《Ⅲ》真面目に仕事しやがれでございます、お嬢様

 広大な国土を持つアルマリエには、風光明美な土地も多い。


 アルマリエ帝国北方領に位置するハイディーンも、雄大な山々が織りなす美しい景観を売りにする観光地である。


『トイウワケデ、ヤッテ来マシタ ハイディーン!!』

「……って、ここ、本当に観光地なのか?」


 無口・無表情なりにテンションを上げてみたカレンをチラリと見たクォードが不満そうに口を開く。


『何言ッテルノ。立派ナ観光地ジャナイ。アレガカノ有名ナ ケルツディーノ山ダヨ』

「確かに山はある」

『ジャア何ガ不満ナノ?』

「だって本っ当に山しかねーじゃねぇかっ!!」


 目の前に広がる山岳とその麓に寄り添うように広がる小さな町。


 今二人の目の前に広がっている景色には、それだけのものしかなかった。正確に言うならば、視界の5割が山、4割が空、残り1割が町といった光景が延々と広がっている。


 その町の入口、絶景スポットとしてガイド本ではどこでも必ず紹介されている物見櫓に立ったクォードは腹の底から絶叫した。見事な腹式発声の雄叫びを讃えるかのようにはるか彼方から微かにやまびこが聞こえてくる。ちなみにそのやまびこ以外には小鳥がさえずる音しか聞こえない。


 視界も聴界も、ここはとても静かだ。この地方一の観光スポットであるはずなのに。


「何なんだこの小さな町はっ!! ひなびてるにも程があるだろっ!!」

『中ハ ソコソコニ 栄エテルミタイダケド』

「嘘つけぇっ!? 明らかに過疎化進んでんだろっ!? 人拐いとかなくても人減ってんだろここっ!!」


 ケルツディーノ山へ向かう登山客で栄える観光都市、それがハイディーンだ。


 主な産業は登山客を相手にした宿屋と冷涼な気候を生かした酪農。アルマリエから北へ抜ける街道も通っているため、細々と交易の収入も落ちてきている。地形が険しく気候も比較的厳しいせいか、貴族の別荘などはあまりない。客層のためなのか地理的要因なのか、あまり町に派手さはなく、確かに質素と言えば質素な町かもしれない。


 だがカレンは『質素=貧層』だとは決して思っていない。


 ドレス姿の自分と執事姿のクォードがこの光景から激しく浮いているとは思うが。


『文句言ッタッテ 仕方ナイデショ』


 カレンはクォードの方へクッションを向けると気分を入れ替えた。


『事件ヲ解決シナイ限リ、私達、ココカラ帰レナインダヨ?』

「……そうだなぁ……」


 クォードの顔にははっきりと『早まった』という文字が浮かんでいる。特別手当と魔銃返却という言葉に一、二もなく飛びついたクォードだが、ここにきてようやく後悔を覚えたらしい。


 ──伯母様がそう簡単に甘い汁を吸わせてくれるはずがないっていうのに。


 クォードにとっても今回のことは良い教訓となったのではないだろうか。ここで学習して次回からは積極的にルーシェからの命を拒否してくれるとありがたい。カレンはできれば平穏に離宮に引きこもっていたいので。


「……こうなったらさっさとその事件とやらを解決して離宮に帰るぞ。お前と四六時中、こんな田舎で顔付き合わせっぱなしなんて俺はごめんだ」


 クォードはきっぱり言い切ると地上に向かって狭い階段を降り始めた。魔銃を四丁も装備しているせいか、古い木製の階段は悲鳴を上げるかのようにギシギシときしんでいる。


『……自分カラ 一、二モナク 喰イ付イタクセニ』


 思わず抱えたクッションにそんな内心をこぼしたカレンだったが、大人しくクォードの後には従った。カレンとて事件を早く解決してさっさと帰りたいという部分はクォードに同意なのである。


 ──少なくとも、離宮にいた方が身の安全は確保できる……!!


