10.悪魔の力の使い道_01

(動けるかどうかわからないから放っておいたけど、全く動く気配が無いんだよね、あのお嬢さん)


 この部屋に入った時、中央に女性が倒れているのには真っ先に気付いていた。それでアタシのゴブリンへの所業を見て、一人で逃げられるならそのまま逃げて貰おうと思っていたのだ。だから扉は開けっ放しでそのまま放っておいた。だが、彼女は全く動きを見せない。


(ん?よく見たらあのお嬢さん、翼がある。ヴァルキリー?な訳ないか。羽が茶色いし、それにヴァルキリーならゴブリンには負けないだろうし)


 彼女は翼こそ生えているものの、ヴァルキリーではない事は容易に想像できた。ヴァルキリーはゴブリンに負けないからだ。

 悪魔化したアタシはヴァルキリーを一捻りできるがそれはアタシが馬鹿力なだけで、ヴァルキリー自体は普通の人間に比べるとどうもかなりの怪力を誇るらしい。アタシは昨日マース達とテントで寝る前に、ヴァルキリーがこの世界においてどの程度の強さなのかを聞いた。マース曰く白い方のヴァルキリーでも並みの戦士では容易に力負けする、英雄認定された人間の内3割程度は白ヴァルキリーに負けている、ゴブリンが数十体集まってもどうにかなる相手ではない、とのことらしい。

 じゃあアタシとキートリーはどうなるのさって話になるが、要はアタシとキートリーがおかしいだけだとのこと。フライアに至っては論外。因みにボースもとっくに英雄認定済み。キートリーと同じく一撃で終わらせたらしい、なんなのあの親子。


 ヴァルキリーの話は置いておいて、アタシは彼女の前に正座して倒れている彼女を観察する。


(酷い、翼が折られてる。それだけじゃない、足も。徹底的に逃げられない様にされてる。こりゃ動けないハズだ)


 十中八九ゴブリンにやられたのだろうが、彼女の翼は両翼ともにあらぬ方向へ折られていた。足も鈍器で殴られたような跡があり、翼と同じく変な方向へ曲がっている。そんな状態で、彼女は血と汗と、そして異臭の原因なほんのり黄色い液体にぐちゃぐちゃにまみれているのだ。


(成体のゴブリン、外に大小合わせて20体は居たよね。そいつら全員に、ってところか)


 アタシは傍に座り込み彼女の上半身に顔を近付け、呼吸の確認をする。


(息はしてる、してるけど)


 弱弱しい呼吸音。そしてアタシは彼女の顔を見てしまう。


(この子、目を……)


 彼女の目は潰されていた。閉じた瞼から赤い血を、両目から赤い血を垂らしていた。


(ゴブリンは狡猾で残忍、と言うのはよく聞いた話だけど)


 アタシは彼女の赤い涙を拭こうと手を伸ばす。だが、彼女の瞼が凹んでいるのが目に入ってしまった。通常ではありえない状態に、余りの惨状に、萎縮して思わず手を止めて引っ込めてしまった。


(ここまでしてしまうモノなの?昨日のパヤージュはここまで酷い事はされてなかった。でももしかしたらパヤージュもこの子と同じように目を潰されていたかもしれないってこと?)


 パヤージュの綺麗な水色の瞳、それが潰されるのを想像したら、怒りで思わず拳に力が入った。


(ここまでする必要はないじゃん、苦しめる必要はないじゃん……)


 憤るアタシ。自分のぎゅっと握りしめていた手を解いて、彼女をまた眺める。相変わらず動く気配のない彼女。

 アタシはふとここで昨日のパヤージュの時と違って、今のアタシが色々持っていない物がある事を思い出す。


(身体を拭いてあげたいけど、ティッシュは持ってきて無いし)


 昨日はウエストポーチにウェットティッシュ、ペンライト、サラガノから貰ったスタミナ回復薬を入れておいた。だが今日はウエストポーチ自体が無い。今のアタシは拭くものも照らすものも癒すものも持っていない。

 アタシはじっと自分の手のひらを見た、青い手だ。まだそれほど汚れていない。だから、彼女の汚れを落とすには十分だろう。


(手でいっか)


 アタシは手で彼女の身体についた黄色い液体を拭う事にした。やらないよりかマシだ。とりえあず触っても痛くなさそうな、大丈夫そうなところ、と彼女の身体を確認していたら、


(あれっ?付いてる。もしかしてこの子、男の子?)


