第4話 ユナ(1) 注意書き

 ミツルがアツシの機嫌を取ろうとしてこのカメラアプリを出して来た時、死ねばいいのにと思った。どうしてわざわざ自分で心霊写真を撮る気になるのか。


 ユナは本当は怖がりだ。小さい時に行った遊園地のお化け屋敷がトラウマで、怪談やホラー映画のたぐいが全て駄目だった。


 だが、それを顔に出すことは許されない。アツシに似合うのは、どんな事にも動じない強くてクールな女だ。ビビりだとわかってしまったら、きっと捨てられる。


 幸い、マキが大げさな程のリアクションで怖がってくれて、ユナは強がりをなんとか維持することが出来た。人間、極度に怖がる人を見ていると冷静になれるものだ。


 教室の中で一枚だけ撮った写真は、構内放送のスピーカーの上に生首が写っていた。スピーカーの前面を流れた赤いしずくしたたり落ちる様子が切り取られていて、ピチョンという水音が聞こえてきそうだった。


 撮影場所を探している時に、ユナはスピーカーをしたから見上げていた。もしかしたら自分の顔に落ちてきてたのかもしれない。


 自分が生首から落ちる血を浴びているという幻視をしたユナは、その場で大声で叫んで教室を飛び出してしまいたくなった。なけなしの勇気を振り絞って、それをぐっとこらえ、その画像をグループチャットに共有する。スマホの中に保存されてしまった元の画像は即行で消した。


 チャットにはジュンコとミツルが撮った写真も共有されていた。


 ジュンコは自分の机を撮ったらしく、わかりやすく狼狽うろたえていた。それをミツルが笑い飛ばす。バカな子。そんなの絶対怖いに決まってるのに。


 アツシがマキに撮らせたのは、床から人が浮き出ている写真だった。まるで床下に埋められた死体が、液状化したタイルから抜け出そうとしているように見えた。踏めばずぶりと足が飲まれてしまう気がして、もうあそこは二度と通らないと誓う。


 ユナは絶対に自分の持ち物は撮らないと決めていたのに、帰る途中に廊下でミツルがユナの鞄を撮った。


「バリこわー」


 ミツルがアツシに画面を見せてから、ユナにも向けてきた。見たくない。が、見ないわけにはいかない。


 平静を装って画像を見ると、わずかに開いているチャックの隙間から、誰かの片目がじっとこちらを見ていた。顔をぴったりと上面につけている。視線が向けられている先はカメラのレンズではなく、持ち主のユナだった。眼球の表面が涙で濡れている質感までリアルに再現されていて、息づかいまで聞こえてきそうだ。ユナは思わず吐きそうになった。


 こいつほんと死ねばいい。


 アツシが興味を無くしているのだからやめればいいのに、調子に乗りすぎだ。ミツルのこういう無神経な所が本当に嫌いだった。だがアツシが側に置いているのだから仕方がない。


「エッチ」


 女子の鞄の中を勝手に写真に撮るなんてどうかしている、という声色こわいろで言ってミツルをにらみつけ、ユナはさりげなくチャックを閉じた。帰ったら母親に開けてもらうことにする。これからしばらくは、鞄を開ける度にこの光景を思い出すことになるだろう。


 どうせなら可愛いウサギでも合成すればいいところを、作成者はなぜ心霊写真にしようと思ったのか。その神経か理解できない。


 怪談をしていると幽霊が寄ってくるという。人工のものとはいえ、こんなにたくさん心霊写真を撮っていたら、間違って寄ってきたりしないだろうか。もしかして本物が写ってしまうかも。


 間の悪いことに昇降口までの間にはトイレがあった。トイレといえば怪談の宝庫だ。花子さんしかり、赤い紙しかり、逃げ込んだ個室にノックが近づいてくる話しかり。


 トイレのドアの上部にあるりガラスに人影が映るのではないか。今にも何かが飛び出してくるのではないか。腕が出てきて引きずり込まれるのではないか。

 

 恐怖はさらに怖い想像を呼び、心臓の音が高くなる。過呼吸気味になり、ひゅうひゅうとのどが鳴り始めた。


 うついてやり過ごそうとしたユナだったが、あろうことか、アツシがトイレの前で足を止める。


「マキ、トイレ行きなよ」


 ――ユナ、写真撮ってきてよ。


 アツシの言わんことを理解して、ぷつん、とユナの緊張の糸が切れた。恐怖のゲージを振り切っていた。


 途端、猛烈な怒りがこみ上げてきた。なぜ自分がこんな怖い思いをしなくてはならないのか。発端はミツルだ。だが、アツシがこんなことを言うのは、マキが必要以上に大騒ぎするからだろう。淡々としていればアツシだってここまで興味を持たなかったはずだ。マキが悪い。何もかも。


