第9話 アツシ(2) 切断

 事故の翌日の昼に担任からクラスの連絡用チャットにメッセージが来て、ミツルが死んだことは他の生徒も知ることとなった。話題は生徒だけのチャットに引き継がれて通知はあっという間に上限を超え、葬式にはクラス全員で参加しようという話になった。


 その中で通夜に呼ばれたのはアツシだけだ。アツシはミツルと特に仲が良かったということでミツルの母親にも知られており、昨夜のうちにアツシの母親経由で連絡が来たのだった。


 ミツルの通夜つやは、本人のいい加減な性格とは裏腹に、形式にのっとって粛々しゅくしゅくと行われた。


 電話では気丈きじょうに振る舞っていたミツルの母親だったが、通夜では茫然ぼうぜんとしていて、誰かが話しかけても上の空だった。訪問客を接待していたのは、赴任先から急いで帰ってきたという父親だった。


 だがその父親も、事の経緯を話す段になって、涙を見せた。ミツルは父親の誕生日を祝うために母親と向かっている途中で事故にあったらしい。誰も母親のせいだとは言わなかったが、ミツルの乗っていた乗用車が急ブレーキをかけた事が直接の原因であるのはニュースで報じられていた。


 事故を起こした母親だけでなく、父親も自分のせいだと責め続けることになるのだろう。


 淡々と儀式を済ませ、ご愁傷しゅうしょう様、と声をかけてから帰宅した。


 わずかに線香くさくなった制服を脱いで着替え、ベッドに寝転がった。


 涙は出てこなかった。


 正直、ミツルが死んで悲しいと感じていなかった。死んだと聞いて、ああそうなのか、と思った。これからは放課後ミツルと会うことはないのだ、というくらいの感想だ。


 若くして死んだことへの同情はあっても、ミツルの死をいたむ気持ちはない。


 薄情なのかもしれないが、そこまで他人に関心がなかった。ずるずると関係を続けているユナが死んでも何とも思わないだろう。


 それよりも、ミツルの死に方の方が気になった。ニュースでは言っていなかったものの、SNSでは、目撃者の話やら憶測やら反対車線を走っていた車のドライブレコーダーの動画やらが飛び交っていて、ミツルの死因が噂になっていた。


 どうやら、腹を鉄パイプが貫通したらしい。そしてその状態でしばらく生きていたそうだ。


 パイプは前のトラックの積み荷で、それを固定していたワイヤーが緩んだことに気づいた運転手が軽くブレーキを踏み、ブレーキランプに驚いた母親が急ブレーキをかけてしまった。減速した乗用車に後ろにいたトラックが衝突し、玉突きになって前のトラックに追突、衝撃で固定が緩んでいた積み荷のパイプが崩れ、それがミツルの腹に刺さった。


 崩れ落ちたくらいでは肉体を貫通することなどなかっただろうが、運悪く反対側の先端がトラックの車体に当たり、パイプが押し込まれてしまった。それがつっかえ棒になって乗用車はぺちゃんこに潰れることを逃れ、母親は軽症で済んだらしい。


 もう一人の犠牲者は後ろのトラックの運転手だ。


 後ろのトラックはミツルの車に何度か衝突したあと、停止。その時点で運転手は生きていたが、慌てて運転席から飛び出した所を、追い越し車線を走り抜けた車に跳ね飛ばされて死亡した。


 ミツルは救急車に乗るまでは息があったものの、搬送はんそう先の病院で死亡か確認された。


 スマホを放り投げ、片腕で目を覆う。


 死因を知ったところで、やはり涙は出てこなかった。可哀想かわいそうだという気持ちしか起きない。


 しばらくそうした後、ユナたちに通夜に出た報告でもするか、ともう一度スマホ手にした時、メッセージ着信の通知に気がついた。通夜の間に通知音をミュートにしていたままで、振動も切っていた。


 送信者はあの三人ではなく、知らない名前だった。


 だが、アイコンの髪を盛った自撮り画像を見て思い出す。確かジュンコの友人だ。一度ジュンコと街で遭遇したときにその場のノリで連絡先を交換し、それ以来一度も連絡は来ていなかった。


純子じゅんこが死んじゃったって聞いた?』


 ――ジュンコも?