 上からチラっと股間を見たところ、女性には付いていないはずの物が付いている。どうもこの子は男の子のようだった。よって彼女ではない、彼だ。ただ股間のモノもご丁寧に潰されていた、それも両方ともだ。もはや中身の存在しない、無惨に赤黒く縮こまっている袋。


(えげつない……)


 ここでアタシは疑問にぶち当たる。


(でもどう言う事?最初に会ったゴブリン達は女って言ってたのに?)


 ゴブリンは鼻が良い。今日最初に遭遇したゴブリン達も、アタシの姿を見ずに木に付いていたアタシの匂いから、アタシが女ってだと言うのを見抜いていた。だから目の前の彼を女性だと間違えたと言うのは考えにくい。


(男の子だと分かってて乱暴したの?ゴブリンが?)


 単に鬱憤晴らしでこの男の子に乱暴した可能性はある。だがそうすると彼の身体にこびり付いている黄色がかった液体の説明が付かない。ゴブリンが男性に欲情するなど、少なくともアタシは聞いたことがない。それに、最初に遭遇したゴブリン達が女だと言っていた理由も付かない。


(わからない。あ、そうか、聞いてみればいいんだ)


 アタシは当事者達の魂がアタシの中に居るのを思い出した。わからないなら当事者に聞いてみるのが手っ取り早い。


(ちょっとこの巣のゴブリン達、出てこい)


 アタシはアタシの頭の中で、さっき食ったこの巣のゴブリン達を呼び出す。奥の方からゆっくりと近付いてくるゴブリンの魂達。アタシはそいつらに目の前の男の子の事を質問する。


(なんでこの男の子に乱暴したの?アンタ達は男は殺すだけだと思ってたんだけど?)

(ヒヒヒッ、違ェヨ、ヨク見テ見ロヨ)

(ええ?)


 アタシに呼ばれたゴブリンの魂の1体が、アタシに目の前の男の子の身体をもっと見ろと言ってくる。アタシは意識を外に戻し、改めて男の子の身体を観察してみた。上下左右、くまなく確認した。そこで分かった事がある。


(胸が少し膨らんでる、やっぱり女の子?……うわっ、違う、この子両方ある、両性具有ってやつ?初めて見た)


 彼の股間をじっくり覗いて理解する。アタシが男の子だと思っていた子は、男性であり、女性でもある身体をしていた。ふたなりとか半陰陽とか呼ばれる両性具有の人であった。


(フラ爺とも違う、だってフラ爺はあれ、要は胸の大きいおじさんだし)


 アタシは目の前の子の身体をマジマジと観察しながらフライアとこの子を比較していた。どっちも女性っぽい外見だが、決定的に違うのは女性器の有無である。フライアにはそれはなく、あくまでも男だと言っていた。だが目の前の子は違う。


(この子はつまり両性具有の有翼人。この子が特別なのかこの子の人種がみんな両性具有なのか、どっちだかはわからないけど。異世界だから性別すらなんでもありなのかな)


 アタシは驚きながら、頭の中に意識を移す。


(アンタ達の言ってる事は分かったわ。普通の女の子だと思ってた訳ね?)

(ケケケッ、ソウダ、ソレデヒン剥イテ見リャ面白ェ身体デヨォ!)

(ゲギャギャギャッ!翼モ足モ目モ、勿論玉モ潰シテヤッタゼ!良イ声デ鳴クカラヨォ!最高ダッタゼェ!)


 アタシの頭の中で、この巣で喰ったゴブリンの魂達が下品な声で笑っている。こいつらは知らないのだろう、アタシの頭の中で、アタシに気にくわない言動をした魂がどうなるのかを。末路を知っている連中、砂浜でアタシが喰ったゴブリンの魂達は、アタシの意識の前に姿を表しておらず、奥でひっそりと固まっていた。

 では教育してやろう。


(潰れろ)


 -ぱんっ-

 -ぱんっ-


 アタシの意識に一番近いところに居た2体のゴブリンの魂、下品な笑い声を上げていた2体の魂を潰して喰った。


(((ヒッ!?ヒィィ!?)))


