《Ⅱ》甘い話には気を付けやがれでございます、お嬢様

「そもそも、アルマリエにおける公爵家というのは、各家の祖がアルマリエ皇家に連なる者だということを意味しておる」


 アルマリエ帝国第18代女皇じょこう、ルーシェ・コンフィート・オズウェン・アルマリエは、ドレスには不釣り合いな湯呑で実に優雅に緑茶を口にすると滔々とうとうと語り始めた。


「つまり公爵家の人間は、アルマリエ貴族の中でも一際尊い血を引くということになる」


 今年で御歳49歳になるはずである女皇陛下だが、その容貌はどこからどう見ても20歳前後の麗しい姫君だ。知性が輝く漆黒の瞳と黒絹のように流れる髪を銀の装飾品と淡青のドレスがより一層引き立て、まるで女皇本人が宝玉であるかのような美しさと気品が漂っている。


「しかしカレン、お前は公爵家当主を父に、女皇妹を母に持ち、さらには次期女皇と目される国内屈指の姫君であるはずなのに、ちっとも姫君らしくない」


 魔力が強い者は寿命が長く、それに相反するかのように子ができにくい。


 歴代最強の女皇と名高いルーシェは、莫大な魔力をその身に秘めている。50年近く生きているはずなのに、カレンの姉くらいにしか見えない姿をしているのもそのためだ。ルーシェほどではないが、カレンの母でありルーシェの妹であるミッドシェルジェ公爵夫人・オルフィアも、夫と並んでいると娘に勘違いされるくらいには見た目が若々しい。


「引き籠りなのは、仕方があるまい。妾も人のことは言えぬからな。魔法研究に励むのも良かろう。趣味は人生に潤いを与えてくれるからな。じゃが、従者の一人も傍に置かんというのは由々しき問題じゃ」


 アルマリエ帝国では、先代国主と同じ血筋に連なる者の中で最も魔力が強い者が玉座を継ぐ。


 魔力が強いということはそれだけ直系の子ができにくいというわけで、アルマリエでは国主の直系の子が玉座を継ぐことは滅多にない。ルーシェはその珍しい例で、母である第17代女皇から玉座を継承しているが、次代は確実にルーシェの直系にはいかないだろうと王宮の誰もが予測している。


 それはルーシェ本人も同じであるようで、ルーシェは早々に自分と血を同じくする者の中から後継者を指名していた。


 その後継者というのが実はカレンなのである。傍迷惑極まりないことに。


「従者というものは、適当な人間を適当に傍に置いておけば良いというものではない。相応しい器量の者であり、二心ふたごころなく仕えてくれる者でなければならぬ。そんな相手とじっくり時をかけ、心を砕いて関係性を作っていくことで、我らは心強い懐刀を得るのじゃ」


 しかし傍迷惑ではあるものの、ルーシェの判断が妥当であることもカレンは理解している。


 カレンとルーシェは血が近いし、血族の中でも同世代にカレン以上の魔力を持つ人間はいない。早々に女皇が後継者を指名しておけば余計な後継者争いを防ぐこともできる。これは事実だ。カレンとルーシェは互いに気安く口をきける関係で、カレン自身には権力に対する執着もないから、そういった点からカレンを指名しておいて真に相応しい者が現れるまで席を埋めておく、というのだって悪くはない。


「だから従者を持て。さらに言うならば執事が良い。というか執事以外の従者は認めん。執事と姫という組み合わせは無限大の萌えを妾に提供してくれる。というわけでお前からの嘆願クーリングオフは受け付けぬ。分かったな?」


 だがこの『ルーシェ理論』を受け入れるわけにはいかない。


 というか、完全にこれはルーシェ個人の娯楽のためだと説明されているような気がするのだが気のせいだろうか。いや、絶対に気のせいなどではない。


『執事ナラ 自分デ雇エバイイジャナイデスカッ!!』


 実験用ドレスを纏ったまま頭にミニハットを乗せて外出スタイルになったカレンは、女皇陛下の私室で何とも横暴な伯母と対面していた。


 カレンは折れそうになる心を奮い立たせながら魔動クッションの文字で必死にルーシェに喰ってかかる。だがルーシェはティーテーブルに並べられた東渡りの茶菓子を頬張るのに忙しいらしく、ほとんどカレンの方を見ていない。可愛らしい形をかたどった茶菓子はモリモリとルーシェの口の中に消えていく。


 ──美味しいけども……! 確かに美味しいけども……!!


『私ハ実験ニ打チ込ミタクテ離宮ヲ借リテイルンデス! 業務妨害デス! 引キ取ッテクダサイ クーリングオフ デス!!』

「……おい。テメェ、さっきから聞いてりゃ随分言いたい放題だな? あぁん? 俺はこんなクソ女皇の下で働くなんて死んでもごめんだぞ。胃に穴があく前にハゲて死ぬ。ハゲ死ぬ」

『ハゲッテ 死因ニ ナルノッ!?』


 尖塔の上でカレンと別れたクォードは、案の定30分足らずで皇宮参内の用意を完璧に整え、カレンの従者としてもここまで完璧に仕事を果たしてみせた。ちなみに今は急須を手にこの東洋風お茶会の給仕も完璧にこなしている。どうやらこの物騒な執事(仮)は緑茶の取り扱いまで心得があったらしく、何度か飲んだことがある緑茶の中でも今日の緑茶は断トツで美味しい。


 ──美味しいけど、面白くはない! 全く!!


