四章 13.花火

北山公園の登園口で、オートバイを下りた。

「ありがとうございます」

篠原さんに礼を云って桃の祠へ走った。

「おう。そしたら寺井の事務所へ行くわ」

篠原さんが、弥生さんの用心棒を買って出たのだ。


展望広場まで行けば、北展望台まですぐだ。


西崖の桟橋へ向かった。

西崖トンネルに入る前に、モーターボートが桟橋に着いているのが見えた。

トンネルを抜けて、モーターボートを見ても、誰も乗っていない。

西崖には、誰も居ない。

寺井海運へ戻ったとすると、海岸道を港へ向かったのか。

港まつりだから、港へは入れない。

西崖を登り、待避所から、北展望台へ戻ったのかもしれない。

北山公園の登園口へ向かった。


空地から、桃の祠に登る石段を二段飛ばしで、踊場へ駆け上がる。

その時、桃の祠の空地に停まっていた車が走り出した。

坂口建設のオート三輪だ。

登園道を上っている。

同時に誰か、桃の祠から石段を踊場まで降りて来た。

フミさんだ。

「あっ。助けて」

変装はしていない。

フミさんのすぐ後から男が駆け下りて来た。

見覚えがある。古沢町議だ。

「おい」

フミさんが努の背中に回った。

古沢が正面から飛び掛かって来た。

逃げようが無かった。


フミさんを斜面の草むらへ押し退けた。

古沢が、努にぶつかった瞬間、石段から落ちた。


仰向けに、石段で頭を打ち付けた。

天地がひっくり返って、気付くと古沢を組敷いていた。


篠原さんに作業用ヘルメットを返すのを忘れていた。

助かった。


努は古沢の片腕を掴んで離さかったのだ。

足は早いのだが、柔道の授業は苦手だった。

唯一、覚えていた袈裟固めが決まっている。

「こら!何しとんじゃ!」

努は怒鳴った。声が上擦っていて、迫力は無い。


「儂は知らん。見とっただけや。離してくれ。頼む」

古沢町議は狼狽している。

「離しちゃダメよ」

今度はフミさんが、強気だ。


「どうなっとんな」

努には意味が分からなかった。

「寺井海運の事務所から、その人が弥生さんを連れて出て来たの」

フミさんは、弥生さんを見守るために北展望台から寺井海運へ戻った。


弥生さんは、事務所の炊事場で、茫然としていた。

フミさんは、炊事場の窓から、弥生さんを見守っていた。

排水溝の臭いを嗅ぎながら、ツトム君に呪いの呪文を唱えたそうだ。


勝手口の方から物音が聞こえた。

「秋山君?」

弥生さんは、ツトム君が戻って来たのかと思ったようだ。

「ああ。弥生さん居った。良かった」

声が聞こえた。

男が入って来た。

弥生さんは、男を見て、少し安心したようだ。

「どうしたのですか」

弥生さんは、泣き腫らした目で頼りなく尋ねた。

「社長が大変なことになっとるんや。すぐ行こう」

「えっ」弥生さんが怯えている。

「道が混んどるきん、車、桃の祠へ停めとんや。そこまで行こう」

「そこから、何処へ」弥生さんは、また不安そうに云った。

「嶽下展望台や。桃の祠まで行ったら、車で行けるきん」

弥生さんは、上の空で男に付いて出て行った。

何も考えていないようだった。

二人は、北山公園へ向かった。

フミさんは事務所から出て来た二人の後を追った。


「花火の前に来とった人?」

努は坂口社長かと思っていた。

「それが違うのよ」

花火の始まる前に事務所へ来ていた男では無い。

「弥生さんは?」

そうだ、フミさんは弥生さんを見守り戻ったのだ。

「分からない」

北山公園の登園口は見通しが利く。

二人が桃の祠の空地へ消えた後、玉垣に隠れながら空地へ近づいた。

玉垣の間から空地を覗いた。

空地に、五台の車が停まっている。

弥生さんも男も居ない。

桃の祠へ石段を登る男が見えた。

弥生さんは見えない。

フミさんは、男の後を付けて、石段を上った。

すぐ近くまで、オートバイの音が響いて停まった。

男は桃の祠の前で突然振り向いた。

フミさんは見付かったと思い逃げ出したところだった。


「おい。弥生さんをどうしたんや」努が怒鳴った。迫力は無い。

「知らん。知らん」

古沢町議が叫んでいる。