 怯え出すゴブリンの魂達。


(この世界から魂ごと消えたいヤツは前に出て、消えたくないヤツは後ろの魂達と一緒に静かにしてて)


 アタシの言葉を聞いて、アタシの意識の近くにいた魂達がさささーっと奥へ引っ込んでいった。


(フン、好キニシロヨ)


 が、1体だけ堂々とアタシの意識の前に立っているヤツがいる。他のゴブリンの魂に比べるとやけに大きい、英雄な弓ゴブリンの魂だ。 


(森ノ中ニ居タコイツヲ仕留メタノハ俺ダ。毒矢デ動キヲ止メタ後、ココマデ引ッ張ッテキタ。ケケケッ、勿論ヤルコタァヤッタゼ?イイ具合ダッタナァ?)


 目の前で魂が潰されるのを見ているのに、悪びれもせず自分が仕留めたと言う英雄弓ゴブリン。


(アンタがこの子の目を潰したの?)


 アタシは少し語気を強めて英雄弓ゴブリンに聞いた。


(俺ハ裸ニヒン剥イテ最初ニ頂イタマデダ。ソッカラ先ハ知ラネエナ)


 彼はアタシの質問は否定する。


(そう……キミは潰さないから。はい引っ込んで引っ込んで)

(クソガッ!)


 悪態を付いて去っていく英雄弓ゴブリンの魂。本当は彼がこの子の目を潰したと言ったなら、アタシは彼の魂を潰すつもりだった。だがギリギリ潰さずに済んだようだ。と言っても大分贔屓目が入ってるけれど。こんなレアキャラ潰すなんて勿体ない。

 アタシは意識を外の世界に戻す。


(さて、事情も聞いたところで、彼?彼女?どっちだ?彼女かな?とりあえず拭いてしまおう)


 目の前に横たわる全身臭う液体まみれの彼女の汚れを拭こうと、まずは彼女の腕に触れたアタシ。すると彼女がピクッと反応した。


「ぁ……ぁっ……や……ぅ……ぃ……」


 彼女が何か喋っているが、弱々しい小さな声量で、さらに声が掠れていてよく聞き取れない。

 アタシは一旦彼女の腕から手を離し、彼女の口元に耳を寄せ、彼女が何を言いたいのか聞き取ろうとする。


「だれ……もう……やだ……」


 微かだが、彼女の言葉が聞き取れた。アタシは彼女に語り掛ける。


「助けに来たよ、言葉わかる?」


 アタシは一応相手が伝心の儀前の、つまり昨日のアタシ状態な流着の民でないか確認するため聞いてみた。

 だが、彼女は、


「ゃ……くる……な……」


 と、アタシを拒否する。


(言葉はわかるけど、来るなって言った?混乱してる?それともアタシの事ゴブリンだと思ってる?)


 実際アタシはゴブリンよりタチの悪い悪魔なので、悪魔が嫌だと言うならアタシにはかける言葉が無くなってしまうのだが。だが彼女がそう言っているとはまだ断定出来ない。

 なのでアタシはもう一度彼女に語り掛ける。


「大丈夫?じゃないのは見てわかるんだけど、動けそう?でもないのはわかるんだけど……」


 彼女の身体を眺めるとあまりにも掛ける言葉が見つからない惨状なため、アタシはイマイチ要領の得ない事しか言えていない。


「もう……やだ……して……」


 彼女はアタシの言葉に返答せず、弱弱しい言葉を続ける。


「ころ……して……」

「えっ?」


(殺してって言った?今殺してって言った?)


