《Ⅳ》強制労働のお時間でございます、お嬢様

『魔力』というのは、世界に繋がるための力であると、カレンは考えている。


 魔力は、人の器の中にあるだけではない。大地を、空を、生き物の中を巡って循環していくものだ。そして人は、己という器の中にある魔力を通して、世界に流れる魔力の流れにアクセスできる。器が大きく多くの魔力を蓄えることができる者ならば、その流れと同化し、流れを使役することさえ可能だ。


 カレンは瞳を閉じて椅子に腰掛けたまま、静かに呼吸を繰り返す。世界に渦巻く大きな『流れ』を意識しながらフルリと己の一部を解きほぐしていけば、流れと同調した己の感覚が部屋を越えて外へ外へと広がっていく。


 ──ここへ来て一週間で、分かったこと。


 気力、体力、魔力。


『力』とつく物の中でカレンに一番溢れているのは『魔力』だ。だからカレンは任務の調査にも一番あり余っている魔力を使う。


 そんなカレンの調査は独特だ。


 


 落ち着ける空間を確保し、あとはひたすらに耳を澄ます。己の魔力を周囲の流れに乗せて拡散させ、その流れから得た情報でおおよその事態を把握し、根本を一撃で叩いて制圧する。調査に出歩かなくて済むから敵に気取られることもなく、余計な手間もかからない。カレンとしては最も効率的で『省エネ』な方法だ。


 ──ハイディーンで人さらいが頻発してるんじゃない。『ハイディーンを出発した後、行方不明になっている魔法使い』が頻発してる。


 これは先遣隊の報告書とカレンが耳を澄ました結果、両方を照らし合わせた不自然さから導き出したことだ。


 ルーシェはカレンに『人攫い』を解決してこいと命じた。現に書類の中には誘拐されたと思わしき人物のリストが入っている。


 だが不自然なことに、カレンがどれだけ耳を澄ませてみても、ハイディーンのどこからも『人攫い』の話題は聞こえてこなかった。ハイディーンの町は、そういった意味ではいつもと変わらず平和なのだ。


 ──ここが出入りの激しい宿場町とかなら、多少の行方不明者はごまかせる。だけどここは、そこまで大きな町じゃない。


 つまり人攫いにあった人々は皆、傍目にはごく普通に、平和にこの町を出立したということだ。そうでなければ少なからず話題になっているはずである。


 ──それも、行方不明になったのは魔法使いと、魔法道具の運搬者や商人……『魔法』を扱う者ばかり。


 リストには人攫いに遭ったと思われる人物達の簡単なプロフィールも添えられていた。各国を巡る渡りの魔法使い、任地から帰還する途中だった皇宮魔法使い、魔法道具を積んだ馬車を運転していた御者と商人、魔法道具の創り手。他にも数人、この半年で8人程度。いずれもこの町の人間ではない。ハイディーンを経由して北へ抜けようとした者、逆にアルマリエへ入ってきた者、プライベートの観光に訪れていた者。身分も立場も様々だが、いずれも『魔法』に関わる『余所者』ばかりだ。


 ──町の人達にとって不審なことは、『人攫い』よりも『原因不明の魔法道具の故障』。


 同時に、ハイディーンはここ数ヶ月、原因不明の魔法道具の故障が続いているらしい。


 魔法道具、と言っても、ここに魔法使いの実験室にあるような大仰な道具があるわけではない。日用品にちょっとした魔法円が刻まれていて、日々の生活がちょっと楽になるような代物ばかりだ。そんな『日常の中の魔法道具』達の調子が、ここ数ヶ月なぜか軒並み悪いらしい。


 ──その魔法道具達を修理して回っている、流れの魔法道具師がいる。


 元々が小さな町であるハイディーンには、魔法道具を専門に見る職人がいない。だが幸いなことに、魔法道具達の調子が悪くなって一週間後くらいから、この町には魔法道具師が滞在していた。今はその魔法道具師に無理を言って滞在期間を延ばしてもらっているが、それもいつまで延ばしてもらえるか不安だ、という声は、町のあちこちから聞こえていた。


 ──この魔法道具師が、多分黒。


 ルーシェが解決を命じたこの事件。本質は恐らく『人攫い』ではなく『魔法道具の窃盗』だ。


 ──ハイディーンの周囲に目立った町や集落はない。規模で考えても恐らく組織犯罪。窃盗団は確実にハイディーンに本拠地を構えている。


 さらに言うならば、本格的に腰を据えて組織犯罪を行い始めたのは、その『流れの魔法道具師』がやってきたここ数ヶ月のことであるはずだ。


 ──修理のために預かった品を別の物にすり替えて、本物は自分達の懐にしまい込んでいる。渡した偽物は当座をしのぐためのガラクタ。魔法道具師が町を去ったら、緩やかに動きを止めるような代物。


 そう推論が立てば後は簡単だ。魔法道具達が一斉に調子を悪くしたならば、それを引き起こしているが必ずこのハイディーンに仕掛けられている。魔力探査でその存在をあぶり出し、根本を叩けばいい。敵のアジトも同じ要領で特定できる。奪った魔法道具と攫った人達がまだハイディーンに隠されているなら、それも魔力反応で分かるはずだ。


 現にカレンはすでにそれらの場所を特定している。昨日の時点で地図と照らし合わせて詳細な場所も把握は済んでいる。制圧に乗り出そうと思えばいつだって動き出せるというのが現状だ。


 ただ。


 ──問題は……


 そこまで考えたカレンは、不意にパチリと目を開いた。


 鋭敏になった聴覚に、聞き覚えはあるがあまり聞きたくはなかった音が引っかかったためだ。


「魔法使いはぁ~、いねがぁ~っ!?」


 地獄の底から響き渡るような不気味さを帯びているのに妙に通る声。


 勘違いだと思いたかったが、残念ながら勘違いではなかった。ついにこの日が来てしまったらしい。


「引き籠りのぉ~、魔法使いはぁ~、いねがぁ~っ!?」

「お、お客様一体何を……っ!?」

「カレン・クリミナ・イエード・ミッドシェルジェっていうぅ~、引き籠りのぉ~、魔法使いはぁ~、いねがぁ~っ!?」


 カレンは静かに椅子に座ったまま部屋のドアの前の床を確かめる。そこに確かに固定された羊皮紙があることを確認したカレンは、ひとつ頷くと静かに椅子から立ち上がった。なるべく音を立てないように椅子を片付け、距離を置いてドアに向かい合う形で全開にした窓の前に立つ。


「もしかしてお客様、あの時の執事……!」

「いるんだろぉ~っ!? アンのクソ引き籠りがここによぉ~っ!? 調べは上がってんだぜぇ~っ!?」


 ──クッション、よし。ミニハット、よし。忘れ物、なし。


 最終チェックを終えたカレンはひとつ深呼吸をする。己がしくじるとは思っていないが、相手は完全武装執事(仮)だ。念には念を入れたいし、どうやら一週間前と変わらない……いや、さらに醸造した怒りをカレンに向けているらしい執事の殺気は空恐ろしい。プルリと体が震えてしまう。


 ──まぁ、それでも……


「部屋はどこだっ!?」

「あの……困りますっ!! このようなことは……っ!!」

「2階だな? 2階だろ。2階に決まってるっ!! こういう時ってのは2階の奥の角部屋ってのが相場なんだっ!!」


 押し問答の末、乱入者は勝手に押し入ることを決意したらしい。荒々しい足音とそれを止めようと追いすがる女将おかみの足音が聞こえる。


 ──私がクォードに安々と制圧されるとは、思ってないんだけどね。


 内心だけでカレンが呟いた瞬間、バンッと壊れそうな勢いでドアが開かれた。下手にドアを壊されて賠償請求が来ても困るので、今日はドアの鍵をあらかじめ開けておいたのだ。どうやらカレンの気遣いは功を奏したようである。


「見~つ~け~た~ぜ~ぇ? ひ~き~こ~も~り~ぃっ!!」


 ドアの向こうに立っていたのは、声からの想像を違わずナマハゲ……ではなくゾンビ……でもなく、間違いなく物騒な武装執事だった。


『ウッワ』


 カレンは思わず素直に内心をクッションに投じてしまう。


『クォード、ホームレスデビュー?』


 今回の任務で財布を握っていたのはカレンだ。普通お嬢様と執事の遠出ならば執事が旅の路銀を握っていてしかるべきなのだろうが、様々な事情と『自分の身ぐらい自分で守れ、自分の財布も自分で守れ』という公爵家らしからぬ実家のしつけ、カレンが公爵家令嬢でありながら任務にはいつも単身で遠出しており旅慣れしていることなど様々な要因があり、旅の路銀も宿代の担保となる証書も全てカレンが握っていた。つまりクォードはほぼ一文無しでカレンに放り出されたわけである。


 ──生命力がゴキブリ並なクォードなら、一週間くらいどうとでもなるだろうとは思ってたけど……


 まさかこの一週間本当にホームレス状態だったのか、服はボロボロの泥まみれ、髪とひげはバサバサのボサボサ、頬はげっそりとこけ、眼鏡にはヒビが入った状態のクォードを前にして、カレンは思わずソロリと体を引いていた。


『アイデンティティノ 眼鏡ニマデ ヒビガ……』

「眼鏡のヒビはテメェがクッションで顔を抉ってくれやがったせいだっ!!」


 だがヒビが入った眼鏡の向こうにある瞳だけは力を失っていなかった。ギラギラと血走った漆黒の瞳がギンッとカレンを睨み付ける。


「殺すっ!! 今日こそ殺すっ!! ここで会ったが百年目っ!! その首、今日こそ貰い受けるっ!!」


 両手に一丁ずつ握られた魔銃が両方ともカレンに向けられる。一週間前、土煙の中に消えた時にも握っていたリボルバータイプの武装用魔銃だ。


 ──私を殺したら特別手当は出ないし、今度こそ処刑されると思うんだけどなぁ?