「ほら、殿もお前の下で働くことを希望しておろう?」


 カレンはそんな胸中の不満を流し込みたくて勢いよく湯飲みをあおった。タンッと勢いよく湯呑をティテーブルに戻すとクォードが顔をしかめるのが分かる。どうせ『淑女たるもの』と恒例になった小言をこねくり回しているに違いない。


「下々の者の願いを叶えてやるのも貴族の務め。そもそもお前、多少魔法実験ができなくなった所で困窮するほど、金子に困っているわけでもなかろう? 仮にも公爵家令嬢であるのだから」


 対するルーシェはクォードの揚げ足を取って涼やかに笑った。『ご聡明』と『執事殿』の部分にアクセントが置かれていたのはクォードいびりの一環だろう。気付いたクォードの頬がヒクリと引きる。


 そんなクォードを視界から締め出し、カレンはティーテーブルに載せたクッションをバスバスと叩いた。


『罪人ノ職マデ保護スル義務ハ ナイハズデスッ!!』

「罪人ではない。今はお前の執事じゃ。執事という存在は乙女にすべからく萌えを運んできてくれるアイテムなのじゃぞ。しかもこれはそこそこに美形で青年の執事じゃ。レア度はなかなかに高い。まぁ、傍に置くくらい良いではないか」

「誰のせいで罪人から執事になったと思ってんだ……っ!!」

「お前の愚かさのせいであろ」


 ルーシェがすげなく言い放つとクォードはグッと言葉に詰まった。そもそもこんなことになったのは自分の馬鹿なミスのせいであるという自覚は一応あるらしい。


「そもそもお前、あんな所に忍び込んで何がしたかったのじゃ?」


 気のない口調のまま放られた問いは、そんなクォードに向けられたものだった。


 相変わらずルーシェは茶菓子に夢中だが、クォードに向けられた瞳はそんな仕草にそぐわず真剣な色をしている。茶菓子に夢中になっているのがフリなのではないかと思えるくらいに。


 ゾクリと底冷えするような空気を察知したカレンは思わずクォードを見上げる。だがせっかく視界に入れてやった執事(仮)は実に面倒くさそうな顔でルーシェを見返していた。


「国家転覆だっつってんだろ。他に何の理由で皇宮なんぞに忍び込むかってんだ」


 心底どうでもいいと言わんばかりの声でクォードは答えた。その顔には『この質問には答え飽きた』という文字がでかでかと書かれている。


 だがその程度で追求の手を緩めるルーシェではない。


「あれだけのことをしでかしてくれた割に、捕獲できた人間はお前しかおらなんだ。これは一体、どういうことじゃ?」

「あんたの臣下がグズでノロマだったんじゃねぇの?」

「ということは、お前は我が臣下に輪をかけてグズでノロマだということじゃな。おまけに」

『ウッカリサンデ アホノ子』

「るっせぇっ!! 誰がアホだっ!!」

「だから、この場にお前以外の阿呆はおらんて」


 ルーシェは呆れたように言葉を投げる。だが瞳にひそんだ刃は消えていない。


 ──伯母様が追及するのも、当然のことなんだよね。


 そんな二人を無表情のまま観察しながら、カレンも心の内だけで考えを巡らせる。


 クォードは終始一貫して『自分の目的はアルマリエ帝国を引っくり返すことだ』と主張しているらしい。だがそんな大それた目的を掲げていながら、捕まったのはクォード一人で、他に皇宮へ侵入してきた者の痕跡は一切発見されていない。事前に皇宮内に魔法陣が仕込まれていた気配もなく、クォードが強大な魔法道具を持参していたわけでも、クォード自身に何か魔法が刻まれていたわけでもなかったということは、皇宮魔法使い達が全力で調査したから間違いない。


 とにかく言っていることの割に残された痕跡が小さくて地味なのである。発言内容と発見された痕跡の規模が合っていないのだ。


 ──地下で私と鉢合わせたのは……目的地までの移動の途中だったって考えれば、まぁ分からなくもないんだけども……


 地上で数ヶ所小規模な爆発が起こったらしいが、その場所も皇宮の重要機関からは遠く、ただの揺動であったと判断されている。普段から人気がない場所ばかりだったそうで、人的被害もほぼなかったそうだ。アルマリエ側はほぼノーダメージでクォードの襲撃を乗り切ったと言える。


 ──つまり、この襲撃で一番被害をこうむったのは襲撃してきたクォード本人で、一番損傷が激しかったのは私が壊しちゃった部屋だった……ってことか。


 カレンはいつの間にか緑茶ががれていた湯呑を手に取るとズズズッと緑茶をすすった。これが紅茶だったら無作法この上ないが、緑茶では音を立ててすすることが許される。そう教えてくれたのは何を隠そう目の前に座しているルーシェだ。


 ──修理代、請求来ないといいけどなぁ……


「それとも、御聡明な執事殿は己の愚かささえ分からないほど御聡明であらせられるのかえ?」


 カレンの思考が脱線している間もルーシェは追及の手を緩めない。


 クォードが偽りか妄想を主張しているだけならばまだいい。だがクォードの証言が嘘偽りのないものであるならば、アルマリエは今、姿が見えない大多数の不穏分子に身を狙われているということになる。その不穏分子をあぶり出すためにはひとまずクォードから何か情報を引き出さなければならない。


 ──クォードが吐いた情報って、『目的はアルマリエ国家転覆』ってことと、『自分は秘密結社「ルーツ」の幹部である』ってことだけで、作戦の内容とか、当日同行してた人間のこととか、一切口にしていないんだっけ。


 クォードに死罪判決が出た魔法議会にはカレンも出席していた。だからクォードが口にした主張については実際に議場で聞いている。


『俺は秘密結社「ルーツ」の幹部だ』

『「ルーツ」に命じられ、アルマリエ皇宮に侵入した』

『俺は幹部ではあるが、今回は現場作業員として派遣されただけだ。作戦の詳細は現地で、今回の作戦を指揮していた別の幹部から伝えられる予定だった。だから俺は詳細を知らない』

『ただ目的は国家転覆だったと聞いている』


 カレンに重傷を負わされ、その上尋問にもかけられたクォードは、立っているのもやっとという状態で議場に引き出されていた。


 だがその漆黒の瞳が折れていなかったことを、カレンは知っている。


 ──クォードには、何か策がある……?


