三十六、推しとの過去

「どうしてそんな写真撮ってるのよ!!」


「君の美しい瞬間を収めるためだ」


 体育館裏で俺は泥まみれになった推桐葵にどなられていた。


「馬鹿にしてるの!? こんな醜態のどこが美しいっていうのよ!」


 起こっている彼女を見るのは初めてだった。

 こんなに顔を真っ赤にして大声をあげている推しは見たことがない。

 俺はそんな彼女の写真を撮りたくて思わずカメラを構えていた。


「撮らないでってば!」


 彼女にカメラを取り上げられる。

 彼女が嫌がるのであれば無理強いはできない。

 俺は取り返そうとはしなかった。


「好きに消してくれて構わない」


 俺は隣で立ち上がりながら、カメラに残っている写真を見ている彼女を横目で眺めていた。

 随分と必死そうだ。


「私は完璧じゃなきゃいけないのだ。皆が思う完ぺきな私でいなきゃいけないの。それなのに……それなのに失敗した。私のせいでクラスが負けた」


 カメラをいじる手を止めて、涙を流す推し。

 その姿もまた美しいと思った。

 彼女はどこまでも全力なのだ。


「君は完璧だよ」


「こんな醜態さらしといてどこが完璧なのよ」


 彼女は泣きながらカメラに写っている写真を俺のほうに突き出して見せてくる。

 それは盛大に彼女がグラウンドで転倒している姿だった。


「君は最後まで走り切ったじゃないか。それだけで完璧だ。もちろん君にはけがをしてほしくない。でも君はけがをしてしまった。それでもあきらめることをせずに最後まで走り切った。俺はそれをちゃんと見ていた。全力で役割を全うしている。ちゃんとゴールしたんだ。それだけで十分じゃないのか」


「意味わかんない」


「俺は君がなんでもできるから、人として完璧だから推してるわけじゃない。君が君だから俺は君を推しているんだ。俺の推しが尊く美しく輝いているのは、どんな君であっても俺にとっては完璧だ」


「…………」


「だから君は君のままであればいい」




「私、その時に気持ちがすごく軽くなったの。私にとって学校がすべてだったから。学校のみんなに見られる姿がすべてだと思っていたから」


 彼女も当時を振り返っていたのか懐かしそうに目を細めながら話を続ける。


「でも君がああやって言ってくれたから「あ、別にいいんだ」って思えた。それからは苦しく感じていた学校生活がちょっとだけ楽しくなったの」


 苦しかったのか。あの時の彼女にとって学校生活は。

 そんな風には全く見えなかった。

 やっぱり俺は当時から彼女のことを全く理解できていなかったのかもしれない。


「そこからはより一層君のこと意識するようになっていた。この人ならもしかしたら私が私のままでも受け入れてくれるんじゃないかって。勝手にそんな期待をするようになっていた。きっとそのころにはもう好きだったんだよ」


 確かに君が君であるならばといったのは俺自身だ。

 いつからだろうか。

 いつから俺は俺が見たい彼女の姿しか見なくなっていたのだろうか。


「悠くんってさいつもタイミング悪いよね。……逆にいいのかな? 会いたいなって時に絶対に目の前に現れる。屋上にいた時もそう。あの時言った通り本当に飛び降りるとかそんなつもりは一切なかった。でも、気にしないようにしてたはずなのに高校になっても周りの目が気になって、そんな自分が嫌になって、なんとなく何もかも投げ出したくなって屋上に行っただけ。そんな時に君がまた私の前に現れた」


 彼女は話を続ける。

 俺はそれをただただ黙って聞いていた。


 俺が彼女の想いの強さを受け止められるかはわからない。

 だがここまで彼女が俺のことを思ってくれているということが単純にうれしかった。


「そして『君は遺伝子を後世に残すべきだ』なんて言い出すんだもの。私その時に吹っ切れた。こいつは私の気持ちも知らずに何好き勝手なこと言ってるんだって」


「それは……」


「私ね、たぶん君が考えている以上に君のことを考えてると思う。悠くんは私のことをずっと推してくれている。どんな私でもファンだって言ってくれた。私はそんな君を見て、君に惹かれた」


 彼女は口を閉じる。手当をしてくれていた手も止まり、視線も下を向いてしまう。

 彼女は今何を考えているのだろうか。

 俺のことを、考えているのだろうか。


「ショックだった。あの時私のこと推しとして見られないって言われたとき。確かに振られたショックも大きかったけど、それ以上に悠くんも『君にとっての私』しか見てくれてなかったんだっていうのに勝手にショックを受けてた。私が勝手に期待しただけなのにね」


 自重するようにこちらに微笑みかけてくる彼女。

 勝手になんかじゃない。


 俺が期待させるようなことを確かにあの日言ったんだ。

 いつからだろう。いつから彼女を『推し』として見る意識が強くなっていったんだろうか。


「でも嫌いになることはできなかった。むしろ想いを口にしたら、ますますその想いが止まらなくなった。あふれるんじゃないかってくらい、余計に君のことを考えるようになった」


 彼女はいつも全力だ。自分の気持ちから逃げたりしない。

 自分の抱えている想いを受け止めることができている。


 彼女が俺の手に伸ばしていた手を下す。

 そしてまっすぐ俺の目を見つめてくる。

 俺はそんな彼女の視線から目をそらすことができない。


「そしてまた君は守ってくれた。私を助けてくれた。確信した。私は君のことが好きなんだって。一草悠くんのことが大好きだって」


 まっすぐな彼女の言葉。

 その言葉はこの間とは違い、すんなりと俺の耳に入り溶け込んでいった。


「あんなにかっこよく前に立たれると惚れこんじゃうのも仕方ないよね」


 真剣な表情を崩して顔を真っ赤にしながらにへらと笑いかけてくる。

 そんな推桐葵の姿はどこまでも可愛く、そんな彼女を俺は、愛おしいと、はっきりとそう思った。

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