 アタシは彼女が言った言葉をもう一度聞き返す。


「今なんて?」

「……」


 彼女は喋らない。


「どうして?どうして喋ってくれないの?どうし……あ、まさか」


 アタシは彼女の耳を覗いた。すると彼女の耳は両耳とも、赤い血を垂れ流していた。


(耳まで潰されてる……道理で返答してくれない訳だ)


 彼女は今、視覚と聴覚を奪われている。アタシから情報を伝えられる感覚はせいぜい触覚と嗅覚ぐらいだ。


(さてどうしたものか。いや、とりえあず何か、拭いてあげよう、手だけど)


 アタシはまた彼女の腕に手を当てる。


「やだ……ころ……して……」


 彼女はしきりに殺してほしいと言っているが、アタシにそれは出来ない。アタシは彼女を助けに来たのであって、殺しに来た訳じゃない。アタシは彼女の腕についた粘性の高い液体を手で拭っていく。


「ゃ……ぃ……し……」

「アタシはキミを助けに来たの、殺しに来たんじゃないよ」


 アタシは手で彼女の身体を拭いながら、サラガノに貰ったスタミナ回復薬を持ってこなかったことを後悔し、苦い顔をしていた。昨日パヤージュを助けた時はあれがあったおかげで、パヤージュは辛うじて命を繋いだ。だけど、今のアタシはそれを持っていない。目の前の翼の折れた彼女は、限界まで衰弱し、視覚も聴覚も奪われ、自ら死を願うほど弱り切っている。今のアタシではただ汚れを拭うだけで、何の助けにもならない。


(なんでスタミナ回復薬持ってこなかったアタシ!何か、何か助けられることは無いの?何か、なんでもいいから)


 アタシは目の前の死を願う彼女に何かしてあげられる事が無いか考えた。アタシはこのまま何もしてあげられないまま最期を迎えさせるのが一番嫌だった。

 まず真っ先に、アタシは導き出してはいけない方法を思い浮かべてしまう。


(安楽死)


 悪魔の力、吸精の力を使った安楽死。悪魔の鎮痛剤、悪魔の麻薬。快楽を与えて痛みを消し、そのまま最期を迎えさせる。他の国は知らないが、アタシの元居た国では相手の同意が有ろうとやれば犯罪な行為だ。


(いや、ダメでしょ、いくら悪魔の力があるからって、ダメでしょ)


 アタシは首を横に振る。アタシはアタシの自分ルール、"殺すのはダメ、喰うのは良い、悦ばせて喰うのがベスト"に安楽死の項目を用意して居なかった。そして人を喰う、と言う覚悟もまだ出来ていなかった。


(そんなの、予想してないよ)


 アタシは顔をこわばらせたまま、自分の考えが浅はかだった事を今更後悔する。


(手の届く範囲内に困っている人が居るみたいから助ける?その人がどう困っているか、どうなってしまっているかも考えないで?馬鹿じゃないのアタシ)


 アタシが自分を責めている間にも、目の前の彼女は衰弱していく。放っておけばもうすぐにでも死んでしまいそうだった。パヤージュと違い、這いずる力すら残っていない。今の彼女は何も見えない、何も聞こえない。そしてアタシはスタミナ回復薬を持っていないし、マースのように回復魔術だって使えない。


(今からマース達をここ連れてくる?いや、この様子じゃきっと間に合わない)


 このゴブリンの洞穴はマース達ボーフォートの兵達の前戦キャンプから優に20km以上は離れている。マースに伝えようにも、ここからはアタシが全力で走ってもすぐには戻れない。マースに事情を話し、一緒に来てもらったところで彼女の傷の具合からして間に合わないだろう。そしてアタシがこの子を抱えて戻ると言う方法もあるが、何より身体中の骨が折られている彼女を持ち上げたら、痛みでそのまま彼女は死んでしまいそうだった。だからこれも出来ない。

 八方塞がりになりつつあったアタシは、一つの可能性を思い出す。


(そうだ!フラ爺が言ってたヌールエルさんに命を分け与えてたってやつ!アレが出来れば!)


 アタシは昨日フライアがボースの首元を締めあげながら叫んでいた、命の受け渡し、これが出来ないか試してみる。成功すればサラガノのスタミナ回復薬程度の効果は期待できるかもしれない。幸い今のアタシはゴブリンを沢山喰ったばかり。満腹でこそ無いものの分け与える命には困っていない。やる価値はある。

 アタシは彼女の首筋にそっと手を当て、イメージする。


(命の受け渡し、アタシの命を彼女に)


 手が熱くなる。身体中の熱が全て手に集まるような感覚に、アタシは少し寒気を覚え、ぶるっと震えながら彼女の首筋に手を当て続ける。

 だが、アタシの命は彼女に流れていかない。ただ手が熱くなっただけだ。


(なんで命が流れていかないの?アタシが未熟だから?)