 ……という内心を、カレンはキッチリ心の奥にしまい込む。


 代わりに表示させたのは『ニヤリ』という効果音がつきそうな言葉。


『残念デシタ』


 クォードが何をするつもりなのか悟った女将が絹を裂くような悲鳴を上げる。


 だがカレンは冷静にクッションを頭上に掲げた。ちなみに眼鏡にヒビが入ってしまっているド近眼執事にもよく見えるように当社比2倍で文字は大きい。親切設計というやつだ。


『殺セナイヨ』

「何っ!?」

「起動っ!!」


 限界まで縮めた呪歌詠唱に反応した魔法円……ドア前の床に貼り付けられていた羊皮紙から勢いよく白煙が上がる。カレンの視界が真っ白に染め上げられるまで1秒もかからなかった。魔法円を片足で踏んでいたクォードは白煙を直接浴びる位置にいたから、カレンよりさらに早く視界が利かなくなったことだろう。


「うわっぷ!! 何だこれはっ!!」


 カレンはクォードに魔銃を乱射されるよりも早く背中から窓へ飛び込んだ。空中で半回転し、体勢を整えて足元から着地する。


 頭上を見上げると飛び出した窓から白煙が流れ出ていた。通行人が足を止めて『火事か?』とざわめいている。カレンが護身用に持ち歩いていた発煙魔法円は、どうやらしっかり役立ってくれたようだ。


「どこに行きやがった引き籠りぃぃぃいいいいいいいっ!!」


 カレンは発煙魔法円の成果にひとつ頷くと、クォードの叫びを華麗に無視して店と店の間にある路地裏へ駆け込んだ。『どこにいる?』と訊かれて『はい、ここです』と返事をしなければならない義務はカレンにはない。


 ──成分の大半は水蒸気だし、3分もすれば止まるし。まぁ、クォードが魔銃を乱射しない限り、被害は特にない……はず。


 プロデュースド・バイ・カレンであるため安全性は保証できる。しばらく前に魔法議会で発表して、『護身道具や舞台演出として有用』という評価を得た代物だ。近くどこかの魔法道具商が量産に乗り出すという話を聞いたから、権利料でカレンの懐が温かくなること間違いなしである。『自立するなら己の才覚で稼げ』というのも実家の教えなので、離宮の維持費と使用人の給料はカレンの稼ぎにかかっている。今でもいくつか権利料で稼いではいるが、皆の福利厚生・給料アップのためには努力を惜しんではならない。


 ──みんなには、快適に頑張ってもらいたいもの。


 頭の中ではそんなことを考えながらも、カレンの足はそこそこの速度で走り続けている。すでに滞在していた宿ははるかかなたに消え去り、カレンは細いハイディーンの裏道を奥へ奥へと進んでいた。一応闇雲に突っ走っているわけではないので、目的地があるし、己が今どこにいるのか正確な場所も把握できている。


 ──仕方がない。もう少し猶予が欲しかったし、日が高い時間は避けたかったけど……


 この辺りまで来ればそうおいそれとクォードも追いつけないだろう、と判断したカレンは、ゆっくりと足を緩めた。歩く、という速度までスピードを落としたカレンはゆったりとひとつ息をつく。


 ──制圧、行きますか。


 普段引き籠ってばかりいるためあまり活用されることはないが、魔力特性もあってカレンの運動神経は下手な兵士よりも上だ。今も呼吸ひとつ乱れていないし、汗の一粒だって浮かんでいない。多少エネルギーを使ったが、浪費というほどのロスもない。至って平常、つまり窃盗団の根城のひとつやふたつ、単身で簡単に制圧できるコンディションだ。


 ──できれば、魔法道具達に不調を出してる魔法の特定と、なぜここを根城に選んだのか、その理由と目的をもう少しあぶり出せたら良かったんだけど……


 単身での突撃に不安はない。そもそもカレンはクォードが傍にいても自分が前線で戦うつもりだったし、ルーシェもそれを想定していたはずだ。カレンの得意とするのは殲滅戦。一対多数の戦闘こそカレンの本分である。


 ──引き籠もれる場所をなくしちゃったし、派手な騒ぎにしちゃったから、もうさっさと片付けた方がいいんだろうなぁ。


 アルマリエ皇族と祖を同じくする公爵家でありながら血統的に魔力を持たないミッドシェルジェ公爵家は、代々剣を以って国主に仕えてきた血筋だ。歴代北の国境線を守り抜いてきたミッドシェルジェの武は魔法を凌ぐと言われるほどで、カレンの父であるミッドシェルジェ公爵ラフィードも皇族近衛隊隊長としてその名を轟かせた人物だ。母のオルフィアも女皇妹でありながら剣を取ってきた人であるから、カレンは幼少の頃からそれはもう厳しく武を叩き込まれた。いわばアルマリエ皇族の魔力とミッドシェルジェの武のハイブリッドとも言える存在がカレンなのである。


 ──……いや、そこまでおこがましいことは言えないな。私なんてお姉様やお兄様に比べれば、お尻に殻をつけたヒヨコみたいなものだし。


 とにかく、カレンに制圧を完遂できる自信があるのはそのためだ。不測の事態がなければよほどカレンに死角はない。その不測の事態を埋めるために、できればもう少し時間をかけたかったのだが……


「……?」


 そこまで考えたカレンは、ふと足を止めた。ちょうど裏道が開けて、建物の背面で囲まれた石畳の小広場スクエアの中程まで足を進めた所だ。


 ザリッという足音とともに不穏な気配がカレンを取り巻く。


「……おい、あれじゃねーの?」

「栗色ウェーブツインテール」

「黒と紫、それに黄金をアクセントに使ったゴシックドレス」

「前はミニ丈、後ろはロング丈」

「頭にはミニハット」

「腕にクッション」

「抜けるような白い肌と灰色の瞳」

「全体的に色素薄め」

「無表情」


 ……そこまで特徴を挙げられてしまっては、嫌でも自分のことだと理解しなければならない。


 カレンはカツン、とニーハイブーツのヒールを鳴らしながらその一団を見遣った。硬い音はスクエアを取り囲む建物の壁に反響して、少し陰った日差しの中に溶けていく。


「カレン・クリミナ・イエード・ミッドシェルジェ」


 住民も旅人もあまり使わないスクエアなのか、人通りは少なかった。そしてわずかな通行人は全員、逃げ道を塞ぐように立ち、カレンのことを見つめている。


「アルマリエ皇宮第二位アロン魔法使い」

「皇宮魔法使いの制服ではないが、間違いなく有数の魔法使いであるため注意されたし」


 ──相手の数は……8人? 素手でやるには多い……かな?


「捕まえたら、情報料として儲けの1割」

「……でも、捕まえても、制服着てないならどうやって本当に皇宮魔法使いだって判断すりゃイイんすかね?」


 密やかに緊張を高めるカレンとは裏腹に、カレンを取り囲んだ一行は呑気にそんなことを気にしていた。一人が呟いた言葉に全員が首をひねり、全員の視線が一点に集中する。


「本物の皇宮魔法使いなら、服装は私服のままでもどっかに必ず身分証明書になる位階紋章が刻まれた懐中時計を持ってるはずだ」


 その視線に導かれるように、彼らの後ろから、なぜか片腕に己よりも筋骨隆々な青年を侍らせた男が姿を現した。しかもその『筋骨隆々な青年』というのが、その……


 ──え? なんで片腕にオカ……ニューハー……お、オネエさん侍らせてるの? この人。


第三位フィーファ以上なら位階紋章と個人紋章の抱き合わせになってるはずだから、そいつが本当に第二位アロン魔法使いなら、個人紋章を調べりゃ身元が分かるはずだ」


 スラリと均整が取れた体躯に程よく筋肉がついた体型をした男だった。いかにもならず者といった集団の中にいるとまだ一般世間に近い場所にいる人間のようにも見えるが、口元に閃く笑みは明らかに『カタギ』と呼べるものではない。よく見ればスキンヘッドにされた側頭部には控えめにだが入墨まで入っている。そして侍らせている『オネエさん』は、明らかに普通ではない。


 ──こいつが頭か。


 知性ある獣。


 傍らのオネエさんを除けば。


 ──……どうしよう。オネエさんに突っ込みたくて仕方がないし、何だか状況が頭に入ってこない……!!


