五章 2.船出

須賀は、父親の転落死から始まった一連の事件について、手記をまとめている最中だった。


岡島さんが転落死した直後から始めたメモを並べ替えて読み返してはまとめている。


編集部の田崎さんから、特集記事を組むからと、相談を持ち掛けられている。

大学を卒業して、光耀社へ就職したいと思っていた。

だから願ってもない話しだ。


そんな時、母親から連絡があった。

寺井海運の事務所を閉める事になったというのだ。

母親は、寺井海運を退職する事になった。

寺井海運は、神戸営業所を拠点に営業している、陸運業に軸足を移すことになった。

弥生さんの兄、満が社長に就任する。

弥生さんは満の居る神戸へ引越す事になった。

大内藤子さんも一緒だ。


藤子さんが、百々津から出て行く。

もう会えないかもしれない。

会う勇気もない。


手記のまとめは捗らない。

何をどうしたら良いのか分からないまま帰省した。


手記をまとめる訳でもなく、ぼんやりと時間が過ぎた。


今日、藤子さんと弥生さんが、神戸へ向かう。


須賀は、栗林市へ入っていた。

フェリーの出発時間まで後二時間になった。

見送りだけはしようと思っていた。

日の出埠頭のフェリー乗場へ向かった。

藤子さんがフェリー乗り場の待合室に居た。

フェリー乗場の待合室の入口で藤子さんを見つけた。

須賀は、円柱の陰から二人を見ていた。

隣に縮こまった弥生さんを庇うように、藤子さんが寄り添って何か云っている。


「弥生さん。大丈夫」藤子は、優しく云った。

弥生さんは、頷いた。

「気い、しっかり持っときなよ」

藤子は、また励ました。

弥生さんは、また頷いた。

「私がずっと付いとるきんな」何度も、何度も云っている言葉だ。

「心配無いきんな」藤子が優しく、弥生さんを労わっている。

弥生さんの兄が、二人を呼びに来ると、フェリーに乗り込んで行った。


須賀には、何を喋っているのか聞こえない。

須賀は、言葉を掛けるどころか近づく事さえ出来なかった。

弥生さんの背中を支えるように抱えて、藤子さんはタラップを上がって行った。

ふと、藤子さんが振り向いた。

目が合った。

藤子さんと目が合った。


そのまま、栗林駅から百々津へ戻った。


寺井海運の事務所へ立ち寄ると母親が一人で事務所の整理をしていた。

殆んどの物は片付いている。

必要な物は神戸へ送り終えている。

残ったもので処分出来ない物をみかん箱に入れて大内医院へ運び込む手筈になっている。

須賀は黙って整理を手伝った。

「おい。ヒロ。見送って来たんか」

「おう」母親と目を合わさず、ぶっきらぼうに答えた。

「そうか」

母親に何か二人の様子を聞かれるかと思ったが、何も聞かなかった。

「お前、就職、どうするんな。やっぱり東京か」

壁に掛かった古い社員一同の写真を外し、机の上に置いた。

「うぅん」どっち付かずの生返事だ。まだ決めかねている。

「そうか。母ちゃんは、今度、坂口建設へ行くきん。また経理や。こっちは、なんも心配いらんきんな」

「なんや。仕事、決まったんか」

「おお。決めた。坂口がどうしてもウチに来い。ちゅうんや」

母親は、社長机の前に立って云った。

古い写真の額縁を外した。

寺井海運の看板を真ん中に掲げた社員一同の写真だ。

その写真の額縁から何か落ちた。

須賀が拾い母親に渡そうとして

驚いた。

揚羽蝶の指輪を持った少女の写真だった。

母親は、写真をみかん箱に入れた。

「ヒロ。運転頼むわ」

四箱を車に積むと母親を助手席に乗せて大内医院へ向かった。

「先に、ちょっと嶽下展望台へ寄ろうか」

云われた通り嶽下展望台へ向かった。

「その奥の箱や」

須賀が箱に掛けた新聞紙を除けると中に供花が入っている。

「それや。ひとつで良えぞ」

供花を取り出して母親に渡した。

母親は、展望台の柵際に花を置くと手を合わせた。

須賀も近くで手を合わせた。

大内医院から帰り道、西展望台では三つ、花を添えて手を合わせた。

北山公園の登園口まで降りた。

「そこで停めてくれ」

桃の祠の空地だ。

「昔なあ。ここの際まで海やったんやで」

それは須賀も知っている。

「ここいらの庄屋さんが地蔵菩薩さん、お祀りしたんや」

そう云えば、そんな話しを聞いた事がある。

「若い娘さんが嶽下の刑場へ曳かれる途中、逃げ出して、ここから身投げしたんや」

母親は揚羽蝶の指輪を持った少女の写真を見て云った。

「けどなあ。無実やったそうや」

あの写真の女の子は映画館の田中さんの娘で嶽下海水浴場で溺れ死んだ文子さんという事だ。

「殿さんが不憫に思うまんやろなあ。祠に祀ったんや。この子はおもんさんかもしれんのう」


そういえば、母親は噂話はしない。

噂話を聞いても、にこにこ聞いているだけだ。

息子にも噂話をしない。

「昔はお文地蔵ちゅうて言いよったんや」

何かに憑かれたように喋る母親の顔を見た。

額にはっきりと皺が刻まれていた。

覚えている限り、皺は確かに寄っていたが、刻まれてはいなかった筈だ。

「おかん。俺、大学出たら、ここで、魚の養殖するわ」


「ほう。そうか。好きにしたら良えがな。なあ」

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