 アタシはなんども彼女に命を流すイメージをするが、彼女は回復しない。


「ぁ……ぁつ……ゃめ……」


 それどころかアタシの手に彼女は拒否の声を上げる。

 彼女の反応に疑問を抱きながらもアタシはまだ手を当て続けていたが、


 -ジュゥゥゥゥ-


(なっ!?焼けどしてるっ!?)


 肉の焼ける音が聞こえて、焦って手を引くアタシ。よく見ればアタシの手の熱さで彼女の首筋が赤く腫れあがり火傷していた。少し後に肉の焦げる臭いもして来る。


(ダメだ、命の受け渡しは出来ない、今のアタシには出来ない。これじゃ彼女を苦しませるだけだ)


「ぃた……もぅ……ゃだ……」


 もともとのケガに加え、アタシに火傷まで与えられてしまった彼女は、目から赤い涙を流したまま弱弱しく苦痛に耐えられない事を告げている。


(何か出来る事、何か出来る事、なんでもいい、何かしてあげられる事)


 苦しむ彼女を前に、両手で自分の髪をクシャクシャと掻きむしりながら必死に何か出来ないか考えるアタシ。だが命の受け渡しが出来なかった以上、もう万策尽きたに近い。彼女の命を救う方法なんて、何も思い浮かばない。


「コヒュー……コヒュー……」


 彼女はついに掠れるような、喉に何か詰っているような、弱弱しい呼吸をし始めた。アタシの与えた喉の火傷が追い打ちになってしまったのかもしれない。恐らくもう何分も持たないだろう。すぐに窒息、そして最期が待っている。


「ちがっ!?そんなつもりじゃっ!?」


 アタシは自分の過失を弁解しようとするが、その間にも彼女の呼吸は弱まっていく。苦しみの表情で掠れる音の呼吸を続ける彼女。


(苦しめるつもりじゃなかった、ただ助けようとしただけ。でも現に彼女は苦しんでいる。アタシが彼女の死期を早めたんだ)


 アタシは自分を責めるが、それで状況が良くなるわけではない。


「コヒュー……ころ……コヒュー……して……」


 彼女は掠れる呼吸の合間に言葉を繋ぎ自らの死を必死に願っている。彼女の赤い涙の上を透明な涙が伝い、地面に落ちていった。


(トドメを?介錯をするべきなの?でもアタシは人を殺すなんて出来ない。でもこんな最期、こんな最期にしてしまっていいの?目の前で苦しんでいるこの子を、このまま苦しんだまま終わらせて?)


 アタシはまだ迷っていた。苦しんでいるこの子をただ放っておいて死ぬのを待つべきか、それとも彼女の望む通りアタシが手を下し、せめて最期だけは楽に死なせてあげるべきか。


(この子はゴブリンじゃないし、ヴァルキリーでもない。両性具有なだけのただの女の子、ちょっと翼が生えてるだけのただの女の子。そんな子を、苦しんでいるからと言って、彼女が望んでいるからと言って、アタシの勝手な判断で死なせてしまっていいの?アタシは彼女の死に責任を負えるの?)


「ヒュー……ヒュー……」


 アタシが迷っている間にも、彼女の死期は近づいてきている。彼女はもう喋る事すらできなくなった。

 その様子を見て焦ったアタシは、手で自分の髪をクシャクシャと掻きむしり悩みながらも答えを決めた。


(このまま放っておいても、この子の魂はオードゥスルスに喰われる。苦しんで死んでオードゥスルスに喰われる。そんなの最悪だ。それなら、そんな最期になるくらいなら、アタシが安らかに殺して、アタシが喰う。そうだアタシが手を下す、アタシが責任を持って、彼女を喰う)


 こんなもの詭弁だ、オードゥスルスに喰われるなんて、この世界にいる生き物はみんなそうだ。アタシがわざわざ手を下す必要もなく、この世界の生き物は死ねばみんなオードゥスルスに喰われる。彼女もこの世界に生きる者ならば、それは逃れられぬ運命のはず。

