第13話 雄一(2) スマホ

 そうこうしているうちに、料理ができた、と母親から声が掛かる。真紀を呼んでこいと言うのだろう。それは自分の役目だと自覚しているので、雄一には文句はなかった。


 真紀の部屋のドアを軽くノックする。


「真紀、昼飯できたって。食わないか? どうしても嫌なら俺が食うけど」


 返事がない。


「真紀ー、いるかいらないか、返事だけでもしてくれ」


 さっき一人にしてくれと言われたばかりなので、強くは出られない。


 だが、心配に思う気持ちもあって、雄一はドアを開けた。


 ――開かなかった。


 ノブは下がるのだが、何かがつっかえているようで、ドアが向こうに開かない。


 まさか真紀がバリケードを築いて立てこもっているとか?


 雄一は馬鹿げた考えをすぐさま脳内から閉め出した。真紀がそんなことをする理由がない。いくらひとりになりたいからと、自室でバリケードを築いたりするものか。自分がそこまで嫌われているとも思わない。


「真紀、開けてくれ」


 何かが引っかかっているのだろう、と思って真紀に頼んでみた。が、反応がない。ドアに耳をつけてみても何の音もしてこないし、隙間から中を見ようとしても隙間が細すぎて何も見えなかった。


 仕方がない、と力任せにぐっと押してみる。


 すると、ずずっとドアが動いた。


 やはりバリケードなのか?


 五センチほど開いた隙間から中を見る。さっき座っていたベッドの前には真紀はいなかった。


 ふと視線を下に向けると、真紀の手が見えた。どうやらドアを背にして座っているようだ。


 雄一を部屋に入れないようにだろうか。だとしたら、予想外に自分は嫌われているのかもしれない、とショックを受ける。


 でもそれならば、なぜ雄一が力を入れていない今、真紀はドアを閉めようとしないのだろう。


 その時、雄一の脳裏に嫌な想像がよぎった。


 まさか――。


「真紀っ!」


 半分体当たりをするくらいの勢いで、雄一はドアを力一杯押した。広がった隙間から、部屋の中へと体をねじ込む。


 真紀はドアを背に座っていた。雄一がドアを押したことで、体が壁の方を向いている。だらんと手足を投げ出し、頭はがっくりと力を無くしていて、首には水色のタオルが巻かれていた。


「真紀っ!」


 雄一は急いでタオルをほどこうとした。だが、固く結ばれていて簡単にはほどけない。


「真紀っ! 母さん!」


 叫びながら、机の一番上の引き出しを開ける。確か真紀はいつもここにハサミを入れていたはずだ。


 狙い通りに赤いのハサミを見つけて一度取り落とし、なんとかタオルを切断した。


 床に崩れる真紀の体を真っ直ぐに横たえる。口元に耳を近づけると何も聞こえてこなかった。


 息をしていない。


「母さん! 真紀がっ! 救急車!」


 急いで人工呼吸と心臓マッサージを始める。講習は運転免許を取るときに受けたきりで、見よう見まねだ。だが、マッサージを続けていればそれだけ生存率は上がると知っていた。


 真紀はどのくらいこうしていたのだろうか。一人にしなければ。せめてドアを開けていれば。


 動転した母親を叱咤しったして救急車を呼ばせ、救急隊が駆けつけるまで、雄一はマッサージを続けた。




 葬儀の日は、雄一の心とは裏腹に、気候の穏やかな晴れの日だった。


 ことほか同級生がたくさん駆けつけてくれて、真紀はみんなに愛されていたのだな、と思った。


 では、なぜ自殺などはかったのか。


 喪服に身を包んで火葬を終えた雄一は、実家のソファで、仕事に行ってしまった父親の代わりに震える母親の肩を抱いた。


 自死であることが明確だったため、警察による捜査は行われていない。真紀の死の原因はわからず仕舞いだった。


「学校に行かせたのが間違いだったのかしら……」


 うつむいて両手で顔を覆った母親が、ぽつりとこぼす。


「そんなことない」


 口では否定したが、雄一もそのことを考えていた。


 今年の初め、真紀は学校に行かなくなった。その時も、雄一はしばらく実家に帰って真紀に寄り添った。就職活動が本格化している時期だったが、大切な妹のためならばなんと言うことはなかった。