 クォードの主張はどこかチグハグだ。


 不本意ながらクォードを使用人として使っているカレンは、クォードが決して愚かな人間ではないことを知っている。『幹部である』と主張しておきながら『作戦の詳細を知らされていなかった』『現場作業員として派遣されていた』と口にする不自然さにクォードが気付かなかったとは思えない。誤魔化すならば誤魔化すで『自分は秘密結社「ルーツ」の幹部である』ということから黙っていた方が主張に整合性が生まれるとクォードは分かっていたはずだ。


 つまりクォードがあえてそこを口にしたならば、クォードの主張が混じりっ気なしの真実であるか、あるいはそれをあえて主張するメリットがあったということになる。


 ──『ルーツ』は国際的に危険視されている秘密結社。……その幹部と主張すれば、司法取引が可能と考えた、とか?


 あるとすれば延命の可能性に賭けた、というところだろうか。


『ルーツ』は魔法や魔術に特化した秘密結社だ。魔法・魔術道具の密輸や強奪、裏売買を始め、著名な魔法使い・魔術師の誘拐、魔法や魔術を使ったテロなど、近年の大きな魔法・魔術事件の裏には必ず『ルーツ』の影があると言われて久しい。アルマリエを始めとした魔法・魔術国家は『ルーツ』の行動を重く捉え、国を超えての取締を強化している。


 そんな『ルーツ』の幹部だと主張されたら、アルマリエ側だって平静ではいられない。情報を吐かせるために尋問は苛烈を極めるだろうが、逆に貴重な情報源として簡単に殺されることもないはずだ。情報提供を対価に司法取引が行われる可能性もないとは言えないだろう。現にクォードはルーシェと取引をして将来的に釈放されることが約束されている状態だ。


「……何だよ。引き籠り娘にあんな人騒がせな呼び出ししといて、用件ってのは俺への尋問なのか?」


 カレンは無表情下で考えを転がしながらクォードを観察し続ける。だがクォードもクォードで呆れの表情を崩さない。本心からうんざりしているようにも、そう装っているようにも見える。


「まさか! そんな非建設的なことに時間を割いている暇は妾にはない」


 対するルーシェもクォードの発言に内心を露わにすることはなかった。恐らく最初からこの程度でクォードが口を割るとも思っていなかったのだろう。瞳に忍ばせた刃はそのままで、ルーシェは尊大な語調で言葉を放る。


 ──そもそも、私で気付く可能性に伯母様が気付かないはずがない、か。


 魔法使いとしての強さばかりが注目されがちなルーシェだが、ルーシェの真価はその知性にある。歴代最年少で玉座を継いだ歴代最強の女皇の治世は、歴代でも稀に見る太平と繁栄の御代だ。弱冠19歳から国を率いてきたルーシェも、その臣下達も、『ルーツ』の幹部を相手にしたどころで小揺るぎもしないだろう。


 クォードにも策はあるのだろうが、ルーシェはそれを承知でクォードの処遇を決めた。


 そう考えを改めたカレンは、いよいよ本題が来るのかと心持ち背筋を正す。


「妾はこの後の公務をサクッと片付けて、愛しい夫とのディナーに馳せ参じなければならぬのじゃ。さっさと本題に入らせてもらうぞ」

「夫っ!?」


 だがせっかくの仕切り直しは素っ頓狂なクォードの声に木っ端微塵に砕かれた。


 あまりの素っ頓狂さにカレンは思わず目を丸くしてクォードを見遣る。対するクォードは『信じられない』といった感情を一切隠すことなくルーシェをガン見していた。無理やり例えるならば『幽霊がコサックダンスを披露している現場を目撃してしまった』とか『ダチョウが逆さ向きに空を飛んでいる姿を目撃した』とか、そういった類の衝撃を受けた顔、とでも言うべきか。


「なんじゃ、騒々しい」


 さすがのルーシェもクォードがこんな所で喰い付くとは思っていなかったのだろう。さっきまでの刃はどこに消えたのか、パチクリと目をしばたたかせるルーシェの顔には素直に驚きが浮かんでいる。


 そんなルーシェにわなわなと震える指を突き付けながら、クォードは絶叫した。


「あんた、結婚してたのかっ!?」

「しておるが?」

「こ、こんな横暴な女を嫁にするとかどんだけマニアックな人間がいたんだよっ!? あんたの夫はそういう趣味のある変態なのかっ!?」

「失敬な。妾はこう見えても中々にモテるのじゃぞ? 結婚の一回や二回、しておるに決まっておろう」


 ふふん、とルーシェは胸を張る。対するクォードは愕然と目を見開いていた。


 そんな二人を眺め、カレンはまた緑茶をすすりながら心の中だけでツッコミを入れる。


 ──国主がそう何回も気軽に結婚していたら、それはそれで問題なんですけどね?