「ツトム君。その人じゃない」

古沢町議の顔を見てフミさんが云った。

「えっ」

もうひとり、男が居るのか。

「弥生さんを連れ出したのは、その人じゃない」

さっき、登園道を上った、坂口建設のオート三輪だ。

周遊道の北回りには北展望台と西展望台がある。

しかし北回りは歩道だけだ。南回りしか車は走れない。

南回りで行着くのは、嶽下展望台だ。

嶽下展望台へ向かったに違いない。


「しまった」

嶽下展望台へ急がないといけない。

「フミさん。もう一度、寺井海運の事務所まで行って来て」

「篠原さんというカミナリ族がいるから、ここまで呼んで来て」

「カミナリ族」

フミさんは躊躇った。

「うん。でも僕の先輩だから心配ない」

納得がいかない様子で、フミさんは寺井海運へ向かった。


「何があったんか言わんか!」

やはり迫力はなかったが、努は精一杯、古沢町議を脅した。


古沢町議は、か細い声で喋った。

「青木さんが頭殴られて、崖に突き落とされるとこ、見たんや」

古沢町議は白状した。

話しは前後して分かり辛かったが内容は分かった。


青木元町長から、さくら祭の宴席に誘われた。


青木元町長のお宅へは、臨海土地開発事業の相談によく訪れていた。

ちょうど、岡島記者の転落事故の噂話が盛んな時期だった。

岡島記者が、写真の少女を探している話しが出て、思い出した。


岡島記者の遺体を発見したのは、寺井海運のモーターボートで、釣りから戻る途中の坂口社長だ。


古沢町議は、岡島記者亡くなった当日の夜から、寺井海運のモーターボートを予約していた。

予定通り釣りをして朝方、港の係留所へボートを戻した。

モーターボートの座席の隙間に何か挟まっていた。

摘まみ出すと写真だった。


西崖の桟橋だ。

写真の少女は、指輪を持っていた。

蝶の模様だ。

少女の肩口に漁船が写っている。

古沢町議は写真をモーターボートのボックスへ入れて、それを寺井海運の須賀浪江さんに伝えた。


古沢町議が、何気なく、蝶の指輪を持った少女の写真を見たと話した。

その後、青木元町長が、誰かを探している事を知った。


暫くして、今度は、青木元町長が古沢町議を訪ね少女の写真について詳しく聞かれた。

青木元町長は、岡島記者から見せられた、写真の少女を探しているのだと気付いた。


ただ、古沢町議が見た少女の写真と、三人が見た少女の写真で、違うのは、蝶の指輪だ。

古沢町議も関心が湧いた。

もしかすると、岡島記者が転落死した事と何か関係があるのかもしれない。


寺井社長にモーターボートのボックスに写真が入っていなかったか尋ねた。

寺井社長は、入っていなかったと答えた。


寺井海運の看板に、昔は、揚羽蝶の図案が、描かれているのを思い出した。

確か、版画家の松田が描いたと聞いている。

まったく、付き合いの無い松田に、寺井海運の看板に描かれていた蝶のことを尋ねた。

寺井海運に、蝶の図案を彫った指輪があるという事だ。

写真に写っていた、蝶の指輪を持った少女は、寺井社長の娘、弥生さんだと分かった。


庄原の米原と米田も岡島記者の持っていた写真を見ている。

三人が見た写真と、古沢が見た写真は、違う写真だった。


それで、青木元町長から、さくら祭の花見に誘われたのだろう。


一緒だったのは、版画家の松田と建築家の米田、そして古沢町議だった。

版画家の松田は、寺井海運にある指輪を見ている。

米田は地元では有名な建築家だし仕事上の付き合いもある。

青木元町長が、何か考えていると悟った。


花見の宴席を終え、二次会へ出掛けようとした時、青木元町長が居なくなってしまったのに気が付いた。

三人で手分けして探していた。


西展望台で青木元町長が男と会っているのを見付けた。

途中からだったが、青木元町長が男を叱り付けているのが分かった。

古沢町議は隠れて見ていた。

青木元町長は、岡島記者を事故死に見せ掛けて殺したのだろうと云った。

古沢町議は驚いた。

男は覚悟したのか経緯を話し始めた。

揚羽蝶の指輪を持った少女の写真には、もう一つ、漁船が写っていた。


