第12話 雄一(1) 妹

「マジか……」


 この講義のためだけに大学に出てきたのに、休講の連絡が掲示板に張り出されていた。家を出る前に学生向けの連絡サイトを確認しなかった雄一ゆういちの自業自得だ。


 今日はバイトもない。家にとんぼ返りをする気にもなれなくて、キャンパス内の学食に向かった。早めの昼食を取るのもいいだろう。自炊をするより安くて早くて美味うまい。


 カツカレーと迷ったあとカツ丼定食を頼み、ピンク色のトレイを受け取った。レジで支払いをした後、適当な席に座る。同席必須の昼休みとは違って、一人でテーブルにつくことができた。雄一のように早めの昼食を食べている学生もいるが、ほとんどの学生は次の講義までの時間を潰して駄弁だべっていた。


 はしを持ち、いただきます、と小さくつぶやいて、味噌みそ汁のわんに口をつけた。やや塩気の多い汁が、朝食を抜いた空きっ腹に染み渡る。これぞ日本の味だ。


 メインのカツ丼に取りかかろうとした所で、話しかける声があった。


芦名あしな先輩、ここいいですか?」


 顔を上げれば、一つ後輩の作田さくたがトレイを手に立っていた。学部は違うが高校からの付き合いで、サシで一緒に飲みに行くくらいには仲がいい。たまたま雄一を見かけたのだろう。


「おう」


 雄一が答えると、作田は向かいの席にトレイを置いて座った。トレイの上にあるのはカツカレーだ。カレーの匂いがただよってきて、やっぱりそっちにするべきだったか、と一瞬後悔する。いやいやカツ丼だって美味しいはずだ。


 今度こそカツ丼へ、と箸をどんぶりに差し入れたところで、テーブルの上に置いたスマホがブーッと鳴った。点灯した画面を見れば、珍しく電話だった。しかも母親から。


 講義中であれば無視したし、今も食事中であるから後で折り返せばいいかとも思ったのだが、この時間いつもなら母親は仕事中なはずで、メッセージアプリでの連絡でないのが気になった。何か緊急の用事なのかもしれない。


 雄一のその勘は当たっていて、正しく緊急の連絡だった。


 電話に出てみれば、なんと、大事な妹が学校で暴行を受けそうになったという。相手は同じ学校の女子生徒で、授業中に私服で教室に乗り込んできて、カッターナイフを振り回したらしい。


 さっと顔を青ざめさせた雄一だったが、真紀まきに怪我はないと知って安心した。大事だいじに至る前に教師が取り押さえたそうだ。未遂みすいだとしても十分大事おおごとだが、とにかく妹に怪我がなくて良かった。下手をすれば真紀は死んでいたかもしれない。


 仕事を早退した母親が学校に迎えに行き、今は家にいるらしい。できればすぐに帰ってきて欲しいと言われ、二つ返事で了承した。真紀は今頃ひどくおびえているだろう。側にいてやらなければならない。


「帰るんですか?」


 電話のやり取りを聞いていた作田が聞いてくる。


「ん、ああ」

「ご家族に何か……?」

「いや、大丈夫」


 雄一は自己最高記録を更新する勢いでカツ丼をかき込み、カバンを肩に引っかけると、作田に手を振って学食を後にした。駅まで走ってちょうどやってきた電車に飛び乗る。


 電車の中で真紀に連絡したが、返事が返ってこないどころか、既読もつかなかった。事件の直後であれば、友人からもたくさん連絡が来ているはずで、その返事で忙しいのだろう。いや、真紀の性格なら電源を切っていのかもしれない。


 最寄りの駅からも走った。数分早く着いたところで何という事もないだろうが、顔を見せて安心させてやりたいし、無事だと確かめて安心したかった。


 カギを開けて玄関に入ると、居間から母親が顔を出した。


「早かったわね」

「ダッシュしてきた。真紀は?」

「部屋にいる」


 雄一は靴を脱ぎ捨て、真紀の部屋のドアをノックした。


「真紀? 兄ちゃん帰ったぞ。おーい」


 真紀からの返事はなかった。


 寝ているのかもしれない。起きていたとしても、こういう時はそっとしておいた方がいいのを雄一は知っていた。真紀は小さい時から閉じこもっている時は一切話したがらず、しばらくすると自分から出てくるのだ。