 だが心の中で思っても、それを口に出すことはない。カレンのモットーである『省エネ』に反する、というのもあるが……


「一国の主が何回も結婚するような浮気者だったら国民に示しがつかんだろうがっ!!」


 もしかしたら来るかもしれないお決まりの流れに、カレンは先に溜め息をつく。そしてそんなカレンに気付かない上に妙な所で律義なクォードは、カレンが内心だけに留めたツッコミをしっかり口にしてしまった。


 その瞬間、ルーシェの瞳が強く煌めく。


「問題ではないぞ! なぜならば、妾はセダと何回でも結婚するのだから!!」


 ──来た……!


 カレンはスカートの下から小指の先ほどの小さなクッションを取り出すといそいそと両耳に詰めた。簡易耳栓である。


 そんなカレンにも気付かなかったクォードは、次の瞬間言葉の津波に呑まれた。


「あぁ、しかし良いな、結婚式! 来年は結婚30年の節目でもあるし、改めて2回目の式を挙げるのも良いかもしれぬ。セダは普段あまり格好には構わぬ性質たちじゃが、正装姿も抜群に格好良いから、これを機に式服を一式新調するのも良いのぉ。きっとよく似合う。普段の姿ももちろん格好良いが、全国民にセダの良さを見せつけたい! いや、しかしでも、妾以外がセダの魅力に気付いてしまうのもそれはそれで問題が……」


 喋る、喋る、とにかく喋る。夫の話題になったルーシェの唇は止まらない。


 とりあえずそこまでは唇の動きを読んでルーシェの発言を把握していたカレンだが、キリがなくてそれ以上唇の動きを追うのはやめた。瞼を閉じて視界を塞ぎ、とにかく手の中にある湯呑の感触と口の中に広がる緑茶の味に集中する。


 莫大な力を持つ魔法使いは長命で、魔力が最も満ちた所で体は時を止める。大体成人したくらいで時が止まる者が多いことと、継嗣を求められないことが相まって、実年齢が若い時代に早々に結婚する魔法使いはごく少数派だ。アルマリエの国主達も基本的に歴代晩婚であるらしい。中には政治的な問題から生涯結婚しなかった国主もいる。


 そんな中、ルーシェは20歳という、魔法使いとしても国主としても異例の早さで結婚した。カレンの母にしてルーシェの妹であるオルフィアに聞く所によると、かなりの大恋愛劇が繰り広げられたらしい。娘の目から見ても重度のシスコンであるオルフィアが『付け入る隙がなかったし、仮に割って入れていたとしても私の命が危なかった』と歯噛みするくらいだから、相当なことがあったのだろうとカレンは思っている。


 ──まぁ、それだけのことがあったのに、伯父様ってあんまり表に出てこないし話題にもならないから、クォードが知らなくても無理はない……のかなぁ?


 アルマリエでは国主の伴侶という存在があまり重要視されていない。結婚しているか否かが話題に出ること自体も稀だ。約30年前に結婚した後、表にも出てこない、話題にもならない、となればクォードが把握していなかったというのも無理からぬ話、なのかもしれない。


 ──私自身も、あんまり伯父様のこと、詳しく知っているわけじゃないし……


 ルーシェの夫であるセダに関しておおやけにされているのは、遠く海の向こうにあるという東大陸から渡ってきた魔法使いであるということと、アルマリエ皇宮第一位ウァーダ魔法使いとして魔法伯ウィザールの地位を持っているということ。大変優れた魔法使いであることと、ルーシェに深い愛情を注がれているということぐらいだろうか。


 ──私が物心ついた頃から見た目が全然変わらないから、伯母様に並ぶくらい強い魔法使いなんだろうなってことくらいかな? 一応親族として知ってることって。


 そしていい加減にルーシェのセダ語りは終わっただろうか。目を開けてしまうと嫌でもルーシェの唇の動きが読めてしまうのであまり目は開きたくないのだが、開けないことには状況が分からない。『省エネ』を掲げて日々実践しているカレンではあるが、決してエスパーではないので。


「……?」


 そんなことを思った瞬間、何かがカレンの肩に刺さった。疑問に思って目を開けば、ルーシェのセダ語りは終わっておらず、妙に虚ろな顔をしたクォードがカレンの肩に伸ばした人差し指を突き立てている。何事かと思って顔をあおのかせると、ギッギッギッと妙にぎこちない動きでクォードの顔がカレンに向けられた。


 クォードの唇がパクパクと動く。


 曰く。


「いい加減、これを、何とか、しろ……いや、して、ください、お願いします」


 思わずカレンはシパシパと目をしばたたかせた。それからルーシェに見つからないようにひっそりと新たなクッションを取り出し、テーブルの陰に隠すようにしてクォードにメッセージを送る。


『イビラレルヨリ マシジャナイ?』

「まだいびられてた方がマシだ」

『……マサカ ドSニ見セカケテ ドM?』

「んなわけあるか」


 ほんの数分でげっそり顔がやつれたクォードは、いつになく力が入ってない手でカレンの頭をはたいた。普段ならばここで魔銃が抜かれるはずなのだが、今のクォードにはそんな気力もないらしい。恐らく先程肩に指を突き立てたのも、どつく気力がなかったためだろう。


「クソ女皇がこんなに語りだすなんて、誰に想像ができたっつーんだよ……惚気のろけで腹が一杯だわ……」


 ──ごめん、想像できてた。


 さすがにクォードが哀れになったカレンは内心だけで詫びを口にする。だが決して当人には伝えない。……別にいい腹いせができたとは思っていない。カレンはあくまで『省エネ』を実行しているだけなのだ。念のため。


 そんな諸々を腹の中に収めたカレンは、ひとつ指を鳴らして両耳に詰めたクッションとクォードにメッセージを送っていたクッションを消した。それから机の上に置いてあったクッションを手に取り、ズイッとルーシェの方へ差し出す。


