第7話 ジュンコ(2)ー1 罰ゲーム

 アツシから最下位だと言われて、ジュンコは焦った。罰ゲームは受けたくない。これまで、なんだかんだでジュンコは罰ゲームをかわしていて、それほど受けたことはなかった。


 ユナかマキがつまらない画像を送ってくれば大丈夫だ。ユナはアツシの好みを押さえていてゲームでは上位を取ることが多いから、期待するとしたらマキだった。空気を読んでしょぼい写真を送ってこい、と念じた。


 たった今心霊写真を撮ったばかりの湯船に浸かる。いつもなら遊び歩いている時間だが、今日は放課後の集まりがなかったからまっすぐに帰ってきた。


 画像にあった水槽の中のワカメのような髪を思い出して、湯がぬるぬるしているように感じたが、入浴剤も入れていないのにそんなわけはない、と思い直す。


 湯船から出て髪と顔を洗う時は、見ていないうちに何かが出てくるのかと想像して怖かったし、体を洗うときは鏡を見るのが怖くて、シャワーの湯をかけることはせずに曇ったままにしておいた。が、それはそれでまた怖くて、結局曇りを取って何も映っていないことを確かめてしまった。


 風呂から上がり、スキンケアをして髪を乾かした後、脱衣所から出るのも怖かった。いま家にいるのはジュンコだけだ。風呂と脱衣所以外の場所は電気を消してある。


 ミツルが自分の家の中の写真をたくさん送ってくるせいで、自分の家にも何かがいるような気がしてしまう。実際、ジュンコがアプリで撮影すれば、そこかしこに化け物がいるような写真が撮れるだろう。


 物音一つでもしようものなら悲鳴を上げてしまいそうで、ジュンコは急いで部屋に駆け込んで布団をかぶった。布団の中は真っ暗だが、包まれているのは安心する。スマホをつければ画面の光で明るくなり、恐怖は収まった。


 上部の通知欄にはチャットアプリのアイコンがついていて、ホーム画面のアイコンにも通知数を知らせる数字が出ていた。風呂にいる間ににずいぶんメッセージが送られてきたらしい。


 アツシたちのチャットは意図的にさけ、先にギャル友のチャットを開ける。今日行かなかったことへの文句と、今からでも来ないかという誘いだった。急遽きゅうきょ大学生と合コンをしているらしい。


 もう入浴を済ませてしまったジュンコは、犬が前脚でバッテンをしているスタンプで断った。これから外出するのは億劫おっくうだし、今夜はもうこの安全地帯から出たくない。


 他のチャットも開いて一通り返事をした後、最後に祈るようにしてアツシたちのチャットを開いた。


 未読を示すラインから下を読んでいくと、マキが画像を送ってきていた。自宅のソファに座っている写真だ。握った両手をひざの上に置いて腕をぴんと伸ばし、緊張した顔をしている。家族にでも撮ってもらったのだろうか、全身が写っていた。


 その後ろに立っている人影がある。言葉通りの「影」だった。真っ黒で輪郭りんかくはくっきりとしている。


 その両手、手首から先だけが青白く実体を伴っていた。そして、爪まではっきりと見えるリアルなその手が、後ろからマキの首をめていた。指が食い込みそうな程ぎりぎりと絞め上げているのに、当のマキは苦しそうではなく、手の存在を全く意識していない。


 ――自分を写してくるなんて。


 ジュンコはマニキュアを塗った爪に歯を立てた。


 昨日の事故を気にしているから、自撮りはしたくなかった。授業中に数学教師の写真を送ってきたとき、眠りをさまたげられたジュンコは、ミツルのあまりの無神経さに驚いて吹き出してしまった。このあと教師が些細ささいな怪我でもしようものなら、ずっとそれを気にする羽目はめになるのに。


 結果的にあの女は車の両輪の間にいて、転んだ時に頭を打っただけで済んだが、目の前で事故が起こり、その直前に事故を予言するような画像を見てしまって、ジュンコは心臓が縮み上がる思いをした。


 だが、マキはあの女の画像しか見ていない。甲高かんだかいブレーキの音も、タイヤのゴムがアスファルトにれて焼ける嫌なにおいも、誰かが救急車を呼べと叫ぶ声も、赤いパトライトの光も知らない。


