この事件の持つ意味について

 19世紀末の欧米において、いや、20世紀になってからも、白人男性達が忌み嫌うものがあった。それは黒人男性と白人女性の恋愛、結婚である。1950年代に白人女性に口笛を吹いただけで凄惨なリンチを受けたエメット・ティル少年をはじめ、白人女性に色目を使ったというだけで、リンチを受けたり吊るされた黒人男性の実例にはきりがない。ちなみにエメット・ティル少年の顔面の損傷度は、どんなホラー漫画でも描写できないほどであり、そこに込められた白人達の醜悪な残虐性がありありと伝わってくる。もちろん、彼をリンチした白人男性二人組は、白人陪審員達のおかげでめでたく無罪になった。

 そんな時代にである。

 コナン・ドイルは白人女性と黒人男性のカップルの設定を創り出し、さらに白人男性の依頼人を一度は黒人男性の妻となった白人女性未亡人の再婚相手とし、前夫の黒人男性の血を引く娘を引き取らせたのである。

 この事件の真相について、実はワトソンは『とても気分のいいもの』としている一方、ホームズは目立った感想は述べていない。

 しかし、忘れてならない点として、ホームズの頭の中に白人女性と黒人男性のカップルという発想は当初全くなかったのである。だからこそ、彼は完全に的外れな推理をしてしまった。人種によってステレオタイプのイメージを抱くというのは、人種差別の一つである。黒人はバスケが上手い。日本人は英語が下手。イギリス人は料理が下手。白人女性が有色人種の男性を結婚相手に選ぶはずがない、というのももちろんステレオタイプのイメージである。実際にはバスケの下手な黒人もいれば、英語に堪能な日本人、料理の上手なイギリス人もいる。もちろん日本人をはじめ、有色人種の男性と結婚する白人女性もいる。ずば抜けた観察眼と圧倒的推理力を持ち、バイオリンを嗜み、最先端科学の知識を持ち、ボクシング、バリツの達人である完璧英国紳士名探偵のホームズでさえ、そのようなステレオタイプのイメージを抱いてしまった。これは名探偵としては致命傷になりかねない。

 どんな事件であれ、依頼人であれ、客観的に判断しなければならないのだ。思い込みで推理をすると、全く的外れな結論を出してしまうことがある。まさに今回のホームズのように。つまり人種差別的な思考と名探偵であることは、正反対に位置するものなのである。

 ドイルはこの事件を通してそれを示し、ホームズはそれを受け入れた。自らの失敗を認め、今度自分が傲慢になっていると思ったら忠告するようワトソンに頼み、この話は幕を閉じる。

 これこそ、現代に必要な精神ではないだろうか?人種差別的な思考、ステレオタイプのイメージは判断を誤らせる。それは経済的損失や戦いやゲームの敗北につながりかねない。シャーロック・ホームズはそれを理解していたからこそ、100年経った今も史上最高の名探偵なのだ。

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何故、『黄色い顔』はシャーロック・ホームズを史上最高の名探偵たらしめたか? 白兎追 @underscary

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