 寝耳に水だった。


 詳しいことを聞くと、今日の昼にラブホテルの浴室で溺死できししていたのを発見されていたらしい。自殺の様相が見えなかったことから、警察が捜査そうさをしているとのことだった。


 真偽を確かめようとニュースサイトをあさったが、特にそういった内容の記事は出てこなかった。ミツルのようなセンセーショナルな事件ではないから載っていないのか、単に嘘をつかれているだけなのか、わからない。


 だが、普段は適当な言葉を使っているだろう相手が、精一杯丁寧な言葉を使ってメッセージを送ってきているのが伝わってきて、どうやら本当のことらしい、とアツシは判断した。


 ただ、ユナたちのチャットに連絡するのは躊躇ためらわれた。自分では本当の事だろうとは思ったが、万が一ということもある。誤情報ガセだったら格好がつかない。


 真実ならばそのうちまた担任から連絡がくるだろう、と放置する。


 すると、程なくして担任からまたメッセージが来た。


 予想通り、ジュンコも死んだという内容だった。さすがにラブホテルという単語は出てはこずに、事故死とだけ書いてあった。葬式の日程は未定だ。捜査中だからなのだろう。司法解剖かいぼうが終わらないと返してもらえないのだ。


 これには誰もがショックを受けた。ミツルだけでも相当な衝撃なのに、二人続けてである。在学中に同じ学校の生徒の死に直面することなどそうそうないだろうに、アツシたちはこれで三人目だった。


 ユナからも連絡が入る。


『ユナ:ジュンコも死んだって本当?』

『アツシ:ジュンコの友達からも連絡きた。本当らしい』

『ユナ:なんで?』

『アツシ:溺死だって』

『ユナ:そうじゃなくて、なんでジュンコまでってこと!』


 それをアツシに聞かれても困る。運が悪かったとしか思えない。ジュンコは他殺かもしれないが、ラブホテルで殺されるなど、事故のようなものだろう。


『マキ:ジュンコさんも亡くなったの?』

『ユナ:だからそうだって言ってるでしょ!』


 マキは別のクラスだから、まだ正式な連絡は来ていないのだろう。聞き返したくなる気持ちはわかる。ミツルのこともさえも、正確な情報は知らないのかもしれない。


『ユナ:溺死ってなんで?』

『ユナ:どこで?』

『アツシ:ラブホ』

『ユナ:は?ジュンコが?ラブホに行くわけないじゃん』


 それもそうだ。ジュンコはその見かけによらず身持ちは堅かった。自分からラブホテルに行くとは思えない。付き合っている相手も好きな男もいるとは聞いていなかった。何らかの事故に巻き込まれたということで間違いなさそうだ。


 その後もユナはおかしいおかしいと言っていたが、だからといってアツシに何か言えるわけでもなかった。




 日曜日を挟んだ月曜日、ミツルの葬式が行われた。平日だったが、アツシたちの学年は授業が休みになり、希望者が参加できるようになっていた。


 アツシの予想よりも多くの生徒が参加していた。神妙な面持おももちで焼香しょうこうをしている。泣いているクラスの女子もいた。ミツルとそれほど親しかったわけでもないのに。


 母親はほうけていた前日とは一転、ずっと泣いていた。ふと、事故を起こした張本人なのに、警察にいなくていいのだろうか、と思った。逃亡の意思がないとして猶予ゆうよされているのかもしれない。


