第3話 アツシ(1) トイレ

 五月病という言葉がある通り、五月の連休後は気怠けだるい。高校二年は、行事の全てが初体験の一年生のような新鮮さはなく、受験が迫って緊張感のある三年生とも違う、中だるみの時期でもある。


 つい最近、ハマっていたゲームをクリアしてしまって、アツシは暇を持て余していた。


 早く新しいゲームに手を出したいところだったが、しばらくはお預けだ。成績は授業に出ているだけで維持できるが、ゲームにのめり込み過ぎると教師や親がいい顔をしない。今は大人しくしているべき時期だった。


 今日はどこに遊びに行く気分にもなれなくて、教室でスマホをいじって時間を潰していた。


 どこかへ行こうと言いながらユナが体を預けてきたのがウザかった。付き合ってはいるが、彼女持ちというステータスと健全な男子高校生の欲求を満たすためだけの存在で、特別な恋情はいだいていない。面倒に思い始めていたが、切ると余計に面倒なことになるので放置している。


 適当にSNSを眺めていると、マキが遅れて教室に駆け込んで来た。日直の仕事があったと弁解していた。グループチャットで言っていたから、事情はアツシも知っている。遅れることを怒ったことはないのに、マキはいつもアツシを怖がっていた。


 本当はこのグループにはいたくないのだろうが、アツシはマキを解放するつもりはない。


 マキは新学期が始まってから不登校になった。それを引っ張り出したのはアツシだ。教師たちには、不登校の生徒を復学させた心優しい生徒だと思っているだろう。それはとても都合がよかった。


 やがて沈黙にいたのか、ミツルが面白いアプリを見つけたと言い出した。撮影した画像を、人工知能が心霊写真に加工するカメラアプリらしい。


 教室の中を撮影した画像はよくできていた。適当な場所に幽霊の画像を合成するチープな作りではなく、元の画像を認識して、違和感のないように加工されていた。


 目立たないよう、離れた席で存在感を消していたマキにも、写真を見るように告げる。確かマキはホラーが苦手で、アツシは面白い反応を期待した。


 案の定、マキはひどく怖がった。その反応にアツシ以上に気を良くしたのはミツルで、もっと怖がらせようとスマホをかかげてマキにせまった。


 机に腰掛けたマキがミツルから逃げようと上半身をらし、バランスを崩しそうになった時に、一瞬だけ白い下着が見えた。


「ぎゃはははっ! パンツ見えてやんの!」

「っ!」


 誰かが息を飲み、一瞬で空気が張り詰めた。


 ミツルの言葉は、全員にあのことを想起させた。マキが不登校になり、アツシたちにおびえ続けている原因でもある。


 空気を変えようと、アツシはミツルにアプリで自分を撮るように提案した。ミツルの撮った写真はどれも風景画ばかりで、人物は写っていなかったからだ。どういう画像が出来上がるのか興味があった。


 アプリは背面のカメラでの撮影しか対応していないらしく、アツシはジュンコにミツルを撮るように指示を出した。


 ジュンコが撮影したミツルの写真は、本当によくできていた。ミツルの体を正しく認識し、違和感なく腕を回している。


 これまでの画像のバリエーションを見るに、アプリに内蔵されている画像を合成しているのではなく、ネット上で画像を拾ってきて幽霊らしく加工し、それを合成しているのだろう。


 アプリ単体では処理が追いつかないだろうから、撮影した写真をサーバー上にアップロードし、サーバーで加工した後にアプリに返しているのだと推測した。


 自分でも撮影してみたいと思い、ミツルに出所を聞いた。


 ミツルとジュンコが探したが、アプリは見つからないようだった。マーケット上の正規のアプリではなく、野良アプリなのだろう。もしかするともう消されているのかもしれない。


 アツシはミツルのスマホからサルベージを試みた。そのためのアプリを勝手にインストールして、パッケージファイルを取り出す。それをファイル共有サイトに登録し、URLをグループチャットに送った。


 自分でもインストールする。アプリが要求したのは、カメラとストレージへのアクセス権限だけだった。アドレス一覧を漁るような変な機能はなさそうだ。


 ミツルが昨夜から使っているようだからスマホをクラッシュさせるようなアプリでもないだろうが、念のためアツシはすぐにアプリを強制停止させ、四人の様子を観察することにした。


「うわっ」


 さっそく撮影を始めたジュンコから、声が上がった。すぐにチャットに画像が送られて来る。


 机の中から赤ん坊がい出している画像だった。横に掛けられた鞄にはストラップが大量についていて、ジュンコが自分の机を撮影したのだとわかった。


「うちもう机の中に手入れられないよぉ」

「だいじょーぶだって」


 ジュンコが情けない声を出すと、ミツルが机の中に手を入れて見せた。そしてジュンコと同じ構図で撮影する。


 今度は、机の中からたくさん腕が伸びている画像が送られていた。手の平を下にしている所がおいでおいでをしているようにも見え、真っ暗な闇の中に引きずり込もうとしているようだった。


「ちょ、余計に無理になったじゃん!」


 ジュンコがミツルの背中をバシバシと叩いた。


 赤ん坊の写真も、腕の写真も、光の当たらない机の中の暗闇とよく同化していて、合成したという感じが全くしない。


 一瞬、本物なのではという思いがよぎったが、アツシはバカバカしいと首を振った。幽霊などいるわけがない。非科学的だ。


 ユナからも画像が送られてきた。


 黒板の上方、校内放送のスピーカーの上に、苦悩に顔をゆがませる男の生首があった。乱れた髪の長さが肩くらいで、ひたいから頭頂にかけてり上げてあり、落ち武者のように見えた。スピーカーの前面に血液が垂れているところがリアル感を出している。