 ユナはマキの腕をとった。反対側をジュンコが固める。


 嫌がるマキを無理矢理トイレに引きずり込んだ。そして個室に押し込める。鍵を閉めさせ、扉の閉まった個室を外から撮った。


 個室から出てきたマキは静かに泣いていた。しゃくり上げたり声を出すとアツシが怒るからだ。ずいぶん泣き方が上手くなったものだ。


 三人連れ立ってトイレから出たユナは、チャットに撮ったばかりの写真を載せた。マキの入っている個室を、ひどく長身の人間が隣の個室から見下ろしている画像だ。いい写真が撮れたとほくそ笑んだ。


 だが、カッと血の上った頭が冷えていくうちに、恐怖もまた戻って来た。今日自分が使った個室はあそこではなかったか。自分も見下ろされていたのかもしれない。生身の人間であれば変質者だが、幽霊であれば話は別だ。足の先から頭のてっぺんまで、震えが駆け上った。


 マキの泣き声が落ち着いたところで、アツシは昇降口へと歩き始めた。


 ミツルは写真を撮り続けている。逐一ちくいちそれをチャットに上げていくが、ユナは見るのをやめた。いずれ既読はつけなければならないが、画像をちゃんと見なくてもバレやしない。


 アツシはミツルを無視していたし、マキはうつむいて押し黙っている。ジュンコだけが、怖い怖いと言っていた。その割に大して怖そうではない。ノリで言っているだけで、本当は怖くもなんともないのだろう。頭がからっぽだから、想像力も貧弱なのかもしれない。


 ミツルがどこを撮っても幽霊は写る。そういうアプリなのだから当然なのだが、学校中に幽霊がいるように錯覚させた。しかし、写真に写る幽霊は常に一カ所だ。もしも学校に幽霊がうようよいるのであれば、一枚にぎっしり写るはず。


 そう言い聞かせ、ユナはなんとか昇降口を抜けた。


 だというのに、ミツルはまだ写真を撮ることをやめなかった。やれ空に顔が浮かんでいるだの、土から腕がえているだの。いい加減にしつこい。アツシが一言言えば止まるのに、何か考え事をしているようで、調子づいたミツルを止めてはくれなかった。


 学校から徒歩圏内のマキとはすぐに別れる。


「ま、また、明日っ」

「マキ」


 駆け出そうとしたマキを、アツシが呼び止めた。


「な、何?」


 ゆっくりとマキが振り返る。おどおどと上目遣いでアツシを見ていた。


「ミツルを撮って」

「え、オレ、さっき撮ったじゃん」

「いいだろ」

「いいけど」

「いや、でも……」


 撮られる側のミツルではなく、撮る側のマキが難色を示した。もごもごと何かを言っている。


「何」


 アツシがイライラとした声を上げた。はっきりしないのが一番嫌いなのだ。


「えと、あ、アプリの説明に、に、人間は撮るなって……」

「なんで」

「え、AIの、処理に、支障があるからって……」


 そんな表記あっただろうか。


 少なくとも起動するときは、そんな注意書きは出なかった。メニューがあったのかもしれないが、ユナは怖くてあまり触っていない。


「あー、あるわ。『エーアイの処理に支障をきたすので人間は撮らないで下さい』だってさ。だからオレん時だけ時間かかったのかー」

「くるくるしてたもんねぇ」


 ジュンコが爪の先を回転させ、空中に円をえがいた。


「やっぱり人間は判別が難しいのか。学習データに入っていないから? 加工用の人物画と混同する? 動物はいいのか?」


 アツシがあごに手を当ててぶつぶつと何かを言っていた。


「でもまー、いーんじゃね? 一回撮れたんだし」

「うん。マキ」


 ミツルが肩をすくめると、アツシがマキに指示を出した。マキは今度は抵抗せずにスマホを取り出す。もたもたと準備をしている間に、ミツルがガードレールに片足を乗せてポーズを取った。


「はーやーくーし――」


 マキがいつまでもシャッターを切らないのでミツルが文句を言った。その途中でシャッター音が鳴る。


「ちょ、だから撮る時は合図しろよ!」

「ごめ……っ」


 ミツルの怒鳴り声に、マキがあからさまに狼狽ろうばいした。ジュンコが無言で撮ったから真似まねしたのだろうが、あれはギャグであってわざとやったことだ。二度も続けてやるような物ではなかった。


