二章 9.旧家

駅の構内にある連絡橋を南側へ渡ると小さな南改札口へ降りる。

改札口から出ると、線路に沿って柵が東西に続いている。


線路沿いを西に向かって行くと踏切がある。

踏切を背に歩いてゆくと、すぐ桃川沿いに出る。

辺りは延々と田圃が続いている。


西側に霧嶽山の裾野が張り出している。

その裾野まで田圃は広がっている。広がる田圃の所々に茂みがある。

農道を道なりに行くとその茂みに当たる。


神社がある。神社を過ぎると、道を隔てて、田圃の畦の間に桃川の支流、蔦川が流れている。

ずっと蔦川の土手に沿って歩いて行くと、また茂みが見える。

茂みの奥に大きな屋敷が見える。

門の前を通り過ぎると田圃の続く南へ向かう道と西へ向かう道に分かれている。

南は、南原へ続き、西は庄原へと続いている。

向かう先は庄原だ。


山際に大きな茂みが見える。

その茂みを目指して歩いている。

長屋門の奥に屋敷が見える。

そこが米原邸だ。


努は、玄関で声を掛けた。反応が無い。

声が小さかったかもしれない。

もう一度、声を掛けようとした時、中から女性が出てきた。

「ああ。秋山さん。いらっしゃい。お久しぶりです。待っとったんやで」

親しそうに挨拶したのは、久子さんだ。

中学校の同級生で県下一の進学校へ入学した。

栗林市の親戚の家から通学している。

二年くらい会っていない。


努は緊張した。

うまく言葉が出なかった。

「こんにちは。お久しぶりです。おじゃまします」努は、上ずった声で、挨拶を返した。

長期の休日以外は帰省しないと聞いていた。

今、春休みだからだ。

「元気やったん?」

朗らかな口調で問いかけられた。

中学の時と同じだと感じた。

久子さんは楽しそうだった。


母屋の横にある離れに案内された。

久子さんの両親が母屋に住んでいる。

離れが隠居所だそうだ。隠居所といっても、努の家より大きい。


奥の座敷へ通された。

部屋の中央に机が置かれていて、正面にいるのが米原久市だろう。

確かに、翁という表現が相応しい老人が正座している。


努は米原翁の正面に正座して、丁寧にお辞儀をした。

「わたしは」挨拶をしようとした。

「挨拶は、ええわ。庄原日記の何が知りたいんや?」

米原翁は遮るように云った。

柔和な表情に似合わず、性急な言葉使いだ。

「揚羽蝶の指輪です」躊躇わずに云った。

「揚羽蝶の指輪か」

米原翁は、頷きながら繰り返した。

「はい。寺井海運さんで揚羽蝶の指輪を見せていただきました」努は云った。

「おお、そうか。寺井さんの所にあったんか」

米原翁に驚いた様子はなかった。

「はい。それで詳しく知りたいのだったら米原さんを訪ねるように青木さんから言われていたので、お伺いしました」

米原爺は、急がしそうに頷く。

「善造から聞いとるけど、指輪の事やったんやな」

砕けた言葉使いに緊張が解れた。

「そうです。揚羽蝶の指輪の由来について知りたいのです」努は、揚羽蝶の指輪の事を尋ねた。

「百々津の殿様から下賜された揚羽蝶の指輪が、三本あった」

良かった。何の疑いもなく答えてくれた。

「三本ですか」努は期待した。

「そう。三本」

後二本の持ち主も、すぐに判明する。

「一本は、寺井海運さんで見せていただいたんですけど、残り二本はどちらでお持ちなんですか?」努は期待した。

「そら、分からんわ。寺井さんとこで持っとったっちゅうんも、初めて聞いた」

分からないのか。

「庄原日記には、書かれていないのですか?」

努は、未練がましく尋ねた。

「そら。現在、誰が持っとるか、ちゅうんは庄原日記には書いとらんわ」

結局、誰が持っているのか分からない。

「庄原日記には、米原直紀から嫁いだ娘一人と孫二人に持たせたとは書かれとるし、何処の誰それに嫁いだかも分かる。けど、それ以後は、何処にどう渡ったかんかは、分からんわのう」

随分期待していただけに、ひどく落胆した。

「何故、青木さんの所に庄原日記があったんでしょうか?」

「それも、分からん」

「そうですか」努は、落胆した。

青木元町長の方面からも手繰り寄せられそうにない。


「それより、こないだ、善造が庄原日記を持って来よってな。そん時、女の子の写真を持っとってのう。見覚えないかっちゅうて聞くんや」

嶽下で転落して亡くなった、雑誌記者の岡島さんが持っていた写真と同じだったそうだ。

同一のものかどうかは、分からない。

五歳か六歳くらいの少女の写真だった。

「その女の子か持っとるんが、何がわかるか?ちゅうて聞きよるんや」

当然、揚羽蝶の指輪だろう。

「何だったんですか」揚羽蝶の指輪とは云わずに尋ねた。

「それが、青木は揚羽蝶の指輪や言うんや」

指輪だと云われれば、そう見えない事もないが、それに揚羽蝶の家紋が彫られているとまでは分からない。


「その写真は青木さんが持っていらっしるんですか?」

寺井海運に揚羽蝶の指輪は、あった。

もしかすると、その少女が揚羽蝶の指輪の落とし主かもしれない。

「いや。分からん。善造が持っとるんかもしれんけどのお。今、電話で聞いてみよか?」

青木元町長は、写真の少女を探していたのか。

何故。

「えっ。良いんですか。お願いします」

米原さんは電話を掛に母屋へ向かった。


母屋から戻ってくると「どっか出掛けて留守やったわ」と云った。

「何か知らんけど、青木は最近、何か調べよるんや」

写真の少女だろう。

「霧嶽山で花見せんか?ちゅうて誘うたんやけど、忙しいっちゅうとったわ」

知らなかった。

「霧嶽山でも花見、するんですか」

霧嶽山は険しく花見が出来るとは知らなかった。

「そやで。さくら祭には、舟に乗って、広畑川を下って行くんや」

「小舟って舟を漕いで行くんですか?」

「昔は漕いどったけど、今はモーターが付いとる。政雄に動かすんは任しとるけど、儂も昔は、よう使うとったんや」

「広畑川から海へ出るんや。霧嶽山の木材を筏に組んで、昔は広畑川から陣屋を建てるんに使うっちゅうて運んどったんやなあ」

そう云えば、製材所へ材木の筏をモーターボートで運んでいるのをよく見掛ける。

「舟に乗って、一杯やりながら、海から霧嶽山の桜を見るんや。青木も来りゃ良えのに」


元町長は写真の少女を探しているのだろうか。

揚羽蝶の指輪を持った少女の写真と何か関係ありそうだ。

誰だったか。古沢町議が見たと云ったいたそうだ。

記者さんが写真を見せたのは、米田さんと米原翁、それと、元町長の三人だ。

米原爺と元町長が見た写真の少女は揚羽蝶の指輪を持っていなかったそうだ。

全く別の写真だろうか。

それにしては、写真の少女、揚羽蝶の指輪と偶然にしては符合し過ぎている。

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