 だから自撮りも怖くはないのだ。


 自分も撮れば良かった、と後悔する。ジュンコはまだ最下位のままだ。


 頼みの綱のマキが駄目だったので、ジュンコはユナに希望を託した。


 しかし、そのユナがなかなか画像を送ってこない。期限は朝だ。寝落ちしてしまったのだろうか。このまま送ってこなければ、不戦勝で罰ゲームを逃れることができる。


 いつもの夜型の生活のせいで全く眠れなかったジュンコは、好きなブランドの新作をチェックしたり、動画を見たりして夜を過ごした。


 そしてようやく、五時頃にユナが画像を送ってきた。「朝」の定義次第ではタイムオーバーだ、と思いながら画像を開いて、マキは口元を緩めた。


 勝った。


 ユナが送ってきたのは、扉の隙間から目が見えるだけの画像だった。どうしてこんなありきたりな画像を送ってきたのか理解できない。似たような画像はミツルが散々撮っていて、アツシも見飽きているだろう。本当に眠ってしまって、ダメ元で送ったのだろうか。


 もしかすると、ジュンコが可哀想になって身代わりになってくれたのかもしれない。だとすると、相当なお人好ひとよしだ。ここのところアツシがずっとイライラしているのを知らないはずはないのに。


 理由は何にせよ、とにかく、これなら確実にジュンコの画像の方が怖い。


 ほっとしたジュンコは生あくびを一つして、登校時間までの短い間、うつらうつらとして過ごした。




 次の日の放課後、教室に全員が集まると、アツシは四人を屋上に連れて行った。


 屋上は立ち入り禁止でカギが掛かっている。だがアツシは度々たびたび職員室からそれを盗んできていた。教師の手伝いでよく出入りするから、怪しまれずにってこれるらしい。誰も屋上のカギなど気にしていないのだと言う。


 校舎の一番端の階段を一番上まで上がり、アツシが「屋上」のふだのついたカギで扉を開けると、少し暑い風が吹き込んできた。


 コンクリートの打ちっぱなしの屋上は、緑色のフェンスで囲まれているが、何のためについているのか疑問だ。立ち入り禁止なのだから、誰かが誤って落ちることはないし、故意に落ちようとするならば乗り越えればいいだけだ。


 全員が屋上に足を踏み入れると、先導していたアツシが体ごと振り返った。


 今日一日、ユナは浮かない顔をしていた。無理もない。アツシもあえて発表はしなかったが、昨夜の勝負はユナの最下位で決まりなのだから。


「ユナ、のぼって」


 アツシはフェンスを指差した。


 ユナが眉を寄せる。


「向こう側まで降りれたら終わり」


 なぁんだ。


 罰ゲームを聞いて、ジュンコは拍子抜けした。思ったよりも簡単だ。フェンスの反対側まで行くだけ。もっと酷いことをさせられるのかと思っていた。


 ユナも同じことを思ったのだろう。何も言わずにフェンスまで行き、手と上履きを履いた足をかけ始めた。風でスカートがめくり上がるのも気にせずに上がっていく。


 それもそのはずだ。ユナはスカートの下にジャージを履いていた。まさかこの罰ゲームの予想を的中させたのではないだろうが、ある程度のことには対応できるように、と準備をしたのだろう。


 アツシは無表情で、ミツルはニヤニヤとしながら、迷いなくどんどん上っていくユナを見守っていた。


 一人、マキが青い顔をしている。ガタガタと震えていて、今にも倒れそうだった。胸の前で祈るように手を組んでいる。落ちるのを心配しているのだろう。


 落ちるわけないのに。


 フェンスはやや内側にあるから、反対側まで向こう側まで行ったとして、端まではまだ一歩距離がある。自分で飛び降りるか、誰かが突き飛ばすかしなければ、落ちるはずがない。


 ユナはフェンスを乗り越えるときに一瞬躊躇ちゅうちょしたが、その後は上る時と同じペースで確実に降りていき、危なげなく向こう側へと到達した。


「そこで止まって」


 罰ゲームを終えて戻ろうとしたユナを、アツシが止める。


「ひっ」


 悲鳴を上げたのはユナではなく、安全な場所にいるマキだった。何をそんなに恐れているのだろう。まさかアツシが端まで行けと言うとでも思っているのか。罰ゲームは完遂かんすいされたのだから、アツシもそれ以上のことは言わない。相手がマキだったら最初からそう言ったかもしれないけれど。