『これは一体何なのだ』と思いながらもとりあえず警戒を瞳に浮かべるカレンを他所よそに、なぜかカレンを取り巻くならず者達はクネクネと身悶え始める。


「ゼェリクすぁ~んっ!! あったまい~っ!! しびれるぅ~っ!!」

「俺達、ず〜っとゼリクさんについていくっすっ!!」

「ばぁろっ!! ホシの前で気やすく俺の名前明かすんじゃねぇっ!!」


 ──……真面目にやってくれないかな?


 クネクネと身悶えるならず者と、それらをしばく男。そして相変わらず男の片腕にすがりついてシナを作っているオネエさん。思わず警戒の色とともに視線に冷気がこもる。


 だが相手が唐突にコントを始めていようとも、『唐突にならず者集団に囲まれてしまった』という現状は変わらない。敵が数を増やしたという事実も変わらない。


 ──このタイミングで私の前に姿を現したってことは、こいつらが魔法道具の窃盗団ってことで間違いはないんだろうけれども……


 頭の名前はゼリク。どうやら彼がならず者達をそのカリスマ性で統率しているらしいということは分かった。コントをしていようとも彼らが荒事にけた集団であることは気配と目つきを見ていれば分かる。どうやってカレンのことを特定してきたのかは分からないが、油断をしていい相手ではなさそうだ。


 ──でも、『捕まえたら、情報料として儲けの1割』って、どういうこと? 私、賞金首にでもなったわけ?


 その上で、カレンは内心だけで首を傾げた。


 清く正しく美しく省エネライフを送っているカレンには、誰かに恨まれるような覚えも賞金首にされるような覚えもない。ハイディーンで目立った行動をしたのは先程の発煙魔法円を発動した時だけだから、闇社会を生きる人間達に今ここで目を付けられている理由が分からない。


 できれば人違いだと思いたかったが、あそこまで特徴を並べられた上に名前まで言い当てられているのだから、その可能性はないだろう。


『ドチラ様デスカ?』


 とりあえずどうすべきかと考えたカレンは、ひとまず言葉で対話する道を選んだ。どのみち動機やら目的やらも聞き出さなければならないのだ。言葉を交わすことで何か情報が引き出せるならばそれに越したことはない。


 そんな意図から、カレンは質問文を表示したクッションを頭の上に掲げる。


「ちょっとアンタぁ、アタシ達にぃさらわれてくんなぁい?」


 だが相手はカレンの小さな親切をガン無視してくれやがった。


 初めて口を開いたオネエさんの、男声なのに妙に甲高い声にただでさえない表情をさらに掻き消したカレンは間髪入れずに答えを出す。


『拒否』

「ちょっ……!! なんでそんな間髪入れずに拒否してくれちゃうのよぉっ!!」


 相変わらずゼリクの腕を抱き込むように掴みながらオネエさんはキャンキャンと叫ぶ。その声にさらにカレンの顔が死んだ。


 ──何でも何も。むしろなんで拒否以外の選択肢が出てくるわけ?


 親切と常識を無視する人間に対する礼儀などカレンは持ち合わせていないし、ここで『はい、いいですよ』などと言う人間はよほど頭がおかしいか、よほど現実に絶望しているかのどちらかだろうとカレンは思う。


 というよりも、相手が親切と常識に溢れる人間であっても、カレンがわざわざ誘拐されてやる必要性はどこにもない。


「もっとさぁ、『目的は何っ!?』とか『キャッ、王子様が来たんだわっ!!』とか言ってもいいじゃなぁいっ!!」

『貴方達ハ、ココ最近ハイディーンデ起キテイル 誘拐ト、魔法道具ノ不調及ビ魔法道具窃盗事件ノ犯人デスカ?』

「なっ……!? アンタ、エスパーっ!?」


 ──……どうしてここまで被害件数がかさむ前にこの一味を殲滅することができなかったんだろう。


 カレンはツッコミも忘れて心の底からそう思った。


「どうしようゼリクっ!! なんかこいつヤバ……グホォッ!!」

「ヤバいのはお前の頭の出来の方だジョナっ!! ちぃと黙ってろっ!!」


 ゼリクの拳が容赦なくオネエさんの顎を掬い上げる。見事なアッパーカットを決められたオネエさんはしばらく滞空した後、ドサリと石畳の上に落下した。


 ──あ。敵が減った。


 そう思うカレンの前でゼリクがわざとらしく咳払いをする。どうやら仕切り直すらしい。


 ──いや本当に、何であのオネエさん侍らせてたの? この人。


「そんな発言が出るってこたぁ、あんたへの用件なんてもう分かったようなモンだろ? お嬢ちゃん。その珍妙な魔法道具クッションにもあんた個人へも興味があるってことだ。ちょいと一緒に来ちゃあくれねぇかい?」


 その言葉にカレンは瞳をすがめた。


『分カラナイカラ 理由ヲ教エテモラエル?』


 オネエさんが排斥されてゼリクが主導権を握った瞬間、スクエアを支配する空気が変わった。ピンと張り詰めた空間は、徐々に暴力の気配に染め替えられていく。


「とぼけなくてもいいじゃねぇか、お嬢ちゃん。俺らが誘拐だけじゃなくて魔法道具の窃盗もやってるってもう知ってんだろ? だったら俺らの用件なんてもう分かりきったことじゃねぇか」


 カレンはさりげなく周囲に視線を走らせる。


 距離を置いてカレンを取り囲んだ人数は、先程から変わらずゼリクを入れて9人。建物の背面によって囲まれたスクエアの一片の距離はおよそ25m。カレンが暴れるにはちょうどいい環境が整っている。


 ──あとは動機を吐かせて殲滅してから、アジトに証拠を押収に行けば、任務完了。


『ドウシテ私ヲ攫オウト?』

「ちょいと捜しモンをしててな。そのついでに高く売っ払えそうなモンは横流ししてんのさ。ま、小遣い稼ぎみたいなもんよ。あんたは高値が付きそうだって話だからよ、邪魔モンを片付けるついでに金も稼げるってんなら見逃す手はねぇだろ?」

『私ノ事ハ誰ニ教エラレタノ?』

「流れの情報屋だな。俺らに探り入れてる人間が同時にいいカモだって教えてくれたのさ」

『盗ンダ魔法具ト攫ッタ人達ハ』

「おぉっと、質問はここまでだぜ」


 ゼリクは唐突に話を切るとどこからともなく大振りのナイフを取り出した。それを合図にしたかのように手下達も一斉に得物を抜く。


「俺も紳士ってわけじゃねぇからよ」


 ──まぁ、そこまで全てがうまく行くはずもないか。


『口下手』以前に口を開かないカレンではそもそも尋問がうまく行くはずがない。そういうことは口が達者な人間の仕事だ。そしてその仕事は、カレンがこの一団を生きたままふん縛れば後でいくらでもできることでもある。


 ──全員を確保。その後アジトに押し入り、残ったメンツと証拠を押収。アジトに押し込められているであろう魔法使いと魔法道具を解放し、あるべきものをあるべき場所に戻せば一件落着。


 頭の中でやるべきことを整理し、ひそやかに瞳に闘気を忍ばせる。


 そんなカレンの視線の先で、ゼリクが大きく両腕を広げた。


「さぁ、お嬢ちゃん、素直に俺達に攫われてくれよ」


 答えるカレンの言葉は、今回も簡潔だ。


『拒否』


 オネエさんは同じ言葉にキャンキャンと吠えかかってきた。だがゼリクはそんな反応はしない。


 ただニヤリと、見ている者の背筋を凍らせるような笑みを浮かべる。


「なんて、言わせると思ったか?」


 その瞬間、カレンの足元に複雑な光が走った。同時に


「……っ!?」


 驚いている暇などなかった。すぐさま男達がカレンに躍りかかる。カレンはクッションを抱えたまま男達の間をすり抜けると石畳に飛び込むようにして転がった。その間もカレンは魔法を発現させようとしているのに、なぜかカレンが世界に呼びかけても反応が一切ない。


 普段意識することもなく、呼吸をするよりも簡単に使えている魔法が、なぜか一瞬で一切使えなくなっていた。


 ──何でっ!? 魔法が使えないっ!?


 すぐに跳ね起きて身構えるが男達の攻撃は止まらない。カレンは避けるので手一杯だ。


「ほ~ぉ? お嬢ちゃん、魔法使いのわりになかなかやるじゃねぇか」


 ──何これ……っ!? まるで魔法の使い方を忘れちゃったみたいな……。こんな感覚、初めてすぎて対処の仕方が分からない……っ!!


