第11話 マキ(2) 自分の番

 アツシが事故にったとき、マキは何もできなかった。あっという間の出来事で、そのあと救急車が来て人だかりの中からアツシが運ばれるまで、その場から動けなかった。


 今思えば、駆けつけるなり、救急に電話をするなり、何かするべきだったのだろう。授業の一環で、緊急時の救命方法の実習をやったこともある。だが、あの時のマキは、頭が真っ白になっていて、体を動かすどころではなかった。


 騒ぎが収まったころに、その場にいた誰かが心配して声をかけてくれたのだが、何と返事をしたのか覚えていない。同じ制服を着た生徒が、うずくまって吐いていたり、嗚咽おえつを漏らして泣いていたことははっきりと記憶していた。


 生徒から連絡がいったのか、一緒に葬儀に参加していた教師たちが駆けつけて、残っていた生徒に帰宅をうながした。


 マキはスマホで帰宅経路を検索して、一人で家に帰った。淡々と電車を待ち、乗り、乗り換える自分を、幽体離脱でもしているように第三者目線で客観的に見ていた。


 カギを開け、誰もいない家に入ると、嗅ぎ慣れている空気に、ほっと息をついた。随分長く息を止めていたような気がする。


 アツシはどうなったのだろう。死んだのだろうか。あれだけの衝撃を受けて、人間が生きていられるとは思えない。血もたくさん出ていた。


 口の中がひどく乾いていて、水を飲もうとペットボトルからコップにそそいだが、無表情を維持していた顔の筋肉は固まっていて、手でほぐさないと口を開けることさえ難しかった。




 次の日、数学の授業を受けながら、マキは手元のスマホを気にしていた。もちろん授業中にスマホを触るのは禁止だから、教科書の下に隠してこっそりと見ている。着信音は元より、バイブ音でも鳴ったら没収で、ポケットには入れておけない。


 クラスの誰もがそんな状態だった。空気が浮ついている。中には堂々とスマホを手にしている者もいた。みんなチャットをしているのだ。


 それもそのはず、三日前の金曜日に隣のクラスの男子生徒――ミツルが死んだのだ。そして次の日の土曜日にそのクラスの女子生徒――ジュンコが死んだ。昨日の月曜日はミツルの葬式で、その帰りに同じく隣のクラスの男子生徒――アツシが交通事故にあった。教師の話によると、命は助かったが、重症をったらしい。


 そんな状態では授業どころではない。数学の教師も淡々と授業は進めてはいても、教室の中の異様な空気は当然察していて、スマホ利用も見て見ぬふりをしていた。


 友達の少ないマキの参加しているチャットは少ないが、それでもメッセージのやり取りは活発だった。


 最初はただ情報交換がなされていて、ミツルの悲惨な最期さいごだとか、ジュンコがラブホテルで自殺しただとか、嘘なのか本当なのか分からない内容だった。


 だが、アツシの事故が重なると様相が変わった。


 あのクラスは呪われている――。


 そう言われるようになった。当然の流れだ。この四日間で三人もの生徒が犠牲ぎせいになっているのだから。アツシが事故に遭ったのはユナのせいだという話も出ていて、しかしユナも故意にやったわけではないから、ある意味被害者とも言える。


 三人の事故に関連は何もない。ミツルとアツシは同じ交通事故だが、同時に巻き込まれたのならともかく、時間も場所も違うのだから、関連を持たせようがない。偶然でしかない。たまたま重なっただけだ。


 とはいえ、マキたちは別のクラスだからまだいいが、隣のクラスの生徒は気が気でないに違いない。なんとなく、自分にわざわいが降りかかってくるのでは、戦々恐々としているだろう。


 朝、ちらりと教室をのぞいたら、二人の机の上に小さな花瓶かびんと白い菊の花が飾ってあった。あの時と同じように。


 あれも気分のいいものではない。ただの欠席ではなく、本当に死んだのだという事実を突きつけられる。しかし供養くようなので、自分の感情を理由に置かないで欲しいとは誰も言えない。


