十三、推しに種族は関係ない

「ねえ、何であれを抵抗もなく触れるの?」


「別に噛みつかれるわけでもないからな。そんなに怖がる理由はない」


「へえ。私はあの感触がだめ」


「確かに触ってすぐ離していたな」


 ふれあいコーナーでの魚たちとの触れ合いを終え、水族館の中にあった大衆食堂へと来ていた。 


 そして二人して一番のおすすめだという海鮮丼を頼み、それを食べながら水族館の感想を言い合っていた。


「それにしても、仮にも水族館内にある食事処でおすすめが海鮮丼ってどうなの?」


「近くに海があるからな」


「まあ確かにおいしいけど……」


 彼女の言いたいこともわかる。先ほどまで見ていた魚たちが刻まれてどんぶりにされて出てくるのだ。 

 思うところがないといえば若干嘘にはなるが、それでもおいしいものには勝てない。 


「この後イルカショーがあるらしいよ」


「へえ、水族館の中は一通り見て回ったしな。行ってみるか」


「そうね。せっかくだしいこっか」


 海鮮丼を食べながらパンフレットを眺める我が推し。 

 口に運ぶ海鮮丼には目がいっていないように見えるのに、それを口からこぼすこともなくきれいに食べている。


 俺はそんな彼女の様子を見ていてばかりで、先ほどから海鮮丼の中身が減っていない。 


 まあ気持ち的におなかいっぱいだからそこまでお腹がすいていないというのもあるのだが。


 そんな感じでたまに会話をしながら俺たちは昼食を終えると、イルカショーを見るために公演会場へと向かった。



「そちらの方、ぜひ最前列へ!」


 昼も過ぎたからかイルカショーの会場にはそこそこ人もいた。

 といってもお客さん全員最前列と二列目が埋まる程度に言った程度だが。


 ショーが始まるギリギリについたということもあり、適当に一番後ろの席にでも座ろうとした俺たちだったが、係員さんに勧められてしまい最前列に行かざるを得なくなった。

 そして流れるようにビニールのカッパを手渡される。


「そんなに水しぶきがすごいのかしら」


「どうだろうな」 


 小さいころに何度かこの水族館に来たことはあるから、このイルカショーも見たことがあるのだろうがそこまでちゃんとした記憶がない。 


 まあそんなことより俺の脳みそには推しのことを覚えておくことで脳のリソースを割く必要があるから、きっと推しに関係ないことはきれいさっぱり忘れてしまっているのだろう。

 我ながら便利な頭である。


「悠くんって私に関することは嫌ってくらい覚えてるのに、こういうことは覚えてないのね。どういう脳みそしてるの?」


「そういう君もあんまり覚えてないんだろう? まさか初めてということはあるまい」


「私は昔の君のことも詳しく覚えてるわけじゃないから、正常です」


 そういわれればそうか。しょうがない、忘れたくないほど推しは輝いているのだ。 

 その雄姿を覚えてることの何が悪いというのか。


 そんな会話をしていたらイルカショーは始まっていたようで、一頭のイルカが係員さんに誘導されパフォーマンスをしている。


 しかし2頭のうちもう一頭のイルカは水槽の中からじっとこちらを見つめていた。


 こちらというよりも、推桐葵のほうをじっと見つめているようだった。 

 彼女はそんなイルカの様子には気づくことなく、目を輝かせながら空中の輪の中をくぐっているイルカを見て拍手をしている。


 まあイルカも哺乳類だしな。もしかしたら推しの尊さに気づいてしまったのかもしれない。 


 それで見とれてしまうのは仕方ないことだろう。

 しかしイルカですら魅了してしまうとは、やはり俺の推しは素晴らしい。

 推しててよかった。


 そんなことを考えながら彼女の前から動こうとしないイルカに対してシンパシーを感じていると、突然そのイルカが水槽の中をぐるぐると回り始めた。

 係員のほうに目を向けるが何か指示をしているようにも見えない。


 嫌な予感がする。

 そんな予感は的中し高速で回転していたイルカは再び彼女の目の前まで切迫すると一気に自らの体を縦にして水面から飛び出した。


 今まで注目を浴びていなかったイルカが突然目の前に現れたことで、周りにいた人、そして彼女も驚いたかのように空中に飛び上がったイルカの姿を呆然と眺めていた。


 しかし俺だけはずっとそのイルカに焦点が合っていたからか、それともそのイルカの行動が予測できていたからか即座に行動することができた。


 このままでは彼女に大量の水が降りかかることになる。

 どうやら目の前のイルカは推しを前にして制御が利かなくなってしまったようだ。


 いかなる状況であっても推しに迷惑をかけることなかれ。


 そのことを同志となったイルカには身をもって教える必要があるらしい。

 そんなことを考えながらもすでに俺は彼女の前に立っていた。


 あえてイルカには背を向けない。まっすぐと彼か彼女かはわからないがイルカと目を合わせ、そしてその直後イルカが水面に戻ると同時に大量の水しぶきが自らの全身に降りかかった。


「ちょっと大丈夫!?」


 後ろから彼女の心配するような声が聞こえてくるが、申し訳ないが俺は今その声に反応することはできない。


 水中へと戻ってもなおこちらへと視線を向けてくるイルカと目を合わせ続ける。

 何秒くらいそうしていたのか。


 こちらの意図が伝わったのかどうかはわからないが、何かを察したのであろうイルカが確かに頭を下げるような動作を見せると、水槽の奥のほうへと泳いで去っていった。


 きっと彼には俺の思いが伝わっているであろう。

 そう思いおれもようやく体の緊張を緩め、彼女がいる観客席のほうへ体の向きを変える。


 すると彼女はおろか周りの観客も全員俺のほうに目を向けており、皆一様に驚いたような表情をこちらに向けてきていた。


「えっと……大丈夫だったか?」


「……ぷっ。顔真っ赤」 


 さすがに注目されすぎて恥ずかしい。

 俺は自分の頬が厚くなっていることを自覚しながら、席に座る。


「めちゃくちゃびしょびしょだし」


 観客の目はすでにショーへと戻りつつある。

 彼女だけはおかしそうに笑いながらこちらに体を向け持っていたのであろうハンカチを手渡してきた。


「なんでかばってくれたの? 別に濡れてもよかったのに」


「せっかく化粧や髪形もセットしてるのに、崩れてしまってはもったいないだろう?」


「……そっか。ありがと」


 彼女に満面の笑みを向けられてますます頬が熱くなるのであった。

 結局イルカショーの内容はほとんど覚えていないまま、ショーは幕を閉じてしまった。

 

 

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