 三人からはその後も画像が送られてきたが、マキからは一枚も来なかった。青い顔でスマホを見ているから、チャットの画像は見ているはずだ。


「マキ」


 アツシが声を掛けると、マキが顔を上げた。名前を呼んだだけだが、アツシの言わんとしたことは伝わったらしい。マキは撮影する場所を探して目を彷徨さまわせた。


 一番怖そうにない所にしようとしたのだろう。結局マキが撮ったのは、床だった。


 シャッター音のあと、マキは一度ぎゅっと目をつぶってから、そろそろと画面を見た。そして「ひっ」と悲鳴を上げて、スマホを取り落とす。


「送って」


 アツシが言うと、マキはスマホに触るのも嫌だといったような様子で、腕を目一杯伸ばしてスマホを拾った。小さくカタカタと震えながら、スマホを操作している。


 さぞかし怖い写真が撮れたのだろうと思ったのに、送られてきた画像は大したことがなかった。床のタイルが顔の形に盛り上がっているだけだ。かろうじて人間だと分かるくらいで、大きく開けた口以外、表情がわかる程の鮮明さはない。


 きょうがれたアツシは、そろそろ帰ることにした。最初は面白かったが、同じような画像を立て続けに見せられてしまうとインパクトが薄れていく。


「帰る」


 その一言で、全員が帰る準備を始める。


 教室を出れば廊下には夕日が差し込んでいて、床に菱形を作っていた。ミツルが窓と床の両方を入れて撮影すると、床にだけ窓枠に腰掛ける影ができた画像が撮れた。


 飽きていたアツシは何も反応しなかったが、ミツルは次々に写真を撮ってはアツシに見せてきた。


 トイレの前に差し掛かった時、良い考えが浮かんだ。


「マキ、トイレ行きなよ」

「えっ」


 突然言われた言葉にマキは戸惑とまどっていたが、ユナとジュンコは言葉の意味をすぐに理解した。マキの両側から腕を組む。はっとマキが目を見開いた。


「う、ううん、私、別に行きたくない」

「いいからいいから」

「行くよ」


 ジュンコが体でドアを押開け、マキを連行するように二人が中へと連れていく。


 ミツルは一人事態を飲み込んでいないのか、不思議そうな顔をしていた。


 ギィッとわずかにきしんんだ音を立てて、トイレのドアが閉まる。


「ほら、入りなよ」

「やだっ。やだっ、やめて!」

「入りなって」


 笑いを含んだ二人の声と嫌がるマキの声が、扉の向こうから聞こえて来る。当然中の様子は廊下からは見えない。


「あー、そういうこと」


 ようやく察したのか、ミツルが下卑げびた笑いを浮かべた。


「入りなっつってんだろ!」


 しばらく押し問答が続いたあと、ユナの怒号が聞こえてきた。バンッと壁を叩く音と、「うっ」というマキのうめき声も。


 全く、とアツシは息を漏らした。誰もいないからいいものの、誰かに聞かれたらどうするのか。


「鍵閉めな! ほら早く!」


 扉が閉まる音と、ガチャリと鍵が閉まる音がした。続けてカシャッとシャッター音も聞こえて来る。


 それからすぐに三人はトイレから出てきた。


 最後に出てきたマキは、声を押し殺してすすり泣きをしている。縛った髪が乱れているのは、二人のどちらかにつかまれたのだろう。


 満足そうな顔をしたユナがスマホを操作すると、ポケットの中のスマホが震えた。


 チャットに送られてきたのは、トイレの個室を撮った写真だ。閉じたベージュの扉が写っているだけで、決して卑猥ひわいな物ではない。


「うわー、えげつなーっ」


 ミツルが喜色の混じる声を出した。


 画像には、マキが入っているだろう個室を、隣の個室の上からのぞき込む人物が写っていた。個室を隔てる壁の上部に手を掛け、顔を全て出して真下に向けている。異常に面長おもながの顔は、男とも女ともつかなかった。その足元まで写っていたが、これまた異常な程背が高かった。伸び上がっているわけでもなく、素足のかかとをつけてただ立っている。


「やば、うちもうトイレ行けないかも」


 ジュンコが顔をしかめた。


 アツシも、これは怖いな、と思った。


 個室に入ったあと、上から何かがのぞいているかもしれないという妄想は誰しもがしたことがあるだろう。怪談にもよくあるシチュエーションだ。その心理をうまく突いている。


 この分だと、個室に入って見上げて撮影すれば、見下ろしている写真が撮れるのかもしれない。そのうちマキに撮らせよう。


 拡大したりしながら丹念に画像の完成度を確かめていたアツシは、右下に表示されている数字に目を留めた。普通に表示しただけでは見切れて見えない所にあった。


 オレンジ色のデジタル表記のそれは、ドットで二桁ずつに区切られた計六桁ある。両親の古いアルバムにあるプリント写真にそっくりだ。妙なのは、通常なら撮影日が表示されるのであろうそれが、今日の日付ではないことだ。


 アポストロフィがついている所を見ると、最初の二文字は西暦の下二桁を表しているのだろう。イギリス式では月と日が逆になるが、それならば年が最後にくる。普通に年月日の順で読むならば、明後日の日付ということになる。


 アツシは四人が撮った他の写真も確認した。みなバラバラだったが、一律に未来日だった。どうやら、直近の未来日をランダムで刻印しているらしい。


 制作者がなぜそんな仕様にしたのか意図を考えてみたが、アツシには何も思い浮かばなかった。単純にバグなのかもしれない。


 やっとマキが泣き止んだので、アツシは昇降口へと歩き出した。

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