『ソレデ伯母様、今日ノ用事ハ惚気話デシタカ?』


 さらにパシッと魔力をスパークさせると、ようやくルーシェの唇は止まった。


 クッションに表示された文字を流し見たルーシェは、目を瞬かせるとあっけらかんと言い放つ。


「そんなわけなかろ」

「……その割には、今までの会話の1/3以上が惚気だったような気がするんだが……?」

「執事は主の話に口を挟むでないよ。減給されたいのかえ?」


 ルーシェの言葉にクォードは『うぐっ』とくぐもった声を上げながら唇を引き結ぶ。


 クォードが仕える主はカレンだが、雇用主はルーシェだ。主には強気に出られる物騒執事も雇用主には強く出られないものであるらしい。


「失礼、致し、ました」


 しばらく苦虫を噛み潰したような顔でルーシェを睨みつけたクォードは、またギッギッギッと音がしそうな動きでルーシェに頭を下げた。


 そんなクォードに満足したのか、ルーシェは重々しく頷いてからカレンへ顔を向ける。


「ハイディーンで、人さらいが頻発しておる」


 ようやくたどり着いた本題に、カレンはもう一度居住まいを正す。


 そんなカレンに、ルーシェは花が開くような愛らしい笑みを向けた。


「というわけでお前、ちょっと行って解決しておいで」

『内容説明ハナインデスカッ!?』

「ない。面倒じゃ。後から書類を送るから、それを読めばよかろう?」

『拒否権ハッ!?』

「あると思うたのか? これは女皇の名の下に発する命令であるぞ? このアルマリエでは妾が法律じゃ」


 愛らしい微笑みを浮かべる可憐な唇から発されるのは、そんな容貌にまったくそぐわない横暴極まりない発言だった。カレンは解決を命じられた事件の内容を一切知らないというのに、ルーシェの中ではすでにカレンが現地に赴くことは決定事項として扱われているらしい。


 ──決定しているなら決定しているで事件の概要くらい説明してくれてもっ!!


「妾は多忙なのじゃ。説明している時間が惜しい」


『散々惚気は語ってたのにっ!?』という文句をカレンは全力で飲み込む。言っても無駄なことは知っているし、クッションに出して言ってしまうとルーシェの舌鋒にやり込められてさらに面倒くさくなることが目に見えているからだ。


「これも社会勉強というものじゃ。お前は妾の後を継いで第19代女皇になる予定なのじゃから、これくらいチョチョイと指先ひとつで片付けられなくてどうする」

『ソンナ大事ヲ 指先ヒトツデ解決デキルノハ 伯母様クライデスッ!!』


 だが後ろに続いた言葉には思わず反論の言葉が飛び出していた。


『次期女皇』という肩書きを出されて無茶振りばかりされても困る上に、何でもかんでも女皇歴30年のルーシェと同列に語られては困る。


「……カレン、お前、自分がアルマリエ皇宮第二位アロン魔法使いという現実を忘れておらぬか?」


 そんな一念からの反論だったのだが、ルーシェは手を緩めてはくれなかった。


 それどころかルーシェはド正論を口にしてからとっておきの切り札まで出してくる。


「皇宮魔法使いがさまざまな特権を認められておるのは、何も引き籠りライフをエンジョイするためではないのだえ? 『皇宮魔法使いの国主命令服従義務』……まさか、忘れておるわけではあるまいな?」


 無条件皇宮伺候権を与えられる第五位オト以上の魔法使いのことをアルマリエでは『皇宮魔法使い』と呼ぶ。その中でも特に第三位フィーファ以上の魔法使いは皇宮内に自分専用の研究室を持ち、住み込みで魔法研究を行う特権が認められている。場合によっては国主の名の下に皇宮外に研究所を持つことも可能だ。カレンがルーシェの離宮を借り上げて引き籠っていられるのも、この特権によるところが大きい。


 しかし特権を認められているということは、それ相応の義務も負っているということで。


「国主の名の下に皇宮魔法使いに対して発令された命令は、内容がよほど理不尽か、魔法使い側によほどの理由がない限り、拒否することは認められない。例外を認められない者が命令を拒否する場合は魔法議会の議決もしくは国主の判断により、特権剥奪を含めた処分を科すことができる」


 魔法に関する一切を取り仕切る『アルマリエ魔法法典』に明記されている一文だ。もちろんカレンは皇宮魔法使いとしてその内容を暗記している。ルーシェがそらんじた一節は一言一句間違っていない。


 つぅっと冷たい汗が頬を流れていったのが分かった。


 無表情の省エネ娘でも冷や汗くらいかく。これも自分の意志でコントロールできるようになれば体内の節水に繋がるのではないかといつも考えるのだが、カレンの省エネはそこまで到達していない。要精進である。


 ……分かっている。もう十分に分かっている。


 この流れからまったく関係のない『省エネ』にまで思考が飛び火しているのは、ただの現実逃避であることくらい。


「あの離宮は、今でも妾の物じゃ。いつでも返してもらって良いのじゃぞ?」


 まばゆいばかりの笑顔でとどめを刺されてしまえば、カレンはこう答えるしかない。


『……謹ンデ 御下命ヲ 拝受サセテ イタダキマス………』


 引き籠る場所がなくなってしまっては引き籠りになれない。実家に帰るという手もあるが、実家では本格的な魔法研究ができない。それは困る。


 ──これじゃあクォードが『減給』っていう単語に弱いのと同じようなものじゃない……


 がっくりくるのと同時に、なんだか面白くないカレンである。


「ほ~、皇宮魔法使いってのは大変なもんだな。俺はこんな女皇にこき使われるなんてまっぴらごめんだぜ」


 その面白くない元凶であるクォードは小指を耳に突っ込んで耳掃除をしながら実にどうでもよさそうな顔をしていた。さっきまでルーシェの惚気の津波で干からびかけていたくせに現金なものである。


「ま、頑張れよ。俺はその間、離宮で骨休め……」

「何を言うておるのじゃ、この阿呆の子は」


 だがクォードが傍観者でいられたのもたった数秒のことだった。


「お前も行くのじゃぞ?」

「はぁっ!?」


 ──行くのっ!?


