9 再会。そして……。

 神崎と二人で駅に向かうというボーナスタイムが終わりを告げ、目的地に到着。

 もうすぐやってくる舞台の話ばかりになったけど、雰囲気は悪くなかったと思う。


 さてさて。まず俺は今日、神前織江に嫌われないようにしないといけない。将を射んとする者は、というのはガッツリ考えてます。取り繕いません。はい。


 駅前のオブジェ。金属の棒を三本曲げて、うねうねと織り込んだ作品だ。タイトルは『蓋然性宇宙の真理』。何をモチーフにしてるのか微塵もわからない。待ち合わせ場所によく使われるが、おかげで大抵、人がごったがえす。今日はいつもよりさらに人が多い。機能しているのかしていないのか。


 神崎が周囲をきょろきょろと見渡していると、サングラスをかけ、帽子を被った女性がこちらに歩いてきた。


「ハ~イ、茉莉也。久しぶり。会いたかった~」


 ギュッと抱きしめられる神崎。お姉さんは背が高くて、前かがみになる形で抱きしめられた神崎は、顔に胸を押しつけられて窒息しそうになっている。俺はもちろんガン見した。仕方がない。神様は許してくれるさ。


「お姉ちゃん、苦しい……」

「ああ、ごめんごめん」


 ぱっと離すと、神崎は顔を真っ赤にして後退った。

 それから、お姉さんは俺の方をくるりと向いて、チャッとサングラスを持ち上げる。


 テレビで見る神前織江その人だった。


 思わず周囲を窺って、バレていやしないか確認してしまう。その様子を楽しむように、サングラスを戻しながら神前織江は喉を鳴らした。


「君が幸村颯斗くんね。話は聞いてる。いつも妹がお世話になってます」

「いえ、こちらこそ」


 折り目正しく頭を下げられたので、俺はそれよりももっと下へと頭を下げた。往来で何をしてるんだろう。


「私のことは、気軽に織江って名前で呼んでくれていいから」


 番宣でバラエティーに出たりもするけど、その印象とほとんど変わらない。明るく陽気で、実に気さくな人だった。心の中でも何と呼べばいいのか定まってなかったので、ありがたく織江さんと呼ばせてもらう。