 さすがにアツシも火葬までついては行かず、クラスメイトと共に帰路についた。葬儀場を出て気持ちが切り替わったのか、雑談に笑顔を見せる級友もいる。現金なものだ。


 隣を歩いているユナは泣いている。斜め後ろにいるマキはうつむいていた。


 なんで、なんで、とユナはずっとつぶやいていた。ミツルのことだけではないのだろう。ミツルとジュンコの二人をうしなって、悲しくて仕方がないのだ。


 五人のグループは一気に三人に減ってしまった。もう解散だ。早いうちにユナも切ろう。


 いや、今の方がいい。二人がいなくなったことで、ユナがアツシに依存し始めるかもしれない。そうなれば切るのが難しくなる。


 それに――ユナは友人を二人も亡くした悲しみのどん底にいる。ここでアツシまでもが突き放したらどうなるのか、興味があった。


 周りに人がいる時の方がいいと判断する。ユナはキレると面倒くさい。


 大きな通りの交差点で信号待ちをしている時、アツシはユナに話しかけた。


「ユナ、話があるんだ」


 なるべく優しい声を出す。


「何?」

「別れて欲しい」


 アツシを見上げる真っ赤な目が見開かれた。溜まっていた涙がぽろりと落ちる。


 後ろでマキがびくりと体を震わせた。周りで声を拾ったクラスメイトたちも息を飲む。


「なん……で?」

「ミツルとジュンコのことがつら過ぎて、少し二人と関係のある事柄から離れたいんだ。ごめん」

「嘘」


 ユナはすぐにアツシの虚言きょげんを見抜いた。クラスメイトには優等生で通っているが、アツシがそんなタマではないことを、ユナは知っているのだ。


「嘘じゃない。本当にショックなんだ。だから別れて欲しい。ごめん」

「やだ! わたし、絶対に別れない!」


 アツシが穏やかに話しているというのに、ユナは大声を上げた。アツシにすがりつく。


「こんな時にそんなこと言わないで! ひどいよ!」

「自分勝手でごめん。でももう、ユナとは付き合っていけない。ごめん」

「いや! 絶対にいや!」


 ユナがアツシの腕を引っ張る。


 鬱陶うっとうしくなって、アツシは力任せにそれを振り払おうとした。


うるさいな」


 小声で呟いた言葉が聞こえたのか、ユナがばっと腕を放した。


 結果、腕がユナの手から引っこ抜けるようになり、アツシはバランスを崩した。


「アツシ!」


 伸ばしたユナの手につかまることが出来ず、蹈鞴たたらを踏んで横断歩道の上へとまろび出る。


 そこにスピードを出したワゴン車が突っ込んできた。


 ブレーキの音がするのと同時に脇腹に衝撃を感じた。肺の中の空気が全て押し出され、体が宙に浮く。


 かれたのだ、と思った。


 大きく跳ね飛ばされたアツシは、背中から道路の上に叩きつけられた。遅れて二つの衝撃の痛みがやってくる。痛みのせいなのか、衝撃のせいなのか、上手く息が出来ない。


 酸素を求めてあえいだアツシを、さらなる衝撃が襲う。


 急に止まったワゴン車の横を抜けようとしたバイクが、車線に転がったアツシの下半身に乗り上げた。バイクのタイヤが滑り、運転手が投げ出された。


 キーンという耳鳴りの中に、バキバキッと嫌な音が聞こえた。


 早く歩道に戻らなければ。


 なぜか痛みがなくなり、アツシは冷静に考えた。

 

 起き上がろうとして、足に力が入らなかった。腕と腹筋の力で上半身を起こす。


「うわぁぁぁっ!」


 自分の両足があり得ない方向に曲がっていた。どちらもすねの途中から脹脛ふくらはぎの方へと曲がっていて、破れた制服のスラックスから折れた骨が見えていた。


 誰かが駆け寄ってくる。救急車、という声も聞こえた。


 アツシは白目をむいて気絶した。


 



 目を覚ますと病室にいた。


 ピッピッピッと心電図の音が聞こえてくる。消毒液の匂いがした。ベッドをぐるりとカーテンが囲っている。


 ああ、車にかれたんだった、と思う。どうやら自分は生きているらしい。ミツルのような悲惨な目にはわなかった。


 腕には点滴がついていて、包帯が巻かれていた。麻酔が効いているのか、痛みはなにもなかった。感覚も曖昧あいまいだ。包帯をぐるぐる巻きにされた右足は天井からられている。アニメか漫画みたいだった。


 左足はどうなのかと動かそうとしたが失敗した。こちらも固定されているのかと思ったが、感覚が全くない。


 体を起こして違和感を覚える。布団の足のあるはずの所がふくらんでいない。手で押さえてみると、ひざから下には何もなかった。


 驚き過ぎて声が出ない。これはどういうことだろうか。足がない?


 その時、カーテンが揺れた。


 入ってきた母親は、アツシが体を起こしているのを見て、ばっと顔を近づけてきた。


篤史あつし! ああ、良かった!」


 母親の目から涙がこぼれて、心の底から安堵あんどしているのがわかった。


「お母さん、俺、足が――」

「せ、先生を呼んでくるわね」


 すぐにやってきた医者は、アツシを寝かし直して、怪我の状態を伝えた。


 頭や腕はなんともなく、肋骨ろっこつにはヒビが入っているからしばらく安静が必要で、両足は複雑骨折をしていて、右足は再建することができたが麻痺まひが残るかもしれない。左足は傷の具合が酷く、切断するしかなかった。


 切断――。


 そうして初めて、アツシは自分が左足を失ったことを理解した。


「……スマホ」

「え?」

「スマホは?」

「あるけど、壊れちゃったみたい」


 母親が差し出したスマホは、車にかれたのか、前面のガラスがバキバキに割れていた。電源ボタンを押しても画面がつかない。長押ししても無駄だった。


「充電」

「え?」

「充電しておいて」

「でも……」


 スマホはフレームもゆがんでいる。充電しても無駄だろう。アツシにもわかっていたが、そう言うしかなかった。


「ほら、もう寝なさい」


 母親が優しく言い、医者が点滴に加えた薬が効いてきたのか、それからすぐにアツシは眠りについた。

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