 田舎であるのは特に構わないが、四六時中クォードと顔を突き合わせていたらいつうっかり撃ち殺されるか分からない。おまけに今のクォードは武装用魔銃も装備した完全武装クォードだ。いくらカレンといえども蜂の巣にされる可能性は高い。


 ──クォードの特別手当取得条件は『事件を解決すること』と『私を守りきること』だから、どさくさに紛れて殺されるっていう可能性はさすがに低いと思いたいけど……


 カレンは思わずプルリと無表情のまま体を震わせた。少し足を遅らせてさり気なくクォードと距離を取る。


 引き籠りであるカレンだが、世間に絶望して引き籠りになったわけでもなければ自殺願望を持っているわけでもない。死ねばある意味棺桶に引き籠れるわけだが、そんな引き籠りライフは御免こうむる。


 こう見えてもカレンの前途は有望なのだ。一応ありがたくないことに『次期女皇』と目されているわけだし。こんな所でその有望な前途を失うわけにはいかない。


「……で? とりあえずどーすんだよ? 何か計画プランでもあるのか?」


 町に入ってみると、やはり外から見るほど町は鄙びてはいなかった。造りはこぢんまりとしているが、店はどこも賑わっているし人通りもそこそこに多い。


 カレンとクォードの格好が浮いていることは変わらないが。……というよりも、人目が増えた分視線が集まってきて余計に浮いているような気がするが。


 カレンはミニハットから垂れる黒いレースをヴェールのように顔の前にたらして視線を遮りながらビシッとクォードにクッションを突き付けた。ちなみにドレス姿の少女がクッションを大切そうに抱えているせいで余計に通行人の視線を集めているという事実に、カレン本人は気付いていない。クォードは気付いているのだが。


『マズハ 宿ヲ確保ッ!!』

「行動拠点を作るってわけか」

『引キ籠レル場所ヲ確保シナイト落チ着ケナイッ!!』

「ってそっちかよっ!?」


 ちなみに傍目から見ると一人で喋っているように見えるクォードのせいで周囲からスーッと人が引いていくという事実に、クォード本人は気付いていない。カレンは気付いているのだが。


「働けよお前はっ!! そもそも元を正せば俺は付き添いで、任を受けたのはお前の方なんだろっ!? お前が引き籠ってどうすんだよっ!? ここまできたら観念してアクティブに働きやがれっ!!」

『私ソッチノケデ伯母様ト話進メテタノハ クォードノ方ジャナイッ!!』

「俺の『労働』ってのはお前の執事業務っ!! つまりお前の補佐だっ!! お前に代わって任務までこなす必要性はないっ!!」

『伯母様相手ニ「引き籠りの省エネ娘なんぞより華麗に事件を解決して、全てを俺の手柄にしてくれるっ!!」ッテ啖呵切ッテタヨネ!?』

「結局あの後送られてきた書類に、お前が主体的に動かなかった場合と、俺がお前を見放して単独行動を取った場合は条件未達になるって書かれてたんだよっ!!」

『何ソレ迷惑!!』


 ハイディーンでは宿だけを営む専業宿屋の他にも、一階に飲食店、その上の階に宿泊施設を持つ兼業宿屋というものが存在する。兼業宿屋を含めれば町の商店の9割近くが宿屋だ。口とクッションで言い争いながら歩いている間にも宿屋は何件もカレンの視界に飛び込んできている。


 ──は! これはもしや好機なのでは?


 その瞬間、カレンの頭に天啓が走った。


 ハイディーンでは9割近くが宿屋だ。いくら町が小さいといえども、これだけ宿屋があればどこに泊まっているか特定するのは至難のわざであるはず。


 つまりクォードと別行動をしている間に宿を押さえ、以降クォードに見つからないように潜伏することができれば、クォードと四六時中一緒にいなくてもいいのではないだろうか。クォードはカレンと一緒に行動していないと色々と大変なようだが、カレンに命じられたことは『事件の解決』だけである。カレンにとってはクォードの事情よりも『四六時中武装状態のクォードとマンツーマン』という危機的状況から一秒でも早く脱出することの方が重要案件だ。


 とにかく、天啓を実行できる今この瞬間を逃すわけにはいかない。


『トニカク 働ケト言ワレテモ 私ハソモソモ伯母様カラノ書類ヲ見テイナイッ!!』


 すぐ横にある宿屋の看板に『皇宮魔法使い御用達』を示す紋章が刻まれていることを確認したカレンは、モギュッとクォードの顔面に持っていたクッションを押し付けた。クッションの下からメキョッという何とも不穏な音が響いたが、それを気にせずグリグリとえぐるようにクォードの顔にクッションを押しつけ続ける。


