第10話:白雪姫の驚愕


 屋敷の扉を閉めた後、私は小さく息を吐き出す。


(……まだ、心臓がドキドキ鳴っている……)


 短い時間にいろいろなことがあり過ぎた。


 たくさんの不良に絡まれて、どうすべきなのか困っていると……。

 葛原くんが颯爽さそうと助けに来てくれた。

 そして――思いがけず、手を繋いでしまった。


(彼の手、大きかったな……)


 温かくて、力強くて、優しい手。

 それに何より、とても頼れる背中。


 葛原くんは不真面目で、フラフラしていて、適当な人だけれど……。

 いざというときは、本当に頼りになる。

 彼の傍にいれば、どんなものからでも守ってくれるのではないか、そんな風にさえ思ってしまう。


(……もしかしたら、まだ見えるかも)


 私は奥の廊下へ移動し、窓からこっそりと外を覗く。


「……っ」


 とんでもないものを目にしてしまった。


 大勢の不良に囲まれた葛原くんが、人気ひとけのない路地裏へ連れ込まれていったのだ。


 私はすぐに走り出し、この屋敷で唯一信用できる、『執事長』のもとへ向かう。


「た、田中……っ。田中はどこ……!?」


「おやおや、白雪お嬢様。そんなに慌てて、どうなされたのですか?」


 燕尾服えんびふくを着た彼は、いつも通りの落ち着いた調子で応じる。


「大変なんです! 葛原くんが、たくさんの不良に連れて行かれて……っ」


「葛原殿が……? ふむ、それは由々しき事態ですね。私がご一緒しましょう」


「田中、大丈夫なの?」


「ほっほっほっ。こう見えて『グレイフィン柔術』を三十年ほどたしなんでおりました。御心配には及びません」


 田中は謎が多い人だけれど、決して見栄を張るようなタイプじゃない。

 彼がこう言っているのだから、きっと大丈夫なのだろう。


 そんなことよりも今は、一分一秒が惜しい。


 それから私は田中と一緒に、葛原くんが連れ込まれた路地裏へ走った。


(……お願いだから、無事でいて……っ)


 走り、角を曲がった先では――信じられない光景が広がっていた。


「う、うそ……っ」


 そこにはなんと――。


「がは、げほごほ……ッ」


「くそ……。なんだよあいつ、逃げ回っていたくせに……めちゃくちゃつえぇじゃねぇか……ッ」


 息を荒く吐きながら、地べたに倒れ伏す、五人の不良たちがいた。


「ほっほっ。これはまた、派手にやりましたなぁ」


 田中に驚いた様子はなく、まるでこの光景を予想していたかのようだ。


 すると――こちらに気付いた不良たちは、私の顔を見るなりガタガタと震え出す。


「ひ、ひぃいいいい……!?」


「お、俺たちが悪かった……っ。あんたら・・・・には、もう二度と関わらねぇ……ッ」


「だから、あの化物・・・・には、何も言わないでくれ……っ」


 彼らは早口でそう言った後、何故か路傍に転がっていた保険証や生徒手帳を拾い、大慌てで走り去っていった。


「さすがは葛原殿、しっかりと弱みを握ったようですね」


 訳知わけしがおの田中は、感心したように頷く。


「いったい何が……?」


「単純なことでございます。葛原殿は、とてもお強いのです。喧嘩自慢の不良が束になったところで、相手にもなりません」


「で、でも……。夕方に襲われたときは、大声を出して逃げたのに……」


「ほっほっ。それこまさに『彼らしい』行動でございますな」


 田中はそう言って、柔らかな微笑みを浮かべる。


「葛原殿は筋金入りの『結果主義』。『白雪お嬢様の安全』という『結果』を最優先に考えた故の行動でしょう」


「……私を、守るため……」


 それを聞いた瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなった。


 ここ最近の私は、ちょっと変だ。


 たまにこうして、体の芯が湯立つような感覚におちいる。

 この気持ちがなんなのか……よくわからない。

 ただ、不思議と嫌な感じはしなかった。


「でも、どうして田中は、そんなことを知っているの……? もしかしてあなた、葛原くんと何か関わりが……?」


「……申し訳ございません。『男同士の約束』ゆえ、お嬢様にもお話し致しかねます。ただ、私が言えることは一つ――あまりに優れ過ぎた才覚は、無意識のうちに人を傷付けてしまう。私程度のささやかなものでさえ、過去にはいろいろとありました。それが葛原殿ほどの傑物けつぶつともなれば、これまで如何いかな苦労があったことか……想像も及びません」


 天才ゆえの苦悩……。

 多分、私には一生わからないものだ。


「……助けてもらったお礼、どうすればいいのかしら……」


「ふむ、そうですなぁ……。さりげなく安価な品物をお渡しになるのが、いろいろと効果的でよろしいかと」


「なるほど、小物をプレゼント……『効果的』……? ちょ、ちょっと田中、何か勘違いをしていないかしら!?」


「ほっほっ、これはさしでがましいことを申しましたな。所詮はれの戯言ざれごと、聞き流してくだされ」


 田中はそう言いながら、柔らかく微笑んだ。

 あの顔……きっとまだ誤解しているだろう。


(それにしても……プレゼント、か……。葛原くん、何をあげたら喜んでくれるだろう)


 どうせなら、お菓子のような消えものじゃなくて、何か残るようなものを渡したいな。


 私の頭は、彼への贈り物のことでいっぱいだった。

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