「あっ」


 じっとスマホを見ていたマキが小さく声を上げた。写真が表示されたのだろう。


 続いて画像が送られてくる。


「やっべー、オレ目ぇつぶってっし」


 ぎゃはは、とミツルが笑う。肝心な所はそこではない。


 一枚目と同様、ミツルのウエストに女の腕が巻き付いていた。ミツルにすがりついているようにも見える。女の膝下は写っておらず、歩道を透過しているようだった。


「ふーん」


 アツシが平坦な声を出した。先ほどと同じような画像に、期待が外れてがっかりしたのだろう。


「あ、あの、私、帰っても……いいか、な?」


 おずおずとマキが聞いてくる。


「いいよ」


 てっきりもう一枚撮れと言うのかと思ったのに、アツシはあっさりとマキを解放した。


「ま、また明日っ」


 マキは逃げるようにして駆けて行った。


 四人に減ったユナたちは、駅への歩みを再開する。


 さっきの写真でまた興味を持ったのか、アツシはミツルに細かく撮影を指示していった。アツシの指示だから、ユナも画像をちゃんと見た。


「電線」


 黒い影が片手でサルのようにぶら下がっていた。電線がたわんでいるところが、まるでサルの重さで引っ張られているようだ。風で電線が揺れると、サルがギシギシと揺らしているように見える。


「自分の影」

 

 これはユナにも怖くなかった。アスファルトに長く伸びるミツルの足の影が三本になっただけだ。誰かが上手くミツルの陰に隠れて足だけを出せば、同じような影が撮れるだろう。


「散歩してるあの犬」


 画像を見て、ユナは小さく悲鳴を上げた。こっちを見ているフレンチブルドックの顔が、シワだらけの老婆の顔になっていた。


「なにこれキモっ。キモっ!」


 ジュンコが大きな声で言った。愛犬を勝手に写真を撮られ、見比べてキモいと言われたことに気を悪くしたらしい飼い主の女が、嫌な顔をした。


「おいっ」


 アツシがジュンコの腕を小突き、愛想のいい笑いで会釈えしゃくして誤魔化す。さすがのフォローだ。優等生が素行の悪い同級生をたしなめたようにしか見えなかった。


 最近はクレーマーが多い。制服を着ているし、学校のすぐ側だから、どこの生徒かはバレバレだ。学校にチクられると面倒だった。


 すれ違ってすぐに、アツシが足を止めて振り返った。ミツルに向かってあごをしゃくる。


「犬と飼い主」


 これは今までで一番時間がかかった。人面犬はすぐに出てきたようなのに、やはり人間がいると処理が大変なのか。アツシが動物がどうのこうのと言っていたから、人間と動物の組み合わせが尚さら処理しにくいのかもしれない。


「ヤバっ!」


 やっと表示されたのか、ミツルが突然大声を上げた。驚いたユナの肩が跳ねる。その声に女が振り返った。立ち止まって自分たちを見ているユナたちを見て顔をしかめる。


 アツシがミツルの後頭部をパシンと叩いた。さっきと同じ、たしなめているポーズだ。


「いてっ。アツシ君ごめんって。だってさー、これヤバいよマジで。マジマジ。マジでヤバいから」


 こそこそと小声で言うミツルが送ってきた写真を見て、ユナは息を飲んだ。


 無数の腕が飼い主の体に群がっていた。胴体はもとより、腕や脚や頭にもつかみかかっていて、女の姿など見えないほどだ。ひじより上がないその腕たちは、みな同じ方向を向いている。本体があるとしたら車道の方で、それはまるで女を車道に引っ張ろうとしているようだった。


 ジュンコが隣で「ヤバい」を連発している。


 足を止めて振り返ると、女は背を向けたまま、何事もなかったように歩いていた。その横を、リードに繋がれた犬が、小さな尻を振りながらちょこちょこと歩いている。


 と、ユナの視線に気づいたのか、女が歩きながらこちらを振り向いた。


「あっ」


 途端、何かを踏んづけたのか、女の足がよろけた。バランスを崩した女は、そのまま車道の方へとよろめいた。


 太ももの裏がガードレールに当たる。


 上半身が大きくる。


 女の両腕が宙をかいた。


 勢いを殺しきれず、女の背中がガードレールの向こう側へ。


 キキーッと鳴るかん高いブレーキ音――。


 ユナの手からスマホが滑り落ちた。

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