『ダカラマズ私ハ書類ノ確認ヲスルッ!! 町ノ中ヲ見タイナラ クォード一人デ行ッテキテッ!!』

「~! ~~!! ~~~っ!!」


 クッションの下でクォードが何かわめいたようだが、気にしてはいけない。


 全力でクォードの顔面にクッションを押し付けたカレンは、クッションがクォードの顔面に完全に密着して外れないことを確認してから宿の中に飛び込んだ。カウンターの中から一部始終を眺めていたのかあんぐり口を開いてクォードを見つめる宿屋の女将おかみに向かって歩を進め、ドレスの隠しからルーシェ直筆の勅命文と皇宮魔法使いの身分証である白金の懐中時計を取り出しカウンターの上に滑らせる。


「え……っ、あ、皇宮魔法使いの方でしたか」


 看板に『皇宮魔法使い御用達』の紋章を刻んでいるだけあって、女将はそれだけでカレンの身の上を察してくれた。そんな女将にひとつ頷いたカレンは、カウンターに備え付けられたメモ用紙と万年筆を拝借すると言葉を添える。


『予約なしで一部屋押さえたいのですが、大丈夫でしょうか?』


 ちなみにあえてクッションを取り出さなかったのは女将をこれ以上驚かせないためだ。一々驚かれていては話が進まない。今はとりあえず、時間が惜しい。


「ええ、大丈夫ですよ。うちは皇宮魔法使いの方にもよく利用してもらっていますからねぇ、ええ。任務で訪れる方用に一部屋いつも空けてあるんですよ、ええ。看板の紋章は、それを表すものですからねぇ、ええ」

『料金は後払いになりますけど、それでも大丈夫ですか?』

「存じておりますよ、ええ。宿泊に関する証書はお持ちですか? 払込があるまでこちらで保管させていただきますよ、ええ」

『ご迷惑をおかけします』

「いいえぇ、皇宮魔法使いの方は金払いがよくて大歓迎なんですよ、ええ。……ところで」


 カレンから宿代の担保となる証書を受け取り内容を確認した女将は、部屋を案内するためにカウンター横のスイングドアから表に出た。その瞬間、女将はチラリと表通りに視線を走らせる。


「……お連れ様は、放置でよろしいのですか?」

『あれは連れではないので、お気になさらず』


 女将が何を見てそう言っているのかは百も承知だが、カレンはあえてそちらへ視線を向けずキッパリと書き切った。そんなカレンと表通りで顔面に貼り付いたクッションと格闘を続けているクォードを交互に見比べた女将は、曖昧に頷くと廊下の先を片手で示す。


「では、こちらへどうぞ。2階の角部屋になります」


『何人も皇宮魔法使いの方を見てきましたけれど、やっぱり変人が多いような気がしますよ、ええ』と表情で語られたような気がしたが、あえてそこには突っ込まないことにした。一々突っ込むとエネルギーを浪費するというのもあるが、皇宮魔法使いに変人が多いというのも実は動かしがたい事実なのである。できれば自分はその『変人』の中には入りたくないが。


「こちらのお部屋になります。任務でいらっしゃる皇宮魔法使いの方のお部屋にはなるべく近付かない方がよいとのお話ですので、私達はなるべくこちらへは参りません、ええ。ご用がある時はカウンターまでお願いします」