 マキがスマホを気にしているのは、そんな野次馬のような気持ちからではなかった。いつものチャットの着信を待っているのだ。


 メンバーは五人そろっている。だが、死んだ二人は脱退をしていないだけで、実体は三人になってしまった。


 何か送るべきなのかもしれないが、何を送っても二人の神経を逆なですると思った。大丈夫なわけがない。平気なわけがない。怪我の状態を聞いた所でどうするのか。ユナのせいではないと送れば暗にそうだと言っているようなものだ。


 自分からは何を送ればいいのかわからないから、二人のどちらかからメッセージが送られてきたらすぐに反応しようと思って、こうやってずっとスマホを見ている。


 そんな時、ぱたぱたと廊下を走る音がして、突然教室の前のドアがガラリと開いた。


 板書を取っている生徒や、居眠りを決めていた生徒が、一斉に入り口を見る。


 そこにいたのはユナだ。制服を着ておらず、私服姿だ。いつも真っぐに整えられている髪を振り乱し、息を荒くしてものすごい形相ぎょうそうをしていた。


 呆気あっけにとられた生徒たちに見つめられる中、ユナがさっと視線を走らせる。


 目が合った。


 バチッと音がしたと感じる程の、強烈な視線だった。


 ユナがマキに向かって猛進してくる。


 マキは驚いて身を引いたが、逃げようと立ち上がりかけた胸ぐらをつかまれた。


 ブチッと音がして、ブラウスのボタンがちぎれた。


 とんでもない力で体を引き上げられる。


「あんたのせいだ! 何もかも!」


 顔が触れるのではないかという距離で怒鳴られた。


 どくん、と心臓が鳴った。


 あんたのせいだ――。


「ミツルが死んだのも、ジュンコが死んだのも、アツシが事故に遭ったのも、全部あんたのせいだ! 二人はあんたが殺したし、アツシを突き飛ばしたのもあんた!」

「ちが……っ」


 マキは否定しようと、首をわずかに振った。


 ミツルが死んだ時、マキは自宅にいた。ジュンコが死んだ時も、自宅にいた。


 アツシが事故に遭った時はすぐ後ろにいたが、マキは何もしていない。アツシに触れてすらいない。ましてや突き飛ばすなど。


 それはその場にいた誰もが知っていた。アツシはユナの腕を振りほどこうとして、自分から車道に飛び出したのだ。少なくともマキのせいではない。決して。


 だが、あんたのせいだ、という言葉は、マキの心に強く突き刺さった。


 突然の事に驚くクラスメイトたちのぽかんと開いた口が動いた。


 お前のせいだ。お前のせいだ。お前のせいだ。


 声はわんわんと重なって、マキを責めた。


 お前のせいだ。お前のせいだ。お前のせいだ。


 どこから取り出したのか、ユナがカッターナイフを振り上げる。


 鈍く光るその刃を見て、マキはさとった。


 次は私の番なのだ、と。


 ミツル、ジュンコ、アツシに続いて、ただ自分の順番が回ってきただけだ。


 これはむくいなのだ。


 隣のクラスが呪われているわけではない。呪われているとしたら、自分たち五人だった。


 覚悟を決めて、マキは振り下ろされるのを待った。


 だが、すんでの所で、それを止める手があった。


 教壇きょうだんの上で立ち尽くしていた数学の教師が我に返り、ユナの腕をつかんだのだ。


 後から教室に入ってきた教師も加わり、あっという間にユナは取り押さえられた。


 床に引き倒されたユナの瞳孔どうこうの開いた目が、マキをとらえた。憎しみがあふれている。


「お前のせいだ! お前が殺したんだ!」


 体をこわばらせるマキの前で、ユナは教師達に教室の外へと引きずり出されていった。




 騒ぎを聞きつけて様子を見に来た他のクラスの生徒達は解散させられ、マキたちのクラスの授業は中止され、自習になった。


 駆けつけた担任の女教師に付き添われて応接室にいると、しばらくして仕事を切り上げた母親が迎えに来た。


 母親がぺこぺこと教師達に頭を下げているのを他人ひと事のように見て、マキは母親と共にタクシーに乗った。タクシーの中で二人は無言だった。


 帰宅して居間のソファに座ると、母親が隣に座ってマキを抱きしめた。怖かったね、と優しい声をかけられる。


