第15話 雄一(4) 原因

 一晩悶々もんもんと考えて、雄一は篤史あつしに会いに行くことに決めた。


 結局、真紀の気持ちはまだわかっていない。篤史の事故も真紀のせいだというのなら、篤史から何か話が聞けるかもしれない。そうでなくても、篤史は六人の中での唯一の生き残りなのだ。雄一の知らない真紀のことを少しでも聞きたかった。結果や人格はどうであれ、登校拒否をしていた真紀を学校へ連れ出してくれたことへの礼も言いたかった。


 スマホを見た直後はショックが大きすぎて簡単に受け入れてしまったが、時間がたって落ち着いてくると考えが変わってきた。やはり信じられないのだ。真紀があんなことをしていたということが。できるならその事も聞きたかった。


 篤史の入院している病院はわかっていた。クラスチャットに担任から連絡が入っていたからだ。今のクラスは違っても、一年の時に同じクラスだったとかで見舞いに行きたい人もいるだろうからという理由だった。正式に学校に問い合わせれば個人情報だからと断られるに違いないのに、内部には甘い。


 午前中は大学の講義が二つあったが、どちらもサボることにした。欠席できる日数はまだ残っていたはずだ。普段真面目に通っていた甲斐かいがあった。


 担任からのチャットには篤史あつしの病室の番号まで書いてあって、エレベーター前のナースステーションで誰何すいかされるも部屋番号と患者の名前を告げれば通過でき、病室までは簡単に行けた。少し老け顔の同級生とでも思われたのだろうか。今日は平日だし雄一は私服なのだが。


 白い引き戸の上に「水野みずの篤史あつし」と書かれているのを確かめてからノックする。中から女の返事がした。思わずふだの名前をもう一度確認する。間違いない、篤史の名前だ。


 ひんやりとした金属のU字のバーをつかみ、扉を開けようとした時、中からも同時に開いてぎょっとする。

 

 扉の向こうにいたのは疲れた顔をした中年女性だった。篤史の母親だろう。髪に白いものが混じっているが、雄一の母親と同じくらいの年齢に見えた。雄一と真紀は歳が離れているから、もしかしたら自分たちの母親の方が年上かもしれない。


 その母親は戸惑った顔をした。それはそうだ。いきなり見知らぬ男が訪ねてきたら驚くだろう。さすがに同級生とは思わなかったようだ。


「俺、篤史くんの友達の兄で、お見舞いに来ました」

篤史あつしのお友達のお兄さん……?」


 怪訝けげんそうにしながらも、母親は雄一が差し出した見舞いの花束を受け取った。友達の兄と言われて、尚更混乱したようだ。普通、友達ならともかく、その兄弟が見舞いに来たりはしない。

 

芦名あしなと言います」


 母親ははっと目を見開いた。


「ご愁傷しゅうしょうさまでした」

「ありがとうございます」


 丁寧に頭を下げられて、雄一も下げ返した。真紀が死んだことは知っているのだ。真紀のことはどこまで知っているのだろう。篤史の友達であったことは知っていたのだろうか。


 雄一は母親の肩越しに、起こしたベッドに上体をもたれさせている水色の患者衣姿の篤史を見た。来客が来ているというのに、雄一の方には目を向けず、白い布団の上に置いた手元をじっと見ている。


 「せっかく来て頂いたのですが……」


 母親が篤史の方を振り返った。


「体調が良くないのでしたら、出直します」

「いいえ、そうではなくて、また来て頂いたとしても……」


 歯切れが悪い。


「篤史君は妹と仲が良かったようで、妹の話を少し聞きたいだけなんです。ご迷惑でなければ」


 情に訴えるような言い方をすると、母親は唇をんで斜め下を向き、考えたような素振りを見せてから、脇に退いた。


「ご期待に沿えるかどうか……」

「ありがとうございます」


 母親の言葉の意味がわからなかった雄一だったが、流して軽く頭を下げ、病室へと足を踏み入れる。白で統一されている病室の中は、消毒液とも違うぎ慣れない匂いがした。


 どうぞ、と譲られた薄い黄緑色の丸椅子に腰を下ろす。


 篤史のギプスのついた右の足は天井からられていて、腕には点滴の針が刺さっていた。先ほどちらりと見たときには、事故からずいぶんとつのにまだ点滴が取れないのかと不思議に思ったが、その理由は篤史を見ればわかった。


