二十五、推しを守るため

「へー、ふーん、ほー?」


 部屋に入って少しすると彼女の緊張は解けたのか、部屋の中をきょろきょろしながら奇妙な音声をあげていた。


 俺としては普段生活している自室を観察されるというのは、なかなかに恥ずかしいところがある。


「そんなにじろじろ見ても、何もないぞ」


「そうね。意外とさっぱりしてる」


「意外か?」


 普段何をしているのかはこの間話したような気がする。

 その生活の中身を聞いていたら、部屋に何もないのも意外ではないような気がするが。


「もっと私の写真とかあると思ってた」


「そうしたいのはやまやまだが、何度も言っているように」


「私の許可がないとそういうことはしないんでしょ?」


「……そういうことだ」


 今の彼女のいたずら気な笑みを浮かべている顔を見るに、わざと分かっていて言ったのだろう。

 さっきまでの緊張はどこに行ったのか、彼女は俺の部屋をうろうろと歩き回っている。


 まあそこまで広い部屋じゃないから、その場でくるくると回っているようにも見えなくないのだが。


 ちなみにくるくると回っている彼女もワンピースのスカートがひらひらと舞い、様になっている。

 あと3時間は余裕で見ていられるだろう。


「まあ、適当なところに座ってくれ」


「あ、はい」


 普段コンセントすら抜いて一切使用していないテレビのコンセントを差しながら、声をかける。

 しかししばらく使っていないからちゃんとつくか心配だ。


 テレビの主電源を入れると、少しの不安になるような間の後、テレビはちゃんとついた。


「よかった。使えるみたいだ。あまり大きくはないが我慢してくれ」


「全然大丈夫」


 そんなことを話しながら後ろにいるであろう彼女の方に振り返る。


「…………」


「どうしたの?」


 あろうことか彼女はニットのカーディガンを脱いで、小さな丸机の奥に座っていた。


「やり直し」


「……なにが?」


「むやみやたらに肌を見せるもんじゃない。カーディガンは着ててくれ」


「だってちょっと暑いし……」


「わかった。それならクーラーをつけよう」


「そこまでじゃないからいいよ!」


「じゃあ」


「わかりました。ちゃんと着てます。まったく、君は私のお父さんですか」


 彼女が折れてくれて、脱いで丁寧に折りたたんでいたカーディガンを再び羽織ってくれた。


「忘れていないだろうが、一応再確認だ。今日はお家デートの予習であって、つまり勉強会というわけだ。君が襲われないための」


「ああ、そういえば」


 まさか彼女は本気で忘れていたのか。

 ぽかんとした表情を見せる彼女に少し驚いてしまった。 


 確かにこのままぶっつけ本番でお家デートを迎えていたら、危機管理意識が低すぎて危なかったのかもしれない。

 そう考えると今日予習を敢行したのは正解だったのかもしれないな。


 そんなことを考えながら、机の上で伸び始めた彼女の様子を眺めていると部屋の扉をたたく音が聞こえてきた。


「入っていい?」


「ああ」


 俺が返事をすると同時に彼女の姿勢が正される。

 先ほどまでのリラックスしていた様子は一切なく、姿勢を極限まで伸ばして正座までしてしまっている。


「ほんとに大丈夫? 入っちゃうわよ?」


「何を勘ぐってるのか知らないけど、大丈夫だから」


 あまりにも用心深い母にしびれを切らし、自ら扉を開けにいく。


「あら、ほんとに何もなかったの。残念」


「その発言は母親としてどうなんだ」


「はいはい。はいこれお茶。じゃあまた来るわね」


「すまない。ありがとう」


「ありがとうございます」


 簡単なやり取りを扉の前ですまし、母はそのまままた一階に降りて行った。


「ふわあー」


 姿勢を伸ばした反動か振り返ると彼女は大きく伸びをしていた。 

 だかそういう不用心な行動を控えてほしいといってるのだが……。

 そしてまるで定位置に戻るかのように、自然な流れで机の上に腕を伸ばしてその上に頭をおいていた。


「じゃあさっそく見ることにするか」


「ほんとに見るの?」


「当然だ。何のために借りたか分からなくなる」


 だらけている彼女の隣にお茶を置き、俺自身はノートとシャーペンを取り出して床に置く。

 そこまで準備をしてから『撃退シリーズ』のDVDの再生を始めた。


「本気で勉強する気じゃん」


 ノートを広げたところで隣から彼女のつぶやきが聞こえてきたが、俺はD VDの内容に集中することにした。



「ねー、これってホントに意味ある?」


「意味があると思うことが大事なんだ」


「へー……」


 開始十分ほど経って、早くも飽きてきたのかだらけた声でスマホをいじりながら彼女は言う。


 確かに今のところ役に立つ情報は出てきていないが、まだ始まってすぐだ。

 これから必要な情報が出てくるかもしれない。



「ねー、これすごい強烈なステルスマーケティングの意思を感じるんだけど……」


「そうか?」


「そもそも高電圧スタンガンを常備している女性なんてめったにいないでしょ」


 ニ十分が経過し始めたところで、内容が確かに怪しくはなってきた。

 やたらと防犯グッズを使い始めたし、しかもそれを使用している背後の電車内広告で今まさに使用している防犯グッズの広告が映り込んだりしている。


 彼女はステルスマーケティングだと言っていたが、これでは普通にダイレクトマーケティングだろう。


「ま、まあこれはあくまでも痴漢撃退だしな。今回の目的にはそぐわないのかもしれないな」


「ふーん」


 相変わらず興味のなさそうな返事しか返ってこなかった。



「これは……失敗したかもしれないな」


 再生を始めてから一時間、いつまでたっても具体的な対処法が出てこず、ずっとどこかの同じ会社のものであろう防犯グッズをバッグから多種多様に取り出し続ける映像が続いていた。


「スー……スー……」


「いや、まだあと三本もあるしな。まだ不安を抱く段階ではないか」


 そして隣で一緒に見ていたはずの推桐葵は気持ちよさそうに寝息を立てていた。



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