 アタシはただ、彼女に何もできないまま、死なれるのが嫌だっただけだ。メグが触手に連れ去られるのをただ見ている事しか出来なかった昨日のように、自分が無力である事を突き付けられるのが嫌なだけ。だからこれはアタシの我儘。


(アタシはアタシの我儘で、彼女を安楽死させる。元の世界ならアタシはただの殺人犯、だけどここは元の世界じゃない、だから)


 ここは異世界だから、元の世界じゃないからやっても良い、などという取って付けたような都合の良い理由を用意して自己保身に入るアタシ。だけどこうでも思わないと、アタシには人を手にかけることは出来なかった。


「ヒュー……ヒュー……」


 横向きに倒れたまま死を待つだけの呼吸をしている彼女。アタシは彼女の身体を、そっと抱えて仰向けにした。

 そして苦い表情をしたまま、彼女に告げる。


「ごめん、アタシにはキミの命を救う事は出来ない。だからせめて、キミには安らかな死を」


 アタシは彼女の喉元に両手を合わせた。そしてゆっくりと、ほんのちょっとづつ、吸精を始める。


 -キュゥゥゥ-


「ヒュー……ヒュー、すー、すー」


 彼女の弱弱しい呼吸が次第にまともな呼吸に戻っていく。終始苦しそうな顔をしていた彼女が、すぅっと柔らかな表情になっていく。だがこれは身体が治っているのではなく、彼女の残り少ない命をさらに燃やして、最後の命の輝きを見せているに過ぎない。


「……ああ、姉さん……そこにいるの?姉さん……」


 彼女がまともな言葉を喋り始めた。女性としては少し低く男性としては少し高い、中性的な、そんな声。そして彼女は、吸精を続けるアタシの両腕をそっと握った。


「姉さん、ごめん、勝手に出ていって、もう、しない……よ……」


 どこか安心したような声でアタシに声を掛ける彼女。彼女はアタシを姉だと思っているようだった。アタシを姉と思って謝りながら、そして彼女の命の炎は燃え尽きて行く。段々と萎んでいく彼女の身体。

 アタシは苦い表情をしつつ片手で吸精を続けながら、アタシの腕を握る彼女の手を握り返した。視覚も聴覚も伝わらなくても、彼女に伝わる感覚を、最期の手向けをしなければと思ったのだ。


「姉さん……手……あっ……た……かい……」


 -ギュウゥゥン-

 -ベコッ-


 最期の言葉と共に、彼女はペットボトルを押しつぶしたかのような大きな音と共に骨と皮になった。


「……くそっ!ぐうううぅぅぅっっ!!」


 アタシは抜け殻となった彼女の手を握ったまま、彼女を助けられなかった悔しさから顔を歪ませ、悪態を吐いた。アタシはこの世界に来てから、本当に碌な目に会っていない。この世界に来て、マース達と会えて、嬉しい事もいっぱいあった。だけど今回の件はあんまりだ。


(目の前で苦しんでいるこの子に、なんでこんな事しか出来なかった?なんでもっと準備して来なかった?なんでもっと早く来なかった?)


 後悔の念に駆られる。頭の中はそればっかりだ。抜け殻の彼女の手を握ったまま、アタシは俯く。

 ちょっと前まで、アタシは自分の悪魔の力に浮かれていた。異世界に来て、自分が特別な人間になったのだと思い上がっていた。でも違った、アタシはただの悪魔で、人一人救えやしない。


(アタシはただの悪魔だ。物語の主人公でも、特別な人間なんかでもない、人殺しのただの悪魔だ)


 これでアタシは、ゴブリンでもヴァルキリーでもない、ただの人を喰った、喰い殺した。異世界だからとか不殺がどうのなんてもう甘い事は言ってられない、アタシは立派な殺人者だ。彼女の味なんて分からなかった。罪の意識と後味の悪さで味を感じている余裕も無かった。

 だが、今喰った彼女の魂だけは、アタシの中に存在していた。アタシは自分の頭の中に意識を向け、彼女の魂に話しかける。


(ア、アタシは、千歳。キミの名前、教えて貰ってもいい?)