 姿を見ることはできなかったが、確かに家にいることが確認できて、ひとまずは安心した。


「兄ちゃん居間にいるからな。話したくなったら出てこいよ」


 それだけ伝えて、雄一は居間に移動した。カバンを下ろしてソファに座る。


 その隣に母親が座った。疲れた顔をしている。働いているのもあっていつも髪も化粧もきちんとしているのだが、バレッタでめた髪の毛が少しほつれていた。


 雄一は腰をずらして、母親の方に体を向けた。


「で、どういうこと?」

「電話で話した通り」

「いや、同級生がカッター振り回したってどういうこと? そいつはどうなったんだ」

「その子とは会ってないの。親御さんとも。とにかく帰ってきた方がいいと思って」


 それはそうかもしれない。動揺している真紀を安心できる家に帰すのが、一番優先するべきことだった。相手の謝罪も、警察と話すのも、後からでいい。


「理由は?」


 なぜ真紀が狙われたのか。それとも誰でもよかったのか。


「昨日、葬儀に行った帰りに――」

「ちょっと待って、葬儀って何? 誰の?」

「先週真紀の同級生が亡くなったの」

「同級生が?」


 いま初めて聞いた。いや、別居している雄一にいちいち知らせるような話ではないのだろうが。


「それで?」

「で、帰りに、参列した同級生が交通事故にって――」

「は? どういうこと? 葬式に行って、それで事故に遭ったの?」


 情報量が多すぎる。


「事故に遭ったヤツがカッター振り回したのか?」

「違うの。事故に遭ったのはその子の彼氏で、その子が言うには、事故は真紀のせいだって」

「真紀のせい? なんで」


 母親は困った顔をした。


「それがわからないの。先生たちの話だと、真紀はその場にはいたけど、事故とは関係がないって」

「は? 真紀は関係ないのに、真紀のせいだって言ってんの?」


 全く要領を得ない。


 雄一がさらに詳しく聞いても、理由はわからないままだった。母親も理解していないのだから当然だった。


 だが、他にわかったこともあった。もう一人、女子生徒も最近亡くなっているというのだ。葬儀が行われた男子生徒が亡くなった日の翌日の事らしい。


 先週の金曜日に同級生の男子生徒が交通事故で、土曜日に女子生徒が不慮の事故で亡くなり、月曜日の葬儀の帰りに男子生徒が交通事故に遭い、その彼女だという女子生徒が翌日の火曜日に事故の原因であるとして真紀を襲った、という順番だ。


 雄一は頭を抱えた。話を聞いただけの自分も混乱しているのだ。真紀はもっと混乱しているだろう。


 これはやはり話を聞いてやった方がいいかもしれない。吐き出せば楽になることもあるだろう。


 雄一はまた真紀の部屋に行った。


「真紀、大丈夫か? 入るぞ」


 やはり返事はなかったが、駄目だとも言われていないから、と雄一は静かにドアを開けた。眠っていたらそっと出て行けばいい。


 部屋は電気がついておらず、日当たりが悪いせいでやや薄暗かった。中身の半分残ったマグカップが置いてあるテーブルの前で、制服のままの真紀がクッションを抱いてうずくまっていた。目をせているが、起きてはいるようだ。


「大丈夫か?」


 しゃがんで顔をのぞき込むと、こくんと小さなうなずきが返ってきた。


「兄ちゃん、話なら聞くぞ」


 今度は首が左右に振られた。


 その動きに力がなさ過ぎて、雄一は放っておけないと思った。怒濤どとうの出来事を考えれば無理もないのだが、弱りすぎている。


 そっと背中に触れると、真紀は嫌がらなかった。隣に座って肩を抱く。一拍置いて、真紀はこてんと頭を預けてきた。その頭を優しくでてやる。


 ずずっ、と真紀が鼻をすすった。そのうち嗚咽おえつが漏れ出した。


 雄一は机の上のティッシュの箱を取ってテーブルに置いてやり、真紀の頭を撫で続けた。真紀はティッシュで鼻をこすりながら、しばらく静かに泣いていた。


 落ち着いた頃に、真紀がぽつりと漏らす。


「私のせいなの」

「何が?」


 雄一はなるべく優しい声で聞いた。


「ミツル君が死んじゃったのも、ジュンコさんが死んじゃったのも、アツシ君が事故に遭ったのも、全部」

「どうして?」


 真紀は答えなかった。母親は事故は真紀のせいではないらしいと言っていた。その情報が間違っているのだろうか。だが、その前の二人が真紀と何の関係があるのだろう。最初の二人の交通事故と不慮の事故なら、関係はなさそうに思う。真紀がその場にいたという話は母親からは聞いていない。