 カレンが案内されたのは2階の突き当たりにある一室だった。女将は腰に下げた鍵束から部屋鍵を取り出してカレンに渡すと一礼して階下へ帰っていく。


 カレンは女将に一礼を返して後ろ姿を見送るとドアの鍵を開けて中へ入った。こぢんまりとしているが、皇宮魔法使いの定宿紋章を掲げているだけあって居心地は良さそうだ。


 ──思いつきで飛び込んだお宿だけど、いい感じの所で良かった。


 クルリと部屋を見回し、カレンは自分の幸運に感謝する。


「っっっざけんなよあんの引き籠り娘ぇぇぇぇえええええええっ!!」


 表通りから奇声が轟いたのは、まさしくその瞬間だった。


「マジ殺す。ぶっ殺す。絶対あいつは俺を殺すつもりで顔面えぐってきた。だから俺もあいつを殺す。ぶち殺すっ!!」


 続いてベムンッという何とも間延びした音が続き、ジャコッと不穏な音が響いた。


 おそらく前者がクッションを地面に叩き付けた音、後者が魔銃を抜いた音だろう。


「今日という今日は覚悟しやがれ引き籠りぃぃぃぃいいいいいいっ!!」


 表通りに面する窓をそっと開けるともうもうと土煙が立ち上っていた。その発生源はすごい勢いで町の中へ消えていく。発生源が両手に握っていたのはカレンが見たことのないリボルバータイプの銃だった。おそらくあれが噂の武装用魔銃なのだろう。


 目論見もくろみ通り、厄介な同行者はひとまず撒けたようだ。あとはいかに密やかにここに引き籠もれるかが勝負になる。全てが解決した後にクォードを回収すれば、恐らく全てが丸く収まるはずだ。


 ──でもあのままの勢いのまま再会しちゃったら、その瞬間が私の人生最期の瞬間になる可能性もある、かも?


 ならば穏便にクォードはここに置いていった方がいいのだろうか。いっそ戦死扱いでもいいかもしれない。ここは戦場ではないが、クォード本人は戦場に出るかのような装備と殺意を纏っていたわけであるし。


 カレンはひっそり体を震わせながら窓を閉めると、部屋の中央に置かれた机に向かった。椅子を引いて腰かけ、ドレスの隠しに入れておいた最後の証書を取り出す。


 ルーシェに皇宮まで呼び出された翌日、必要書類とクォードの魔銃は離宮まで届けられた。事件の概要や先遣隊からの報告が纏められた書類はクォードに掻っ攫われてしまってカレンの手元には回ってこなかったのだが、カレンの名義で発行されていた勅命文書と宿泊証書、そしてクォードにとっては物であった最後の証書はカレンの手元まできちんと届けられた。


 その最後の一枚を、カレンは丁寧に机の上に広げる。


 正方形の羊皮紙一杯に描かれていたのは、美しい真円と緻密に書き込まれた紋章……魔法円だった。


 魔力を持たず、知識もない徒人ただびとが見れば、円と線と古い言葉で形作られたただただ美しいだけの紋様。


 だが魔法使いにとってこれは、世界のことわりを開く鍵だ。幾万の言葉を連ねるよりも雄弁に、的確に、世界を表す真理だ。


 カレンは証書の魔法円に右手をかざした。


 そして滅多に音を発しない唇を静かに開く。


「我が力に応えよ 汝、道を閉ざせし者 今ここにその道を開け」


 魔法使いが扱える魔法の種類は、魔法使いが生まれながらにして持つ魔力の特性によって決まっている。


 物理条件を捻じ曲げて不可思議なことを引き起こす魔法は一見すると万能のように思えるが、己の魔力の属性に合致しない魔法は使えないという欠点を持っている。その欠点を補正するために編み出されたのが魔法円と呪歌詠唱だ。


 魔法円にかざされたカレンの手から紫雷のスパークに似た淡紫色の燐光が散る。魔法円はその光を吸い上げるように徐々に紫色に染まった。カレンが呪歌を詠唱するわずかな間にその光は直視できないほど強くなっていく。


「いざ、出でませ」


 光はポンッという軽い音ともに弾けて消えた。


 カレンがひとつ瞬きをしてから右手をどけると、魔法円を描いた証書の上には書類の束が乗っている。手に取って視線を走らせると、事件の概要を記した書類と先遣隊からの報告書だということが分かった。クォードに掻っ攫われていったためにカレンが一読もできていなかった書類達である。


 ──やっぱり便利だなぁ、転送魔法円。


 様々な魔法使いが日々魔法研究に励んでいるが、その内容はほとんどが『いかに属性を越え、普遍的に魔法を使えるようにするか』であると言ってしまっても過言ではない。その手段として用いられるのが魔法円や呪歌詠唱、魔道具や魔導書といった代物だ。要するに魔力をそのままぶつけるわけではなく、何か『道具』に魔力を通して変換させるという手法で魔法を使う道を魔法使い達は日々研究しているのだ。


