村くんに引っ張り上げてもらった。それから……演劇を通して、色んなことを学んで、色んなことを考えて、たくさん成長できたと思う。演劇やってよかった」

「そうだな。俺も成長できた。演劇部に入ってよかった」


 それはもちろん、神崎と出会えたから、というのも含めてのことだ。


「幸村くんから見て、どう? 私、ちゃんと成長してる?」

「そうだなあ。随分と変わったと思うよ。いい方に。最初は役者をやるなんて思ってなかったし。それが成長のきっかけなんでしょ?」

「本当は、変わらない方が、よかったんじゃない?」

「そんなことないさ。神崎が喜んでるのに、俺が否定するわけないだろう」

「幸村くん。本音は?」


 川嶋先輩の真似をして、神崎はにこりと微笑んだ。

 この小悪魔め。と心の中で苦笑して、少し考え込む。


「神崎の魅力は、誰にも知られたくなかったかな」


 前髪から覗いた神崎の目が、驚きに見開かれた。

 予想以上の反応で、俺は内心ほくそ笑んだ。俺は正直な気持ちを言っただけなんだけど。まあ、これくらいの意地悪は許されてもいいだろう。

 すると神崎は、左肘の辺りの袖をきゅっと掴んで、少しだけ寄りかかってきた。


「もしかして仕返し?」

「ホントは、恥ずかしい」

「俺は凄く恥ずかしい」

「うぅ……なら、勝ち」

「これ以上恥ずかしがらせるなら……」


 顔をゆっくりと近づけると、神崎は一瞬だけピクリと身体を跳ねさせて、視線を彷徨わせる。けれど満更でもなさそうなのは、俺の都合のいい妄想だろうか。

「その……これ以上するのは勇気がないや」

「……バカ」


 シンプルに罵倒された。でも、含み笑いが混じっている。


「でも、そんな幸村くんだから、信用してる」


 つまり、もし本当にキスをしていたら、愛想を尽かしたということ?

 聞いてしまいたい衝動に駆られるが、それは野暮なのだろうか。


 すれ違いを繰り返したのに、やっぱり、言葉にしないと伝わらないことはたくさんあって。でも、言葉にするのも、聞いてしまうのもまだ怖くて。


 だから、言葉を発する代わりに、俺は神崎の手を取って、ぎゅっと握りしめた。

 演技のときとはまた違った恥ずかしさと、嬉しさが込み上げてくる。胸がいっぱいになって、充実感に包まれる。


 神崎は上目遣いに俺の顔を覗き込んだ。俺は何も言わず、ただ神崎の手のぬくもりを確かめ続けた。

 少なくとも今は、今だけは、同じ気持ちのはずだから。


「文化祭、頑張ろうな」

「うん」


 二人ならやれる。根拠はない。

 でも。


 心の中に湧いてくる、温かなもの。それは確かなものだから。

 一緒に育てていければ、何にだって立ち向かえる。そんな気がしてくるのだった。

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神崎茉莉也は舞台に上がる 愛宕栄太 @atago-eita

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