 篤史はひどくせていた。ただ痩せ型というだけではない。病的な痩せ方だった。黄色みを帯びたほほはこけ、髪のつやがなくなっている。目はうつろで、わずかに開いた唇がカサカサに乾いていた。


 元々どういう体型をしていたのかまでは知らないが、事故の後にひどく痩せたのだろうということは明白だった。食欲がないのか、それとも怪我のせいで食事が制限されているのか。これでは点滴は外せないのもうなずける。


 チャットから感じた真紀たち五人を従えるリーダーの面影は全くなかった。別人なのかとさえ思った。アツシというのは篤史のことではなかったのかもしれない、と一瞬考えた。


「篤史、お友達のお兄さんが来て下さったのよ」


 母親が篤史の背中に手を添え、顔を近づけてはっきりと言い聞かせるように言った。しかし、篤史はだらりと置いた細い指の先をぼうっと見たまま動かなかった。いや、手を見ているのではなく、ただそこに目を向けているだけだ。


「芦名さんだって。わかる?」


 ぴくっと篤史の口が動く。


「あしな……?」

「そう! 芦名さん。わかる?」


 母親が声が弾んだ。篤史が反応を返すのが珍しいのだというように。


「あしな……あしな……マキ……?」


 篤史がゆっくりと顔を上げて、雄一に目を向けた。


「俺は真紀の兄の芦名雄一といいます。母から、篤史君は生前の真紀と親しかったと聞いています。登校拒否をしていた真紀を学校に連れ出してくれたそうですね」

「そんなことをしていたなんて……」


 母親は驚いた顔をしていた。雄一は母親に視線を移して微笑んだ。


「篤史君は真紀の恩人なんです。それで、篤史君に真紀のことを聞きたくて――」


 そこまで言ったところで雄一は言葉に詰まった。ここからどう切り出せばいいのだろう。真紀が自殺した原因に心当たりはないかと聞くのか? 恋人である優奈ゆなが自分のためにカッターを振り回した結果かもしれないのに? かといって、愛美めぐみのことを聞くのもはばかられる。少なくとも母親の前ではできない。


 話の持っていき方を考えておけばよかった、と後悔する。就職活動で面接の練習はさんざんやったというのに、何も作戦をってこなかった。


「写真のことを聞きたくて」


 焦った結果出てきた言葉に、雄一はしまったと思った。よりによって一番聞きにくいことを聞いてしまった。写真と聞いて篤史がまず連想するのは、愛美のことだろう。


「写真……写真……写真……」

「いや、あの、写真というか――」


 雄一が言い直そうとした時、篤史が突然大声を出した。


「ああああああ!」


 予想だにしていなかった大声に、びくっと篤史の肩が跳ねた。痩せ細った体のどこから出て来るのかと思う程の声量だった。


 篤史は両手で頭をかきむしりながら叫ぶ。


「みんなみんなみんな死んだ! 俺も死ぬ! ユナのせいでユナのせいでユナのせいで! ユナが俺をとったから! 死ぬんだ!」

「篤史っ! やめて!」


 母親が篤史の両手を押さえこもうとしたが、篤史は叫び続ける。雄一は圧倒されて何もできなかった。


「もうすぐ俺も死ぬ! 死ぬ死ぬ死ぬ!」


 そこに看護師が複数人駆け込んできた。雄一と母親を追いやると、手際よくベッドの背を戻し、篤史を押さえる。白衣を着た医者もやってくる。薬の名前の指示が飛んだ。


 壁際に下がった雄一の横で、母親は握り込んだ手を口元に当てて心配そうに篤史を見守っていた。


「死ぬ! 十三日だ! 十三日に死ぬ! 俺は死ぬ! 死ぬんだ! アレのせいで!」


 薬の効果で眠りにつくまで、篤史は暴れ叫び続けた。




 母親に篤史を混乱させてしまった事をび、雄一は家に帰った。結局真紀については何も聞けなかったが、病院に居座るわけにもいかない。もう一度訊ねることを母親が許すとも思えなかった。


 ベッドに腰を下ろして深いため息をついた。ひざの上にひじを置き、鼻と口を両手で覆って目を閉じる。


「なんだったんだ……」


 魂の抜けたようになっていた篤史は、写真という単語を聞いて突然暴れ出した。愛美めぐみのことを後悔しているのだろうか。それとも、愛美から始まった五人の死を思い出し、自分もそうなるのではないかと脅迫観念にとらわれているのだろうか。


