第2話・撫子の自己欺瞞

 「また今日も時間ギリギリね」


 ああ、今日も始まったな、と思う。それでも、私――鈴草すずくさ撫子なでしこ――は何食わぬ顔で会話を繋ぐ。


 「それに教科書なんて読むふりしちゃって。何してるのかしら」


 我ながら、差し障りの無い言葉を言えたと思う。あとに続く唐科からしなさんも「まあいいんじゃない?ひとりがいいんでしょ」と、それなりの言葉を続けた。


 私たちがいつからこうなってしまったのか、私はハッキリと覚えている。あれは、高1の冬。きっかけは、本当に些細なことだった。




 私たち、それは胡茅ごぼうさんも含めての4人。4人は部活も委員会も一緒で、いつも一緒に帰っていた。何気ない毎日の下校。それが、何よりも私たちを私たちたらしめていた。


 ある日、胡茅ごぼうさんだけが追試に引っかかってしまって、3人で帰ることがあった。それだけと言えばそれだけなのだが、私たちにとってはそれがすごく違和感だった。話題は、いやでも胡茅ごぼうさんのことに。


 私は、こういった女子が女子らしいところが嫌いなのだけれど、それに対抗できずに流され、「そういう女子」になってしまう。いつものグループから誰かがいなくなれば話題はその子の悪口に……。私はそれがすごく嫌だったのだけれど、唐科からしなさんと常盤ときわさんは嬉々として「そういう女子」になっていた。


 その日はそれだけだった。いや、それだけなら何も起こらなかったのだと思う。問題は、その次の日だった。


 その日は体育の授業があって、種目は縄跳び。授業は準備体操、個人種目と続き、グループでの縄跳びに。私たちはもちろん、4人で集まった。胡茅ごぼうさんは縄を回す役に。


 そこで、事件は起きた。いや、事件と言うほどのことではない。胡茅ごぼうさんは縄を回すのがとても下手で、縄に足を引っかけて転んでしまった常盤ときわさんが、ケガをしてしまった。


 その日の帰りも、胡茅ごぼうさんはいなかった。追試の返却やらなんやらがあるらしく、またも3人での下校に。私は、また話題が胡茅ごぼうさんのことになると思って辟易していたのだけれど、やはりそうなってしまった。


 特に、ケガをした常盤ときわさんはひどい嫌味を言っていた。唐科からしなさんはそこまでではなかったけど、やはりプラスのことは言ってなかったと思う。


 これらの出来事は、きっかけに過ぎない。これがきっかけで、胡茅ごぼうさんと私たちの間は徐々に広がり、だんだんと私たちが「上」、胡茅ごぼうさんが「下」という位置づけが決まり、今の状況になった。


 それから私たちは、いや、少なくとも私は、自分の「役割」をこなすようになった。胡茅ごぼうさんをいじめる。いや、けなし続けた。暗黙の了解で、一定のラインみたいなものは決まっていて、そのラインを越えないレベルのいじめ……をし続けてきた。


 それは、グループから胡茅ごぼうさんを外すことに始まり、誰も話さない、近寄りもしない、目も合わせない、そして嫌味というには下劣な、心無い言葉を離れた場所からぶつける。そういった胡茅ごぼうさんをいじめる「役割」を、こなしてきた。


 私は、私からこのいじめをやめられない。やめようと言い出せない。それは、私がやめようと言ったら、次にいじめられるのが私だからとかいう理由ではない。なんとなくだけども、私がそう言い出しても標的が私に移ることは無いと思う。


 私が言い出せない理由は、このいじめが私たちの日常になってしまったから。胡茅ごぼうさんは毎日陰鬱な日々を過ごし、私たちはそれを笑っている。いや、笑いもしていない。見下している。この汚泥のごとき日々が、私たちの”日々”。


 そんな日々を、自ら壊しに行こうとは全く思えない。いじめなんて、やめた方が良いことは、してはいけないことは、嫌なほど分かっている。それでも、この日々を、胡茅ごぼうさんをいじめることで成り立つこの平穏な”日々”を、自分から変える気にはどうしてもなれない。


 何事も、すでに起きていることを続けることは難しくない。0から1を作ること。そして今あるものを壊し、新しいものを作ること。これが一番難しい。


 私は、自分に言い訳を重ねて、いじめを続けてきた。でも、こんな心の内は、いじめには関係ない。私たちがやっているのは、紛れもないいじめなのだ。そこに言い訳は介入できない。




 そして今日、胡茅ごぼうさんが長袖で登校してきた。このうんざりする蝉時雨のなかで。そんなこと、普通あるだろうか。私は、授業中もちらと胡茅ごぼうさんの方を見てしまった。


 悪い予感が頭をよぎって、授業に全く集中できない。真夏の長袖。恐らく、日焼け対策では無いだろう。もしそうだったら、教室に着いた時点で腕まくりをしてもいいはず。


 でも、胡茅ごぼうさんはさっきから袖のボタンに手を伸ばしては、指でいじって、結局外しはしない。それを繰り返している。


 悪い想像が頭を埋め尽くし、それは胸まで広がり、息苦しくなる。とても堂々とは言えないが、この半年で私は、自分の抱く罪悪感や気持ち悪さを上手く誤魔化せるようになった。それでも、誤魔化せない息苦しさ。


 都合が良いことは分かっている。今まで散々に胡茅ごぼうさんの心を傷つけ続けてきて、それでいて彼女が手首に”そういうこと”をしているのかもと思った途端に怖くなっている。


 相手が変わらないならいいやと、心のどこかで思っていたのだろう。自分の浅はかさ、愚かさに吐き気がする。目に見えぬいじめを続けてきて、それでいて相手も目に見える変化は無いから、こうやって日々が平穏なら、それでいいやと思っていた。


 もう、やるしかない。そう思った。この夏期講習は、午前だけで授業が終わる。このコマで最後だ。


 時計の針の進みが、いつもよりも遅く感じる。いや、速い?遅い?……のかもしれない。チャイムが鳴れば、私は胡茅ごぼうさんに話しかけるだろう。今すぐにも話かけたいような、永遠にその時は来てほしくないような、心がグルグル回って、気持ち悪くなる。


 そして、その時が来る。遠い国の鐘の音が、心臓を揺らす。


 立ち上がって、胡茅ごぼうさんの席まで歩く。正座をしていたわけではないのに、脚が痺れる。


 近づくにつれて、なんだか喉も痺れてくる。唐科からしなさんと常盤ときわさんは、私のことを見ているだろうか。


 私は、震える手を胡茅ごぼうさんの肩に置く。胡茅ごぼうさんがビクッとするのが、手から伝わってくる。


 言うんだ。言うんだ私。まずは、ふたりきりで話をしたい。


 「ねえ胡茅ごぼうさん。放課後、1階端のトイレに来て」


 胡茅ごぼうさんの怯える顔を見て、言い方がまずかったなと思った。でも、その怯えた顔は、よく見れば胡茅ごぼうさんがいつもしている表情だった。

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