 思わずカレンは内心で絶叫していた。クォードはクォードであんぐりと口を開いたまま固まっている。『せっかくそこそこ整った顔立ちをしているのに、こんな顔ばっかりしてたら宝の持ち腐れだよね』とカレンが一瞬現実逃避に走るくらいには見事なあんぐり具合だった。対するルーシェは『何を言うておるのかこの愚か者は』という内心をまったく隠すことなく、平然とした顔でクォードを眺めている。こちらはまったくもって通常通りだ。


「『執事たるもの、主人の外出には必ず付き添い、あらゆる危険から主を守るべし』 妾がわざわざ直筆でしたためてやった執事の心得にもそう書いてあったであろうが。……まさか捨ててはおらんだろうな?」

「捨てても捨てても呪いの人形みたいに俺の懐に戻ってくるあの紙束をどうやったら捨てれるっていうんだよっ!! てかあれあんたの直筆だったのかっ!?」

「絶対捨てられないよう、しつこく呪いをかけてやったのじゃ。あんなしつこい呪いの書、妾にしか書けんて」

「今何気なく『呪いの書』って言ったなあんたっ!! つーかあの内容、色々執事に対する誤解が酷いぞっ!! 主の外出に付き従うのは従者ヴァレット目付シャペロンの仕事で執事の仕事じゃねーだろっ!!」

「そうなのかえ? この間読んだ戯画物語マンガでは、執事は主の行き先にはどこへでも付いていき、超人のごとき働きで主をあらゆる危険から守り、悪役をバッタバッタと倒しておったが……」

「情報源が戯画物語マンガって何だよっ!? 一国の主がオタクかっ!? あんたには従者も目付も執事もメイドも本物がついてるだろーがっ!!」

「お前こそ、それは勘違いじゃ。妾は女皇であって、姫やお嬢ではないのだえ? メイドはおるが、執事も目付も妾にはおらんて。宰相と侍従ならばおるが」

「十分じゃねーかっ!!」


 次から次へ言葉が矢継ぎ早に飛んでいく。省エネ派代表・カレンが口を挟めるような速度ではない。たとえ口を挟むタイミングを見つけてクッションを差し出してみても、言葉の応酬に忙しい二人は気付いてくれないだろう。


 ──あぁ、嫌味なくらいお茶が美味しい……


 カレンはクォードが手から取り落とした急須を己で手繰り寄せると自分で自分の湯呑に緑茶を注いだ。そういえばルーシェが東洋の品を好むのは、セダのために色々取り寄せた品を自分でも使ってみた結果、自分自身も気に入ったからだ、という話だ。


 ──緑茶の本場の出身である伯父様が淹れた緑茶は、やっぱり美味しいのかな?


 機会があればぜひとも味わってみたいなと思うカレンである。食自体には興味がないカレンだが、お茶だけは話が別だ。


「妾は別にお前がカレンに同行しようがしまいが気にせぬが、お前としては同行しておいた方が良いと妾は思うがのぉ?」


 そんな風にカレンがせっせと現実逃避に走っていると、何やらルーシェから気になる言葉が飛び出していた。


「……何?」


 ルーシェの思わせぶりな言葉にクォードの表情がピクリと動く。そんなクォードに向けて、ルーシェはニヤリと実にいやらしく笑った。


「お前、保釈金が満額に達するまで、あとどれくらいかかるか計算したことはあるのかえ?」


 ルーシェの言葉にクォードの視線が宙をさ迷う。おそらく頭の中ではめまぐるしく計算式が飛び交っているのだろう。


 だがルーシェはクォードが計算を終えるのを待ってやるほど優しさにあふれているわけではない。勿体付けることもなく、実にあっさりと答えを口にした。


「20年じゃ」

「……は?」

「だから、20年じゃ」


 その答えに再びクォードの口がカパッと開く。


「……それは俺の給料が低いのか、それとも………」

「お前、自分が本来ならば死罪になっていた人間だという自覚はあるのかえ? 給料はきちんと最低賃金を守ったものであっただろうが」


 最低賃金を守ってやっているだけでも高待遇である。そこに文句をつけられるいわれはない、とルーシェは心底嫌そうな表情で言い放った。


「釈放金プラスあの一件の損害賠償金。それがお前に科された労働対価の規定額じゃ。月額最低賃金でその金額を割ると、およそ240ヶ月……20年ということになる」

「ちょっと待て。それは全額を返済にてた場合の計算だよな?」


 クォードの労働は本来、釈放代償としての無償労役であり賃金が発生するものではないのだが、ひと月分の労働を一定の金額に換算して釈放金の額を減じていくという点ではごく普通の労働と変わらない。だからクォードとルーシェは便宜上、その減額分を『給金』と称している、という話はカレンもルーシェから聞いている。


