二十六、推しは眠る
結局『撃退シリーズ』の一本を見終わったわけだが、ノートに羅列した情報を見ても防犯グッズのことばかりで、なかなか役に立ちそうなものはなかった。
男女問わず緊急事態に物に頼らず、わが身一つで対処するのは思いのほか難しいということなのかもしれない。
「あんたこんなところで何してんの」
「ああ、彼女が寝てしまったからな」
「ふーん、変な子だねえ」
二階に上がってきた母が、自室の扉の前で座っているのを見て一瞬驚いたような表情を見せるが、話をするとそれはすぐに呆れたような表情に変わる。
そしてそのまま一階のリビングへと戻っていった。
そう、彼女はDVDを見ている途中で寝てしまった。
もう少しでDVDの内容が終わるところだったので、一本は見終わったのだがそのあと寝ている彼女の隣で、もう一本見始めようという気にはならなかった。
もちろん起こそうとも思ったが、あまりに気持ちよさそうに寝ている彼女を見ていると、それすらも申し訳なく思えてきてしまったのだ。
そしてそのまま部屋にいて彼女の寝顔を眺めているわけにはいかず、部屋の外に出てきたわけだ。
それからかれこれ一時間ほど経つわけだが、時折部屋の中を覗いてみても彼女が起きる様子はない。
確かに最近の彼女はクマができるほどに寝不足のようだったし、もしかしたら疲れがたまっていたのかもしれない。
「そうだとしてもなぜあんなにも無防備なんだ」
思わず呟かずにはいられなかった。
それほどまでに今日の推桐葵は無防備で無邪気なように見える。
終始だらけているし、カーディガンは脱ぎ始めるし、挙句の果てには眠ってしまう始末だ。
別にそれが悪いとは言わない。
信頼されていると思えば誇りにすら感じるが、それにしてももう少し意識してもいいのではないだろうか。
理性が崩壊しないように色々と対策を立てたのに、彼女があんな様子ではそれも意味をなさなくなってしまうかもしれない。
まあ今のところその心配はなさそうだが。
「あれ? 悠くーん?」
母が一階に戻ってからさらに三十分ほど経った頃だろうか。
唐突に部屋の中から彼女の声が聞こえてきた。
家の扉は厚いということもなく、普通の音量で話していても内容が廊下には聞こえてくる。
今俺のように扉を背もたれにして座っていれば、中の音などすぐに気づく。
推桐葵は俺を呼びながら、ごそごそと何かをしているような物音を立てていた。
俺自身も若干の睡魔に襲われていたが、立ち上がり軽く伸びをして自分自身の身体を起こす。
「起きたのか?」
扉を開けて部屋の中を眺めても彼女の姿はすぐに発見できなかった。
しかし明らかにいつも寝ているベッドの布団が不自然に盛り上がっていて、もぞもぞと動いていた。
「ごめん。寝ちゃった」
そして案の定布団の中から顔だけ出して、気恥ずかしそうにこちらに目を向けてくる推桐葵。
「何を、してるんだ?」
「いやー、えっとー、私寝相が悪くて」
「……そうか」
彼女が寝始めてから数分は部屋の中にいたが、その間彼女が微動だしなかった。
だから寝相が悪いというのはそう簡単に信じられるものではない。
というかいくら寝相が悪くても机に突っ伏して眠っていたのに、起きたらベッドということにはならないと思うが。
そんな言葉を飲み込みつつ、元々座っていた位置へと戻る。
しかし推桐葵は一向に布団から出てこようとしなかった。
「出てこないのか?」
「はーい、出まーす」
間延びした返事をしながらのそのそと布団から這い出てくる。
「せっかくの服がしわくちゃだぞ」
「いーのいーの」
そういいながらも少し恥ずかしそうに、乱れていた髪だけは手櫛で直していた。
そしておもむろにレンタルショップの袋に手を伸ばすと中から一本のDVDを取り出す。
「ね、カンフー映画見ようよ」
「疲れてるなら今日は終わりにした方がいいんじゃないのか?」
「大丈夫大丈夫」
正直寝てしまうほど疲れているのであれば、帰って寝た方がいいと思うのだが、彼女は帰る様子を一切見せずに『撃退シリーズ』のディスクとカンフー映画のディスクを差し替えていた。
「でも『撃退シリーズ』も残ってるしな……」
「それはさっきの一本で盛大なマーケティング映像だったって判明したでしょ」
それは確かに彼女の言うとおりだった。
まあ見たいものを見た方が眠くならないかもしれないし、彼女の言う通りカンフー映画を挟むのもありなのかもしれない。
そんなことを考えている間にも彼女は準備を終わらせてしまい、テレビから中華的な音楽が流れ始めていた。
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