 ……ちなみに研究に励む魔法使いが皆世のため人のために研究している、というわけではない。自分のための研究が結果として世の人にも役に立っているということが大半で、純粋に世の人のために研究をしている人間は稀だ。魔法実験を趣味とし、その成果を魔法議会に発表することで少なからず金子を得ているカレンだが、カレンだって別に世のため人のために研究を行っているわけではないので。


 ──たまたま研究結果が世の中のためになって、たまたま量産が効いたりすると、世の中のためになるってだけなんだよね。


 魔法使いは基本的に自分本位で、ワガママで、あまり世界がどうとかを気にする存在ではない。そう考えるとこの世界は頭抜けた魔法使い達のほんの気まぐれによって発展してきたとも言える。


 ──って思うと、伯母様は間違いなく頭抜けた魔法使いなのに、周囲のことも考えてるってことだよね。


 書類本体を送っておきながらその書類を転送召喚できる魔法円も同封してきたのは、クォードが書類を掻っ攫っていってカレンに見せない、というこの現状をルーシェが予見していたからに他ならない。


 クォードは魔法使いではなく魔術師だと聞いている。魔法と魔術は『世界のことわりに触れて不思議を起こす』という点では似ているが、それを実際に起こすための過程がまったく違うらしい。カレンにはまったく魔術のことが分からないように、クォードにはこの魔法円の意味する所が分からなかったはずだ。だからこの魔法円だけはきちんとカレンの手に渡るはずだとルーシェは読んでいたのだろう。


 ──もしくは、そのことを確かめたかったから、わざわざ書類と魔法円を一緒に送ってきた?


 カレンは書類を眺めながらも、別のことを考えていた。


 そもそもなぜ、カレンとクォードがこんな僻地へきちの任務に派遣されたのかということを。


 皇宮で話を聞いた時は、カレンでなければ解決できないような大事なのかと思っていた。だが今は何となく、それだけではないような気もしている。


 ただ大事であるだけならば、次期女皇と目され公爵令嬢という身分もあるカレンをわざわざ派遣する意味は薄い。その身分を活かせる任務に就かせた方がよっぽど効率的だ。任務の内容とカレンのスタイルを照らし合わせてみても、この任務がカレンに向いているとは思えない。強いて言うならばハイディーンはカレンの実家でありアルマリエの北方の要衝を押さえるミッドシェルジェの所領の一部であるから、その力とコネが使えるかもしれないという利点ならあるが、現状ではそれが必要となる場面があるのか否かさえ分からない。


 ──先遣隊が現地にいたのに、その先遣隊に解決させずにわざわざ私達をここに送り込んだ。……先遣隊で何かトラブルが起きての交代なら、さすがにそれは事前に説明されたはず。


 つまりルーシェはカレンとクォードをハイディーンに送り込んだ。


 ──泳がせるため?


 真っ先に考えられる可能性があるならばそれだろうか。


 監視の目が緩む僻地へあえて飛ばして様子を見る。クォードが本当に『ルーツ』と繋がりのある人間であるならば、仲間が隙を見て接触する可能性があるし、クォード自身が何か策を隠しているならばそれを露わにするかもしれない。逆にクォードがどれくらいの忠誠心を以ってカレンに仕えているのかもはかることができる。


 普段からクォードとセットでいるカレンならば出先での監視も普段と変わらずにできるし、カレンの実力ならばクォードが何か仕掛けてきてもちっとやそっとのことでは負けない。それだけの信頼と実績がカレンにはある。


 ──……ん?


 つまり、カレンがクォードを撒いてしまったのは、ちょっとマズかったのだろうか。


「……」


 ──まぁ、やっちゃったものはもう仕方がない。


 カレンは自分の思考を一度横にどけると手にした書類に目を通し始めた。現実逃避ではあるが、まだ真面目に職務に向き合っているだけマシと思ってもらいたいカレンである。


 ──とりあえず事件の概要を頭に入れてからクォード対策に乗り出しても遅くはない……はず。


 そう言い訳を重ねて書類に向き直ったカレンは、頭からクォードの存在を締め出すと書類の文字を追うのに没頭していった。

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