8 悩みの理由?

「幸村くん」


 翌日。購買にパンを買いに行こうと廊下に出たところ、後ろから神崎に呼び止められた。

 伏し目がちの神崎が、おずおずと声を掛けてきた。それだけで心臓がドクンと跳ねる。

 昨日言っていた、お願いごとというやつだろう。単に会話できるのが嬉しいし、頼ってくれたのが舞い上がりそうなくらい嬉しかった。


「ちょっと付き合ってほしいの」


 ……もちろん、わかってますよ。どこかに行く、という意味だ。

 でも一瞬、ほんの一瞬、「付き合う」という響きにドキッとしたのも事実だった。


「えっと、どこに?」

「天ヶ崎駅前のショッピングモール」


 あれ? これって、つまりデートの誘いになるんじゃ。


 ええ。これもわかってます。何か目的があって、それには何故か俺が適任で、言うなれば荷物運びみたいなものなのだ。荷物持ち、是非ともです。


 他に誰かいたとしても、一緒にお出かけ。それだけで踊りだしたくなるくらいだ。


 と、そこで急に、嫌な予感に襲われた。

 ちょっと待て。まさか、「好きな男の人ができたから、デートに誘う予行練習がしたいの」、とか、「好きな人の好みをリサーチしたから、買い物に付き合ってほしいの」、とかだったら立ち直れなくなるぞ。


 そうだ。だとしたら、最近の神崎の物憂げな態度が腑に落ちてくる。

 汗が一筋、背中をタラ―ッと流れ落ちた。落ち着け俺。冷静になれ。

 無理。冷静になんかいられない。とりあえず、できる限り平静を装わないと。

 やべえ。急に続きを聞きたくなくなった。怖い。本当に怖い。


「そりゃまた、どうして」


 震える声で訊ねると、神崎は少し訝しんだ表情になった。

 やばい、冷たく突き放したように聞こえたか。と慌てて手を顔の前でパタパタと振る。


「いや、大丈夫、もちろん付き合うよ。ただ、突然どうしたのかなあって」

「ごめん。本当に突然なんだけど」


 やめてくれ。嫌な予感、当たらないでくれ。

 祈り、すがるような気持ちで、神崎の言葉の続きを待つ。

 わすか一、二秒ほどのはずが何分ものように感じる。思考の奔流が止まらず、正確な時間感覚が失われている。

 そんな長い体感時間を経て、神崎がようやく口を開いた。


「お姉ちゃんが、一緒に買い物をしよう、って」

「ふぇ?」


 素っ頓狂な声を上げてしまい、神崎が小さく噴き出した。恥ずかしさで顔が火照っていくのがわかる。


「その、お姉ちゃん、今日明日が急にオフになったらしくって。家に戻ってきてるの」

「はあ」


 超売れっ子だから、二日連続のオフというのは珍しいのではないだろうか。ゆっくり休みたいだろうに、わざわざ帰ってきて妹と遊ぶとは。よっぽど妹が大好きなんだな。きっと神崎と一緒にいるのが、何よりの休養なんだろう。


「それで、今から買い物に一緒に」

「えっと、何で俺も?」


 姉妹水入らずに、俺なんかが邪魔をするのは忍びないぞ。


「共通の知人がいるとかで、四人で会おう、って」

「うん。う、ん……?」

「お姉ちゃんとは頻繁に連絡を取り合ってて、幸村くんのことも話してあるの」

「うん」

「最近、幸村くんと共通の知り合いがいることに気づいたみたいで……」

「俺の知り合いを、神崎のお姉さんが知っていると」

「そうみたい」


 ……検索。検索。

 該当なし。まったく、これっぽっちも心当たりがない。

 そもそも、神前織江の交友関係とか、全然知らない。知るわけがない。


「誰だろうな。朝倉先生、ならそう言うだろうし……って、その人の名前、聞いてるんじゃないの」

「それが、教えてくれなくて」

「サプライズ、ってことかな」

「お姉ちゃん、そういうもったいぶった話し方、大好きだから」


 棘がある。小さな毒が漏れ出ている。これがちょっと癖になるのだ。完全に毒されてますね、俺。


「あと、ヒントを与えたら絶対バレるから教えない、って」

「はあ。それじゃあ、案外と近しい人だ。気になるな」

「私も、気になる」

「どうして?」

「ヒントになるから、言わない」


 気になるような人物って、いったい何だ。そもそも俺の知り合いがなんで気になるんだ。謎が幾つものしかかってくる。


「相手が誰だか、神崎はなんとなく予想がついてるのか」

「ヒントになるから、言わない」


 それはもう、ヒントだと言っているようなものだろう。

 つまるところ、俺が話題に挙げたことのある人物だ。

 いや、俺との共通の知り合いどころか、神崎と三人の共通の知り合いかもしれない。


 となると、御厨さんか、あとは三枝とか……。

 だとしたら、何で俺を呼んだんだって話になるんだけどね。


 それともう一つ。

 神崎は、いったい何を悩んでいたのだろうか。

 それは今日、神崎のお姉さんに会えばわかるのだろうか。

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