終章 1.再会

努は大学を卒業して、事務機器の製造販売会社へ就職した。

本社は大阪だったので、大学時代の下宿アパートから通勤していた。

研修期間を終えて、地元の営業所へ配属になった。

百々津の実家へ慌ただしく引越をした。

仕事は、納品した機器の保守点検を担当している。

技術職を希望していたが、最初は現場からだと上司に云われた。

実家から白亀市まで列車で通勤している。


「今日は寄り道せんと、帰って来なよ。お祝いするで」

「二人で?」

父親は今、名古屋営業所に居る。お盆休みには、久しぶりに帰って来る事になっていた。

「父ちゃんが帰ってからで良えで」

土曜日は、午後三時までが勤務時間だ。

百々津駅に着いたのは、まだ四時過ぎなのに少し暗かった。

一雨来そうだった。


三叉路の扇変圧器工場前まで来ると小雨が降りだした。

折り畳み傘を持っていたが、それほどでもなかったので、少し急ぎ足で帰っていた。


映画館の前に小さな男の子が立っている。

どうやら側溝の蓋に立って身体を揺すっているようだ。

急に雨脚が早くなった。

映画館の自転車置場になっている軒の庇から女性が出て来た。

男の子を庇の下へ引き入れた。雨宿りだ。


努も庇の下へ走り込んだ。

傘を取り出して開いた時、女性と目が合った。

無意識に会釈をしようとして驚いた。

「ツトム君」「フミさん」

フミさんだ。茫然。


突然、居なくなった。

今度会ったら聞きたいと思っている事が沢山あった。

何から話そうかと迷った。

「ごめんね。ちゃんと説明するわ」

フミさんが先に話し始めた。

「岡島さんが、店に来るようになったのよ。神田でお祖母ちゃんが喫茶店をしていたの」


その頃、百々津町の青木善造さんから、お祖母さんに連絡があった。

お祖母さんは、フミさんの見合い写真を青木さんへ送るよう頼まれた。

フミさんの成人式の記念写真を用意していた。

フミさんは見合いのためだと知った。

大学を卒業すると教師になろうとしていた。

見合いに抵抗して写真をすり替えたのだった。


岡島さんは、フミさんが店番をしている時に矢竹の居所を探して訪ねて来た。

フミさんをアルバイトだと思っていたようだ。

確かに、お祖母さんから店番の駄賃をもらっていたからアルバイトには違いなかった。

何故、矢竹の居所を探っているのか尋ねた。

岡島さんは雑誌の取材で不正入札疑惑を追っていると答えた。

フミさんは、矢竹が魚の養殖研究にしか興味がない事を信じていた。

また、いくら研究畑の人だとはいえ、研究馬鹿ではない事も知っている。

政治家に騙されて利用されるような人では無い。

フミさんは岡島に矢竹の居所を教えた。

矢竹の居所を教える代わりに人探しを頼んだ。


フミさんが小学校六年生の時。

矢竹が百々津へ、はまちの養殖の技術支援に行っていた。

フミさんは夏休みに百々津へ母親と向かった。

矢竹の仮住まいしている南原の真鍋邸に宿泊した。

四泊して、東京へ帰る朝、海の見える公園へ登った。

景色を見ながら何枚か写真を撮った。

広場から見える町並み。

展望台から海に浮かぶ島々。

幾重にも聳える崖。

波打ち際に続く磯。

そのうち、どこからか脇道へ降りた。

細い山道から長く続く岩場が見える。

海水浴場だ。

子供達が泳いでいる。

磯を囲うように崖が広く聳えている。

海に突き出た堤に船を繋いだ桟橋が見える。


ファインダーを覗き、桟橋の浮かぶ景色に焦点を合わせてシャッターを切った。

瞬間。カメラの前に少女が居た。

驚いた。

少女は掌に揚羽蝶の指輪を載せて差し出している。

もう一枚、と呟くように云って、フィルムを巻いた。

今度は少女に焦点を合わせて崖を背景に撮った。

ファインダーから眼を離すと、目の前に少女が居ない。

慌てた。

崖から落ちたと思い、急いで崖を覗き込んだ。

誰も転げ落ちた様子はない。

不思議に思い足元を見た。

少女が立っていた所に指輪が落ちていた。

揚羽蝶の指輪を拾った。

母親とフミさんは、その日、東京へ戻った。

帰って、写真を現像に出した。

揚羽蝶の指輪を差し出すような少女は写っていた。

あの少女が落としたものに違いない。


勉強部屋に鍵の掛かる手提げ金庫を模した玩具の貯金箱が置いてある。

その中に、二十二枚の写真と一緒に揚羽蝶の指輪を大切に保管していた。

大学を卒業する前に揚羽蝶の指輪を少女に戻そうと思った。

岡島さんに落とし主を一緒に探してもらうようにお願いした。

岡島さんに事情を説明し始めると急に興味を示した。

貯金箱から写真の束を取り出した。

揚羽蝶の指輪を差し出す少女の写真を探したが無かった。

青木善造へ送ったのがその写真だった。

「すり替えた見合い写真だ」

もう一枚の少女の写真に揚羽蝶の指輪は、写っていない。

ネガも残っていない。

「揚羽蝶の指輪そのもの。現物は、渡さなかったんですか」

「そう。大切なものだから。だから少女の写真だけ渡したの」


フミさんは、百々津へ一足早く来た。


お祖母さんの実家、真鍋邸には、老夫婦が住んでいた。