 本人から詳細は聞いていないが、親友と言えるほど仲の良かった友達が自殺してしまい、それが自分のせいなのだと自分を責めていた。真紀の最後の言葉に出てきたメグという名前、それはカッターを振り回した優奈ゆなのことではなく、四ヶ月前に自殺した生徒、愛美めぐみのことだった。


 結局は、自殺の原因はいじめではないかという噂は立ったが、調査を行った学校側が否定し、最終的に育児放棄ネグレクトによるものだと結論が出たのだが、ソレでも真紀は愛美めぐみのことをずっと引きずっていたのだろう。


 登校拒否になった真紀に対し、母親と雄一はつらいなら無理に行くことはないと言ったが、父親は自分が稼いだ金で学費を払っているのだから無駄にするな、と烈火のごとく怒った。それに加えて同級生も心配して通ってきてくれていたのもあって、真紀は再び学校に行くようになった。


 それを知っていたのに、今回死んだ同級生たちは真紀の友人ではなったからと油断し、雄一は真紀を独りにしてしまった。自分を責めていたのも、愛美めぐみの自殺のことを思い出して、今回もだと思い込んでしまったのかもしれない。


 あの時、もしも真紀の部屋から出て行かなかったら。もっと早く部屋に戻っていたら。もっとたくさん話を聞いてやっていたら――。


 後悔してもしきれなかった。


 そして、その怒りを真紀を追い詰めたカッター女子にぶつけようとしても、それはできなかった。


 なぜなら、優奈ゆなは真紀が死んだのと同じ日に飛び降り自殺をしたからだ。保護者からの謝罪の連絡がなかなかこなかったのはこのせいだった。真紀の自殺のことは知らないままだったから、真紀を追い詰めてしまったからではなく、恋人を事故にわせてしまったという自責の念に駆られていたのだろう。


「せっかく篤史あつし君が連れ出してくれたのに」

「アツシ? 交通事故にあったのもアツシじゃなかったっけ?」

「そうよ。愛美めぐみちゃんが死んじゃった後に、真紀を学校に行けるように何度も家に誘いにきてくれた子が、この前交通事故にあった篤史君。二年生になってからも真紀と仲良くしてくれていたみたい。自分の目の前で篤史君が事故に遭ったのもショックだったのかもしれないわね」


 復学の手助けをしたとなれば、真紀と篤史はよほど親しかったのだ。友達だとは言っていなかったが、真紀は篤史に恋心をいだいていたのかもしれない。だとすると、友達と言わなくても納得がいく。そうは言いたくなかったのだろうから。事故が自分のせいだと言ったのも、優奈が真紀を傷つけようとしたのも、痴情ちじょうもつれがあったのかもしれない。


 かもしれない。かもしれない。


 全ては憶測に過ぎず、本当のことは何もわからなかった。


 真紀はなぜ自殺を選んだのか。どんな気持ちで死んでいったのか。


 真紀の口から聞きたくても、もう叶わない。




 実家で数日過ごし、雄一は自分の部屋に戻った。荷物を置いてベッドに腰を下ろし、ため息をつく。寝床と机があるだけの狭い1DKだったが、今は実家よりも落ち着く気持ちがした。


 ごそごそとポケットからスマホを取り出す。ピンクのカバーがついたそれは雄一の物ではない。真紀のスマホだ。こっそり家から持ち出してきた。どこかで落としでもしたのだろう。カバーは端が少し凹んでいた。だが、他に傷はない。無造作に扱ってすぐに前面のガラス面に細かい傷をつけてしまう雄一とは大違いだった。


 しばらく外観を眺めたあと、雄一はベッドの横のコンセントから出ているケーブルをスマホに差した。画面に今の充電残量〇パーセントから容量が増えていくアニメーションがしばらく映ったあと、暗転した。


 両手で顔を覆い、ふーっと深く息をつく。これからやることは、人としてやってはいけないことなのだろう。真紀が生きていたら二度と口をいてくれなくなるかもしれない。今となっては死者を冒涜ぼうとくする行為だ。


 だが、雄一には諦めきれなかった。真紀を知る唯一の物がここにあるのだ。無念があったのなら晴らしてやりたい。伝えたいことがあったのなら受け取ってやりたい。


 いや――。


 雄一は自嘲じちょうした。これは雄一のエゴだった。真紀のためだと言って誤魔化してはいけない。雄一は自分が知りたいから、自分が楽になりたいから、自分のために、妹の秘密を暴くのだ。


