第2話 ジュンコ(1) インストール

 ジュンコの一日は放課後から始まる。


 いつメンと遊び、解散したら制服を着替えて別のギャル友と合流。繁華街で遊んで朝方帰宅し、授業中に睡眠を取る毎日だ。休日も夕方頃に起き出して、夜通し遊ぶ。


 少し背伸びをして入った今の高校の授業には入学早々につまずいて、ついていくのを諦めた。補修は毎度長引き、教師が先にを上げる。


 高校を中退したギャル友も多いが、ジュンコはやめようと思ったことはない。育児放棄している母親が高校だけは卒業しろと強く言うのもあるが、一番の理由は放課後の時間が楽しいからだ。


「アツシ、今日はどこ行くのぉ?」


 教室の自分の席でスマホを触っていたジュンコは、ふと手を止め、離れた机に寄り掛かるアツシに声を掛けた。くるくると指で金色の後れ毛をもてあそぶと、キューティクルが引っかかった感じがした。そろそろ美容院でトリートメントをしないといけない。


 制服のブラウスの上にユルユルのベージュのカーディガンを羽織り、スカートの長さは極限まで短くしてある。足に履いているのはルーズソックスだ。母親が小学生の頃にブームになったという平成の遺物だが、くしゅくしゅとたるんだ所が足の太さを隠してくれる、と最近女子高生の間で再燃した。


 アツシの視線が黒い前髪越しにこちらに向いたが、アツシは何も言わずにふいっと目をそらされた。


 アツシは、紺のニットベストの下の第一ボタンを開けてネクタイを緩めている所を除けば、髪も染めておらず、大人しい服装をしている。眼鏡こそしてはいないが顔つきは理知的で、見た目通りに成績は良く、教師の受けもよかった。


「ちょっとぉ、無視しないでよぉ」


 抗議で向けた指先には、ピンク色をベースに自分でデコったチップネイルを貼ってある。ジェルは高いから、ぷっくりとしたトップコートでそれっぽく見せていた。反対の手に持つスマホも、裏面のカメラ部分以外の一面をキラキラにデコっていて、見るだけで気分がアガる。


「いま考えてるんですー。ね、アツシ君」


 代わりに答えたのはミツルだ。ヘラヘラとした顔をアツシに向けて、機嫌を伺うように猫なで声を出した。その態度に似合うだらしない格好をしていて、ワイシャツは第二ボタンまで開いているし、スラックスの腰はずり下がり、下着のゴムが見えていた。


 足が短く見えるだけなのに、とジュンコは思うが、自分も他人ひとのことは言えない。お洒落しゃれは理屈ではないのだ。若い頃から化粧をすると肌がボロボロになる、という年増としまの教師の言葉は正論だろうが、すっぴんでいるなどあり得ない。


 唇には複数色のリップを重ねていて、付け睫毛まつげは二枚。まゆは毎朝丁寧に描いている。風呂上がりに弟に麻呂まろと言われようとも、ジュンコにとっては可愛くあることが正義だった。


「ねえ、どこでもいいからどっか行こうよ。あんな子待ってないでさ」


 アツシの肩に黒いサラサラのセミロングの頭をもたれさせたのは、アツシのカノジョのユナだ。


 スカートをやや短くしているが、アツシ同様、比較的きちんと制服を着ている。メイクは濃すぎないナチュラル、爪はネイルはせずにみがいているだけ。本当は派手好きなのに、アツシの好みに合わせてそうしているのだということを、同中おなちゅうのジュンコは知っている。


 しなだれかかってきたユナを、アツシはすげなく手で追い払った。不満そうな顔でユナが離れる。形として付き合ってはいても、ユナの思いは一方通行のようで、アツシがデレているところを見たことはない。


 そこに、リノリウムの床を駆ける音がした。バッタバッタとどんくさい音だ。


 ガラッと扉を開けて女子生徒が駆け込んで来る。


「遅くなって、ご、ごめんなさい! 日直の仕事があって!」


 アツシに向かって早口で弁解したマキは、五人の中で唯一別のクラスだ。


 一言で言えばもっさりとしていて、スカートを短く切るどころか、ウエストを折り込んですらいない。髪は後ろの低い位置で一括りにしているだけだし、眉毛の手入れなどしたこともないだろう。体重は標準くらいで、つまりデブだ。成績は中の中。話すことが苦手な典型的な陰キャで、何かと目立つこのグループの異分子だった。


 だが、アツシがマキを気に入っている。だからマキはグループにいた。本人の意思とは無関係に。


 遅れてきたマキに、アツシは何も言わなかった。マキはほっと息をついて、四人から少し離れた席に座った。


 しばらく無言の時間が流れた。バットがボールをとらえる音、吹奏楽のパート練習、体育館の割り当て日でない運動部員が階段でトレーニングしているかけ声が聞こえた。


 いつもなら、五人がそろった段階で、ファミレスか、カラオケか、ゲーセンか、とにかくどこかに繰り出す。アツシが何も決めずにいるのは珍しい。


 カツカツと長い爪でフリック入力をしながら様子をうかがうと、アツシがイライラしているのが見て取れた。


 アイツが居なくなったせいで、とジュンコは忌々いまいましく思った。アツシのストレスを発散させる先がないのだ。


 勉強はからっきしだが空気を読むことにだけはけているジュンコは、これ以上何も言わずに黙っていることにした。こういう時は下手に触れない方がいい。アツシの変なスイッチを押すと面倒なことになる。


