第6話 ミツル(2) ストーカー

 次の日の朝、高校に着いてすぐに、ミツルはまた写真を撮り始めた。同じ場所で撮っても違う画像になるのが面白い。アツシはもう飽きたようだが、やめろとは言われなかった。


 登校途中に撮らなかったのは、うっかり人が写るのを避けたかったからだ。昨日の事故でヒヤリとしたので、なんとなく撮るのが嫌だった。処理に時間がかかるようだし、アプリがバグっても困る。


 よく撮れたと思った画像をチャットで共有する。特によかったものは、学校が特定されないように気をつけてSNSにも流した。本垢ほんアカはカギをかけているので、捨てアカの方で投稿した。すぐに「いいね」やRTリツイートがついて気持ちがよかった。


 人は撮らないようにしていたミツルだったが、数学の教科担任に当てられて、宿題をしていなかったことを怒られたので、仕返しに撮ってやった。特徴的な髪型から、まだ三十代なのに、実は若ハゲでカツラなのでは、と噂されている教師だ。


 その肩の上に二歳くらいの子どもが乗っていて、教師の頭にしがみついている写真が撮れた。ちょうど、子どもを肩車しているような格好だった。


 カメラの音は教師に聞こえていたが、ノートの補足用に板書をカメラで撮る生徒もいる。教師を撮ったものだとは思われなかった。


 「カツラ取らないで」というコメントと共にチャットで共有すると、離れた席から「ぶっ」とジュンコが吹き出したのが聞こえてきた。


「今、笑ったのは……夏目なつめか。授業中にスマホとは余裕だな。この問題答えてみろ」

「すいませぇん。わかりませぇん」


 ジュンコが悪びれた様子もなくすまし顔で言うと、教師は代わりにアツシを指名した。アツシがすらすらと答えを言う。


 すぐにジュンコから文句が飛んできた。


 ユマからは、指を差して爆笑している猫のスタンプが、マキからは肩を震わせているくまのスタンプが送られてきた。


 ミツルがアツシに当てさせてしまったことを謝ると、代わりに、また自撮りしてきて、とメッセージが来る。


 OKとスタンプを送り、次の休み時間にトイレに向かった。


 洗面台に取り付けられている鏡に向かってボーズを決める。


 カシャッ


「うおっ」


 小便器で用を足していたクラスメイトが声を上げた。


「お前、トイレでカメラ使うとかやめろよ~。盗撮かと思ったわ」

「悪い悪い。自撮りだから」

「いや、トイレで自撮りもヤバいだろ」

「どこで撮ってもオレのびぼーはかすまない」

美貌びぼう!」


 失礼なほど爆笑したクラスメイトからスマホに視線をずらすと、もう静止画は表示されていた。


「あれ? 何もない?」


 顔の横でピースを決めるミツルのバストショットには、心霊要素は何もなかった。背景にも、天井にも。もちろんミツルの体にも何も異変はない。


 もう一枚顔のアップを撮ったが、それも普通の写真だった。


「バグった?」


 試しに洗面台だけを撮ってみたところ、目玉の大きな拳大の頭部がびっしりと詰まっている写真が撮れた。壊れたわけではないらしい。


 すぐにアツシに伝えようと思ったが、アツシは他の男子と談笑していたので、自分の席に戻って、何も写らなかったという報告とともにチャットに共有した。アツシからの反応はなかった。


 アツシが用事があるからと、その日の放課後は集まりがなかった。ミツルは退屈な思いをしながら、一人で帰った。





 夜、ベッドの上でだらだらと漫画を読んでいると、アツシからチャットが飛んできた。


『アツシ:みんな心霊写真送って。つまらなかったら罰ゲーム』

『ジュンコ:えー、うち撮るの怖いんだけどー』

『ユナ:誰が判定するの?』

『アツシ:俺』

『ミツル:それじゃアツシくんに有利すぎるじゃんwww』

『ジュンコ:アツシも参加?』

『アツシ:うん』

『ユナ:罰ゲームって何?』

『アツシ:まだ決めてない』

『ミツル:だからアツシくんに有利すぎるってwww』

『アツシ:明日の朝までね』


 突然で強引だったが、アツシが言うのならやるしかない。すぐにジュンコが「了解」のスタンプを送ってきて、ミツルも同様のスタンプを返した。しばらくしてマキのスタンプが、そしてだいぶ時間がたってからユナのスタンプが来た。


 何を撮ろうか、とミツルは考えた。家の中でもたいていの物は撮り終えている。撮り直せば別の写真も撮れるが、これだ、というインパクトのある写真を撮るにはどうしたらいいか。