「ミツル、カメラ」


 言われてミツルが尻ポケットからスマホを取り出した。アプリを立ち上げて、フェンスを両手でつかむユナに向ける。


 それまで平気な顔をしていたユナの顔色がさっと変わった。その気持ちはジュンコにもわかった。ユナもあの事故のことを思い出し、撮影されるのが嫌なのだろう。


 ユナが何かを言おうとして口を開けた。


 が、結局は何も言わず、口を引き結んだ。


 フェンスの向こう側で両指をフェンスの菱形に絡めているユナと、それを撮影するミツル。なんだか動物園にでもいるようで、くすりと笑いが漏れた。


「片手離せるー?」


 スマホを構えながら、ミツルが言う。ユナはそのリクエストにこたえて、片手を離してみせた。


 カシャッと音がした後、ユナはまたするするとフェンスを上ってこちら側に戻って来た。途中で手を離してひょいっと飛び降りる。


 ミツルがチャットに上げた画像は、逆光になっていて、ユナの表情がよく見えなかったが、心霊部分は相変わらずはっきりと写っていた。


 精霊のような薄く透けている人物が、ユナの離した方の手をつかんで、空へと飛び立とうとしていた。翼や輪はないが、こんな風に天使がいざなっている絵画がありそうだ。


 綺麗な画像が撮れたからなのか、ユナは満更まんざらではない顔をしている。ジュンコはそれが面白くなかった。マキも撮ったことだし、自分も面白い写真を撮りたい。


「ユナ、うちも撮ってよ」


 アプリを立ち上げて、ユナに自分のスマホを渡す。


 どういう姿勢で撮るのが面白いだろうか。ジュンコはちょうどさっき日本史の時間に落書きしていた、奈良の大仏の写真を思い出した。


 下着が見えないように気をつけて屋上の床に胡座あぐらをかき、右手でお金のマークを作って左手を挙げた。目を閉じると、ぷっとミツルの笑い声が聞こえてきた。日中の日に温められたコンクリートが温かい。


「逆」

「逆?」

「手」


 アツシに言われて目を開ける。どうやら手が逆だったらしい。


「撮るよ」


 ユナの声に続いて、シャッター音が聞こえてきた。


 暗転したスマホを受け取って、画像を表示されるのを待つ。


「ええー……」


 片手がジュンコの右肩に乗っていた。


 写っていたのはそれだけだ。たったそれだけ。ミツルのように幽霊が写ってもいなければ、ユナのように精霊が写ってもいない。マキのような影すらなく、手首から先の手だけだ。マキの二番せんじですらない。


 チャットで送ると、みんなの反応も微妙だった。


 心霊写真として見れば十分なのだが、ここまで色々な画像を見ているから、物足りないとしか思えない。


「ね、アツシも撮ろうよ。あとアツシだけだよ」


 ユナがアツシにカメラを向ける。


 アツシがはっとしてスマホの前に手をかざした。


「やめろ」


 カシャッ


「ごめん、もう撮っちゃった」


 首をすくめてユナが謝ると、アツシは嫌そうな顔をしたが、怒りはしなかった。


 ユナに送ってもらった画像は、半分以上がアツシのピンボケの手で隠れていたが、足だけはきれいに写っていた。左足の膝下までが、地面から生えている首にずっぽりとくわえられている。足を飲み込める程大きく見えないのに、食われていることがわかった。


 やはり一番インパクトがないのはジュンコの写真だ。これが勝負じゃなくてよかった、と思った。


「あっ、やべっ!」


 スマホを見ていたミツルが突然叫んだ。


「アツシ君ごめん、今日ババアに早く帰って来いって言われてるんだった!」


 母親からメッセージでも入ったのだろう。


 それを機に、ジュンコたちは解散することになった。


 その後、ジュンコは駅のトイレで、教科書やノートの代わりにカバンに詰め込んでいた私服に着替え、ギャル友のいるところまで電車で移動した。


 これから昨日合コンした大学生とカラオケに行くと聞いて、ついて行った。年上と遊ぶとおごってもらえるのがいい。バイトをしている友達も多いが、放課後の時間を潰すとアツシがいい顔をしないだろう。


 初顔合わせの大学生三人は、都内の大学の薬学部に通っているらしく、顔もまあまあ悪くなかった。歌もそこそこ上手い。こちらのメンバーは四人だ。


 明日は土曜日だから、ジュンコも大学生も学校はない。これはオールになるな、と思った。


純子じゅんこちゃん、飲んでる~?」

「飲んでない。未成年」

「堅いなー」

「だめだめ、純子はほーりつにはキビシイから」 


 そう言っているジュンコと一つしか年齢の違わない友人の手には、ビールのジョッキが握られている。十七歳のジュンコは化粧のお陰で二十歳以上にも見えるため、店側からアルコールを断られたことはない。


 だが、飲まないと決めていた。これも母親からうるさく言われてきた言葉だ。高校は卒業すること。酒とタバコとセックスは卒業してから。


 従わなくてもバレやしないが、高校に行くのは楽しいし、酒とタバコはなくても構わないし、好きな相手もいない今、セックスをしたいとは思っていない。だから縛られているつもりもなく、なんとなく守っていた。


 ブルッとスマホが震えた。アツシたちとのチャットだ。


『アツシ:ミツルが死んだ』

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