第5話・雪の賭け

 もちろん、今日も登校時間ギリギリに登校する。昨日は、鈴草すずくさ さんは来ていなかったけど、今日は来ている。


 昨日は、自分でも納得のいかない義務感で登校した。そして鈴草すずくささんが休みだと分かったときに、私はというと、何も思わなかった。自分でも不思議だった。


 あんなことがあったからショックを受けるのも当然だと思うし、でも私が休むことはあっても鈴草すずくささんが休むのはなんとなく違う気もする。そこら辺の思考が絡まって、ただでさえ自分の思考で精一杯の私は、鈴草すずくささんに対する思考を無意識に放棄していただけなのかもしれない。


 今は、授業開始前のいたたまれない時間。私は例のごとく、見慣れた自分の筆箱を物色している。


 その時だった。


 「うわ、今日も長袖だ」


 「ほんとほんと。撫子は昨日休んだから知らないと思うけど、雪は昨日も長袖だったのよ。体感温度バグってるのかしら」


 唐科からしなさんと、それに続く常盤ときわさんの会話が聞こえてきた。


 あれ?でも、鈴草すずくささんの声が聞こえない。今教室にいないのだろうか。私は、自分の悪口が聞こえないというちょっと不思議な理由で、聞き耳を立てる。


 「ええ、まあ……。うん」


 私は、自分の耳を、脳の聴覚野を疑った。鈴草すずくささんが、唐科からしなさんと常盤ときわさんのふたりに賛同せず、言葉を濁した。流石にふたりも「どうしたの?撫子」とは言えないようで、背面の空気が澱むのを感じる。


 意外過ぎる出来事に私の脳が追い付かないまま、授業が始まった。もちろんだけど、授業の内容なんて頭に入ってこない。


 鈴草すずくささんが、悪口を濁した――。


 私の”日々”が、変わった?


 昨日、鈴草すずくささんが何を考えていたのかは、分からない。でも、今のあの言葉は、聞き間違いではない、はず。


 私の”日々”が、ほんの少しだけど、好転した。たったあの一言、たったあの一言動だけど、それは紛れもない事実。”日々”が、少しづつ、動き始めている。


 でも、私はこの状況に、どこか納得していた。それは、昨日学校に来た時のような感情から離れた天秤での理解ではない。心の底で、そう思った。


 いじめが急に解決に向かったところで、それは本来的な解決にはならないのではないだろうか。そういった時は、もうメンバーが卒業なりなんなりで散ってしまい、それきりだったり、大人が介入して強引に「解決」という形をとって、水面下では何も解決していないという事態が往々だろう。


 思えば、この”日々”が始まったのは、突然ではなかった。ちょっとしたきっかけがあって、そこから徐々に始まったのだ。


 ”日々”が徐々に始まったのと同様に、それが終わるのも徐々になのかもしれない。そう思えば、私は鈴草すずくささんのちょっとした変化を受け入られる。


 これからも、この”日々”がゆっくり、それは私が気が付かないくらいのスピードかもしれないけど、それが好転してゆくのを信じたい。


 状況がどれだけ好転しても、以前と全く同じ関係には戻れないだろう。障害を越えて、より絆が強まるなんてのは、強者の傲慢な言い訳だ。


 でも、これ以上陰鬱な”日々”を過ごさなくていいのなら、私の左手首が綺麗になるのなら、信じたい。


 諦めた”日々”の、最後の希望を持って。

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加速度の無き日々は 沖田一 @okita_ga_okita

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