 時折こうしてアツシはゲームを始める。その罰ゲームは結構えげつない。ミツルは以前させられたことを思い出して、嫌な気分になった。アレは肉体的には気持ちがよかったが、後から精神的にキツかった。


 首を振ってその記憶を追い出す。もう終わったことだ。忘れるに限る。


 とにかく、罰ゲームをさけるためには、何かいい写真を撮らなくてはならない。昼間に撮ったような笑える写真がいいのか、それとも心霊写真に相応ふさわしい怖い写真がいいのか。


 アツシが心霊写真といったからには、きっと怖い写真がいいのだろうと思い、ミツルは怖い写真が撮れそうな場所を探して家の中を歩き始めた。


 何枚か撮ってみるが、たくさん撮ってきたミツルには、どれも見慣れたようなものになってしまって、目新しくはない。


 廊下の暗がりだとか、電気のついていないトイレだとか、そういったいかにも出そうな場所ではなく、日常の中のちょっとした場所の方が怖いかもしれない。


 ミツルは自分の部屋に戻った。


 ベッドの下を撮ってみる。暗がりから両腕が出ていて、目だけが爛々らんらんと光っている写真だった。寝ているベッドの下に誰かがいるというのは確かに怖いが、ありきたりでぱっとしない。


 机の上は、頭部に手足が生えたような不気味な小さな生き物がちょこまかと動き回っていた。


 天井の隅には憤怒ふんぬ形相ぎょうそうをした鬼が張り付いている。


 照明器具のひもに髪の毛をからませてぶら下がる生首。本棚の横に浮き上がる顔のみ。椅子に座った頭のない胴体はひざにその頭を乗せている。


 部屋にどれだけあるのかという心霊現象を撮ったあと、ミツルは窓に目を向けた。そういえば、このアプリを見つけて最初に撮ったのは窓だった。


 青いカーテンとその下のレースのカーテンを開け、窓ガラスが見えるようにすると、部屋の電気を消した。自分が写り込んでしまうと、昼間のトイレのように失敗するかもしれない。


 アプリのシャーターボタンを押して撮れたのは、窓にヤモリのように張り付く子どもだった。ランドセルを背負っているのだから小学生なのだろう。にやにやと笑みを浮かべているのが不気味だ。


 これが一番怖そうだ、と思ったミツルは、ふと窓の外を見た。


 見下ろすと、マンションの前の歩道が街灯で照らされている。電球が古いのか、隣の街灯がちかちかと点滅していて、周囲がいい具合に暗くなっている街灯があった。


 あの下に何かが写ったら面白いかもしれない。


 ミツルはカメラのレンズを向けた。自分の部屋からだとわかるように、画角に窓のさんを入れた。


 カシャッと音がして、風景がアプリに切り取られる。


 狙った通り、街灯の下に人影がある写真が撮れた。明かりの割にその体は暗いが、見上げている顔だけはよく写っている。白いワンピースと長い髪の毛は、腕をミツルの腰に巻き付いていた女に似ている気がした。


 これに「ストーカーw」とコメントをつければ面白いのではないだろうか。夜に外からじっとミツルの部屋の方を見ているなんて、ストーカー以外の何者でもない。それがミツルの腰にすがりついていた女に似ているとあれば、ウケるに違いない。


 この画像を第一候補にすることにして、ミツルは同じ構図でもう一度撮った。


 すると、なんと幸運なことに、もう一度その女を撮ることが出来た。しかも今度はさっきよりも近い。女が宙に浮いているのだ。またも顔はしっかりとレンズの方を向いていて、上目遣いの目と良い具合に目が合う。無表情なのがなおのこと良い。