庄原の米原さんの援助で、お手伝いさんが来ていた。

お手伝いさんか、離れに宿泊する事もあるようだ。

フミさんは、変装して、米原さんからのお手伝いさんになりすまし、真鍋邸の離れに宿泊する事にした。

「あの眼鏡とカツラで?」

「そう。それと映画館の大島さんっていう人と親しくなったの」

大島さんはオート三輪を持っていた。

大島さんはオート三輪で、いろんな所を回り、映画の立看板を立て掛けたり回収したりしていた。

フミさんは大島さんの三輪を借りて街へ買い出しに行く事もあった。

大島さんと仲良くなって、町のいろんな噂を聞いた。

大島さんは、町中を回っていたので色んな情報を知っていた。

殆んどが怪しい噂ばかりだったが、当時の事が徐々に分かった。


フミさんと母親が東京へ戻った日、漁師が崖から落ちて亡くなっていた。

遺体の近くで秋山努という小学生が溺れて病院へ運ばれた。


須賀直道の転落死は警察の捜査で事故死という結論だった。


それから十年。秋山努は、いつも中通の壊れかけた溝蓋を踏んで歩く、チャンバラ映画の好きな高校生になっていた。

「誰がそんな事を」

「あら、私も見た事あるわよ」

岡島さんとあの雪の日、百々津で会う約束をした。

午前十時に会う約束だった。

駅で二時間待ったが岡島さんは現れなかった。

月曜日に私立中学校の採用試験がある。


一旦、東京へ戻り岡島さんの連絡を待つことにした。

大島さんにオート三輪を返しに来た帰り、努と偶然、映画館の前で会った。

フミさんは、努に指輪を預けてみようと思った。

どうして、そう思ったのかは、分からなかった。


「その写真は、ここの映画館、田中さんの所にありますよ」

「どういう事?」

「東京の子が帰ると聞いて、見送りに行ったんです。けど映画館に居た東京の子は、睦月さんというそうです。それも睦月さんは東京の子ではなく、横浜の子でした」

努は写真の経緯を話した。

「フミさんが須賀直道さんの転落死した、その当日アヤちゃんの写真を撮ったとしたら、辻褄が合わなくなるんです」

「女の子の名前は、田中文子。アヤちゃんは幼馴染でした。映画館の田中さんの亡くなった娘さんです」

「須賀直道さんが亡くなる前の年に、嶽下海水浴場で溺れて亡くなったんです」

「でも、間違いなく須賀直道さんが亡くなった夏の日です。それ以前に百々津へは来ていません」

非現実的な想像しか思い浮かばなかった。


「今日は、どうして」

どうして今日、ここに来ているのか聞こうと思った。

「白亀市で私立の女子校で教師をしています」

努の問いかけの終わる前にフミさんは答えた。

「どこで」

フミさんの答えは少し逸れた。

「今は、百々津で暮らしています」

「大内医院の」

「いいえ。お祖母さんの実家、南原の真鍋の家で母と暮らしています」


じっと男の子が努を見ていた。

今にも飛び掛からんばかりの目付きだった。

睨んだ表情を見て、似ていると思った。

「名前はなんていうんですか」

「弘。ヒロムって名前です」

「弘?という名は、父の戦死した兄の名と同じです」

「知っています」

もし、そうだとすると四歳になっているはずだ。

「母に紹介します」

もう確信している。

フミさんは答えない。

「今日、私の就職祝いするんです」

「知っています」

「えっ」

「でも就職祝いとは言ってなかったです」

「えっ」

「良かった」

フミさんは握りしめた手を開いて努に見せた。

「それは?」

返した。確かに弥生さんに手渡した。

「これは、お祖母さんのお母さんから、母が父と結婚する時に贈られたそうです」

「ええっと」

お祖母さんのお母さんだから曾祖母さんか?

母というのはお祖母さんの娘だ。

「そして、母から今日贈られたの」

状況が整理出来ないまま話しは進んでいる。

「それはどういう。待てよ。今日?」

待て待て、曾祖母さんの娘がお祖母さんだ。

お祖母さんの里は、南原の真鍋という事か。

「みんな待っているから、寄り道しないように連れて帰ってくれって。ツトム君のお母さんから頼まれたの」

ツトム君のお母さんというのは、つまり努の母親。秋山シゲノだ。

フミさんは努の母親と会っているという事か。

みんな待ってる。というのは誰々なのか。

手強い。油断できない。

促されるまま軒下から出た。

「ツトム君。雨、あがってるわよ」

努は手に傘を持ったままだった。

「ここは、雨が降ってもすぐ止むのよ。だから私は傘を持たないの」

持っていた傘を鞄に押し込みながら思った。

そうだ。ここは、そういう土地柄だ。

「弘の誕生日には、いつも、お祖母さんがプレゼントをくれてたの。それがねぇ」

お祖母さんというのは誰だ。


血縁、姻戚関係を整理が出来ないまま話しは進行している。

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夕暮れの記憶 真島 タカシ @mashima-t

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