三章 3.長雨

雨は、突然、激しく降り始めた。

昼前に降りだした雨は夕方になって、やっと小降りなった。

駅に着くと、雨は止んでいた。

ただ、今にも降りそうだった。

急いで帰っていたが、間に合わなかった。

川田の自転車屋を目指して走った。

川田自転車の店先は軒が長くて広い。

少し休んで役場の角の三宅書店を目指して走った。

努は、傘を持っていない。


この梅雨の時期でも、雨は長く降ることはない。

それが証拠に、今はもう、止んでいる。

少し、駅で雨宿りすれば、濡れずに済んだのだ。

映画館の路地口で、フミさんを見付けた。

壊れかけた溝蓋に立っている。


元町長が、殺された夜、フミさんは、東京へ戻っていたのだろうか。

暫くフミさんとは、会う事がなかった。

あの夜、映画館で、これ以上、揚羽蝶の指輪の落とし主探しをしてはいけないと云われた。


青木元町長の葬儀も終わった。

町内の話題は青木元町長殺人事件、一色だった。

犯人の手懸りも無いまま、捜査は難航していた。


五月の連休明けにフミさんを見つけた。

相変わらず、一緒に映画館で、居るが、何を話すこともなかった。

揚羽蝶の指輪の落とし主探しを忘れてしまっているようだ。

青木元町長殺人事件についての噂話も聞かなくなり、やっと日常を取り戻し始めていた。


「おかえり」フミさんと「ただいま」声が重なった。

「えっ?どうしたの?」

すぐに、フミさんが、努を見て驚いた。

努は、ずぶ濡れになっている。

「間に合わんかったんや」梅雨時は、いつ降りだすか分からない。

しかし、雨が降ってもすぐに止む。

「びしょ濡れじゃない。ちょっと、こっちへ来なさい」

フミさんが、少し怒っている。

「でも、橋を越えたとこで、雨、あがったんです」言い訳をした。

雨脚が激しかっただけだと思ったが、声には出さなかった。


フミさんに連れられて、映画館の横の路地に入っていった。

「ここで待っていて」

映画館の裏手にある倉庫へ努を招き入れると出て行った。

「けど、家も近いし、一旦帰って」努は、着替えてから、戻って来ようと思っていた。

フミさんは努の云うことも聞かずに、映画館のオート三輪に向かって駆け寄った。

倉庫には、映画の古いポスターを貼った、障子戸くらいの看板が、何枚も縦掛けられていた。

努が、熱狂した忍者の映画。

努は観ていないが、女子バレーボール、極東の魔女の映画。

奇抜な切り口で話題になった監督の、東京オリンピックの記録映画。随分と昔のように思う。

来年は、もうメキシコオリンピックの年だ。


フミさんが、すぐにバスタオルを持って、倉庫に入って来た。

努は頭からバスタオルを被って雨に濡れた身体を拭った。

フミさんは丸椅子に腰かけて倉庫の前に咲いている紫陽花を見ていた。


紫陽花の茎に蝸牛が這っていた。

紫陽花を見ているのか蝸牛を見ているのか。

それとも何も見ていないのか。


「もしかすると、本当に危ないかもしれない」

フミさんは、思い詰めたように呟いた。


「揚羽蝶の指輪を持った女の子の写真を見たという人の事、もう一度、教えて」

青木元町長が殺されたのは、揚羽蝶の指輪の所為だと考えている。

映画館でフミさんに話した事をもう一度話した。

フミさんは、揚羽蝶の指輪の落とし主探しを止めるとは云わない。


「揚羽蝶の指輪を持った女の子の写真のことを聞いたのは、青木さんからだったわよね?」

フミさんが、努に確かめた。

青木元町長から庄原日記を借りていた。

一ヶ月ほどして、青木元町長が、庄原日記の返却を求めて、努の自宅へ受け取りに来た時だ。

古沢町議が、寺井海運のモーターボートで、揚羽蝶の指輪を持った少女の写真を見たと云っていた事を教えられた。

モーターボートの座席に挟まっていたて、座席のボックスに戻した。その事を事務の須賀のおばさんに伝えたそうだ。


「それで、女社長さんに確かめたのよね?」

努は、寺井社長を訪ねて、直接、揚羽蝶の指輪を見せてもらった。

その時、寺井社長に確かめた。

「町会議員さんが、女社長に聞いたのよね?」

古沢町議は、寺井社長に写真が無かったか確かめた。

寺井社長は、須賀のおばさんに確認したが、写真はモーターボートの座席ボックスに入っていなかった。

努は、指輪を持った少女の写真と聞いて、弥生さんだと思っている。


少女の写真といえば、米田さん、米原さんと青木元町長の三人が、

亡くなった雑誌記者から少女の写真を見せられている。


努は、庄原の米原さんを訪ねて、庄原日記に記述のある揚羽蝶の指輪の由来を教えてもらった。

その時、青木元町長が、庄原の米原さんを訪ねて、少女の写真を見せたそうだ。

青木元町長の見せた写真が、亡くなった雑誌記者の持っていた少女の写真だったのかどうかを確かめた。

写真の少女は、指輪らしき物を持っていたが、それが揚羽蝶だとは分からなかった。

ただ、米田さんには、その事を確かめてはいない。


さくら祭の夜、火事があった。

火事を見に行った橋の袂で、坂口社長と会った。

坂口社長は、古沢町議から聞いたそうだ。

亡くなった雑誌記者は、揚羽蝶の指輪を持った少女の写真を持っていたと云っているそうだ。


揚羽蝶の指輪を持った少女の写真の事を云っているのは、古沢町議だけだ。

古沢町議は、亡くなった雑誌記者さんとは、会っていない。

何故、古沢町議は、そんな事を云っているのだろうか?


三人が見た写真の少女と同じ少女なのかどうかは、分からない。

「だったら、青木さんは、女の子の写真を持っていたのよね?」

そうだ。

青木元町長は、揚羽蝶の指輪を持った少女の写真を持っていた。

その写真は、どこへいったのか。

少女の写真を警察が、捜査をしているのかどうかは、分からない。

青木元町長の殺人犯は、まだ見つかっていない。


一緒に花見をしていた三人が、警察署で事情聴取されたそうだ。


フミさんは、映画館に入って行った。

努も後を追って、映画館に入って行った。

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