 世界から反応がないどころか、世界に呼び掛ける取っかかりさえ見つけ出すことができない。普段当たり前に繋がっているはずの流れをどこにも見つけることができない。扉の鍵を開くどころか、扉があったはずの場所がツルリとした塗り壁になっていて、取っ手を掴むどころかその取っ手を見つけることさえできない感覚、とでも言えばいいのだろうか。


 ──世界に満ちてる魔力が、一切見つからない……。違う。多分、私と世界の魔法回路の間に何か阻害物となる魔法を仕込んだんだ……!!


 足元に走る光がカレンと世界のアクセスを遮っているのだろうということは分かる。恐らくハイディーン全体で魔法道具の不具合を引き起こしたのは、これと同種の物を弱体化させた魔法だ。カレンの探知に同じ物が引っかかっていたから分かる。


 だがそこまでは分かっても、今のカレンには対処法がなかった。


 ──!? これ、魔法じゃない……っ!!


 今やスクエアいっぱいまで広がった光は魔法円の形を成していなかった。見たこともない文字と数字が無秩序に並んだ姿はまるで物理学の数式を見ているかのようだ。


 この形で表される『不思議』が何であるか、カレンは知っている。


 ──魔術……!


 魔法と魔術は、似て否なるモノ。


 主に大陸の東方で盛んな魔術は西方諸国では馴染みが薄い代物だ。似ていながらまったく異なるモノであるためか、それぞれを扱う魔法使いと魔術師の折り合いも悪く、交流もほぼないと聞く。カレンが魔術のことをほとんど知らないのも、魔術を専門とする者と相対したことがないのもそのためだ。


 ──こんなことになるなら、もっと早く伯父様に話を聞いておくべきだった……!


 カレンの魔術に対する知識は『魔術は数式のような物で表されるらしい』ということと『東大陸から渡ってきたセダは魔術に対しても造詣が深いらしい』という何とも曖昧なことだけだった。そしてこの知識は現状打破には全く役に立たない。


 つまり今のカレンに対処の手立てはない。


「案外粘るな。今まで相手取った魔法使いはみーんなこれであっさり捕まってくれたんだがなぁ……。まさかこんな一番簡単にとっ捕まえられそうなお嬢ちゃんが一番手ごわいとは」


 カレンはひたすら体を捌いて男達の手から逃げ続ける。ゼリクのぼやきに視線を流せば、ゼリクは手下とカレンの動きを眺めているだけで自身は手出しをしていない。全員が全員乱闘に身を投じてくれていた方がカレンとしてはいなしやすいのだが、やはりゼリクは一筋縄ではいかない相手であるらしい。


 だが。


 ──今でもゼリクの目には、私はただの『か弱い魔法使い』に見えている?


 先程の発言からは、ゼリクがカレンを『魔法さえ封じてしまえば打つ手なしの、魔法使い』として見ている、という内心を感じられる。それが本心であるならば、カレンにはまだ勝機があるはずだ。


 ──ならば、そう思われている間に潰す。


 カレンは飛びかかってきた男の顔面にクッションを叩き付けて飛び退くとスカートの隠しに忍ばせていた短剣を抜いた。魔法が使えない今、カレンに取り出すことができる武器はこの短剣のみだ。


 ──術者が意識を失えば、とりあえずこのスクエアに張り巡らされた魔術は解ける。ハイディーンの町全体に張り巡らされた魔術の方は、制圧後に術者に解かせればいい。


 カレンは足を開いてわずかに腰を落とした。その構えを見てようやく何かを悟ったのかゼリクの顔色が一瞬変わる。


 だがカレンはゼリクが口を開くよりもグッと身をかがめ……


「よぉ、ついに捨て身覚悟か?」


 ……その力を爆発させる直前、妙に聞き覚えのある声が、やけに気楽な調子でカレンの頭上から降ってきた。


「やめとけやめとけ。魔法使いサマが慣れないことするもんじゃないぜ?」

「なっ……何モンだっ!?」


 カレンを囲む男達がバッと頭上を振り仰ぐ。


 その視線の先に、黒い影が見えた。


 その影は至極優雅な動作で両腕を上げると、両手に握っていた魔銃の引き金を躊躇いもなく引いた。火薬がはぜる音が連続して響き、硝煙の臭いが空気を染める。


「『共鳴せよイコラ 我は汝に多重の解を望むアイラ・サイネ・リリエルド・アムフィー』」


 そして地面に走る光が消えた。


「な……っ!?」

「さぁ、お嬢様、宴の始まりでございます」


 誰もが呆然と立ち尽くす中、その影は己が立つ屋根を蹴ると宙に身を躍らせた。


 着地点……カレンの周辺にいた男達が慌てて逃げ出し、カレンの周辺から人がはける。


「準備は良うございやがりますか?」


 空いた空間にダンッと重い音を立てて着地した男は、影のように黒い燕尾服を翻し、獣のように凶暴に笑った。


 漆黒の髪は美しくくしけずられ、涼やかに整った顔には無精髭の気配さえない。体にも服にも『泥』や『垢』といった言葉とは無縁な清潔さを宿した青年は、『執事』という言葉からイメージされる姿を完璧に体現していた。だが汚れひとつない白い手袋がはめられた両手には執事には似つかわしくないリボルバータイプの魔銃がそれぞれ握られていて、そこからは細く白煙が上がっている。


 カレンは自前の口を開くと、自分の唇で初めて彼の名前を呼んだ。


「……クォード」

「準備ができていないのならば、さっさと引き籠ってくださりやがりませんかね?」


 眼鏡のヒビさえ完璧に修復したクォードは、両手をクロスさせるようにして両肩にかけたホルスターに武装用魔銃を納めた。そのまま流れるような動作で燕尾服のしっぽに隠すように帯びた後ろ腰のホルスターから通常装備用魔銃を引き抜く。


 両腕を左右に広げるようにして構えたクォードは、凶悪な笑みを浮かべたまま乱闘の宴の始まりを告げた。


「俺の特別手当のためになっ!!」


 両の魔銃が一斉に火を噴く。躊躇いもなく撃ち出された弾丸は過たず男達の手から武器を弾き飛ばした。


「てっめぇっ!! 情報屋っ!!」

「テメェらグルだったのかっ!!」


 カレンは思わず両腕で頭を庇うとクォードの足元にしゃがみ込む。男達から庇われるような構図は気に入らないが、下手にクォードから距離を取ると流れ弾に当たりそうだ。しゃくに障るが背に腹は代えられない。


「しかも魔術師だったなんて聞いてねぇぞっ!!」

「そりゃあ訊かれてねぇからな」


 難なく男達を丸腰にしたクォードは男達の足元に銃口を向け、さらに引き金を引き続けた。タップダンスを躍るかのように足をバタつかせた男達は為す術もなくクォードに誘導されるがまま一点へ導かれていく。


「そもそも、こんな怪しいナリをしているのに『流れの情報屋です』なんていう俺の言葉を鵜呑みにして裏も取らないお前達が悪い」


 ジワジワと両腕が作る角度を狭めながらクォードは実に極悪非道な言葉を吐いた。マガジンを交換しなければならない弾数をとうの昔に吐き出しているはずなのに、クォードの両手に握られた魔銃はいまだに鉛玉を吐き出し続けている。


「そんなんじゃテメェら、悪人失格だぜ?」


 そんな硝煙の煙幕の内で、クォードは声音からの想像を違えない、実に『悪人面』で笑っていた。第三者がこの現場を見たら、間違いなくクォードを指して『黒幕はこいつです!』と言うことだろう。


「……ッ、クソっ!!」


 新たな勢力に舌打ちをしたゼリクは一番手近にいた男に駆け寄ると男の腰から拳銃を抜いた。撃ってくるのかと思わず身構えたが、ゼリクは銃口をこちらへは向けず己の頭上へ向ける。そのままゼリクはパパパッ、パパパッ、パパパッ、と独特のリズムで引き金を3回ずつ、3回引いた。


「チッ、援軍呼びやがったか」


 そんなゼリクに今度はクォードが舌打ちをした。


 カレンが疑問の視線を向けると、連射をやめたクォードが実に面倒臭そうに口を開く。


「三連三組の銃声は『総力戦』の合図だ。あいつらの組織はその合図に使う時以外、三連三組の銃声は鳴らさないようにしてんだよ」


 ──なるほど?