「お姉ちゃん、一人なの?」

「別の場所で待機してもらってるの。さ、待たせちゃ悪いから行きましょう」

「待たせてるの、お姉ちゃんじゃない……」


 ちょっとうんざりしたような神崎。たぶん、これが織江さんの平常運転なのだ。今日は神崎は苦労するんだろうなあ、とすぐに感じ取ってしまった。


 オブジェから離れ、ショッピングモール入口へと移動すると。


「いたいた」

「――え、あれって」


 ショッピングモール前のベンチ。そこに座っていたのは、


「日下部!」

「幸村……?」


 驚いた顔で立ち上がった日下部を見るに、彼女も俺がここに来ると聞かされていなかったようだ。


「イェイ! サプライズ成功だね!」


 無邪気に喜ぶ織江さん。こういう仕草は、神崎とは対照的だ。


 まったく、少し考えればここにいるのが日下部だってわかったはずじゃないか。

 神崎が『気になる』って言っていたことから気づくべきだった。

 なるほどね。俺を天ヶ崎高校に誘った、強豪・浅葱高校の部員。俺は散々、日下部は凄い、と連呼したんだから、気になるのも当然と言える。


「なんで幸村が……」

「その、神崎と同じ学校なんだ」

「いや、それは知ってるんだけど……」


 神崎が天ヶ崎だって聞いてれば、俺にも行きつくか。


「織江さんは、日下部とどんな関係で?」

「ヒントは、私の出身校」

「出身校?」


 織江さんの出身校って明かされてたっけ? ファンの間では有名なのだろうか。


「やっぱり知らなったね。茉莉也に口止めしといて正解だったなあ」

「お姉ちゃんは、浅葱高校に通ってた」


 俺は、日下部と織江さんを交互に見た。


「じゃあ、浅葱校演劇部のOGなんですか」

「そうだよ」


 織江さんは誇らしげに胸を張った。


「二週間前に、久しぶりに演劇部に顔を出してみたんだ。お忍びでね」


 信じられないくらいアクティブだ。やりたいことを全力でやっている。そのバイタリティーには舌を巻く他ない。


「あの騒ぎは快感だったなあ。私、こんなに有名になったんだ、って」

「騒ぎで練習どころじゃなくなりましたけどね」

「それが目的というか、チヤホヤされに行ったんだもん」

「後輩たちで遊ぶのはやめてくださいよ」

「お姉ちゃん、趣味悪い」

「ありゃ、総スカンだ」


 妹と後輩から非難されても意に介していない。


「幸村くんなら、わかってくれるよね」

「わかるかどうかと言われれば、まったくこれっぽっちもわかりません」

「斬新!」


 鈴を転がすような声でケラケラと笑って、神崎を後ろからギュッと引き寄せる。


「私だって寂しいんだよ? 帰ったら一人っきりだもん。休みがないと家族にも会えないし。先週は茉莉也も部活に行ってたし、天ヶ崎に顔出すわけにもいかないじゃない? 少しは構ってほしいときもあるの」

「そんなだから、彼氏に逃げられるんだよ」

「逃げられたって言うな! 私からフッてやったんだもん!」


 と、神崎を突き放しながら、今度は日下部に真正面から抱きつこうとする。


「……うああん! 日下部、慰めてぇ!」

「間に合ってます」


 手を前に突き出して織江さんを押しとどめる。とんでもない度胸だ。


「うぅ。かわいげがないなあ」

「結構です。いりません。そんなの」


 ふぅっ、と一息ついて、ケロッと織江さんは表情を変えた。


「ま、こういう冷めてるのもいてね。びっくりだよ。みんな浮ついてる中で、『演技を教えてください』、なんて言い出すの。みんなちょっと引いてたよ」


 ああ。なんか、日下部らしい。ミーハー根性よりも自分の成長。高校に上がっても変わっていないんだな、と安心感を覚えた。


「いいんですよ。普段は仲がいいですから」

「日下部なら、誰とでも仲よくなれそうだよな」

「それは買いかぶり過ぎだけどね」


 と、苦笑い。決してそんなことはないと思う。淡々としているけど、人情味はあって、日下部を敵視している奴なんて見たことがない。


「ま、実際、私とこうやって一緒にいるわけだよね」

「織江さんが強引に誘ったんじゃないですか」

「だって、何か面白そうだったんだもん」


 なんて傍迷惑な人だろう。しかしそれも魅力的に見えるのだから不思議なものだ。


「やっぱり後輩を振り回す。私を巻き込まないでください。幸村はともかく」

「俺を差し出すな」


 織江さんがグルンと首をこちらに回して、近寄りながら、手をワキワキさせ始めた。


「お姉さんと、いいことしないかい」

「そうですねー」

「うーん! 日下部と幸村くん、なんか似てるなあ!」


 そういう評価もあるのか、と驚いた。今まで言われたこともないし。


「それで、面白そうって、何が?」


 神崎が織江さんの腰に後ろから両手を回して、織江さんを俺からズルズルと引き離しながら訊ねた。


「日下部にね、私の恩師が天ヶ崎校にいて、妹がその演劇部に入ったって言ったの。そしたら日下部が、同級生に天ヶ崎を勧めたって。これって運命じゃない?」


 いったい何の、そして誰と誰の運命だろう。


「縁ではあると思いますけど、運命ではないでしょう」

「そんなの言葉遊びでしょ」

「どっちがですか」

「お姉ちゃん、サラッと人の個人情報、ばらさないでよ……」


 小さい声ながらも威圧感のある響きで睨む神崎。

 しかし織江さんは、開き直って肩をすくめる。


「同期が一人だけ、って言ってたからどんな子か確かめたかったのもあるの。お姉ちゃん、心配だもん。でもよかった。話に聞いてた通り、いい子そうで」

「お姉ちゃん!」

「織江さん!」


 日下部も俺のこと話題に挙げてたのか。織江さんの口ぶりからするに、褒めてくれたんだろう。ちょっと中身が気になる。


「だってよ、幸村くん」

「俺はどんな反応をすれば」

「喜んでいいんじゃない?」


 自惚れたいけど、揺り返しが怖いので過度な期待しないのが俺のスタイルだ。


「そういえば、お姉ちゃん、何を買いに行くの」

「うーん。どうしよっか」


 何も考えてないんかい!

