二章 8.帰省

須賀は岡島さんが何を取材していたのか編集部の田崎さんに教えてもらった。

「勿論、大蛇川ダムの不正入札の周辺だけどね。岡島が亡くなった後、政治部で調べていたみたいなんだけど」

矢竹が今畠議員の秘書を辞めた時と国会で騒がれた時期が同時期だった事から注目していた。

疑惑が報じられた議員に近い議員と、今畠議員が同じ派閥で親しかったからだ。

百々津町で臨海土地開発事業が決定している。

土地開発に絡んだ不正が存在していたとして、それを明らかにすれば特ダネになる。と考えた。


しかし、疑わしい情報は無かった。

大蛇川ダムの一件については、まったく無関係だと考えていると云う事だ。


矢竹に関して調べてみると、現在、大阪の水産研究所にいた。

水産研究所と大学からの誘いがあったようだ。

有力なのは海外からの誘いで大規模な海洋牧場計画だった。

だから、百々津町へ行く可能性は低い。


それなのに何故、岡島さんは百々津町を訪れたのか。


矢竹には、百々津町の町長選に出馬しないかと打診されたという噂があったそうだ。

国会議員の元秘書という肩書きが有効なのだそうだ。


岡島さんが張り付いていたのは矢竹の奥さんの母親、つまり義母である森岡サチが経営する喫茶店だった。

森岡サチは百々津町南原出身で、旧姓を真鍋という。

矢竹が水産研究所を退職した後、白亀市出身の今畠議員に紹介したのはそのサチだった。

矢竹に今畠議員の秘書になる事を薦めたのもサチだった。


矢竹の娘が大学を卒業する。

これを機に、また養殖の研究を再開したいと考えて準備を始めたらしい。

矢竹が議員秘書を辞めたのを知った各所からいくつか誘いがあった。

水産庁を退官した後に勤めていた大阪の水産研究所から再度、百々津漁業組合の支援要請を受けての誘いがあった。


その頃には、百々津町の臨海土地開発事業の内容が判明した。

用地を購入する会社が造成費用を負担するという方式だった。

利権が絡む事は考え難い。


それでも、岡島さんは百々津町の真鍋邸を訪ている。

その時はまだ矢竹の居所は判明していなかったのだろうか。


岡島さんは、須賀が冬休みで帰省する前に、再度、父親の転落死について尋ねた。

更に、自宅に連絡があり、百々津へ来るという事だった。

須賀に会って、何を話すつもりだったのだろう。


岡島さんが張り付いていたという喫茶店を訪ねた。

矢竹の義母が経営する喫茶店だ。

カウンター席が六席、四人掛けのテーブルが四台の小さな喫茶店だった。

須賀は入り口近くのカウンターに腰掛けた。


客は会社員風の若い男が二人、カウンターの奥の席に並んで掛けていて、すぐ後ろのテーブル席には須賀と同年輩の大学生らしき二人連れが向かい合って掛けている。

カウンターの中にいる初老の婦人がサチさんだろう。

サイフォンを木のヘラでゆっくりと混ぜている。

コーヒーが目の前に運ばれた時にサチさんと目が合った。

「矢竹さんはいらっしゃいませんか?」不意に声を掛けてみた。

「矢竹のお知り合いですか?」

サチさんは驚いた様子もなく、穏やかに尋ねた。

「いいえ」

須賀は、ちょっと躊躇っていた。

サチさんは、促すように須賀の目を穏やかに見つめて黙ったままだ。

須賀は事情を説明した。

岡島さんの勤めていた光耀社でアルバイトをしている事を打ち明けた。

岡島さんが、この喫茶店をよく訪れていた事を聞いて、須賀は訪ねた事を話した。

「岡島さんは何度かお見えになりましたけど、静かに、そちらでコーヒーをお飲みになってらしゃったわ」

百々津駅で待ち合わせしていたが会えないまま岡島さんが亡くなった事を話した。

「あら。あなたも百々津なの?私の故郷も百々津なの。もう随分と帰っていないわ」

十一年前に父親が亡くなった事を岡島さんが興味を持っていた事を説明した。

「そう。不思議な縁ね。矢竹が、百々津に行く事になったのは、あなたのお父さんのためだったのね」

青木の爺さんを知っているのか尋ねた。

「青木さん。ええ、知ってるわよ」

カウンター席の二人が帰った。

「どこから、話したら良いのか分からないけど、青木さんから連絡があったの」

青木の爺さんとサチさんは知り合いだった。

どういう知り合いなのかまでの立ち入った話しまでは、さすがに聞けなかった。

「矢竹が今畠議員の秘書を辞めたのなら、また百々津で魚の養殖事業を手伝ってほしいって言うのよ。矢竹には伝えたけど何か、わだかまりがあるのよね」

サチさんはコーヒーを煎れている。

「それで、矢竹は断ったらしいの。すると、今度は孫が大学を卒業すると聞いて、百々津に良い若者がいるから写真を送れって言うの。将を射んと欲すればなんとやら。で考えたらしいわ」

須賀のカップにコーヒーを注いた。「奢りよ」と云って、二杯目のコーヒーを須賀に勧めた。


「でも、善かれと思って言って下さっているのも分かっているので、写真を送ったの」

サチさんは、サイフォンに残ったコーヒーをカップに注ぐと一口啜った。

「ところが、暫くして、居間を片付けてたら送ったはずの写真があったの」

目を丸くして、その時の驚いた表情をして見せた。

「準備していたのは孫が二十歳の時の記念写真だったんだけど、どうして間違って送ったのかしら」

首をかしげ微笑んで、云った。

「それで、青木さんに慌てて連絡して、写真が入っているか確認してもらったわ」

サチさんは、案外、見合いの話しに乗り気だったのではないか。

「青木さんから写真は入っているけど、小さな女の子の写真だったって返事が来たの」

「そして、不思議なんだけど、青木さんは、その写真の女の子が誰だか分かったので、その人に渡しても良いかって聞かれたの。だから、どうぞって答えたわ」

話しはそれきりだった。

店を出て考えても漠然としたままだ。

サチさんの穏やかな表情に似合わず、コーヒーは苦味が強かった。

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