 とりあえず納得したカレンは立ち上がると、魔力の流れが戻ったことで取り出せるようになったクッションをクォードに向けた。


『総力戦ッテ、相手ノ数ハドレクライ?』

「50人くらいか? 俺はそう聞かされたが」

『ドウシテ ソンナ事 知ッテルノ?』

「この一週間、やつらのアジトに世話んなってたからな」

『流レノ情報屋ッテ名乗ッテ?』

「潜り込むのにそれが一番都合良かったからな」

『私ノ情報ヲ流シタノモ?』

「まぁ、俺だな」


 カレンは瞬速でクッションを頭上に振り上げると、瞬きをするより早くクォードの頭に振り下ろした。首振り人形のようにクォードの頭が激しく揺れる。だが山よりも高く海よりも深いプライドがなせるわざなのか、クォードは決して倒れず、足をふらつかせることもなく顔を上げた。


「テメッ……! 何しやがるっ!! せっかく直した眼鏡がまた割れるとこだったじゃねぇかっ!!」

『モウイッソ視神経カラ割レテシマエッ!!』

「視神経が割れるってどういう現象だよっ!? てか引き籠りのくせにいちいち馬鹿力だな、おいっ!! 危うく首がもげるとこだったじゃねぇかっ!!」

『何デワザワザ私ノ情報ナンテ流シタノッ!?』

「お前が自主的に働かねぇから俺様がわざわざ囮に仕立ててやったんじゃねぇかっ!!」

『ソンナ事頼ンダ覚エハナイッ!! ソコマデヤッテタナラ クォードガ全部解決スレバイイジャナイッ!!』

「俺の仕事はあくまでお前の補佐だっ!! 解決するのはお前じゃなきゃなんねぇんだよっ!! そうじゃねぇと特別手当が出ねぇだろうがっ!! 俺はあくまで執事業務に従事しただけだっ!!」

『執事メンドクサッ!!』

「てかお前働けよっ!! そもそもこの任を受けたのはお前だろうがっ!!」

『私ハ私ノ方法デ動イテタッ!! ヤロウト思エバ制圧マデ一人デデキタッ!!』

「おーおー、言うじゃねぇか。じゃあテメェはこいつらの手口が分かってるっつーのか? 動機や目的まで全部調査済みだっつーのか? アァンッ!?」

『ド、動機ト目的ハ……コレカラ聞キ出ス予定ダッタケド……!』


 弱みを突かれたカレンは思わず言い淀む。対するクォードはそんなカレンの様子にわずかに溜飲が下がったのか、自慢気にフスーッと息を吐くとカレンとの言い合いを中断してならず者達の方へ視線を向けた。


 ──……ちょっと。その自慢気なツラ、引っぱたいてみてもいい?


 カレンが本気になれば、メガネ破壊どころか頭をもぎ取るくらいできるはずだ。何せ『引き籠りのくせにいちいち馬鹿力』なので。


 そんな公爵家令嬢らしからぬ物騒な思いを視線に込めてじっとりとクォードを見上げたのだが、肝心のクォードはすでに敵に意識を切り替えていて一切カレンの方を見ていない。だから仕方なくカレンも無理やり気持ちを切り替えて敵を見やる。


『本当ニコレデ全員?』


 二人が言い合っている間に敵は続々と集まっていた。今やスクエアにはちょっとした組合が作れそうなほどの人数が集結している。


「俺も全員の顔を知ってるわけじゃねぇから何とも言えねぇが……。俺が調べた限りでは、総員数は大体こんなもんだぞ?」


 カレンとクォードは一瞬視線を合わせるとゼリクの方を見た。


「俺らを裏切った罪は重ぇぞ情報屋。我が組織全員の全力で叩き潰してやる」


 ……これで全員、らしい。


『……ドウシテコイツラ、今マデヤッテコレタノ?』

「……運が良かったんだろ。あとはまぁ、ここまで大々的に魔法道具窃盗団として動き始めたのがここ最近の話だからっつーのもあるかもな」


 クォードの言葉にカレンは思わず疑問を込めてクォードを見上げる。カレンを見ていないのにその視線に気付いたのか、クォードは軽く肩をすくめると口を開いた。


「こいつらの本業は人攫い……こいつら風に言えば『斡旋』だな。依頼人が欲してる人間を腕に物を言わせて拉致ってきて、依頼人の元まで強制的に連れてくる。魔法道具の裏取り引きはそのついでに副業的にやってたことらしいんだが、やっこさん達、最近魔法道具商の荷を売り捌いたらまとまった金子ができて味をしめたらしくてな。仲間にいい感じの魔法道具師を引き入れたのを機に、いっちょやってやるかって感じで、手始めにここで腰を据えて魔法道具の窃盗を始めてみたんだとよ」

『ドウシテ ハイディーンヲ 選ンダノ?』

「魔法道具に不調を起こす阻害魔術の展開範囲と町の規模がいい感じに重なったってのと、適度な大きさの宿場町ってのが選んだ理由らしい。つまり今回はテスト的なもんだったってことだな。ここで一儲けできたら、次はもっと大きな宿場町を根城にして本格的に動くつもりだったんだと思うぜ」

『サッキ「ちょいと捜しモンをしててな」ッテ言ッテタケド ソレッテ何?』

「さすがに一週間じゃ探れなかった。書類もアイツが全部抱えてるか口頭で請け負ったのか、俺が探れた範囲じゃ見つからなかったな」

『フゥン?』


 ──案外、真面目に調査してたんだ。


 カレンはクォードから視線を外すとほんのわずかに唇を尖らせた。


 クォードが相手側にカレンの情報を流してカレンを襲撃させたと聞いた時は、一瞬クォードが裏切ったのかとも考えた。カレンがゼリク達に負けたらそのままゼリク達と一緒になって高飛び、カレンが勝てば『事件解決のためだろ。俺は真面目に働いた』と言い逃れすればいい。どちらにしても今ならば簡単にカレンに害を与えることができた。そうでなくてもクォードはカレンの仕打ちに少なからず怒りを抱いていたはずなのに。


 ──この一週間、監視の目もなかった。サボろうと思えばいくらでもサボれたし、どさくさに紛れて色々やっちゃえただろうに。


 それでもクォードは、律儀に事件の捜査をしていた。仕上げを待つばかりの状態まで仕立て上げて、最後の美味しい部分をカレンに解決させるために見事にカレンを舞台上に引っ張り出した。


 全ては、事件捜査を任されたお嬢様を支えるため。


 それが執事としての役目だから。


 ──ううん。特別手当のため、だからだろうけど。きっと。


 カレンは小さく溜め息をつくと、クッションを両手の平で挟み込むように持ち方を変えた。


 認めるのは本っ当に癪だが、そろそろカレンもクォードの『執事』としての部分は認めるべきなのだろう。信頼、まではできなくても、信じることは始めなければならない。


 ならばその第一歩として、カレンもそろそろ本気になってもいいはずだ。


「あんたらはグルだったみてぇだが、たった二人でこの人数を相手にできると思ってんのか? 大人しく投降した方が身のためだぜ? 今なら商品にするだけで許してやるよ」

「冗談ほざいてんじゃねぇぞツルツル頭。こんな人数、俺だけで十分だ」

「ツルツル頭じゃねぇっ!! これはスキンヘッドだっ!! ちょっと自分が魔術を使えるからって調子こいてんじゃねぇぞ、クソガキッ!!」

「俺は『ちょっと魔術が使える』程度の人間じゃねぇよ」


 そんなことを考えるカレンの隣で、クォードは左手でホールドした銃の先をゼリクの眉間に向けた。うっすらと口元に浮いた笑みには凄絶な殺気が宿っている。


「カルセドア王国のザラスティーヤ・クァント。……魔術を扱う人間抱き込んでんなら、知らないとは言わせねぇぜ?」


 その殺気に、荒事に慣れているはずであるならず者の集団がわずかにひるむ。


『別ニ格好ツケテナクテイイカラ、押シカケ執事』


 だがやる気スイッチを入れたカレンは、まったくもってそんなものを気にしていなかった。


 振り上げた足先でクォードを蹴り飛ばしたカレンは、肩幅に足を広げると両手に意識を集中させた。向かい合わせた手のひらの間に紫電がほとばしり、挟まれたクッションが次第に形を変えていく。


「顕現せよ」


 蹴り飛ばされたクォードが文句を言おうと顔を上げたまま固まった。二人を取り囲む男達も何もできないままカレンの手元に見入っている。


ディースの聖撃ディース・オブ・ランス


 呪歌詠唱を受けたクッションはカレンの背丈を超す長大なランスに姿を変える。


 その柄を片手で取ったカレンは、軽々とランスを振り回すとその穂先を一際人が集まる一角に向けた。


「第一波、用意」


 パシッとカレンの手元から不穏なスパーク音とともに紫雷が飛ぶ。次の瞬間、ランス全体が紫の雷を纏った。それをカレンは一切躊躇うことなく、槍投げのフォームで振りかぶる。