(……プレクト)

(プレクト、貴女は……あっ、待っ……)


 プレクトと名乗った魂は、アタシの静止の言葉も聞かず、そのままアタシの奥に引っ込んでいった。アタシも強制的に言う事は聞かせようとはせず、彼女の魂が引っ込んでいくのをただ見ていた。アタシがプレクトを殺した。アタシに彼女にどうこうと命令する権利は無い。


 落ち込んだままのアタシは意識を外の世界に戻す。目の前には、骨と皮になったプレクトの抜け殻がある。

 例え魂の無い抜け殻だと分かっていても、アタシはアタシが手を下した彼女の亡骸をこのままこのゴブリンの洞穴には置いておけなかった。だから彼女の亡骸を抱きかかえ、洞穴を出て行く。歩くたびに、彼女の亡骸の翼から茶色い羽がひらひらと抜け落ちて行った。


 プレクトの亡骸を抱えてゴブリンの洞穴を抜け出したアタシは、森の中にプレクトの亡骸を埋葬するのに適した場所を探し、辺りをフラフラ歩いた。そして少しだけ開けた場所を見つけ、そこに自分の無駄に頑丈な爪を伸ばして土を掘り、プレクトの亡骸を埋葬した。


(何か、墓標になる物)


 アタシは近くにあった太い枝を2本、十字に組み合わせ、プレクトの墓標とした。2本の枝を縛る物をなにも持っていなかったので、フライアに貰った黒装束、それの右袖の生地を破り2本の枝を縛り付けた。そしてプレクトの墓の前でしゃがんで手を合わせる。


(ホント、アタシ、一人じゃ何もできないな……)


 アタシは無力感に苛まれている。

 元の世界にいる時からそうだった。おばあちゃんが生きていた時はおばあちゃんに頼り、おばあちゃんが亡くなった後はメグに頼り、そしてこの世界に来てからはマースやキートリー達に頼っている。アタシは何一つ自分でやり遂げられていない。

 今のアタシは人を傷つける事は出来ても救う事は出来ない悪魔。そんなアタシを"僕の千歳姉様"と慕ってくれるマース。首のチョーカーを触り、彼の事を想う。


(マースと一緒に来ていれば……マースなら、きっと助けてくれたのに)


 マースの回復魔術があれば、プレクトを救うことだって難なく出来ただろう。でも今のアタシは一人。無力感と孤独感を感じながら、ただプレクトの墓前で手を合わせる。

 ふと空を見上げてみると、森の木々の隙間から、日光が差し込んでいる。日はまだ、頂点。やっとお昼と言った時間だった。


(一日がこんな長く感じるなんて。てか、アタシ何しに来たんだっけ?)


 アタシはすっと立ち上がり、何をしに来ていたのか思い出す。


(そう、悪魔の身体の練習。明日メグを助けるための、アタシの身体の練習。最低でも自力での悪魔化解除はやっとかないと。吸精の性能とか媚香の開け閉めは、時間余ったらでいいや……)


 もうすっかり意気消沈したアタシは、自力での悪魔化解除だけやることを決めた。それさえできればあとはもうキャンプに帰りたかった。

 ふとプレクトの墓の近くに、彼女の亡骸から抜け落ちた茶色い羽が落ちていた。アタシは羽を拾い、黒装束の左胸辺りの生地に羽を差し込む。とても綺麗な羽だったから、そう思えたから拾ってしまった。


(マースにこの事話したら、なんて言われるかな。また叱られるかな……)


 アタシは俯き、首のチョーカーを触りながら、マースになんて話そうか迷っていた。トボトボと森の獣道を歩き、方角も決めずにとりあえず前へ前へと向かって歩いた。

 どれほど歩いたか分からないが、沈んだ気分のまま悪魔化解除の練習の事を思い出したアタシ。口と腹部に手を当てて、イメージする。


(悪魔の力か、こんな力、全然役に立たないのに、消えちゃえ)


 -スゥゥッ-


 凄く後ろ向きな感情で、悪魔化解除のイメージをした。すると、頭の角の感覚が消え、手と目以外の部分が元の人間体の姿に戻っていく。


(……こんな簡単に戻れるの?)


