3 これから目指す道
部室の鍵を返しに職員室へと向かう。神崎は、昇降口で本を読みながら待ってる、と言ってくれた。女子と二人で下校である。一緒に帰ってくれるのは、純粋に嬉しい。
「失礼します」
何回か足を踏み入れているというのに、これがどうにも慣れない。中学校とはまた違う厳粛な緊張感が漂っている。
「朝倉先生、鍵を返しに来ました」
「おう。お疲れさん」
机に座って何やら作業をしていた朝倉先生にポン、と手渡したとき、ふと調光室での神崎との会話を思い出した。神崎を待たせている状態で悪いとは思うものの、今訊かないとまた忘れてしまうだろうから、数分だけ。
「質問、いいですか」
「……ここで問題ない質問か?」
俺の態度が張り詰めていたからか、朝倉先生は一転して真面目な声音になった。ごめんなさい。俺が単に職員室に慣れていないだけなんです。
周囲の席には、他の先生方はいない。ドーナッツ状に誰もいない、というちょっと寂しいことになっていた。
「その、朝倉先生次第と言いますか」
「私に関することか。構わないよ。なんとなく予想ついたから」
「それじゃあ、遠慮なく。先生は、前は浅葱高校にいたんですよね」
「そうだよ。神崎から聞いたんだな」
「はい」
「それが、どうかしたのか」
「どうして浅葱を離れたんですか」
ストレートに問いかけると、朝倉先生は考え込むように天井を仰いだ。
「興味本位ってだけじゃなさそうだな。なんでそんなことを聞く」
「友人が浅葱に行ったんです。演劇の強豪だから、って」
「強豪。強豪か。そうだな。とりわけ、織江がいたときは強かった。全国でも、入賞こそ逃したが、戦えはしていた」
「その神前織江を育て上げた先生が、どうして天ヶ崎に来たんですか」
鋭い視線を俺へと送ってくる。怒っているというよりは、面倒そうという感じだ。
「こっちの方がいい待遇で欲してくれたからだな」
「それだけ、ですか」
「食らいつくねえ」
先生は億劫そうにしながらも、苦笑いしてから俺の質問にしっかりと応えてくれる。
「高校演劇に疲れたんだよ」
高校演劇。日下部が言っていた。「演劇部の大会のため」の演劇だ。
「言っておくが、高校演劇を否定しているわけじゃないぞ」
先生は、流れるような手つきでポケットからタバコを取り出し、はたと気づいてしまいながら舌打ちをした。普段の素行が手に取るようにわかる。
「ただな、大会のための練習っていうのが性に合わなかったんだ。もっと自由にやりたくなったんだよ。勝つためじゃない。自分のための演劇をしたくなったんだ」
「自分のため、ですか。お客さんのためじゃなくて?」
しまった失礼な物言いだったか、と後悔したが、
「バカかお前」
呆れた表情と言葉に反して、口調は慈愛に満ちたような優しさだった。
「客のため。それは当たり前だ。けどそもそも、自分が楽しまないで、それを見せないで、本当に客を楽しませられると思うのか」
ガツン、と頭を殴られたような衝撃に襲われた。
観客のため。そして、自分のため。
一緒に楽しむ。舞台上も、観客席も、一緒に。同じ空気を共有する。
神崎や日下部のような立派な志を、俺は持っていなかった。でも、俺の考えも一方では間違っていなくて。
ただ足りなかった。一歩先を考えられていなかった。やっぱり俺は、まだまだ色々な意味で甘かった。
「ま、持論だがね」
そう言って、朝倉先生は相好を崩した。
神崎のお姉さんが慕う理由がわかった気がする。俺も、大切なことを教えてもらった。
「ありがとうございます」
「ん? まあ、何か知らんが、納得できたならそれでいい。せっかくだから楽しめよ」
「はい。頑張ります」
「おう。頑張りすぎんなよ」
頭を下げて、俺は踵を返した。
胸のつっかえが取れて、とても清々しい気分だった。
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