「掃射」


 そしてランスは放たれた。


 不穏なスパークを纏ったまま、ランスは大砲から打ち出された砲丸のような勢いで敵に向かって突き進んでいく。どう考えても華奢な淑女が繰り出す攻撃ではない。


「というか! ただの淑女だったらこんなランスを武器に選ぶわけねぇだろっ!!」


 クォードが律義に突っ込みを入れる前で、敵に到達したランスが雷を放った。ある者はランスの衝撃に吹っ飛ばされ、ある者は感電し、面白いくらいバタバタと人が倒れていく。


 カレンはそれを見届けることなく高いヒールで石畳を蹴るとランスに向かって突進した。ランスの衝撃と感電をかいくぐった男達が獲物を構える中、足跡に紫電を散らしながら強く地を蹴って宙を舞う。


 男達の頭上を越えたカレンはランスの柄を飛び込み前転の要領で掴むと自身の回転を利用してランスを地面から引き抜いた。回転をランスに移したカレンは着地してからもその勢いを殺さず横へ流し、ランス本体で周囲の男達を薙ぎ払う。


「第二波、用意」


 カレンは小さく呟くと再びランスを振りかぶった。今の物理攻撃でこの一角の敵は全て掃討されている。


「掃射」


 狙うはゼリクがいる一角。


 だが一撃でカレンの攻撃特性を見抜いたゼリクは、なるべく手下が散らばるようにわずかな時間で手下の配置を変えていた。直線方向にしか攻撃できないランスでは仕留めにくい位置に人が散らばっている。


 ──でも私、別に直線一点突破しかできないわけじゃないんだけど。


 カレンはタンッと地面を蹴りながら指先を宙へ向ける。


「咲け」


 ランスの動きに細心の注意を払っている男達はまだカレンの動きに気付いていない。表情を変えないまま、カレンは内心でニヤリと笑った。


雷華フルレール


 極限まで縮めた呪歌を詠唱するのと同時に振り上げた指を鞭のように振り下ろす。


 カレンの指先から走った紫電は手近にいた男に絡み付くと次々と周囲にその触手を広げていった。その様はまるで紫色の茨が伸びていくかのようだ。それを見た周囲の人間は慌てて身を引くが稲妻の速度に人間が敵うはずがない。やがて一帯は紫の華に覆われた。


「まさかあんた、『雷帝の御子』かっ!?」


 唯一『雷華フルレール』から逃れたゼリクがランスをナイフでいなしながら叫ぶ。


 カレンは魔力強化した足で地を蹴りランスの起動に先回りすると宙でランスの柄を掴んだ。そのまま縦に大きく回転させ、ランスの勢いを殺す。同時に左の指を弾くと一帯に咲き乱れていた凶悪な華はピシパシッと軽い音を立てながら消えた。


「攻撃力ならばアルマリエ帝国魔法使い中随一。直接攻撃もさることながら、生体電流を操ることによって強化された身体能力とミッドシェルジェ仕込みの武術は化け物だと聞いていたが……ホラじゃあなかったんだな」

「……買い被りすぎ」


 クッションは本性であるランスに戻っている。口の代わりになる物がないカレンは、久しぶりに自前の口で相手の質問に答えた。


 人間の体は電気信号で動いている。『雷』という魔力特性を持つカレンは、魔法でその電気信号を操ることで身体機能を強化することができる。カレンが『馬鹿力』と呼ばれる所以はそこだ。


 だからゼリクが言っていることは全面的に正しい。カレンが『雷帝の御子』という二つ名で恐れられていることも事実だ。


「私は、そこまで、強くない」


 だが、ここだけはしっかり訂正しておかなければならない。


 カレンが化け物だったら、カレンの上を行く魔法使いは一体どうなるというのか。アルマリエ皇宮魔法使いの中だけでもカレンをしのぐ魔法使いはわらわらいる。世界に目を向ければきっともっといるだろう。


 ──魔法使いとして見ても、武人として見ても、私は中途半端な青二才だもの。


 だからアルマリエの魔法使いをカレンごときで計るのはやめてもらいたい。


「それに、常に全力を出すのは、疲れる」


 そもそもカレンが日々省エネに励んでいる理由だってこの魔法特性にある。


 カレンの中で気力・体力・魔力で一番あり余っているのは魔力だ。だからこうやって派手に魔力を炸裂させても魔力が枯渇することはないのだが、気力と体力はそうもいかない。特に生体電流を無理やりいじっているせいか、こうやって派手に魔法を使うと体力は大幅に削られる。簡単に言ってしまうと、『雷』を属性に持つ魔法使いは恐ろしく燃費が悪いのだ。


 キュルキュルと切なく音を鳴らす己の腹をさすりながら、カレンはわずかに眉尻を下げた。


 ──久々に大立ち回りしたせいでお腹すいた……


 この一件が解決したら、ハイディーン名物を片っ端から食べ尽くそう。


 そう心に決めたカレンは決意とともにゼリクを見据え、ランスの穂先を向ける。


「だから、私に無駄なエネルギーを使わせないためにも、さっさと捕まってくれない?」

「俺がここで『はい、そうですか』って大人しく投降するようなタマだと思ってんのかい? お嬢ちゃん」


 もちろん、そんなに簡単に事が進むと思うほどカレンも平和ボケしていない。今のはあくまでセオリーに沿った確認作業だ。


 ──でも、何か変、な気がする……


 ジリジリと立ち位置を調整しながら、カレンはひたとゼリクを見据え続ける。


 倒れた手下達の中に悠然と立つゼリクは、カレンに実力を見せつけられてもまだ余裕のある表情を崩していなかった。対するカレンはいつも通りの無表情だが、内心では何とも言えないモヤモヤ感を噛み締めている。


 ──まだ何か手札を隠してそうな気がするんだよね……


 ゼリクはカレンの『雷華フルレール』をしのぎきった。ダメージも負っていないように見える。さらに手下が全滅しているのにまだまだ余裕を失っていない。その表情がただのハッタリだとは思えなかった。


 ゼリクは確実に、この場をひっくり返せる手札をまだ隠し持っているのだ。


 ──せめて『雷華フルレール』を凌いだを見破ってから直接対決に持ち込みたいけど……そこまで手の内を見せてくれるとも思えないし……


 恐らく今ゼリクが使っているのは魔法ではなく魔術だ。その上、魔法国家アルマリエで人攫いや魔法道具の窃盗を指揮してきたゼリクは、間違いなく魔法に対する造詣も深い。カレンは魔術を一切知らない状態であるわけだから、ゼリクはカレンに対して圧倒的に有利であると言える。


 単純な魔力の総力戦になればカレンが負けるということはまずない。だがそれだけのアドバンテージだけで押し切ることができるのか、という迷いがカレンに特攻を躊躇わせる。


 そんなカレンの内心を見透かしているのか、ゼリクがニヤリと厭らしく笑った。


「どうしたんだい? お嬢ちゃん。仕掛けてこねぇのか?」


 挑発されている。そのことは分かっている。


 だが。


 ──どのみちあれこれ考えたって、私には手段がない。


 ならば魔法であろうとも魔術であろうとも、出力100%の全力でぶち破るまで。


 覚悟を決めたカレンはランスを振りかぶる。ゼリクが笑みを深めたのが見えたが、もうカレンは止まらない。


 ……つもりだったが。


「お嬢様の頭の中には『特攻』という文字しかないのでございやがりますか?」


 後ろから伸びてきた手がランスの柄の先をちょんっとつまむ。『ちょんっ』という効果音のわりにその手の力は強い。


 結果、カレンは動きを止める気はなったのにランスの動きは止められてしまった。しかもランスを肩の上に振り上げ、腰をひねって肩を引くという、何とも中途半端な状態で。


「もうちょっと物事を効果的に進めようと、少しは考えたらいかがでございましょう? 頭はツインテとミニハットを乗せるためだけにあるのではないのですよ?」


 ランスの重みに耐えきれず、カレンの体がプルプルと小刻みに震えだす。だが声の主はあくまでマイペースだった。


「……クォード」

「餅は餅屋、蛇の道は蛇」


『空気読めっ!!』と訴えるべく視線を送ると、クォードはランスを捕まえているのとは反対側の腕で魔銃を構えた。攻撃用のリボルバータイプの魔銃だ。


 親指がクルクルと弾倉を回し、ジャコッと機械的な音ともに動きが止まる。


「魔術は魔術師」


 そして指先が優雅に引き金を引いた。


「『大地アスタ』『火気ファイレス』『空気エア』『水気ウォルティア』」


 カレンの鼓膜が再び悲鳴を上げる。


 カレンはとっさに耳から伝わる生体電流を断ち切るとランスをクッションの形に戻してしゃがみ込む。中途半端な態勢からしゃがみ込んだせいでお尻を思いっきり石畳にぶつけてしまった。


「……っ!?」


 カレンは思わず痛みに涙ぐむ。そんなカレンの向こうでゼリクが態勢を崩していた。


 ──え? 何で?