 さきほどの写真と連作にできる。罰ゲームを逃れられるどころか優勝かもしれない。


 いい気になったミツルは、続けて写真を撮った。


 女が近づいてきた。


 一歩下がってもう一枚。


 窓のさんに手が掛かった。ミツルが下がり過ぎたのか、女の顔は隠れて見えなかった。だが、女と同じかどうかはどうでもいい。連続しているように見えることが大事なのだ。


 続けてもう一枚。


 女の上半身が窓ガラスを通り抜けて入ってきた。テレビからい出す映画を彷彿ほうふつとさせる。違うのは、女の顔がレンズをめつけているところだ。


「はは……っ」


 ミツルはさすがに怖くなった。まさか入ってくるとは思わなかったのだ。せいぜい窓から顔を出すくらいかと想像していた。


 自分の目で窓を見ても、当然だが何もない。ただ窓ガラスがあり、それを通して、向かいのマンションとさらに後ろのマンションが見えるだけだ。


 アプリの画面で見ても同様だった。何も変な物は写っていない。当たり前だ。写真を撮って初めて、人工知能が心霊写真に加工するのだから。


 それにしても、連続して撮るとこんな面白い画像にしてくれるなんて、最近の人工知能は優秀らしい。


 次の一枚はどんな写真になるのだろう。女が部屋の中に立っていたりするのだろうか。


 ごくり、とのどを鳴らし、ミツルは目一杯下がってドアを背にして立ち、若干じゃっかん震える手でボタンを押した。


 カシャッ


 音と同時に表示される画像。


 そこには、窓の外を漂う青い人魂ひとだまが写っていた。女ではない。タイミングが遅かったのか、一連の連続写真は終わってしまったようだ。


 ミツルは無意識にほっと息をついた。


 その瞬間、ブブッとスマホが震えた。


「うわぁっ」


 驚いてスマホを放り投げてしまい、とっとっとっ、とお手玉をする。何度か粘ったが、結局スマホは床に落ちた。


 拾い上げて見れば、チャットの通知だった。さっそく誰かが画像を送ってきたらしい。


 一番乗りはアツシだった。


 車の運転席からバックミラーを撮ったようだ。後部座席がよく映るように角度が調整されている。


 後部座席に乗る幽霊でよくあるパターンは山道でヒッチハイクやタクシーを呼ぶ女だが、ミラーに映っていたのは、ぐったりと背もたれに体を預けた、くたびれた格好のサラリーマンだった。ミツルたちのようにワイシャツの第一ボタンを開け、ネクタイが緩んでいた。


 異常なのは、そのワイシャツの首から胸にかけてが血で汚れていて、その血の原因が、斜めにカットされた右の側頭部である所だ。血とともにほほに流れているどろっとした物は脳味噌みそだろうか。真っ赤な両目からは血の涙が出ていて、両方の鼻の穴と口からも血が流れていた。


 死んでいるようにも見えるし、実際にこんな大けがをしていれば死んでいるに違いがないのだが、ぎょろっと見開かれた目は、男が生きているのだろうことがうかがえた。

 

 心霊写真が送られてくるかと思っていたら、意外にもグロ画像だった。女子三人は思わず口を押さえたかもしれない。幽霊と共にスプラッタ映画も平気なミツルは特に動じなかった。


 同じようなグロい画像を撮り直すべきかと思ったが、一連のストーカー写真もインパクトがあるだろうと思い直し、順番にチャットに流した。最初に「ストーカーw」とつけ、最後に「一枚だけルールなら最後のやつ」と付け足しておく。暗い部屋の中に窓から侵入してくる画像だけでも十分怖いだろう。


『ジュンコ:これはずるい笑』

『ミツル:アツシくんのも怖いけど、オレのもなかなかっしょー?』

『アツシ:今のところミツルが優勝』


 アツシに認められて、よしっ、とミツルは片手でガッツポーズを決めた。罰ゲーム回避だ。


『ジュンコ:えー、うち大丈夫かな』

『ミツル:優勝のオレ、高みの見物』

『ジュンコ:ムカつく笑』


 そう言ってジュンコが送ってきたのは、風呂場の写真だった。明かりがついていて、半分ふたが閉まっている浴槽よくそうを斜め上から撮っている。


 張られた水の中に、黒い海藻のような物が広がっている。よくよく見ればそれは長い髪の毛だった。髪の毛の中心のわずかに盛り上がっている所が頭なのだろう。首から下は揺れる水面と蓋のせいでよく見えないが、青白い何かがあるのはわかった。


『アツシ:最下位』

『ジュンコ:マジか笑』

『ジュンコ:リベンジあり?』

『アツシ:なし』

『ジュンコ:マジか笑』


 一見ワカメが広がったようにしか見えなくて、アツシの画像の方が迫力がある。アツシの自分贔屓びいきではなく妥当だとうな判定だと思った。連続で撮れば、浴槽に潜った誰かが出てくる瞬間が撮れたかもしれないのに、とミツルはジュンコに同情した。


 その時――。


 ガチャッ


 突然、背後からドアが開く音がした。


「うわぁっ!」

「きゃっ」


 思わず上げた声に、おどかした犯人も悲鳴を上げた。母親だった。


「びっくりさせないでよ。こんな暗い部屋で何やってんの」

「おどかしたのはそっちだろ。オレが何しようが関係ねーだろーが」

「はいはい。お風呂沸いたから、早く入っちゃって」


 母親が部屋の電気をつけてからドアを閉めていった。


「マジでびびったー……」


 幽霊より生きている人間の方が怖いというのは本当のようだ。やり取りしている心霊写真なんかよりもずっと怖かった。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る