 妹と会って、俺と日下部を引き合わせて。そっちがメインだったのか。

 三人揃って思い切りため息をつく。日下部なんて、今にも帰らんばかりの雰囲気だ。


「せっかくだから服でも見ていこっかな。ようやくちょっと落ち着いてきたというか、たまたま最近スケジュールが空いただけで来週から忙しいんだけど。だから今のうちに買えるものは買っておこうかな」


 慌てたように、織江さんがまくし立てる。


「どれくらい先まで埋まってるんですか」


 このままではかわいそうなのでそう尋ねると、織江さんは顎に指をあて、


「何を、っていうのは秘密だけど、ドラマと映画が一本ずつ決まっててね。他にもオーディション受けたり……二か月くらいは休みないかなあ」

「それでたまの休みも妹や後輩を冷やかしに動き回っているんですから、随分と行動派なんですね」

「棘があるなあ!」


 頬っぺたを指でグリグリされ、日下部がうざったそうに視線を外す。本当に大物だよ、日下部。


「私は止まったら死んでしまうのさ」

「回遊魚の一種ですか」

「お姉ちゃん、マグロなんじゃない?」

「そうそう。泳ぐのを止めたら死んじゃうの。だから休みの日も必ず身体を動かし続けて、人生という荒波の中を泳ぎ続けてるんだよ。茉莉也の言う通り。色んな人から、マグロみたい、って。そう、たとえばベッドの上でも。別れるころに、彼氏もそう言ってたっけなあ。失礼しちゃうよね。思えばあのころから彼はよそよそしく……って誰がじゃコラア! おい妹! 言っていいことと悪いことがあるぞ!」

「痛い痛い!」


 こめかみをげんこつでグリグリされ、神崎が叫ぶ。結構本気でやってるように見える。


「やっぱり捨てられたんじゃないですか」

「二人とも、毒を吐きすぎだろう……」


 さすがにこれ以上は不憫すぎる。この二人、血も涙もない。


「しっかし妹よ。男子がいるのに、平然と下ネタを言うようになったんだねえ。お姉ちゃん、心配だなあ」


 織江さんが曲解して膨らませただけのような気もするけど。


「あ……あぅ……」


 恥ずかしそうにうつむく神崎。本当にそういう意味で言ってたんだ。


「シェ、シェイクスピアを読んでたから……」

「つまり、下ネタが多い作者の本を読んでたから影響されちゃったって? そっちの方が心配だなあ」


 意地悪く妹を責め立てる織江さん。どっちもどっちだった気がするので、俺は決して仲介には入らない。藪蛇はごめんだ。


「そこんとこ、どうよ。幸村くん」


 と思ったら蛇の方から突っ込んできた。正解は藪に近づかないことだった。もうすでにどうしようもない。


「あまり触れないでいただけると――」


 助けて、と神崎から目で合図を送られた。

 いいの? 恩は売っておくよ? 俺、そんなに優しいやつじゃないからね?


「別にそれくらい、いいんじゃないでしょうか」

「だってさ、日下部。女は肉食系の方がいいんだってさ」

「なぜ日下部に振るんですか」


 当の日下部は、神崎を見て鷹揚に頷いた。その心の裡がまったく読めない。


「そっか。幸村は、肉食の方が好きなんだ」


 日下部はそう呟くように言うと、なぜか自分の腕を、俺の左腕へと絡めてきた。

 近い。なんかいい匂いする。あと胸が微かに当たっている。まつ毛長いな。腕も筋肉がついているけど、柔らかくて――。

 いろいろな煩悩が、一気に脳内を駆け巡って撹拌されていく。

 友達の、しかも中学校から知っているから、その頃の日下部が重なって、成長しているのだと否が応にも実感させられる。心臓がバクバク言って止まらない。


「お、おい」

「まあまあ。私たちの仲じゃん」

「いや、こんなことしなかっただろ」

「ふふっ」


 ニヤニヤ笑いながら、日下部は神崎を見る。

 ぷくっと膨れていた。怒ってるようだけど、かわいいなと思ってしまう。


「か、神崎……?」

「別に」


 プイッと顔を背けられてしまう。

 いや、デレデレしたのは悪かったよ。でも、そこまで怒ることじゃないんじゃない?


 これって、ヤキモチ?

 期待はしない。そう思っていたはずなのに、邪念が溢れ出してくる。この状況、俺にはどうすればいいかわからんぞ。


「それじゃあ、買い物、行こっか」


 完全に面白がっている織江さんは、神崎を連れてショッピングモールの中へと向かう。

 前に神崎姉妹。その後ろに俺と、腕を組んでくる日下部。無下にもできず、そのまま振りほどけないでいる。

 日下部は、明らかに神崎の反応を見て面白がっている。後ろをチラチラ振り返る神崎を見ては、笑いをこらえきれずに噴き出す。いい性格をしていらっしゃる。


 正直、混乱している。

 神崎は俺のことをどう思っているんだろう。

 憎からず思ってくれていると思う。でも、それはどこまで?