「いかにもそうじゃが?」

「ってことは、現実はもっとかかるってことじゃねぇかっ!!」


 そしてルーシェの説明が正しいならば、今口にされた計算式があくまで机上の空論だということも分かってしまった。


 ──現実は、もっとシビアだからね……


 深山幽谷で俗世を離れた生活をしている人間ならばいざ知らず、町中で暮らしていくためには何かと金子がかかるのが世の常だ。それは衣食住が完備された職場にいても変わらない。細々とした私物の購入に充てるため、クォードは月々、少額ではあるがルーシェから現金の支給を受けている。支給、と言うよりも、返済分に充てる金額を減らして、その分を現金として受け取っている、と言った方が正しい。


 つまり現在、クォードの給金は満額労働対価に充てられているわけではないから、先程の計算式より現実ではさらに長い期間クォードは労働に従事しなければならない、ということだ。


「カレンの遠征にお前がついていくならば、特別に出張手当をつけてやるし、お前の助力で見事に事件が解決したならば、さらに特別手当を付けてやっても良いぞ?」


 そんなクォードの弱みを的確に突いたルーシェは、先程カレンに見せたまばゆい笑みを今度はクォードに向けた。


「まぁ妾はお前がどれだけカレンの執事をやっておっても構わぬからな。お前が『ぜぇぇぇぇっっってぇ行かねぇっ!!』と言うならば、それはそれで構わん。いつまでもカレンの執事として働き、存分に妾の目を楽しませておくれ?」

「そんなの願い下げだっ!!」


 だがクォードはカレンと違ってその笑みに折れることはなかった。


 バンッとティーテーブルに両手を叩き付けたクォードは挑みかかるようにルーシェを睨みつけるとうっすらと口元に笑みを刷く。


「上っ等だ。引き籠りの省エネ娘なんぞより華麗に事件を解決して、全てを俺の手柄にしてくれるっ!!」

「達成条件は『事件を解決すること』と『カレンを守りきること』の2点。もちろん異存はないな?」

「ないっ!!」


 機を逃さず畳みかけられた言葉にクォードは半ば勢いで鼻息も荒く答えた。自分の望む形で言質を取ったルーシェは満足そうにほくそ笑む。


 だがこの数ヶ月、幾度もルーシェに辛酸を舐めさせられてきたクォードは、多少なりともルーシェとの取引に知恵が回るようになっていたらしい。


「ちなみに、その特別手当ってのは月給の何倍出るんだ?」


 クォードの確認にルーシェは愛らしく小首を傾げた。どうやらルーシェもルーシェで何かを計算しているらしい。


 だがルーシェが長く言葉を迷わせることはなかった。


「2ヶ月分じゃな」


 比較的すぐに出された結論にクォードの眉間にシワが寄る。


「少なくねぇか? せめて5ヶ月……」

「でもお前、もう行くと言うたではないか」

「うっ……そこを何とか……」


 ──そういう浅知恵を発揮するなら、言質を取られる前にしなきゃ。


 カレンはイチミリも変わることがない無表情のままクォードに憐れみの視線を送る。妙な所でプライドが高いクォードは二言を呈することを良しとはしないはずだ。自分がついさっき言い放った言葉を逆手に取られては恐らく反撃もできまい。


「出張自体にかかる費用はカレン持ちで公費から落ちる。お前が現地で払う金子は実質ゼロであるはずじゃ。出張1回で丸々2ヶ月分減額。大分奮発してやっておるではないか」

「そこを……こう、もうちょい。増額が無理なら、何か現物支給とか……」


 ──随分頑張るね、クォード。


 これが世に言う『値切り交渉』というものなのだろうか。いや、値切り交渉は何かを買う側が売る側に商品の減額を交渉することであったか。


 ──どちらにしろ、妙に庶民じみてる所があるんだよね、クォードって。


 執事としても次期女皇の教育係としても仕事を完璧にこなすクォードは、公爵家の姫であるカレンの目から見ても教養深い上流階級の人間だ。だが時折クォードはこんな風に上流階級人らしくない行動も取っている。どちらが素というわけでもなく、どちらも素のように思えるから、カレンにはクォードの素地というものが分からない。


 ──秘密結社幹部って、生まれつきってわけでもないだろうし……。クォードって元々、どういう人間として育ったんだろう?


 カレンは密やかにそんなことを考える。


 その瞬間、ルーシェが盛大に溜め息をつきながら言い放った。


「仕方があるまい。お前の魔銃を返してやろう。それで手打ちじゃ。それ以上は応じんぞ」

『待ッテクダサイ 伯母様』


 カレンは思わずクッションを掲げて二人の間に割って入った。


 だって、突っ込まずにはいられないじゃないか。


『魔銃ッテ モウ今 持ッテマスヨネ!?』


 燕尾服の尻尾に隠すように吊られた二丁のオートマチック拳銃。あれが魔銃でないと言うならばカレンは日々何でどつかれていたというのか。納得のいく説明をしていただきたい。

 いきなり会話に飛び込んでも気付いてもらえないかと思ったが、魔力をスパークさせなくても二人ともすぐにカレンの発言に気付いた。


 ルーシェとクォードは互いに顔を見合わせ、無言のまま何事かを会話する。そこで何が確認されたのかは分からなかったが、カレンがそのことについて突っ込むよりも早くルーシェが口を開いた。


「今、こやつが持っている魔銃は二丁であろう? こやつにとってその二丁は服のようなものでの。いわば妾達が常に魔力を纏うようなもの。武装状態ではないのじゃ。故に妾は執事としてこやつを派遣する際、この二丁の魔銃は没収せなんだ」