 ユナもアツシの機嫌が悪いのを察していて、気にしている素振りは見せても声は出さなかった。


「あ、そーだ」


 その重苦しい空気を破ったのは、空気の読めないミツルだ。


「オレ昨日面白いアプリ見つけたんだよねー。アツシ君も絶対気に入ると思う」


 眉を寄せて面倒くさそうな顔をしたアツシに、ほらほらー、と無邪気にスマホの画面を見せる。


「これ、オレの部屋。すごくね?」

「うわ。何これ。心霊写真?」


 アツシの横からのぞき込んだユナが声を上げた。


 ジュンコも気になって画面を見せてもらう。


 勉強などとてもやっていそうにない、物が乱雑に置いてある学習机。その向こう、部屋の蛍光灯の光を反射したカーテンの閉まっていない窓に、白い顔が写っていた。


「やば」


 思わず口を片手で覆った。


 ミツルがピンチアウトして画像を拡大すると、それはシワがくっきりと刻まれた老人だった。決してミツルの顔が反射したのではない。口角が下がった生気のない顔は、家族の誰かが写り込んだのではなさそうだ。ミツルの家はマンションだから、のぞき魔を偶然とらえたわけでもないだろう。


「これも見てよ」


 次に見せられたのは、居間のソファの後ろ、細く開いたドアの向こうから腕が出ている写真だった。それだけなら何ということもないが、その腕が半透明となると話は違ってくる。


 ぞわっと背筋に悪寒が走った。


「きもっ。あんたんちヤバくない?」


 ユナが両手で自分の体を抱きしめた。


 その反応を見て、にやっとミツルが笑った。


「ちげーよ。心霊写真が撮れるカメラアプリだっての。こーやって撮影すっと、エーアイが心霊写真っぽくしてくれんの」


 ミツルが窓の方にカメラを向けた。カシャッとシャッター音が響く。


「ほらほら」

「うわっ」

「ひっ」


 見せてきた写真には、膨らんだカーテンの向こうにぼんやりと人影が映っていた。当然、目線を上げて本物の窓を見ても人影などない。風向きが変わってカーテンが外に引き出されれば、誰も居ないことは一目瞭然りょうぜんだった。


「へえ」


 アツシが形のいい片眉を上げて興味を示すと、調子に乗ったミツルはもう一度窓の写真を撮った。今度はカーテンのない場所だ。


 スマホの画面には、窓の上、逆さまになってこちらをのぞき込むスーツ姿の男が写っていた。髪の毛は全く逆立っていない。目と口のところがぽっかりと黒い穴になっている。ガラス面にべたりとつけられた手の平が妙にリアルだった。


 ここは三階だ。四階の窓枠に足を引っかけるなりしてぶら下がればできるのかもしれないが、そんな酔狂な人物が実際にいるはずもない。


「マキ、お前も見ろよ」


 四人の輪に入らずに席でじっとしていたマキに、アツシが声を掛けた。


「えっ? でも私、怖いのって苦手で」

「いいから見ろ」


 アツシが少し語気を強めていった。マキがびくりと肩を震わせる。


「ミツル君、私も、いいかな……」


 おずおずといったように、マキがミツルに近づいた。


「ほら」

「ひゃっ」


 ずいっと差し出されたスマホを見て、マキは悲鳴を上げて後ずさった。体が机に当たって、ガタンと音が鳴った。その音にさえ、マキはビクついた。


 怯えたマキに嗜虐しぎゃく心を刺激されたのか、ミツルが画像を変えてマキに迫る。


 まぁた始まった。


 ミツルはアツシにはびるくせに、自分より弱い者には強気に出る。とらきつねそのものだった。


 そしてジュンコを含めた他の三人は誰もそれを止めない。


 って逃げようとするマキにぐいぐいとスマホを押しつける。そんなに画面を近づけられては見えないだろうに、心霊画像が写っているというだけで怖いのだろう。


 ついにマキの腰は机に乗り上げ、バランスを崩して後ろに倒れそうになった。両手を宙にバタつかせ、片足が振り上がる。


「ぎゃはははっ! パンツ見えてやんの!」

「っ!」


 指を差して嘲笑ちょうしょうするミツルの声が響き渡った瞬間、教室の中の空気が凍った。息を飲んだのは誰だったのだろうか。


 すんでの所でバランスを取り戻したマキは、机の上でスカートを両手で押さえてうつむいている。耳が真っ赤になっていて体が少し震えていた。いだいているのは羞恥しゅうち心だけではなく、おびえの気持ちもあるのだろう。