 クォードが放った弾はゼリク本人ではなくゼリクの足先数ミリの石畳をえぐっている。ゼリク本人には被弾していない。だというのになぜかゼリクは銃弾に貫かれたかのように激しく体を痙攣させていた。同時にゼリクの周囲を光が激しく舞う。まるでクォードの銃弾によって見えない盾が粉々に割られたかのように。


「『抑制ディック』『強化クレンダ』『抑制ディック』『強化クレンダ』」


 それを見たクォードは満足そうに口元に笑みを刻んだ。


「『共鳴せよイコラ 我は汝に多重の解を望むアイラ・サイネ・リリエルド・アムフィー』っ!!」


 クォードの口から放たれた起動ワードを受けて石畳にのめり込んだ銃弾が光を放つ。ゼリクを囲むように配された銃弾は互いを光の線で結びつけながら理論式で構成された精緻な四角形を描き出した。


 形なき檻から逃れようとゼリクはもがくが、その指先から魔術の光が生まれる気配はない。


「あいつが展開してたのは『反射リフラ』の理論式だ。魔力の流れを反射させることで自分に向かってくる攻撃を逃す。魔術師ならば誰でも扱える基礎基本の理論式のひとつだな。魔力の流れを四大要素に分類し、それぞれの属性エレメーについての反射率を設定してやることで理論式は成り立っている」


 魔銃から立ち上る白煙を吹き消しながらクォードは独白するように紡ぐ。


「ならばその値を上から上書きして『反射リフラ』の率を狂わせちまえばどうってことねぇ」


 冷めた目で淡々と種を明かすクォードに表情らしき表情はなかった。誇ることもなく、蔑むこともない。ただ本当に事実だけを述べているという気配がそこにはある。


 ──クォードって……


 そんな瞳を、カレンは別の人の顔で見たことがある。


 ──本当に、秘密結社幹部になれるような、すごい魔術師だったんだ……


 世界のことわりを己の魔力の奔流だけでやすやすと書き替えるルーシェが。一師団を己の剣だけで平定へいていしてみせる父が。己が成した当然の結果を、特に感慨もなく見つめている時の瞳と同じだ。


 絶対的な実力者が、『成るべくして成った結果』を見つめる時の瞳だ。


「てっ……めぇっ!! 魔術師だってのに……っ、魔法使いに手ぇ貸すのかっ!?」


 目の当たりにしたクォードの実力にカレンの背筋がスッと冷える。


 そんなカレンの前で、何とか衝撃から己を立て直したゼリクが肩を上下させながらクォードに喰ってかかった。


「『カルセドアの至宝カルセディアン・ザラスティーヤ・クァント』……俺だって聞いたことのある名前だぞっ!? テメェが本物だってんなら、テメェは……っ!!」

「あいにく、今の俺は一介の執事、クォード・ザラステアだ」


 クォードは慣れた動きで弾倉をスウィングアウトさせた。そのまま魔銃の銃口を天に向けるとリボルバーの中に残っていた薬莢が重力に負けて滑り落ちていく。小さな金属の筒が石畳を叩く音は妙に寒々しくカレンの耳を叩いた。


「執事の仕事は主の補助。主が任務を遂行しやすくなるよう、万難を排するのが今の俺の役目」


 魔銃から排莢したクォードは右手をベルトにひっかけた鞄に伸ばし、その中から弾丸を取り出した。指先が淀みなくリボルバーに弾丸を詰める間も、クォードの視線はゼリクに据えられたまま動かない。


「そして大変不本意なことに、俺の今の主はこいつだ」


 機械人形のように無駄のない動作で弾丸を込めたクォードは、弾倉を銃身に叩き込むと一度魔銃を肩のホルスターに戻した。そのまま流れるように反対側に吊るした魔銃も抜き、先程の動きをなぞるかのようにその魔銃にも弾丸を込めていく。


 そんなクォードを、カレンは凍りついたかのように見つめることしかできなかった。


「だから俺は、あんたに銃先つつさきを向ける。たとえあんたが同士であろうともな」

「……至宝とも呼ばれた男が、堕ちたもんだな」

「堕ちたかどうか、判断すんのは俺だ」


 ジャコッという重い音ともに弾倉が魔銃の中に納まる。


 クォードはそのまま真っ直ぐ魔銃の銃口をゼリクに向けた。


「少なくとも俺は、私情で契約を破棄するほど堕ちちゃいない」


 そしてなぜかクォードはカレンの背中に蹴りを入れた。その動きを予期していなかったカレンは驚くほど簡単に態勢を崩す。


「なっ……!?」


 痛みに思わず抗議の視線を向け直せば、クォードはゼリクに目を向けたまま小さく顎をしゃくった。


 ──ケリをつけろってこと?


 あくまで最後の一手はカレンに任せるつもりであるらしい。特別手当のためとはいえ、見上げた執事根性だ。


「おいおいお嬢ちゃん、まさかあんた、この男のこと信用してんのか?」


 クォードがなぜそう振る舞うのかは分からなくても、クォードの行動が何を意図しているのかは分かったのだろう。カレンに向かって声を上げたゼリクは、額から冷や汗を流しながらも劣勢に立たされているとは思えない不敵な笑みをカレンに向けていた。格上の魔術師であるクォードが相手では敵わないと分かっているのだろうが、魔法使いであるカレンが相手になるならばまだ逃げ道があるとでも思っているのかもしれない。


「魔術については知らなくても、魔術師と魔法使いの仲が悪ぃことくらいはお嬢ちゃんだって知ってんだろ?」


 その言葉に、カレンはゆったりと瞳を閉じた。


 魔法と魔術は似て非なるモノ。


 それぞれの力に高いプライドを持つ魔法使いと魔術師は、プライドを持っているからこそ、互いに互いを忌み嫌い、反発している。魔法と魔術、その両方を受け入れようとする人間は非常に稀だ。


「俺達魔術師は、魔法使いなんかよりもずっと結束が固い。魔術は魔法より不自由なもんだからな。協力しなけりゃやってけねぇのよ」


 カレンは魔術のことも魔術師のこともよく知らない。


 だが魔法使いが魔術師を忌み嫌うよりもずっと深く、魔術師が魔法使いを憎んでいることくらいは知っている。


 自然物理を曲げることで不可思議なことを引き起こすのが魔法であるならば、自然物理を増長、抑制して不可思議を引き起こすのが魔術だ。魔法は魔力特性によって使える種類が限定されてしまうが、物理条件を捻じ曲げる分、物理条件を利用することしかできない魔術よりもずっと強大な力を発現させることができる。


 強い者が追い、弱い者が追われるのが世の定め。


 結果、いつの時代でも、魔法使いと魔術師が争えば追われるのは魔術師の方だった。魔術研究が東の方で盛んであるのも、魔法使いが魔術師を東の未開地へ迫害したせいだと言われている。


「そいつは生粋の魔術師だ。俺なんかよりもずっと、魔術師としての真髄に通じている。矜持も憎しみも、俺よりもずっと深い。……そんな男を、お嬢ちゃんは信じるって言うのかい? お嬢ちゃん、あんたもあんたで相当な魔法使いだろ? ただ自分のしもべってだけで、高位魔術師であるそいつを信じれんのか?」


 クォードはゼリクの言葉に眉を撥ね上げた。だが声に出して反論を並べようとはしない。ゼリクの言葉にどこか同意できる部分があったのだろう。


「今だって、俺を追い詰めてるように見せかけて、お嬢ちゃんの隙を狙ってんのかもしれねぇぞ? 何せこいつは一週間も俺達のアジトにいたわけだしな? こいつが俺達に抱き込まれてねぇって、お嬢ちゃんは無条件で信じることができんのかい?」


 ──確かに、正論。


 静かに瞼を上げたカレンは、無言で立ち上がるとパタパタとドレスの裾を払った。


 そしてクッションを両手に挟み、もう一度ランスを召喚する。


 ひたとゼリクを見据える。ゼリクの言葉を正論だと認めていながら、心はどこまでも静かだった。


「……確かに私は、魔術のことも魔術師のことも知らない」


 ランスの柄を手に取り、カレンは前へ足を進める。背後ではゼリクを威嚇するようにクォードが銃を構えたままだった。その火線を遮らないように気をつけながら、カレンは一歩一歩、確実にゼリクとの距離を詰めていく。


 クォードと距離が離れれば離れるほど、クォードはより簡単にカレンを殺せるようになるのだということは分かっている。クォードが今手にしているのは、魔法使いだって殺せる魔弾が仕込まれたリボルバーだ。クォードがその気になれば、今以上の好機はない。


 それでもカレンは後ろを振り返ろうとは思わなかった。背後に気を配る必要性さえ感じていない。


「だけど、クォードのことは、少しだけ分かる」


 クォードは決して、カレンを撃たない。


 その確信が、今のカレンにはあるから。


「だってクォードは、私の執事だもの」


 阿呆で馬鹿でとんでもない所でおっちょこちょいでド近眼で、すぐに銃を抜くし、カレンに対しては全く空気を読まない押しかけ執事だけど。


 それでもクォードはカレンの執事になってから、本気でカレンに向かって殺意を以って銃口を向けたことがない。ルーシェからのメッセージが不意打ちで魔法を発動させた時も、カレンがならず者達に囲まれていた時も、クォードが操る魔銃の銃口は必ずカレンの敵に……カレンを守る方向に向けられていた。こうなった現状を思えば、もうとうの昔にカレンを本気で殺しにかかっていてもいいはずで、状況が不利であろうともクォードが本気で事を仕掛ければ、カレンを手酷く痛めつけることくらいはできたはずなのに。それでもクォードは、それをしようとはしなかった。