 床からスマホを拾い上げ、側面の電源ボタンを押すと、残量は三パーセントになっていた。これならもう電源はつくだろう。


 雄一は目を閉じて逡巡しゅんじゅんしたあと、思い切って電源ボタンを長押しした。ブブッとスマホが震えて、画面に製品のロゴが最大光量で出る。


 そしてロックの解除画面が現われた。テンキーが四桁の暗証番号パスコードを求めている。背景には薄いピンク色に濃いハートが散らばっていた。可愛いものが好きな真紀らしかった。


 コードは何回か間違えたら電源が落ちるはずだ。一度落ちたら諦めよう、と解除できて欲しいのか欲しくないのかわからない複雑な気持ちで、雄一はテンキーを押した。


 ロックは二回目の試行であっけなく解除された。雄一の誕生日だった。


 起動中だというメッセージが現われ、やがて上部のアイコンからびっくりマークが全て取れ、正常に起動が完了した。まだ解約していないから、携帯電話会社の電波が繋がっている。


 雄一は部屋のWi-Fiの設定をしようとしてやめた。何度も見るわけではない。請求書が届いて解約しなくてはならないのだと母親が気づく頃には不要となっているだろう。


 ホーム画面の壁紙は、ふわふわとした白い子猫の写真だった。アイコンがいくつか並んでいる。真紀は必要のないアイコンはホーム画面に置かない主義だったようで、ブラウザやSNSやチャットアプリなど、頻繁に使っていたのだろうアプリばかりだった。


 雄一は震える指でメッセージアプリを起動した。チャットの一覧が現われる。ピン留めされて上位に表示されているのが重要なチャットだ。家族とのチャットもここに含まれる。クラス名がついたグループチャットもあったし、人名だけの個人チャットもあったが、それほど多くはない。下位はほとんど企業の公式チャットだった。


 未読の通知がついているのが多い。学校関係だと思われるグループは通知数が上限を超えていた。真紀はもう見ることができないのだから、未読がたくさんあるのは当然だった。


 眉間みけんに指先を当て、雄一はもう一度迷った。本当に見てしまっていいのだろうか。


 もう遅い。やめるなら、ロックを解除する前にやめるべきだった。


 それに、パスコードが雄一の誕生日だったのは、何か意味があったのかもしれない。真紀は自分が死んだ後に雄一にスマホを確認してもらいたいと思っていたのかも。


 駄目だ――。


 また自分の行為を正当化しようとしていることに気がついて、雄一は自分のほほを叩いた。


 そして、一番上にあったクラス名のチャットグループをタップして、チャット画面を開いた。


 開いた瞬間、既読数が増えることに気がついて、マズいことをしたか、と思う。クラスの全員が見ているのなら、真紀の分が増えたら驚くだろう。だが、開いてしまったものは仕方がない。雄一は開き直ることにした。


 最新のメッセージから順番に過去にさかのぼっていく。真紀への追悼ついとうのメッセージが並んでいる。その上に担任からの真紀の死亡の連絡があり、さらに上っていくと、他の死んだ生徒の話も出てきた。


 内容が良い子ちゃん過ぎる気もするが、クラスのチャットならそんなものか、とも思った。故人を悪く言って顰蹙ひんしゅくを買うような空気の読めないことはしないだろう。


 メンバーを確認しながら、他のチャットも順に見ていく。直近の内容からして、高校や中学の友達が大半のようだ。


 人数が絞られているチャットは良い子の仮面もげ落ちるらしく、純子じゅんこはラブホテルで殺されたらしいだとか、みつるは胴体を串刺しにされたらしいといったことを、面白おかしく書いているチャットもあった。


 あるチャットを開いた時――雄一の手が止まった。


 参加者の名前が、アツシ、ジュンコ、マキ、ミツル、ユナだった。


 篤史あつし優奈ゆなの関係は知っていたが、他の二人も関係があるとは聞いていなかった。母親も知らないのかもしれない。


 そして真紀は、その四人とグループでチャットするくらい親しい仲だったのだ。メッセージの頻度もかなり高く、みつるの葬儀のときも待ち合わせをするくらいだった。学校で一番親しかったと言えるのではないだろうか。


 チャットの五人のメンバーのうち、みつる純子じゅんこ優奈ゆな真紀まきが死に、篤史あつしも重症をった。


 その事実に、戦慄せんりつした。

 

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