十一年前、須賀直道は北展望台の坂を転げ落ちて原で倒れていた。

直道は起き上がると西崖へ続く山道を歩き始めた。


直道は、山道を西崖の待避所まで行った。

そこから階段を降りれば、西崖の桟橋に着く。

桟橋に直道は漁船を繋いでいた。


男は西展望台の待避所から直道を突き落としたと云った。

直道の遺体を岩場に下ろした。


その時、漁船が近づいて来た。

桟橋から岩場は丸見えだ。

直道の遺体を目撃されてしまうと思った。


待避所へ戻ろうと見上げると、そこには誰かいる。

戻る事もできない。


急いで直道の漁船を岩場まで動かし、遺体を乗せて嶽下海水浴場を大きく迂回した。

西方橋の袂にある空地に坂口建設のオート三輪か停まっている。

空地の北側は石垣ですぐ下は海だ。石垣に漁船を繋いだ。

遺体をオート三輪の荷台に乗せて嶽下展望台まで運んだ。

展望台の崖際から遺体を遺棄した。

海水浴場は騒然となった。

その後、警察が捜査したが、直道は事故死として処理された。


十一年経って岡島記者がやって来た。

少女を探していた。

岡島記者は、大内医院から出て、北山公園の西展望台にいた。


岡島記者を案内して北展望台へ向かった。

頼まれて、脇道から西崖の待避所へ連れて行った。


岡島記者は、待避所に立って桟橋を眺めて、写真と見比べていた。

写真には、揚羽蝶の指輪を掌に載せて、カメラに向かって差し出す少女が、写っていた。


背景に桟橋が、写っている。

焦点は、漁船に合っている。


あの時、直道の倒れていた北展望台の下で指輪を拾った。

その指輪を西崖の待避所で落とした。

その少女が拾ったのだ。

少女の肩口に直道の漁船を操縦する男が写っていた。

見知った人なら、誰だかすぐに分かるのだが、岡島記者は気付いていない。


少女の持っている揚羽蝶の指輪を見て寺井弥生だと思った。

寺井弥生が、もしくはカメラを構えた人が犯行を目撃していたのではないかと思った。

転げ落ちた直道を寺井美弥と弥生が、探しているうちに、指輪を見付けたのだと思った。


岡島記者が、寺井弥生を探しだして、当時の取材を始めると、事件が発覚すると思った。


岡島記者を西崖の待避所から岩場へ突き落とした。


坂口社長が寺井海運のモーターボートを借りて西崖の桟橋に繋いでいる事は知っている。

モーターボートで死体を嶽下まで運び、岩場へ遺棄した。

岡島記者は、事故死として処理された。


ここまで話すと、青木元町長に襲い掛かった。

傍らにあった石を拾って青木元町長の頭を殴り付け、更に崖から突き落とした。


古沢町議は、男が逃げるまで隠れていた。茫然と展望台の崖際に立った。

犯行に使われた血糊の付いた石が落ちていた。

その石を拾って北展望台まで歩いた。

展望広場まで行くと沢山の花見客が居る。

広場の手前を横切り、桃の祠へ石段を降りた。

桃の祠まで降りて、そこで気付いた。

血糊の付いた石を握っていた。思わず投げ捨てた。

街中で火事が出ているのに気付いた。

犯行に用いた石が、桃の祠の灯篭の欠片だったのは偶然だった。


その後、揚羽蝶の指輪を持った少女の写真は見付かっていない。


オートバイの音がする。

篠原さんだ。篠原さんが、戻って来た。

助かった。

後部座席にフミさんだ。

何故か、変装している。

黄色い寺井海運のヘルメットを被っている

「篠原さん」

「大変やのう」

篠原さんは、ロープを持って来ている。

「これも、それも事務所から、かっぱらって来た」

嬉しそうに篠原さんは云う。

「おお。古沢さん。いつもお世話になっとります」

篠原さんは丁寧に挨拶すると古沢町議をロープで縛った。

「弥生さんが危ないかもしれんのう。お前も来い」

篠原さんが努を見て誘った。

「ちょっと待って。私も行く」

フミさんも行くという事は?

「しょうが無い。お前は走って来いや」

そう云うと篠原さんは、オートバイを噴かした。

黄色いヘルメットを被ったフミさんを乗せて、北山公園の登園道をオートバイで駆け上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る