 角のあった部分の頭のを両手でぺたぺたと触ってみると、見事に角が消えていた。腕も足も元の肌の色に戻っており、身体の黒い模様も消えていて、耳元の髪を手で目元に寄せて見てみれば、金髪から黒髪に戻っている。

 今アタシは、手と目だけが悪魔な状態の中間形態に戻っていた。とんでもない拍子抜けだ。もっと手古摺る物だと思っていたが、アッサリ元に戻ってしまった。多分胸間に手を合わせながら今と同じイメージをすれば、完全にただの人間体に戻れるだろう。なので胸間を両手で触りながらイメージする。


(やってみよ、悪魔の力、消えちゃえ)


 -スゥゥッ-


 アタシの両手が青色から元の色に戻った。さらに目も戻った感触がある。


(アッサリしてるな……戻れたからいいけど)


「はぁ……」


 アタシは溜息をついてその場にぺたんと座り込んだ。


(こんな予定じゃなかったのに。もっとぱぁーっとやってぱぁーっと帰るつもりだったのに。なんでこうなっちゃうかなぁ)


 アタシはヒーローにもヒロインにも向いてないのは自覚している。子どもの頃はカッコイイヒーローや可愛いヒロインに憧れたものだった。大人になってそんなのは無理だと分かって、せめて恰好だけはとメグとコスプレして遊んだ。そしてこの世界に来て悪魔になって、自分はむしろヒーローともヒロインとも真逆の存在だと思い知った。


(人を殺す事が出来ても、人を救う事は出来ない。そんなアタシは悪魔でした、か)


 そんな事をぼーっと空を見上げながら思った。アタシのテンションはもうダダ下がりだ。もう今日やる事はやった。アタシはまた首のチョーカーを触りながら思う。


(マースに会いたい、大丈夫ですって、言って貰いたい)


 マースの朱色の瞳と小っちゃいけど優しい手を思い出し、彼が恋しくなってきたアタシ。たったの半日離れただけでもうアタシの中のマース分が不足気味だった。


「そうだ、もう戻ろ」


 ぼそりと独り言を言って重い腰を上げて立ち上がる。そして踵を返して元来た道を戻ろうとした。

 その時、


 -カサッ-


 少し遠くで何かが動く音がした。


(ゴブリンかな?もう今日は相手するの疲れたから、見つかっても逃げよ)


 アタシは近くにゴブリンがいるのだろうと思い、音のした方向に注意を向けつつも、元の道を戻って歩く。すると今度は声が聞こえてくる。


「プ……レク……」


(女の人の声?誰かの名前を呼んでる?)


 若い女性の声だった。森の中で誰かを探しているようだ。だが遠くてよく聞こえない。


(なんて言ってんだろ……気になるから聞いてみるかな)


 ゴブリンでないことに安心しつつ、気になってしまったアタシは胸間と腹部に手を当てて変わるイメージする。悪魔化すると聴覚も強化される。遠くの声を聞くなら、少々面倒だが悪魔化してしまえばいい。


(変われ、アタシ)


 -バチィッ-


 アタシの手と足、そして目が悪魔へと変わる。アタシは口に両手を合わせる。


(もう一個、全部変われ、アタシ)


 -バチッ-

 -メキメキ-


「っぐ、頭痛い」


 頭の軋む痛みにアタシは仰け反る。痛みと共にアタシの頭蓋骨がメキメキを音を立て角が生えた。アタシの手と足以外の部分も一気に青くなっていく。そして背中に翼は無し。髪が、黒色から金色へ。髪の長さは変わらず。さらに黒装束の隙間から身体中に浮き出てくる黒い模様。


(はーい、完全体悪魔の千歳さんです。あー、でなんて言ってるんだろうあの女の人)


 アタシは完全にやる気がない。が、アタシはやる気ないながらも完全悪魔化し、遠くから聞こえてくる女性の声に耳を傾けた。

 そして悪魔化し強化されたアタシの耳は、遠くの女性の声を完全に聞き取った。


「プレクト!どこなのー!?プレクト!戻ってきてー!」


 女性のプレクトを呼ぶ声。アタシが殺したプレクトを呼ぶ声。


「っっっっ!?」


 アタシはしばらく吸った息を吐き出せなかった。

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