 それと――。


 十三日。


 あまりにも具体的な日付で、もし今月の話だとすれば十日後だった。その日に死ぬと言っていたのが気になる。単なる自殺の予告なのだろうか。だが、篤史の様子からは、自死を選ぶという感じはしなかった。まるで、死期を悟っているかのようだった。

 

 その時、机から、ガガガっと音がした。


「うわっ」


 静かな部屋に突如とつじょ響いた音に、思わず声が上がる。机の上に置いていた真紀のスマホが震えたせいだった。


 腰を上げて手に取ると、チャットアプリの通知が来ていた。暗い画面にポップ表示された通知を見て、雄一は目を丸くする。


 真紀のクラスチャットの着信で、担任からのメッセージだった。冒頭しか表示されていないそれには、数学の教師が亡くなったと書いてあった。


 六人目――。


 バクバクと鼓動こどうが大きくなっていく。


 すぐに他の生徒からのメッセージが上書き表示されていく。当たり前だが、みな驚きを表したメッセージだった。


 そのポップアップをタップすると指紋認証の画面が出たが、暗証番号パスコード入力に切り替えて雄一の誕生日を打ち込む。すると直接チャット画面が開いた。これまでの訃報ふほうの連絡と同じく、長文で送られてきている。


 どうやら、授業の間の交代制の見回り中に誤って階段から落下したらしい。授業を終えた生徒が踊り場で倒れている教師を発見し、学校ではちょっとした騒ぎになったようだ。意識不明の状態で救急車で運ばれた教師は、その後死亡した。死因は頭を強く打ったことによる脳挫傷ざしょうだった。


 あのカツラの教師が死んだのか。


 そう思った時、雄一の背中をぞぞっと悪寒おかんが走った。


 なぜ自分が数学の教師がカツラであることを知っているのか。雄一は真紀と違う高校に通っていたから直接の面識はない。知っているのは、見たからだ。真紀たちのチャットで。写真を。


 はやる気持ちを抑えながら五人のグループチャットを開き、どんどんスクロールしていく。表示の遅延ラグがもどかしい。


 該当の写真を見つけてタップする。画面一杯に大きく表示されたのは、前を向いて教卓に両腕を突いているワイシャツとネクタイの男だ。背景の黒板には三角形と数式が書かれている。これを見て、雄一は無意識に数学の教師だと認識したのだった。


 男は子どもを肩車している。子どもははっきりと実体を伴って写っていたが、授業中にはあり得ない光景だから、これは心霊写真なのだ。みつるが「カツラ取らないで」というメッセージと一緒に送っていた。


 教師の死因は脳挫傷ざしょう――。


 真紀の写真は首をめられていて、死因は縊死いしだった。


 他のメンバーの写真も確認する。


 みつるは女にすがりつかれている。死因は交通事故だった。死因はなんだったのか。どこかのチャットで、胴体を串刺しにされたらしい、という話が上がっていなかったか。女が腕を回しているのは充の腹だ。


 優奈ゆなは誰かに手を引かれている。死因は飛び降り自殺だ。緑色の金網のフェンスにコンクリートき出しの床。これはどこかの屋上ではないだろうか。撮影者と優奈はフェンスを挟んでいる。屋上のフェンスの向こう側だとしたら。


 篤史あつしは左足を食われている。死んではいないが、足を骨折していた。足は……そうだ右足だった。食い違ってはいるが、足を怪我したことには変わりない。


 死んだ四人と、怪我をした一人の写真と死因や怪我の箇所が奇妙な一致を見せている。


 純子じゅんこはわからなかった。写真は肩に手が置かれているだけで、死因は公式な連絡は事故死だった。ラブホテルでの溺死できししたという噂もあったが、それと手には何の関連もないように思う。


 愛美めぐみもわからない。しかし、写真がないとも言えないのだ。雄一は真紀のスマホしか見ていないのだから。他のチャットを丹念に見ていけばあるのかもしれないし、このスマホには入っていないだけかもしれない。


 馬鹿げている。ただの偶然だ。


 だが、真紀の周辺の人物が真紀を含めて立て続けに死んだり怪我をしたりしているだけでも異常なのに、数学の教師もとなると、どうしても写真と結びつけてしまう。


 いいや、そんな事がある訳がない。


 雄一は首を振った。


 しかし、偶然だ偶然だと自分に言い聞かせればするほど、逆に関連があるのではという気持ちが強くなっていくのだった。

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