『銃ッテ言ッテル時点デ スデニ十分武装シテイルト思イマスケドッ!?』

「あの二丁ごときにやられるようなお前ではあるまい? 現にお前は今、ピンピンしておる。あれでお前は狩れぬ。というよりも、一般人は狩れても、魔法使いは狩れぬ」


 つまり、魔銃と言っても打ち出される弾は限りなく普通の鉛玉に近いわけじゃ、とルーシェは自分の発言を締めくくる。


 その言葉にカレンは今までクォードが魔銃を抜いた光景を思い出したが、確かにルーシェの言葉は間違ってはいなかった。魔銃魔銃と言いつつもその性能はごく普通の銃と変わらない。あえて言うならばマガジンを替えている所を見たことがないが、弾を打ちつくすほど乱射している場面にも出くわしていないし、カレンの見ていない場所で替えているのかもしれない。


 銃の脅威は、殺傷能力の高さにある。その殺傷能力は小さな鉛玉が目視できないスピードで打ち出されることによって生まれる。原理はとても簡単でシンプルだ。それさえ分かっていれば、魔法使いが銃を恐れるいわれなどどこにもない。原理さえ分かっていれば回避する手段などいくらでもあるからだ。


 たとえクォードが零射でカレンを狙ったとしても、カレンにはその銃弾を回避できる自信がある。ルーシェに限っては銃に限らず、武器を以ってルーシェを害そうという思想そのものが無意味だ。


「女皇が言ってんのは、俺の武装用魔銃のことだ。武装用魔銃はただの鉛玉じゃなくて魔弾を装填して使う。弾そのものに理論式が刻まれてるから、魔法使いや魔術師でも狩れる」


 クォードがルーシェの言葉を引き継いで説明を加える。


 詳しい原理はさっぱり不明だが、要するに魔法使いに対する銃の欠点を魔法で補正した物だろうとカレンは勝手に解釈した。対魔法使い用魔銃、ということだろう。


 それにしても……


『……武装状態ノ クォードッテ、何丁銃ヲ持ツノ?』

「武装用魔銃二丁、通常装備用魔銃二丁、計四丁だな」

『武装シスギデショッ!?』

「やりすぎってことはねぇだろ、別に。備えあれば憂いなしだ」


 クォードはそう言うが、武器を持つというのは体に重りをつけることと同義だ。銃を持ったことはないカレンだが、銃一丁がそう軽い物ではないということは日々クォードを見て知っている。それともカレンの目にはそう見えるだけで、クォードの魔銃には体感重量を軽くするような魔法でもかかっているのだろうか。


 そもそもクォードの腕は二本しかないのだから四丁も魔銃を持っていても使い道がないのではないだろうか。武装する時は武装用、普段は通常装備用と使い分ければ身動きも取りやすくなるのではないだろうかとカレンは無表情の下で考える。まぁ、考えた所でそれをクォードに伝えるようなことは決してないのだが。


 ──敵に塩は贈らない。


 なぜならば、そんなことをしたら倒す時に余計なエネルギーを使ってしまうからだ。『省エネ』に反することはできるだけしないというのがカレンのモットーである。


「で? お前、手を打つのか? 打たぬと言うならばもう特別手当も出さぬぞ?」

「チッ、仕方がねぇな。今回は手打ちにしてやる」


 これ以上食い下がったら本当にただ働きをさせられると悟ったのだろう。言葉の割にクォードはあっさりと引き下がった。


 そんなクォードにひとつ頷いたルーシェは続けて指示を出す。


「妾の手元にある先遣隊からの報告書は、着任までに改めて離宮へ送ろう。お前の武装用魔銃を返還するのもそのタイミングじゃな。報告書がお前達の手元に届いてから48時間以内に皇宮にある転移魔法陣から現地へ飛んでもらう。現地での調査、および事件解決の方法はお前達に一任する。質問は?」

「ない」

「では話は以上じゃ。帰って良いぞ」


 ルーシェは端的に言い放つとカレンが辞去の言葉を口にするよりも早く部屋の外へ姿を消した。部屋の外からは侍従を呼ぶ銀鈴の音と複数の足音、何事かをルーシェに言い募る臣下の声が聞こえたが、その音もルーシェが部屋から遠のいていくにつれて小さくなっていく。どうやら人払いをしていたにもかかわらずルーシェに目通りを願う臣下達が廊下で列を成して出待ちしていたらしい。


 クォードは疑っていたが、アルマリエ帝国の国主であるルーシェは実に多忙なのである。今日はカレンとの面会時間を捻出するために、何よりも楽しみにしている夫とのお茶会の時間を削ったようだ。


 多忙なルーシェが直々にカレンと対面し、解決を命じた案件だ。この任務が一筋縄ではいかない代物だということはすでに理解できている。


 ルーシェがさっさと先に出ていったことにも、特に不満を抱いているわけではない。すでに表向きには死刑が執行されているクォードを穏便に皇宮の外まで出すためには、なるべく人目を散らさなければならない。ルーシェがここから出ていけば人目は自然とルーシェに集中する。ルーシェがそのことを計算づくで行動したことは分かっている。


 ……全て分かっては、いるのだが。


『イツノ間ニカ、任務ノ話マデ クォードガ主体ニナッテナイ?』


 なるべく任務は与えられずに平穏無事に暮らしていたいのだが、かと言っていつの間にかのけ者にされているのもなんとなく釈然としない。


 ──受けたくないけど受けざるを得ないって分かってて、クォードに押し付けれるかもしれないけれどそれも面白くないって……


 人の心はかくも複雑で、まったくもって『省エネ』ではない。


 カレンはそんな理不尽に小さく首をひねると、珍しく自前の口で溜め息をついたのであった。

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