「私のせいなの」

「どうしてそう思うんだ?」


 真紀は繰り返したが、雄一の問いにはやはり答えなかった。


 雄一は別のことを聞くことにした。


「三人とは知り合い?」


 三人のことを、真紀は名前で呼んでいた。名前を知っている程度なら名字で呼ぶだろう。名前を使うということは、ある程度親しいはずだ。


 こくん、と真紀が頷いた。


「友達?」

「……」


 否定も肯定も返ってこない。


 雄一は知り合い以上友達未満なのだと判断した。何にせよ、親しくしていた生徒が立て続けに二人も死に、一人が事故にあったのだ。ひょっとすると、カッターの女子とも同じように親しかったのかもしれない。


「私のせいなの」


 真紀がまた言った。


 胸が痛くなった。抱きしめればすっぽりと収まってしまいそうな小さな体で、肩を震わせながら自分を責めている。何が真紀のせいだというのだろう。たとえ真紀が何らかの原因であったとしても、自分は真紀の味方であると伝えたかった。


「真紀のせいじゃないよ。でももし――」

「私のせいなの!」


 突然真紀が叫んだ。


 雄一の肩がびくっと跳ねる。


「私がメグを――」


 そこまで言った真紀は、はっとして口をつぐんだ。

 

 四人目の名前が出てきた。カッター女子のことだろう。一人だけ呼び捨てにしているところからして、きっと一番親しかったのだ。そんな人物に殺されそうになるなんて、どれほどの衝撃か。


「真紀――」

「出て行って……」


 真紀が小さな声で言った。


「でも」

「一人にして。お願い」


 震える声で言われてしまったら、雄一にはそれ以上どうしようもなかった。ぎゅっと強く抱いたクッションに顔をうずめる真紀の頭をもう一度撫で、雄一は真紀の部屋から出た。


 母親に様子を聞かれて、泣いてはいたが大丈夫そうだ、と答えた。本当は大丈夫ではないのかもしれないが、それを母親に言った所で何ができるわけでもない。雄一は母親の気持ちもおもんぱかった。


「相手の親からは連絡来た?」

「まだ」

「まだ?」


 遅すぎる。学校からは連絡が行っているはずだ。何をしているのか。すぐに謝罪の電話をしてくるべきだろう。成人しているならまだしも、未成年で、しかも高校生なのだ。親に責任がある。


「警察には行くんだよな?」

「え?」

「真紀は殺されそうになったんだから、警察に行かないと」

「でも、何もなかったし、何罪になるの?」

「カッター振り回したんだから、殺人未遂……いや、刺されてないから違うのか? わからないけど、何かあるだろ」

「それは、お父さんと相談してから……」


 はぁ、と雄一はため息をついた。事なかれ主義の父親はやめろと言うだろう。もしそうなったら自分が行くことにする。真紀が危ない目にあったのだ。とてもじゃないが許せない。


 母親との話を終えて、雄一はスマホで殺人未遂や傷害罪について調べた。真紀は怪我をしておらず、医者の診断書もないから訴えるのは難しそうだった。だとすれば、せめて学校側に退学なり停学なりの処分だけでもしてもらわなくてはならない。


 イライラしていると、母親に話しかけられた。


「あんた、お昼ご飯、作ったら食べる?」

「ああ、いや、俺は食ってきたから……」

「そう。でも真紀は食べるわよね」


 真紀は弁当を持って行っているのではなかったか、と思ったが、冷めた弁当よりも温かいできたての方がいいだろうと黙っていた。弁当が残っているのなら、後で自分が食べればいい。


 台所に入って行く母親の背中を見送ってから、そうだ、と思いついた。


 しばらく実家こっちにいた方がいい。少なくとも、真紀が学校に行っていない時間は家にいよう、と決めた。


 カバンから講義の時間割を引っ張り出し、明日以降の予定を確かめた。バイトのシフトをずらしてもらって、友人との予定もキャンセルだ。面接用のスーツは部屋に取りに帰らなくてはならないが、着替えはここにも置いてあるし、講義の教科書は大学のロッカーの中だから、そんなに荷物は必要ない。

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