 友人として? だとしたら、どうしてあんなに不機嫌になっているのだろう。

 じゃあ異性として? 

 そんな素振り、今まで見てこなかった。いきなりの変化で考えがまとまらない。


 日下部も、織江さんも、神崎の異変には気づいているわけで、そんなにわかりやすいということはやっぱり……?


「ねえ。幸村」

「お、おう」

「今、違う女のこと考えてない?」


 なんというベタな台詞。絶対にわざと言っているだろう。案の定、神崎がピクリと肩を震わせた。


「なあ日下部。何がしたいんだよ」

「どうだろうね。自分の胸に聞いてみたら?」


 自分の胸に?

 つまりあれか。日下部は、俺が神崎を意識していることに気づいているのか。

 これは、俺の背中を押すために……? 

 神崎にちょっかいを出すのも、俺を意識させる、サポートのためなのか。


「ダメだ。わけわからなくて熱が出そうだ」

「このヘタレ童貞」


 決めつけんなよ。そうだけど。お前はどんだけ経験豊富だよ。セクハラになりたくないから言わないけど。


「そういや、日下部も結構下ネタ言ってたよな」

「へ? ああ、うん。まあ、そうだね」

「だから気にならないのかも」


 そう言うと、神崎からもの凄く睨まれた。思いついたことをそのまま口に出したのだけれど、ちょっと火に油を注ぎすぎたかもしれない。

 そして、神崎の視線を受けて、日下部が楽しそうにくつくつと笑った。まったく、いい性格をしてるよ。

 と、不意に前の織江さんが立ち止まって、合わせるように日下部も止まる。

 そのとき、ぐっと俺の腕が引っ張られて、肘ががっつり日下部の胸に当たった。


「あ、その、すまん」

「……スケベ」


 蠱惑的な笑みで、日下部が見上げてくる。

 ちょっと待て。その顔は間違いなくやりすぎだ。もう神崎の全身から炎が上がっている。何か意図があるにしても、これは逆効果だろう。俺、これから口きいてもらえるかな。


 織江さんに救いを求めると、


「じゃあ、まずは下着から」

「俺いるんですけど」


 何を言い出すんだこの人は。


「いいじゃん。そのまま日下部の彼氏っぽく振舞ってれば」

「恥ずかしいですって」

「幸村に彼女ができたときの予行練習だと思えばいいんじゃない?」

「俺はそもそもここに入りたくないの!」

「茉莉也はどう思う」

「えっと、私に言われても……」


 急に矛先を向けられてしどろもどろに。ちょっとだけほとぼりが冷めただろうか。織江さんに心の中で感謝。


「なんなら、ほら、茉莉也が彼女役をやってもいいんじゃない?」

「え、そ、それは」


 上目遣いの破壊力が、凄まじい。

 日下部だって魅力的だ。そんな子にくっつかれて、嬉しいに決まっている。

 でも、俺は神崎に心底惚れ込んでいるのだと、こういうところで再認識する。日下部の術中にまんまとはまっているようで癪ではあるが、自分の気持ちに嘘はつけない。


「演劇と同じ。そういう設定だと思って、即興劇で」

「うう……あまり下着を選ぶところ、見られたくない、かも」

「私も、彼氏を連れ込むのは抵抗がありますね」

「じゃあ何で引き留めたんだよ!」


 笑って日下部が腕を離す。完全に遊ばれている。まあそれも楽しいんだけどさ。


「じゃあ、そこのベンチで待ってますんで」

「ごめんね~。後で埋め合わせするからさ」

「私もお願いしますよ、先輩」

「もちろん、私も」

「たかるな~! いいけどさ」


 そう言って、織江さんは豪快に笑う。


 買い物が終わった後は、本当にレストランで奢ってもらった。さすがに高いのは頼まなかったけど。それでも四人ぶんポンと出した織江さんは、いろいろな意味で大人だった。無邪気というか、いたずらっぽさも全面に出ていて、大人と子どもが同居しているようでもあった。それが神前織江の真骨頂なんだろう。

 こんなお姉さんを持っていては、そりゃあコンプレックスを感じるのも無理はない。


 けど、その中で確固たる自分を持って前に進む姿は、神崎の魅力の一つだ。

 織江さんの明るさも、神崎にいい影響を与えているはず。

 織江さんに劣等感は持っていながらも、しかし確実に、織江さんの存在で今の神崎があるのだ。そう思って、心の中で感謝をするのだった。


 そして、もっと成長して変わっていく神崎を横で見ていたいと、心からそう思った。

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