 怖かった。


 仕方のないことなのだとしても。


 あのままユナの手が振り下ろされていたら、今頃マキは顔に深い傷をっていたはずだ。失明したかもしれないし、殺されていたかもしれない。


 母親の肩に頭を預けると、体温の温かさに涙が出そうになった。


 その耳に、母親がささやく。


「お前のせいだ」


 ばっと顔を上げると、母親は「ん?」と不思議そうな顔をした。


 母親が言うはずがない。


 だが、マキにはこのまま母親と一緒にいることができなかった。


「あの、私、部屋にいくね」


 母親は目の届くところにいて欲しいようだったが、マキが一人になりたい、と言うと同意してくれた。


 自室に入り、黄緑のラグの上に座ってベッドにもたれ、ピンクのハートのクッションを抱きしめる。


 ドアの向こうから母親の声がした。仕事中の父親と電話をしているようだ。帰れない、と言われているのだろう。こんな時くらい、と母親が言っている。いつものことだ。父親は子どもに無関心だった。


 机の上に置いたスマホの通知ランプがチカチカと光っている。今頃クラスのチャットでは、先ほどの襲撃のことが話題になっているのだろう。当事者のマキも参加しているチャットで話すのは無神経だが、たぶんクラスメイトはマキの心情のことなど気にしてはいない。


 友達からのメッセージも読む気になれず、なんとはなしにグループ一覧をスクロールする。よく使うグループはピン留めしてあって上位にあるが、企業の公式チャットや使っていないグループは下位に並んでいた。


 ふと、あるアイコンに目がとまった。教室のドアの上についているクラスの札の写真がアイコンになっている。


 通知数を表す数字はついていない。当然だ。もう使われていないチャットなのだから。これからも二度と使われないだろう。


 タップして、チャット画面を開いた。


 最新のメッセージは四ヶ月前。まだ一年生だった時のものだ。ひどく冷え込んでいて、東京には珍しく雪のちらつく日だった。


 グループのメンバーは六人。


 このメッセージを最後に、アツシが新しいチャットグループを作り、全員がそちらに移った。


 無意識にスクロールしかけて、手を止める。電源ボタンを押して画面を消す。過去の会話を見る勇気はなかった。


 抱えたクッションに顔をうずめる。


 お前のせいだ! お前が殺したんだ!


 さっきユナに言われた言葉を思い出す。振りかぶった手と、怒りに満ちた目も。


 その時、ノックの音と共に、部屋のドアが開いた。母親だった。


 ミルクティを作ってくれたらしい。トレイの上には、マグカップの隣にクッキーが三枚乗っていた。


 一人で大丈夫かと聞かれ、大丈夫だと答えた。あの時みたいな、れ物に触るような扱いをされたくなかった。優しくされると余計に自分の罪を自覚する。


 母親はマキの兄が帰ってくると言った。普段は都内の離れた所で一人暮らしをしているが、たまに帰って来る。今は就活で忙しいはずだが、母親がマキが同級生にカッターで切りつけられそうになったと話せば、飛んでくるに決まっていた。


 大学から真っ直ぐ帰ってくると言うから、程なくして帰宅するだろう。講義をほっぽり出してくるのかもしれない。面接でさえもドタキャンしそうで、マキは少し心配になった。そこまでしなくてもいいのに。


 マキが一番話をしやすいのは兄だ。歳が近すぎも離れすぎもなくて、マキの話を親身になって聞いてくれる。できるだけのことをしてくれて、頼れる兄だった。あの時も、側にいて欲しい時は黙って側にいてくれたし、一人になりたい時はそっとしておいてくれた。


 話を聞いてもらいたい。全てを打ち明けたら、兄はどんな反応をするだろう。マキのことを軽蔑けいべつするだろうか。仕方がなかったのだとなぐさめてくれるだろうか。


 駄目だ。


 マキはクッションをぎゅっと抱きしめた。


 楽になろうとしては駄目だ。この罪の痛みはずっと抱えていかなくては。それが贖罪しょくざいなのだから。


 そして、次に自分の番がきたら、今度こそ静かに受け入れよう。


 

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