 それはきっとクォードが、誇り高い人間であるからだ。


 己が交わした約定を、己の矜持を以って果たす、プライドに満ちた魔術師であるからだ。


 ……カレンは、クォードのことを知らない。今までずっと、知ろうとしてこなかったから。


 だから今、偉そうにクォードについて語ることはできないけれど。


 それでも言えることがあるならば。


「私は、クォードが誇り高い人間であることを知っている。その矜持を、私は信じる」


 静かに言い切ったカレンに、ゼリクではなくクォードが息を呑んだのが気配で分かった。


 それに構わずカレンは歩みを進めたカレンはスクエアの中心で足を止める。そして手にしたランスを頭上に掲げた。


雷帝フルゴラ


 バシッとランスが紫色の雷を纏う。カレンが何をしようとしているのか気付いたのかゼリクの顔が引きった。


降臨アビティアっ!!」


 一瞬の静寂と不自然な空気の緊張。


 次の瞬間、その全てを引き裂くかのようにシミひとつない青空から神の剣が落ちた。体を粉々に砕く衝撃とともに視界は白く染まる。凄まじい電圧に髪が逆立ち、ドレスが激しくはためいた。全てが圧倒的な力の奔流に揉まれてグチャグチャになっていく。


 そんな奔流は数十秒でスクエアを駆け抜けていった。


 視界が徐々に戻ってくる。目をシパシパさせながらスクエアを眺め回したカレンは、予想通りの結果にひとつ溜め息をこぼした。


「……ふぅ」


 空気の緊張が解けたスクエアには『死屍累々』という言葉をそのまま体現したかのような光景が広がっていた。ゼリクを含めて立っている人間は誰もいないが、一応これでも出力は調整したから死人は出ていないはずだ。


 ──本当に窃盗団一味が全員ここに集まっていたならば、これで完全掃討になった、はず。


 ランスをクッションに戻して深く懐に抱きしめながら、カレンは脳内で考えを転がす。そうしていないと空腹で気が狂いそうだった。


 ──あぁぁお腹すいたぁ……! でも後始末は早めにしとかないと面倒くさいしなぁ……


 随分エネルギーをロスしてしまったが、これはこれで仕方がない。後で久しぶりにしっかりした食事を取ろう。執事クォードとも合流したことだし。


 ……と、そこで違和感に気付いたカレンはスクエアを見回した。


 ──あれ? そういえばクォードって……


 本当にカレン以外、誰も立つ者がいないのだが、果たしてあの物騒な武装執事は一体どこに行ったのか。


 そう思った瞬間、ガシッとカレンの足首が何かに捕獲された。


「ヒィッ!!」

「テメェ……格好つけんのはいいけどなぁ……味方を巻き込むってのはぁ、どういう了見だぁ? ……あぁん?」


 まるで地獄の底から響くような声にカレンは反射的に反対側の足を振り上げた。そのまま思いっきり声の方へ足を振り下ろす。


「テメッ……!! 死人に鞭打ってどうするっ!?」


 だが地獄からの使者はやられっぱなしというポジションに甘んじるほどヤワではなかった。ガキンッという音ともにカレンのニーハイブーツのヒールが硬い物に当たる。恐る恐る視線を下げると、そこにはどこかで見たことがあるリボルバー銃があった。


「なんっでテメェは一々攻撃に俺を巻き込むんだっ!!」


 カレンの足元に転がり、蹴りを魔銃で防いでいたのは、黒焦げになったクォードだった。せっかく綺麗に整えた燕尾服からプスプスと煙が上がっている。どうやらカレンの必殺技をしっかり喰らってしまっていたらしい。


 ──……いくら抑え気味だったとはいえ、『雷帝降臨フルゴラ・アビティア』をまともにくらって意識があるなんて……


 クォードのゴキブリ並の生命力にカレンは思わずドン引きする。そんなカレンの内心を読んだのかクワッとクォードが目を剥いた。


「だ・か・らっ!! 何であんな広範囲魔法を繰り出すなら事前に一言合図を出さねぇんだこの省エネ娘っ!! てかぜんぜん省エネじゃねぇじゃねぇかあの攻撃っ!!」

『イザトイウ時ニアレヲ出セルヨウニ 普段ハ省エネシテルンダケド?』

「知らねぇよそんな事情っ!!」


 ブツブツと文句を並ながらも立ち上がったクォードはパタパタと燕尾服をはたく。だが尻もちをついたカレンとは違いクォードの燕尾服は焦げているわけだから、はたいてみた所で綺麗にはならない。


「だぁーもう、どうしてくれやがる! 衣装代だって俺の払いに乗っかってくるんだぞ!? 結構値が張るっつーのに……」

『コイツラ ドウシヨウ? アジトモ押サエナキャ ダヨネ?』

「無視かよ! ……あいつらのアジトはここに来る前に押さえた。魔術結界を仕込んどいたから、誰にも出入りできねぇようになってるはずだ。万が一残党が他に残ってても証拠を持ってトンズラはできねぇし、取引に出されず手元に残されてる誘拐被害者と魔法道具も全部そこにある。手ぶらの残党なんざいくらでも放置しときゃいい。幹部と言える連中は全員ここに揃ってたしな」


 文句を言いつつも、クォードはやはり律儀に答えてくれた。さらにはそんな有能っぷりまで見せつけてくる。


 ──じゃあ、ここにいるやつらをふん縛れば、もう仕事はほぼ終わりってことか。


 やはり、何となく面白くない。


 だがなぜか、以前ほどそのことにモヤモヤを感じることはなかった。


『ネェ ハイディーンノ 美味シイ特産品ッテ 何ガアル?』


 カレンは文字列を表示させたクッションをポイッとクォードへ放り投げた。それを片手で受け取ったクォードは文字列を眺めて顔をしかめる。


 そんなクォードを放置して倒したならず者達に近寄りながら、カレンはクッションの文字列を変化させた。


『教エテクレタラ 新シイ制服代ハ 私側ノ経費デ落トシテアゲル』

「……は?」


 クォードから気が抜けた声が上がる。何となく顔を見れなかったカレンは、いそいそとドレスの後ろ裾からロープを取り出して倒したならず者達に手早く縄をかけ始めた。


 こう見えても、こういうことは得意なのだ。公爵家令嬢ではあるが、何せカレンはただの公爵家令嬢ではなく『ミッドシェルジェ公爵令嬢』なので。


「……ハイディーンと言えば、チーズか? 肉も旨いよな、ハイディーン」


 不意に、そんなことをクォードが口にした。その声にカレンは思わず顔を跳ね上げる。


 クッションを見つめているのかと思っていたクォードは、両手でクッションを持って視線はカレンに向けていた。そんなクォードと顔を跳ね上げたカレンの視線がバチッとかち合う。


 その瞬間、クォードは耐えかねたように噴き出した。


「おっ、おま……! 普段あんなに食事に興味ねぇくせに何その必死なツラ……!!」


 そんなクォードにカレンは思わずシパシパと目をしばたたかせる。いつもと変わらず無表情でいたつもりだったのだが、今の自分は何か面白い顔をしていたのだろうか。


「いいぜ、この一週間、町の中はくまなく歩き回ったからな。いい店教えてやるよ。ま、お嬢様の口に合うかどうかは知らねぇけどな」


 ケラケラと笑ったクォードはカレンに笑みを向けた。今まで向けられてきた殺意や敵意を込めたヒヤリとした笑みではなく、気安い相手に向ける気が抜けた柔らかい、自然な笑みを。


 その笑みにもシパシパと目を瞬かせたカレンは、自前の口で答えを紡ぐ。


「……上等」


 手早く縄を縛り、腰を上げたカレンは一度真正面からクォードに向き直る。そんなカレンを眺め続けるクォードの口元には変わらず気安い笑みが浮かんだままだ。


「私、普通のお嬢様じゃないから」

「おー、ヤんなるほど知ってらぁ」

「多分、気に入ると思う」

「じゃあ、さっさとここを片付けて、とっととメシにすっか」


 笑みと同じくらい気安く答えたクォードがカレンを手伝うべく歩み寄ってくる。その手にはいつの間にか縄が握られていた。ドレスの裾から何でも取り出せるカレンとは違い、クォードの場合はあらかじめ用意をしてきたのだろう。


 ──本っ当に、嫌になるくらい有能な執事だこと。


 そんなクォードから顔をそむけて、カレンはひっそりと、口元だけに笑みを浮かべた。

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