 さすがのミツルも空気を悪くしたことには気づいたらしい。顔をゆがませ、アツシの顔色をうかがった。


 その顔を、アツシが無表情で見つめ返す。


 ミツルの目が泳いだ。


 アツシが口を開く。


 ミツルが身構える。


「自撮り」

「えっ」

「自撮りしてみてよ」


 静かな落ち着いた声だった。そこに怒気は含まれておらず、ユナが強ばらせていた表情を緩めた。ジュンコも詰めていた息を静かに吐く。


「あ、うん。そうだね。その方が面白いのが撮れるかも」


 ミツルはヘラヘラと笑って、アプリを操作した。


「あれ、これ前の使えないっぽい」


 アプリにはフロントカメラに切り替える機能がないことを知り、ミツルは背面を自分に向けて撮影しようとした。


「ジュンコ」


 ん、と無言でアツシがあごをしゃくった。ミツルを撮れ、の意味だ。


 ジュンコはミツルからスマホを受け取り、カメラを向けた。


 全面にカメラの映像が映っている所は普通のカメラアプリと同じだが、光量調整やフラッシュの有無を指定するようなアイコンがない。非常にシンプルな画面だった。


 先ほど人影が見えたカーテンを背景に、ミツルが顔の両側でピースを決める。逆光だが、スマホが優秀なのか、ミツルの姿はくっきりと映っていた。


 ジュンコは無言で撮影ボタンに触れた。カシャッと音が響く。


 瞬間、ぐにゃりと画面が崩れ、バグったかと思った。画面はすぐに暗転し、中央に処理中を表す白い円が現れて、くるくると回っている。


「撮るなら撮るって言えよ! オレいま絶対目ぇ閉じた」

「ごっめーん」


 文句を言いながらミツルが近づいてきて、ジュンコからスマホを受けた。何も言わずに撮ったのはわざとだ。変顔が撮れることを期待した。


「あれ、おせーな」


 画面を見ながらミツルがつぶく。


「あ、出た出た。うわーキモいわー」

「見せて見せて」

「あたしも」


 ジュンコがユナと一緒にスマホをのぞき込むと、心霊写真ができ上がっていた。


「げっ」

「やばっ」


 白いノースリーブのワンピースを着た長いざんばら髪の女が、ピースをするミツルのウエスト部分に青白い腕を回してしがみついていた。ミツルの制服や背景の机が透けて見えていた。


 ムンクの「叫び」のように口を縦長に開けていて、口の中は真っ黒な闇だった。眼球はあったが黒目の部分が大きく、異常なほど真っ白な白目部分と相まって、何もないよりも不気味だった。


 机に隠れていて見えないが、女の体格的にひざ立ちになっているのだろうか。いや、幽霊なのだから足はないのかもしれない。


 思わずミツルの体を見た。ジュンコには霊感などなく、今まで一度も幽霊を見たことがないが、まだ女がそこにいるような気がした。


「ね、お腹、大丈夫なの?」


 ジュンコがマジトーンで聞くと、ユナがぷっと吹き出した。ミツルもあきれたように手を振る。


「だいじょーぶに決まってんじゃん。なになにー、ジュンコちゃんてば、こーゆーの信じちゃう系~?」

「ばっ、違うし!」


 口ではそう言ったものの、ジュンコは画像と本物のミツルを見比べて、女の顔がある場所に何も見えないことを何度も確認してしまった。


 だが、当の本人であるミツルは言葉の通り、全く気にしていない。面白い写真が撮れたことに得意がっているようにさえ見えた。


 ジュンコとユナの後ろからアツシもスマホをのぞき込んで、「へえ」と言った。機嫌の良さそうな声だった。先ほどのミツルの失態はチャラになったようだ。


「これ」


 アツシが顔を上げてミツルを見る。


「どこから落としたの」

「ええっと、いつの間にか入ってたから……ちょっと待って、すぐ探す」


 ミツルは慌ててスマホを操作し始めた。アツシの気分が変わらないうちに見つけ出す必要がある。


 だが、すぐには見つからないようだった。ジュンコも検索に加わることにする。


「アプリの名前はぁ?」

「心霊カメラ」


 しかし、そのワードをマーケットで探しても、ブラウザで検索しても、検索結果には出てこない。自分でそれっぽい画像を合成するアプリは出てくるが、人工知能が自動で作成してくれるアプリは見つからなかった。


「貸して」


 もたもたしている二人にごうを煮やしたのか、アツシがミツルに手を差し出した。


 ミツルは素直にスマホを渡す。


 しばらくすると、グループチャットにアツシからリンクが送られてきた。


「抜いてサーバに置いたから。ダウンロードして」

「アツシ君すっげ!」


 ジュンコたちのスマホはみな同じOSだったので、アツシがミツルのスマホから抽出したファイルで全員がアプリをインストールした。

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