五章 1.記憶

今日、東京の子が東京へ帰るという事だ。

母親が、近所の井戸端会議で、話を聞いた。

青木元町長が、亡くなった後、ずっと映画館の田中さんの家に居たそうだ。

青木元町長を殺害した犯人が捕まるのを見届けるまでは、と警察の捜査に協力していたそうだ。

その後、青木博さんの両親から、博と結婚してほしいと頼まれた。

準備のため、一旦、東京へ戻る事になった。


努が、警察署で事情聴取された後、フミさんと会っていない。

嶽下で、救急車やパトカーが、海の家の空地に到着した時には、フミさんは居た。

「おっ。努君。久しぶりやなあ。どっか行っとったんか?」

映画館の田中さんが、努を見つけて声を掛けた。

「おじさん。フミさんは、まだ来ていないのですか?」

「フミさん?って誰な?」

「ええっ。文月さんです。ふづきさん。今日、東京へ帰るって聞いたんで見送りに来たんですけど」

「いや、それは睦月やけどな。それと、東京やないんや。横浜やけどな。ええっと」

田中さんは、連絡船乗り場を見渡しながら云った。

青木のおばさんがいた。博さんの母親だ。

青木のおばさんと話しをしている女性がいる。

「あの子が睦月やけど。おおい。睦月。こっち、こっち」

田中さんは、その女性を呼んだ。

女性が、ゆっくり、近づいて来た。

「睦月、秋山君を知ってる?」

田中さんは、その子に向かって聞いた。

東京の子。いや、横浜の子は、子首を傾げた。

睦月さんは、田中さんの横に立って微笑んでいる。

「睦月さんか。フミさんじゃないんやなあ」

「だから、フミさん。ちゅうんは誰や?」

「七月の文月。フヅキなんだけど、フミって呼ばれているって、言ってたけど」

「睦月は一月。睦月と文月では六か月も違うなあ」

「何を言うとんな。冗談ばっかり」

青木のおばさんが田中さんを嗜めるように云うと、努に声を掛けた。

「秋山さん。ご無沙汰してます。お爺ちゃんの葬儀に列席してもろて、ありがとう」

青木のおばさんは、努を覚えていた。

「いえ。こちらこそご無沙汰して申し訳ありません」こんな挨拶で良かったのか。

「そんな事ないわ。今、お兄ちゃんの方が、お爺ちゃんの遺志を継いで郷土史料館の建設で張り切っとるから、また遊びに来てね」

「はい。またお伺いいたします」

努は、大人と話をする時、何時も緊張していたが、今回の出来事で、随分と話し易いものだと思った。


「本当よ絶対よ」

青木のおばさんは笑っている。

「承知いたしました」努も笑顔で答えた。

「それで揚羽蝶の指輪。見付かったの?」

青木のおばさんが、意外な事を努に尋ねた。

「はい。あっ。揚羽蝶の指輪の事、ご存知ですか」努は、驚いた。

「それがのう。亡くなった青木さんから、この写真を渡されたんや」

今度は田中さんが不思議そうに話し出した。

「これ、岡島記者が持っていた女の子の写真ですか」

ずっと気になっていた。

「そうやろのう。米原さんにも確認したそうや。警察も、そう言うとったわ。けど事件とは無関係やと分かったんで、戻してくれたんや」

「関係無かったんですか」

努は驚いた。事件の鍵だと思っていた。

「この写真は、須賀さんが亡くなる二年くらい前の写真や。中通の子供会で嶽下海水浴場いった時に撮った写真らしいんや」

「それじゃ、揚羽蝶の指輪が写っていた写真はどうなったんですか?」

「それも警察に聞かれたけど、家には揚羽蝶の指輪は無いし。どうなったんか分からんわ」

「睦月。おい睦月。警察に写真の事、聞かれたんやろ」

「ええ」

睦月さんも不思議そうに答えた。

「揚羽蝶の指輪の事も?」

「ええ。でも、揚羽蝶の指輪の事は記憶に無いです。これは想像なんですが、持ち主に、返したのだと思うって、事情聴取された時にそう言いました」

「この写真は、睦月さんが撮ったんですか?」

「ええ。そうかもしれないのですが、よく覚えていないのです。珍しい指輪を見ていたら覚えているはずですが」

元々、揚羽蝶の指輪を持った少女の写真など無かったのではないか。

岡島記者は、少女に写真を届けたかったのか?

それとも揚羽蝶の指輪を探していたのか?

「おじさん。ありがとう。もう行くわね」睦月さんが、田中さんに云った。

睦月さんが乗り込むと乗船デッキが外された。

「おお、そうか。気つけぇよ。なぁ」

暫くすると汽笛がなって連絡船が動き出した。


船が見えなくなったので、二人は駅のホームへ戻った。

田中さんは、急行で帰るといったのだが、努は普通切符しか持っていない。

急行券を買ってやるから一緒に帰ろうと云った。

努は、好意に甘えた。

一緒に帰ることにした。

座席に着くと、すぐ汽車は発車した。

隣の席で、田中さんは少し考えて云いました。

「文月の文。ふづき。文子の文。あやこ。努君は覚えてへんのか?文子のこと」

田中さんは青木元町長から渡された写真を見ていた。

「早いもんやな。もう十二年。先月の十日に、文子の十三回忌やったんや」

十二年前。つまり、須賀さんの父親が亡くなる一年前に、嶽下海水浴場で溺れて亡くなった。

写真が、事件に無関係だという事は、そういう事だ。


もう、顔も声も覚えていないけど、写真の少女はアヤちゃんだったのか。

西通のシズお祖母さんの家を建て替える間、映画館の田中さんの借家に、仮住まいしていた。

アヤちゃんと遊んでいたのを思い出した。

写真の少女はアヤちゃんだ。

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